湯遊白書〜そこに温泉があるから

ここは天国かい?いや、温泉だよ。日本、アジア、世界の温泉を巡ります。

温泉の文化史〜歴史、発展、天国

温泉の文化史〜歴史、文化、天国

古来より日本の人々は湯に心身を清める力、傷を癒す治癒の力、はたまた「若返りの湯」や「不老泉」など神秘的な願いも温泉に溶かしてきた。温泉は信仰のひとつと言っていい。世界では青銅器時代にあった温泉だが、日本はどうだろうか。温泉の歴史や文化に想いを馳せたい。

温泉の発祥

温泉の文化史〜歴史、文化、天国

日本で最初に温泉が登場するのは712年にリリースされた『古事記』で、5世紀半ばの道後温泉(伊余湯)である。8年後の『日本書紀』では有馬温泉(兵庫)、白浜温泉(和歌山)、道後温泉(愛媛)が登場する。733年に完成した『出雲国風土記』では玉造温泉(島根県)を「神の湯」として讃えている。

日本一の湯量〜入之波温泉・山鳩湯【大和最古の温泉】

日本で最も古い温泉とされる有馬温泉、白浜温泉、道後温泉は「日本三古湯」と呼ばれる。古代には掘削機(ボーリング)などないから、自然に湧いていたものを発見した。青森県の酸ヶ湯温泉は、鹿が発見したことから元々は「鹿の湯」と呼ばれていた。

仏教が日本に入ってくると行基などが各地を巡り、草津温泉、伊香保温泉などを次々と発見していく。我が国で最古の歴史を誇る大和の国(奈良県)で初めて温泉が登場するのは平安時代。山奥にある入之波(しおのは)温泉で、現在は形を変えて日本一の湯量を誇っている。

『出雲国風土記』と同じ頃に完成した『豊後国風土記』では日本一の泥湯である紺屋地獄が記される。700年代にはすでに存在しており、やはり我が国の温泉の歴史は深い。

温泉は文学とともに

温泉の文化史〜歴史、文化、天国

温泉は平安時代の和歌や日記文学を彩り発展してきた。『万葉集』や『古今和歌集』でも温泉は詠まれ、白浜、道後、有馬など西国だけでなく東国の「湯河原温泉(神奈川県)も登場する。『枕草子』で清少納言は「湯はななくりの湯、ありまの湯、たまつくりの湯」を挙げた。「ななくりの湯」は三重県の「榊原(さかきばら)温泉」のことである。

湯治の文化

温泉の文化史〜歴史、文化、天国

「湯治(とうじ)」という言葉が登場するのは平安時代の日記文学からといわれており、現在の「療養目的の入浴」ではなく、薬草を入れた「薬湯」や海水を入れた「潮湯」を指していた。現在の意味で使われるのは平安時代後期から鎌倉時代。室町時代の温泉は貴族の遊興場となり、戦国時代には武士が傷や病を癒す療養地として発展していった。特に甲斐の温泉を多く開いた武田信玄による「信玄の湯」は有名。江戸時代になると武士が休暇申請を出す「湯治願い」も登場する。

共同浴場の誕生「惣湯」

共同浴場の誕生「惣湯」

室町時代には別府や城崎温泉など、全国各地に共同浴場が発展し、「惣湯(そうゆ)」と呼ばれた。自治体の「惣村」が運営する皆の湯が広まった。

江戸時代には日本で初めて伊香保温泉(群馬県)が温泉を観光資源として利用し、温泉街をつくった。湯女(ゆな)の文化も広まり、昼は客の背中を流し夜は三味線を手に遊客をもてなし、中には売春に発展するケースもあった。現在も東京の錦糸町にある楽天地スパ 錦糸町には湯女の文化が残っている。

日本の混浴文化

温泉の文化史〜歴史、文化、天国

現在も青森の酸ヶ湯温泉などに残っている混浴文化。江戸時代は身分によって浴槽を分けており、城崎温泉や道後温泉などは殿様や武士や一般市民などで厳しく浴槽を分けていた。また混浴であっても湯具を着用する温泉もあった。

温泉の未来

温泉の文化史〜歴史、文化、天国

この世に「永遠」が実存しないように、温泉にも諸行無常は流れる。今ある名湯も少しずつ形を変え、失われていく。平成の世に訪れた山の湯は令和のいま、グランピング施設に変わってしまった。乗鞍高原にあった「丘の上ヒュッテ」は女将さんが急逝したことで宿の歴史を閉じた。

画像引用:たびらい

日本一の温泉のひとつである別府も、宿の管理者は高齢化している。今後、素晴らしい泥湯の文化がどこへ向かうのかはわからない。滅びゆくものがあれば、進化するものがある。

世界一の温泉〜釜山・東莱温泉「虚心庁」

世界一の温泉といってもいい釜山の東莱温泉(トンネ・オンチョン)「虚心庁(ホシムチョン)」は近現代でなければ生まれなかった施設。素晴らしい温泉もどんどん現れる。

この世に永遠はないと言ったが、ただひとつ存在する。それは温泉を求める我々の心である。

温泉おすすめの入浴方法〜種類、温度、体の洗い方、入浴後まで

日本人の誰もが好きな温泉。しかし、日本人の多くが誤解してしまっているのが温泉の入浴方法。せっかくの温泉なのに効果を殺してしまっては一生の不覚。おすすめの入浴方法を実践してみよう。

泉温別の入浴時間の目安

温泉おすすめの入浴方法

  • 39度:20分
  • 40度:15分
  • 41度:10分
  • 42度:5分

個人差はあるが、日本人が最も気持ちよく感じるといわれるのは42度。これは「高温浴」にあたり、交感神経を緊張させる温度。精神、神経をたかぶらせ、心臓の拍動を増加させ、血圧が上昇する。なので脳が活性化する。「高温浴」の効果は「目覚め」

リラックス効果は40度以下

リラックス効果は40度以下

「リラックス効果」を期待するなら40度以下の湯「微温浴」がいい。体温より少し高く、精神や神経の興奮を抑える鎮静作用がある温度。副交感神経を刺激し、脈拍数を落とし、血圧を下げる。

体に負担が少ない分割湯

  • 42度:3分、3分、3分
  • 40度:5分、8分、3分

入浴は3回に分けると体への負担も少なく効果を発揮する。45度以上になると「超高温浴」になり、熱い湯は体に負担がかかる。草津温泉の時間浴が有名で、これは必ずと言っていいほど分割湯にする。

水風呂のすゝめ

真冬でも水風呂につかる「冷水浴」がおすすめ。代謝を良くするなどの効果より精神的に鍛えられる。何より、そのあとの温浴の天国指数を爆上げする。武士道で「礼に始まり礼に終わる」というように、温泉でも「冷に始まり冷に終わる」を試してもらいたい。

真冬でも水風呂につかる「冷水浴」がおすすめ。特に登山などの運動後は効果がある。スポーツ後の筋肉には乳酸が溜まり、外に追い出そうと血行がよくなるが、熱い湯に入ると血液がドロドロになってしまう。何より真冬の水風呂は、そのあとの温浴の天国指数を爆上げする。武士道で「礼に始まり礼に終わる」というように、温泉でも「冷に始まり冷に終わる」を試してもらいたい。ちなみに二日酔いの人が酔い覚ましに熱い湯に入るが、これも間違い。二日酔いの状態は血中アルコール濃度が高くドロドロに血なので、熱い湯に入ると逆効果になる。

温泉の入浴法の種類

温泉おすすめの入浴方法

  • 全身浴
  • 半身浴
  • 寝浴(浮遊浴)

古来から日本人が実践してきた入浴方法。主に3つの種類があるが、その効果を把握している人は少ない。それぞれのメリットとデメリットを知りつつ、気持ちよく温泉に入浴しよう。

全身浴

温泉おすすめの入浴方法,全身浴

全身浴は「肩まで湯につかる」入浴方法。温泉の効果を全身に吸収するのに最適解。下半身の血液を押し上げるマッサージ(ポンプアップ効果)もしてくれ、むくみ改善やデトックス効果がある。ちなみに「極楽」「天国」と声に出すことで、さらにストレス軽減になるので、黙浴ではなく声浴がおすすめ。

半身浴

温泉おすすめの入浴方法,半身浴

半身浴は、下半身(へそから下)だけ湯につかる入浴方法。日本では古来から「頭寒足熱(ずかんそくねつ)」と言って上半身は涼しく、下半身は温かくする健康方法が好まれてきた。半身浴は心臓に負担をかけず下半身から温泉成分を吸収し、上半身の発汗を促進する効果がある。半身浴は身体が温まらないと思われがちだが、血液の循環が活発になり、全身が温まる。

寝浴(浮遊浴)

温泉おすすめの入浴方法

寝浴は、浴槽の縁に頭を乗せて寝そべりながら湯につかる入浴方法。心臓が水面に近くなることで水圧負担を減らし、全身浴と同じ効果で、全身浴よりも心臓の負担を減らせる。宇宙の無重力状態を感じることで脳波がα波になりリラックス効果もある。ゼロ・グラビティの境地。足の裏を浴槽につけて浮いだ状態にすると「浮遊浴」になり、足のむくみ改善にもなる。

寝ないように注意

温泉おすすめの入浴方法

寝浴(浮遊浴)は理想の入浴方法ではあるが、気持ちよすぎて、そのまま寝てしまうリスキーな側面も持つ。本当の天国に行ってしまわないように、地上のヘブンを愉しむべし。

頭にタオルをのせる効果

タオルがつからないように頭にのせるのは温泉ならではの風物詩。ただし、何気なく頭にのせている人が多い。効果を把握しておくと温泉QOLが爆上がりする。

内風呂は冷たいタオル

温泉おすすめの入浴方法

身体を洗った温かいタオルを頭にのせると、のぼせやすくなる。水圧を受けることで血液が頭に行くからである。長湯が苦手な方や、のぼせやすい人は、冷やしたタオルを頭にのせて温泉につかると良い。

冬の露天風呂は温かいタオル

温泉おすすめの入浴方法

逆に寒い冬の時期に露天風呂に入る場合は、温かいタオルをのせるとよい。冷たい外気と熱い湯の温度差で血圧を急上昇させるので、立ちくらみになりやすい。温かいタオルをのせておくと、立ちくらみ防止にもなる。

体の洗い方

温泉は自宅の風呂より刺激が強く、肌の角質をとったり、毛穴の汚れを浮き出す「乳化作用」がある。入浴前に石鹸やボディソープで全身を洗わず、かけ湯、もしくは汚れている部分だけ洗うのが良い。温泉ソムリエが実践している方法は6ステップ。

身体の洗い方7つの習慣

  1. かけ湯or汚れている部分だけ洗う
  2. 3分前後の入浴
  3. 頭を洗う
  4. 3分前後の入浴
  5. 身体を洗う
  6. 3分前後の入浴
  7. あがり湯はしない

温泉の成分は入浴後も3時間は皮膚からの浸透効果が持続するので、シャワーで洗い流す「あがり湯」はしないほうがいい。ただし、硫黄の匂いなどがキツいものは周りへの迷惑になるため、断腸の思いで「あがり湯」をする。

手で洗うすゝめ

温泉おすすめの入浴方法〜種類、温度、体の洗い方、入浴後まで

特に乳化作用の高い泉質の場合にタオルで洗うと肌を傷つける。その場合は、手で洗うのがいよい。特に炭酸水素塩泉、硫酸塩泉、硫黄泉、アルカリ性単純泉は注意。

入浴前と入浴後に水分を摂る

温泉おすすめの入浴方法

入浴後に飲むコーヒー牛乳は蜜の味である。温泉は発汗で血液の粘度が上がり、血がドロドロになる。そのため、入浴後だけでなく入浴前の15〜30分前に水分補給をするとサラサラの血になりやすい。特に入浴による熱で失われやすいビタミンCを補充するオレンジジュースなどが良い。入浴前にビタミンCを補充しておくと「湯あたり(体がダルくなる)」の予防にもなる。

入浴後すぐに帰らない(リラックス効果が消滅)

伯耆大山と豪円院湯

温泉のリラックス効果は湯につかっている間がいちばんと思っている人が多いが、実は入浴後15〜30分後が最も心がリラックスする。その間にバタバタ帰る準備をし、慌てて帰宅するとリラックス効果が台無し。入浴後はソフトクリームを食べながら、ほっこりするのが一番。

【おまけ】温泉の入浴にまつわる誤解

サウナ直後の水風呂はNG

吟漁亭〜至高のサウナ、伊豆松崎の一棟貸し

サウナのあと、すぐに水風呂につかる人が多いが、心臓に負担がかかり健康によくない。本来は、サウナを出たあと36度前後のぬるま湯につかる「不感温浴」がベスト。36度前後の湯がない場合は「26度前後のシャワーを浴びる」のが良い。

湯治は2〜3週間

温泉おすすめの入浴方法

温泉に行く=湯治(とうじ)と言う人がいるが、療養を目的に温泉の効能を得るには時間がかかる。湯治に行く場合は主に2つの期間が目安になる。

  • 2〜3週間連続で温泉に滞在
  • 週に1回の温泉入浴を3〜6ヶ月連続

これくらい長い間、滞在しないと温泉の効果は得られないので注意。ちなみに青森の酸ヶ湯温泉は湯の刺激が強いので、3日間で他の温泉の1週間分の効能があるといわれる。

温泉の歴史と文化

世界一の温泉〜釜山・東莱温泉「虚心庁」

世界一の温泉〜釜山・東莱温泉「虚心庁」

世界一の湯〜トピアが日本でもヨーロッパでもなく、釜山にあるとは思わなかった。韓国最古の温泉である東莱温泉(トンネ・オンチョン)は、新羅時代の王も立ち寄ったという歴史が残る。一羽の鶴が怪我した足を温泉につけたら完治して飛んでいった白鶴伝説に由来する。 日本の人々も東莱温泉で入浴することが一生の願いだと言われるほど有名な温泉。

東莱温泉「虚心庁」のアクセス

世界一の温泉〜釜山・東莱温泉「虚心庁」

東莱温泉「虚心庁(ホシムチョン)」は地下鉄1号線に乗り、「温泉場」というストレートすぎる名の駅で降りる。

世界一の温泉〜釜山・東莱温泉「虚心庁」

西面(ソミョン)から1号線は5分間隔で運行している。1700ウォン。「温泉場」は8駅目。

世界一の温泉〜釜山・東莱温泉「虚心庁」

駅から徒歩10分と離れているが、汗をかいても今から汗を流すので問題ない。むしろ汗をたっぷりかいたほうが温泉が気持ちいい。

東莱温泉「虚心庁」の外観・内観

世界一の温泉〜釜山・東莱温泉「虚心庁」

虚心庁(ホシムチョン)はホテル農心の3階にある。釜山に来るなら、ここに宿泊して1日中、温泉に浸かっていたいもの。

世界一の温泉〜釜山・東莱温泉「虚心庁」

ラグジュアリーな空間で日本人観光客の利用も多い。料金(1600円ほど)は後払いで、最初に貴重品ロッカーに預け、次に靴箱のロッカー、脱衣所にもロッカーと3箇所の鍵がある。かなり厳重なセキュリティ。

世界一の温泉〜釜山・東莱温泉「虚心庁」

「最高の温泉」と思い切り大風呂敷を広げているが、その言葉に偽りはない。

世界一の温泉〜釜山・東莱温泉「虚心庁」

壁には1900年代の東莱(トンネ)温泉のセピア写真。この頃は閑かな温泉だったのだろう。

東莱温泉「虚心庁」の浴場

世界一の温泉〜釜山・東莱温泉「虚心庁」

いきなりの絶景かな、絶景かな。男風呂だけで1500人が入浴できる広さ。露天風呂、洞窟湯、ヒノキ湯、青磁湯、漢方湯、黄土湯、海水湯、各種サウナ、ミニプールなど40種以上の浴槽。

世界一の温泉〜釜山・東莱温泉「虚心庁」

内風呂、露天、洞窟と景観も変化。遊泳できるプールやロゼスパークリングのような泡風呂、ビール風呂など遊び心あり。これで1万5千ウォンはあり得ない。

世界一の温泉〜釜山・東莱温泉「虚心庁」

洗い場も最強。ボディソープの芳香が良く、身体を洗う専用のタオルのザラザラが恍惚の洗体を演出してくれる。細部にまでこだわりが詰まった美しきテルマエロマエ。

世界一の温泉〜釜山・東莱温泉「虚心庁」

おすすめ四天王のひとつが熱っつ熱の檜風呂。熱いのは苦手だが、これは長時間つかってられる。

ロゼスパークリングのような茶褐色の泡風呂

檜のあとはロゼスパークリングのような茶褐色の泡風呂。ぬるめで気持ちいい。高級ジャグジーのよう。

ちょうど良い暖かさの青磁の湯

ちょうど良い暖かさの青磁の湯も広々。家に欲しいくらいだ。

露天風呂のマヒャドのように凍りつく水風呂

露天風呂のマヒャドのように凍りつく水風呂も見事。何よりすごいのは露天風呂の意味を熟知していること。日本人は景色や開放感を愉しむ場所と思っているが、本当に気持ちいい露天風呂は「風」を味わうもの。虚心庁(ホシムチョン)はそのための設計になっている。天井から釜山の心地いい風が吹き抜ける。

凍・冷・涼・温・暖・熱すべてを網羅。内風呂、露天、洞窟と景観も変化。遊泳できるプールやロゼスパークリングのような泡風呂、ビール風呂など遊び心あり。棲みたくなる温泉。日本で温泉関係の仕事をしている人は研修で虚心庁(ホシムチョン)に来たほうがいい。世界一の温泉が釜山にある。

店名 虚心庁(ホテル農心併設温泉)
住所 釜山広域市 東莱区 温泉洞 137-7, ホテル農心隣
(부산광역시 동래구 온천동 137-7, 호텔농심 옆)
 
[道路名住所 
 

釜山広域市 東莱区 金剛公園路20番キル 23 , ホテル農心隣
(부산광역시 동래구 금강공원로20번길 23 , 호텔농심 옆)
電話番号 051-550-2200(受付の内線は0番)
営業時間 (温泉)5:30~22:00(最終受付21:30)、(チムジルバン)6:30~21:00
休業日 年中無休
日本語 不可
その他外国語 中国語
支払方法 ウォン、カード(JCB,visa,master,amex) ※一部使用不可の場合あり
交通 ・釜山地下鉄1号線温泉場(オンチョンジャン、Oncheonjang)駅 1番出口 徒歩10分

釜山でおすすめの温泉とグルメ

温泉の歴史と文化

温泉おすすめの入浴方法

赤湯温泉「やまと屋」〜 吹雪く蔵王

名山に囲まれた山形は野方、里方に対して「山方」と呼ばれ、そこから山形になった。深田久弥さんの『吹雪く蔵王』を読んで、蔵王は憧れの山。旅館で飲んだ日本酒・十四代の衝撃は今も忘れない。雪山のあとにつかる温泉は格別だが、出陣前の湯も記憶に宿る。

赤湯温泉

「やまと屋」

赤湯温泉は山形県の南東の端にある南陽市の温泉。泉質は主に単純温泉や塩化物泉。歴史は古く、開湯は900年以上前。1093年に源義綱の家臣が傷を癒した際に、傷から出た血で湯が真っ赤になったため「赤湯」と呼ばれるようになった。浴場を開いたのは弘法大師といわれる。

旅館大和屋(やまと屋)

旅館大和屋(やまと屋)

旅館大和屋(現在・やまと屋)は山形県南陽市赤湯にある創業300年以上の湯宿。別名「美術館の宿」と呼ばれるのは、館内のいたるところにピカソやモネなど、絵画の複製画を300点以上も展示していることによる。烏帽子山に囲まれ景観が良くないことから、オーナーが絵画作品を展示し、外に出なくても楽しめよう工夫した。

弥五郎の湯

画像引用:やまと屋

やまと屋の温泉は、赤湯温泉をひいた「弥五郎の湯」。創業以来300年以上の歴史を背負う天然の岩風呂。日帰り入浴もできる。源泉名は、森の山源泉(冬)森の山二号源泉(夏)、泉質は塩化物泉、硫黄泉。塩化物泉は海水に似た食塩を含む塩辛く無色透明な湯。湯冷めしにくく「温まりの湯」と呼ばれるもので福島の磐梯山の東山温泉も塩化物泉。硫黄泉は、お湯の中に硫黄を多く含んだ泉質で、山の湯では八甲田山の麓にある酸ヶ湯温泉が当たる。やまと屋の湯はいい意味でハイブリッド。泉質の特徴を主張せずやさしい。

料理と日本酒「十四代」

赤湯温泉「やまと屋」〜 吹雪く蔵王

やまと屋では、山形の豊かな自然が育んだ食材を使用した会席料理が食べられる。新鮮な山海の幸が出る。特に朝食は絶品。さらに凄いのは、夕食に山形が生んだ日本酒の最高峰・十四代を呑めること。

赤湯温泉「やまと屋」〜 吹雪く蔵王、十四代

十四代は山形県村山市にある1615年(元和元年)創業の高木酒造の作。手に入りにくいことから幻の日本酒と呼ばれる。味は日本酒やワインに使う形容である「フルーティー」なのだが、そのフルーティーさの深度が桁違い。まるで天国にいるような気分にさせる。いろんな酒のなかでも別格。死ぬまでに一度は飲んでほしい日本酒だ。

吹雪く蔵王

赤湯温泉「やまと屋」〜 吹雪く蔵王

どれだけ科学やテクノロジーが発展しても、山は人智の想像を遥かに超えてくる。この世で最も当てにならないのが峰不二子と天気予報だ。令和四年2月12日。3連休の中日。昨夜は21時に眠りについたが、大和屋旅館の布団が思ったよりも快適で、つい惰眠を貪ってしまった。5時の起床予定が6時まで延長戦。それでも気を取り直して朝風呂に浸かり、これまでの旅で体験したなかで最も美しい朝食で目を覚ます。

赤湯温泉「やまと屋」〜 吹雪く蔵王

会計を済ませようとすると、「少しお待ちください」と客人の靴を丁寧に並べる。おもてなしを学びたい人は大和屋旅館に逗留するといい。接客のすべてが学べるだろう。

赤湯温泉「やまと屋」〜 吹雪く蔵王

車で40分ほど山道を走らせると大渋滞に巻き込まれる。ロープウェイの恩恵で観光地の代名詞となった蔵王は、登山者、スキーヤー、そしてSNS映えを狙った観光客でバーゲンセール会場。

赤湯温泉「やまと屋」〜 吹雪く蔵王

コロナ禍の乗客制限も手伝って、ロープウェイに乗るまで2時間待ち。そこから樹氷高原駅、山頂駅と乗り換えるから、山に登るより移動時間のほうが長い。これも今を生きている証だが、単独なら発狂していたところ。嫌気がさして帰らなかったのも東北の母と呼んでいるアミさんが話し相手として居てくれたからだ。60歳を前にして急登もグングン登る。山に入った瞬間、クライマーズ・ハイになるような山好き。出逢ったなかで誰よりも山の人。体力、スピード。他にも山登りに必要な能力はあるが、何より山を愛する才能に憧れる。初めて一緒に登ったのは2015年の雪の八ヶ岳。そこから秋の白神山や12月の八幡平や八甲田山と、雪深さでまったく進めない登山もともにした。3月の安達太良山に登ったとき、雪国の山女であるアミさんからいわれた「まっちゃんは雪が似合うね」は山登りをするうえで一番の推進力になってくれた。

赤湯温泉「やまと屋」〜 吹雪く蔵王

シベリアの季節風が直撃する山頂付近は樹氷の美術館。ロープウェイでこの景色に来られるのだから、人が押し寄せるのも無理もない。雲ひとつない快晴の予報だったので、余計にこの日を狙ったハンターが多かった。

赤湯温泉「やまと屋」〜 吹雪く蔵王

我々は樹氷そっちのけでスノーシューをつけ、山頂を目指す。「帰りにゆっくり鑑賞すればいいだろう」と完全な美術館気分でいたら、やはり山は甘くなかった。

赤湯温泉「やまと屋」〜 吹雪く蔵王

神様はやっかいな性格をしていて、そう簡単には美しい風景を見せたがらない。もともと蔵王はホワイトアウトの名所。わずか10分ほどで青空から白い魔境に変わる。

赤湯温泉「やまと屋」〜 吹雪く蔵王

晴れなら若葉マークのクライマーでも簡単だが、悪天に変わるとベテランでも油断できない。頂上までは1時間の逍遥だが、遭難者が少なくない。御多分に洩れず、天は我々を見放した。だが、深田久弥さんの『吹雪く蔵王』を読んで、実はこれを待っていた。雪山は吹雪いてこそ。登頂の苦労が甘美に変わる。

赤湯温泉「やまと屋」〜 吹雪く蔵王

髪の毛まで凍ったが寒さは感じなかった。そこにアミさんがいるからだ。山にいたのはたったの1時間ちょっと。移動の旅だった。

赤湯温泉「やまと屋」〜 吹雪く蔵王

何かを得たのか、何かを失ったのか、それは分からない。だが、下山し、吹雪から快晴の空に広がる夕焼けを見たとき、自分はクライマーなんだと実感した。登山に結果もプロセスもない。ただ、そこに山があり自然の祝福がある。下山後にアミさんに山形駅まで送ってもらう。車内から蔵王を振り返ると、人生で見たなかで最も儚く、屈強な夕陽が揺れていた。

赤湯温泉で食べた龍上海のラーメンの憶い出

山の塩化物泉

山の硫黄泉・八甲田山と酸ヶ湯温泉

温泉の歴史と文化

温泉おすすめの入浴方法

『木曽温泉ホテル』御嶽の麓へ

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木曽の霊峰・御嶽に登るクライマーに薦めたい宿がある。御嶽に登るときは必ず脚を癒やす名湯『木曽温泉ホテル』

木曽温泉ホテル

外観から察しがつくように、ホテルより旅館のほうがしっくりくる。料金は1泊2食付きで1万円。御嶽の労を癒してくれるのは茶褐色のにごり湯。冬のカフェ・オレのような暖をくれる。
静寂のなか御嶽登山を振り返るも良し、次なる山に想いを馳せるも良し。島崎藤村の『夜明け前』の冒頭で「木曽路はすべて山の中である」と言うように、木曽温泉ホテルも静かな山の中に佇んでいる。最寄りのコンビニまでは1kmあり、完全に閉ざされた空間。車を30分走らせて開田高原があるくらい。
閑けさが湯とともに体に染み渡る。朝風呂、夜風呂とまた味わいが違う。人に疲れた都会人には、本当の贅沢と呼べる時間。ここは日帰り入浴もできるが、できれば宿泊をお勧めしたい。木曽温泉ホテルが振舞う手料理に舌鼓を打ってもらいたいからだ。

泉質

泉質は「ナトリウム・マグネシウム・カルシウムー炭酸水素塩・塩化物温泉」。まんべんなく成分が入っている「分散型」と呼ばれる湯。内風呂も良いが、なんといっても冬に閉鎖されてしまう露天風呂。

これがあるから御嶽への登拝は冬以外をお勧めする。茶褐色の濁り湯は鉄が錆びた影響なのか、浸かっていると金属臭がぷーんと漂う。日常であれば嫌なニオイだが、旅先では芳香へと変わる。何十分でも浸かっていられる、いや、ここを離れたくない。温泉の引力。山の湯よろしく、少し清潔感を欠いた汚さも味わい深い。鉄の錆は歴史の熟成。50年以上も生き抜いたヴィンテージのワインにつかっているかのよう。

料理

自分は口コミをまったく信用しないが、やはり木曽温泉ホテルも評価は低い。多くの人は”ご馳走”ではなく、グルメや美食にしか満足しないのだろう。どこでも見るような揚げ物一つとっても、丹念に作られ、真剣に客人を振舞おうとする意気込みが感じられる。その熱意こそが、ご馳走の証。

天ぷらとキノコ汁は、木曽の恵みを堪能するのに、これ以上ない逸品。これらを”つまらない料理”と感じてしまうのは、よほどグルメに毒されているのだろう。どれも人間の温度が感じられるものばかりである。揚げ物も機械やチェーン店では作れない個性がある。日常に疲れた旅人は木曽温泉ホテルに足を休めて欲しい。そこに本当の贅沢があるから。

御嶽登山

名山の麓に名湯あり『木曽温泉ホテル』

2015年9月15日、木曽の名峰・空木岳に登ったとき、山頂から富士山と同格のオーラの山が見えることに自分の眼を疑った。まさか日本にそんな山があるわけがない。しかし何度見返しても、風格と存在感が他の山とは別次元。凄惨な犠牲を生んだ大噴火から1年、赤く輝きならが噴煙を上げる御嶽(おんたけ)だった。

名山の麓に名湯あり『木曽温泉ホテル』御嶽の麓へ

4年が経った令和元年9月28日、先輩が早朝4時30分に新宿まで迎えに来てくれ信州へ。9時前に登山口に到着。間近で見る令和の御嶽は、見るものを圧倒するオーラはなく、揺れるススキのように穏やかな表情に変わっていた。

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9時9分、6人乗りのゴンドラで一気に標高を2150mまで上げる。15分で580mを登ってしまう。クライマーとしては少し罪悪感が襲うスタートだが、気を取り直してクライム・オン。1750年代(天明)、覚明によって最初に開かれた古道・黒沢ルート。御嶽は日本最西の3000メートル峰、古くは王嶽(おうだけ)と呼ばれていた。

名山の麓に名湯あり『木曽温泉ホテル』御嶽の麓へ

10月になろうというのに気温は20度を超え虫が多い。背中からは汗が滴り落ちていく。いつもはストックを使わないが、今回は登りから使用。かつて御嶽信仰登山だった「御嶽講」の杖を真似る。先人たちと同じ足跡、足音で登りたかった。

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LEKI(レキ)のストックがあると膝への負担が減り、急登を急登と感じない。ロープウェーに続いて罪悪感。8合目の女人堂小屋を抜けると森林限界に達する。硫黄の匂いに誘われ、ここからが本格的な御嶽との対面。赤土の登山道に、これでもかと点在している碑の数々。明治の神仏分離令・廃仏毀釈によって仏教が排除されてなお、修験道の面影を色濃く残す。この霊気はまるで富士山に来たかのようだ。

名山の麓に名湯あり『木曽温泉ホテル』御嶽の麓へ

御嶽と富士山は兄弟の独立峰だ。4年前に空木岳の山頂から感じた同格のオーラは錯覚ではなかった。3776mと3067m、標高の数字が似ているのも偶然でない。かつて富士講と御嶽講と多くの信仰者を引き寄せたのも同じ磁力を持つからに違いない。

名山の麓に名湯あり『木曽温泉ホテル』御嶽の麓へ

登山道は単調そのもの。好きな山に御嶽を挙げる人は少ないだろう。だが、単調だからこそ、ひたすら上を目指して登る。山に登ることは、そこに自分が存在することである。何も考えず、自分の足跡を残せばいい。

名山の麓に名湯あり『木曽温泉ホテル』御嶽の麓へ

日本に近代登山を広めたウォルター・ウェストンも御嶽を登った。「最も神々しく尊い証は、巡礼者が何度もこの聖山(御嶽)に登り、汚く灰色になった着物だ」と。単調であろうと一本道であろうと、御嶽の空気を細胞にしながら登ることに大きな意味がある。前へ前へ、上へ上へ歩む。その尊さを御嶽や富士山は教えてくれる。9合目に達すると小雨が降り出した。民謡・木曽節でも「木曽の御嶽さんは夏でも寒い」と歌われるように、晩夏とは思えない寒気が身を締め付ける。気温20度、虫たちを振り払った登山口とは別の山。たまらずレインウェアを羽織るが、手袋を持って来なかったため、指の先が凍傷になるかと思うほど硬直する。そんな御嶽の洗礼を受け、どこか嬉しくなる自分がいる。やっぱり俺はクライマーだ。

名山の麓に名湯あり『木曽温泉ホテル』御嶽の麓へ

剣ヶ峰まであと一歩のところで足が止まる。地獄の二丁目、3000mを超えたことによる高山病だ。ここまで来て下山かと思った矢先、目の前に石造りのバス停のようなシェルターが現れた。木のベンチもある。4年前の噴火の影響で造られたもの。寒さと高山病をしのぐ。助かった。このシェルターがなければ山を下りていた。

名山の麓に名湯あり『木曽温泉ホテル』御嶽の麓へ

ここでパンと水分を摂ったことで少し回復。霧に包まれた山頂への階段を軽快な脚で登ることができた。

名山の麓に名湯あり『木曽温泉ホテル』御嶽の麓へ

頂上は灰色の世界が広がり、眺望はない。晴れていれば、どんな景色が広がるのだろうか。でも、今日この日に来たことに悔いはない。平成では幻だった高嶺の花、令和元年に足跡を残すことができた。待つことの意味がここにある。大怪我で山に登れなくなっていたら、どこかの山で命を落としていたら、この御嶽登山は存在しなかった。クライマーなら誰しもが死にかけた経験をしている。それでも皆、生かされて次の山を登っている。

名山の麓に名湯あり『木曽温泉ホテル』御嶽の麓へ

下山後に振り返った御嶽には夕陽が射し、ススキが気持ちよさそうに涼風に泳いでいた。

おすすめの塩化物泉

雪国の湯

温泉おすすめの入浴方法

酸ヶ湯温泉〜八甲田山と雪の彷徨

クライマー憧れの山が雪の八甲田山であり、下山後に入る酸ヶ湯温泉である。1684年(貞享元年)の開湯。最初は「鹿の湯」と呼ばれた。八甲田連峰の西麓、標高約900mの高地に位置し、世界一雪が降る『温泉地』として多くの観光客が訪れる。毎年、11月になると「酸ヶ湯温泉の積雪が〇〇センチ」と世間を賑わす。年が明けると積雪のニュースはセンチではなくメートルに変わっている。

大浴場「ヒバ千人風呂」(混浴)

画像引用:酸ヶ湯温泉

総ヒバ造り、160畳もの広さを誇る混浴大浴場「ヒバ千人風呂」は、「熱の湯・冷の湯・四分六分の湯・湯滝」と4つの異なる源泉がある。主な泉質は酸性硫黄泉(含石膏、酸性硫化水素泉)。白濁した硫黄泉(硫黄を2㎎以上含有する)でpH値は2以下。抗菌力があり刺激が強い。湯あたりしやすく、肌が弱いひとは湯ただれ(皮膚炎)を起こす。石鹸やボディーソープで洗うと肌の角質が落ちる。3日間で他の温泉の1週間分の効能があるといわれるのは伊達ではない。慣れていない混浴は周りが気になり、温泉を楽しむ余裕がない。何日も逗留したい温泉だ。

男女別の小浴場「玉の湯」

画像引用:酸ヶ湯温泉

混浴が苦手な場合でも、別室に白濁した酸性の硫黄泉の「玉の湯」がある。残念ながら温泉としての気持ちよさは覚えていない。八甲田山の印象が強烈すぎるからだ。

酸ヶ湯温泉はロビーで津軽三味線の演奏などもやっている。深田久弥さんのデビュー作『わが山山』の第1編「陸奥山水記」の冒頭の見出しは「酸ヶ湯」。まだ戦前の昭和初期に青森から乗合自動車で酸ヶ湯温泉に向かった。湯滝の音を聴いたあと、広間で湯治客が笛太鼓を鳴らし、ハーモニカやヴァイオリンの音色を聴いた。

棟方志功も愛し、書が残っている。

宿泊すると食事も豪華。リンゴジュースが美味しかった記憶がある。

八甲田山(平成30年12月15日)

八甲田山

映画『八甲田山』に憧れ、最初に酸ヶ湯温泉を訪れたのは2018年12月15日。まだ世は平成だった。

これまで経験したことのない積雪量。スノーシューをつけて4人でラッセルするが、まったく進まず時間だけが過ぎていく。

大雪の洗礼を浴び、1時間で撤退。これまでの登山人生で最も短い距離だった。

八甲田山

目の前に広がるのは死の世界。1902年(明治35年)1月に起きた210名中199名が死亡した事件・八甲田雪中行軍遭難事件のときは、これとは比にならないほどの雪の深さ。その恐怖を体験できただけでも満足し、酸ヶ湯温泉の印象は覚えていない。

八甲田山(令和元年11月2日)

令和元年50座目、36歳になって最初の登山が八甲田山へのリベンジだった。今度は八甲田山が雪を迎える直前の11月3連休。紅葉は終わったが、主峰の大岳を始め、赤倉岳、井戸岳、田茂萢岳などの北八甲田の4峰をめぐる。それでも、ちょうど半分。全長500キロに及ぶ奥羽山脈の北端に位置する雄峰は伊達ではない。八甲田山がいかに広大な峰々か。出発はハロウィーンの翌日11月1日の22時。先輩が埼玉の西大宮から600キロを走らせる。深夜1時、福島に入ると安達太良サービスエリアの名物『あだたらラーメン』で腹ごしらえ。あっさりとした醤油で、素朴な味。いつも晩ご飯を抜いている空きっ腹にはこの上ない美味。金欠の身なので、山に行くときだけ贅沢を解放する。朝7時。15年ぶりの十和田湖に到着。

十和田湖は深田久弥さんが「自然が精緻を凝らした点においては、十和田湖の右に出づる風景は少ない」と称えた山の湖畔。その言葉は令和になっても寸分の違いもない。ここからは東北の母と呼んでいる58歳のクライマーが車を駆ってくれる。4年前の冬の八ヶ岳縦走で知り合い、自分が会った中では最も山を愛している女性だ。途中、奥入瀬渓谷を過ぎると後部座席でウトウトし、9時に目が覚めた時には登山口に到着していた。東京を出てから12時間、仕事終わりの弾丸登山はさすがに眠い。

12月は雪で埋もれていた鳥居もハッキリと見える。去年の冬山とは大違いだが、それでも寒い。気温は0度。前日の東京が25度だから季節がまるで違う。日本は秋がなく、夏と冬の半世界になってしまった。

八甲田は水はけが悪く、泥道との格闘の山。一部では木道やフワッフワの草の絨毯もあるが、長靴で登るのがベスト。さすが湿原や池塘が耕田(こうだ)と呼ばれ、「八」は「萢(やち)」すなわち湿原を指すと言われるだけある。

樹林を抜けると、火山群が顔を出す。去年はここまですら辿り着けなかった。雲の陰にはうっすらと岩木山が見えて高揚感があおられる。

そこから少し歩くと、いきなりの白銀が目を覆う。スノーモンスターに仮装する前のアオモリトドマツ(オオシラビソ)は霧氷の薄化粧。「少しは紅葉が観れるかな」なんて期待を簡単に裏切ってくれた。11月でこの冬景色はいかに八甲田が厳しい気候に晒されているかを物語る。少し寄り道し、仙人岱避難小屋で小休憩。

避難小屋といえば幽霊が出そうな空気が多いが、ここはトレイも綺麗で宿泊もできる。まさに別天地。安達太良サービスエリアで買った大福の行動食で小腹を満たす。いざ頂上へ。意気込んで大岳への稜線を上がるが、次第にガスに覆われ眺望が奪われる。

11時33分、八甲田の最高峰・大岳山頂に到着(1584m)。晴れ渡っていれば日本有数の山岳展望だが、天は我々を見放した。幻の絶景はお預けとなり、「何度でも挑んでこい」と八甲田山に言われているようだった。

少しゆっくりしていると、なんと天気が一変。霧が晴れてきて一気に八甲田の峰々が顔を出し始めた。風速20メートルを越える強風が、雲を吹き飛ばしてくれたのだ。深田久弥さんが激賞した井戸岳への稜線へ。振り返ると横綱のこどき風格の大岳が立ちはだかる。

東を向けば美しい円錐形の高田大岳。西を向けば待望の岩木山がヴェールを脱ぐ。

八甲田山ほど男性的でイケメンの山は他にないだろう。知る限り、これに並ぶ端整な顔立ちは秩父の名峰・武甲山くらいだ。火口である井戸岳を越えると赤倉岳への稜線へ。

メガネが飛ばされそうになる狂風には百戦錬磨の先輩も参っていたが、その先には陸奥湾の絶景が待っている。映画『八甲田山』の影響から「冬に来ないと意味がない」と凝り固まっていた氷を優しく溶かしてくれた。雪に閉ざされた登山道では、ここまで来れなかっただろう。

最後のピーク田茂萢岳へ。湿原を眺めて毛無岱(けなしたい)へ向かうと再び泥道との格闘が始まる。最後の泥道を抜けると、そこにはご褒美の酸ヶ湯温泉とソフトクリームが待っている。秋が抜け落ち、夏の終わりと冬の始まりの気候に揺れた八甲田山。優しさと厳しさを持つツンデレの山だったが、ますます惚れ込んで沼にハマってゆく。

去年よりも強くなった雪の八甲田への憧れを残し、夕暮れの津軽を後にした。

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雪国の湯

温泉の歴史と文化

温泉おすすめの入浴方法

長谷寺温泉「湯元井谷屋」〜ふるさとは湯につかりて思ふもの

長谷寺温泉「湯元井谷屋」〜ふるさとは湯につかりて思ふもの

物書きという渡世人をやっていると全国津々浦々を旅する。各地の湯宿のお世話になり、地元の人と知り合うことも多い。ふるさとに素晴らしい宿があっても地元のひとは素晴らしさを知らない。わざわざお金を払って近所の宿に泊まるなんてしない。たとえば伊豆の松崎町は名湯、名宿が屏風のように並ぶが、そこで生まれ育ったひとは泊まったことがない。一期一湯でいいので、地元の湯宿に泊まってほしいと想ふ。

長谷寺

長谷寺温泉「湯元井谷屋」〜ふるさとは湯につかりて思ふもの

生まれ故郷の奈良県桜井市には長谷寺(はせでら)という古刹がある。場所は山に囲まれた谷の奥まった土地「隠国(こもりく)の里」・初瀬(はせ)。山が屏風のように並ぶ桜井市の中でも奥深く、町の中心部より気温が2度ほど低い。長谷寺は真言宗の寺院で686年の開業。平安時代の説話集『今昔物語』の「わらしべ長者」の舞台としても知られ、春には境内に150種類以上、7,000株の牡丹の花が咲き乱れる。

長谷寺温泉「湯元井谷屋」〜ふるさとは湯につかりて思ふもの

初夏は青葉や紫陽花、秋は紅葉、冬は白、黄、桃色の梅。春は桜もある「花の御寺」。松尾芭蕉は著書『笈の小文』で 「春の夜や 籠り人 ゆかし 堂の隅」と詠んだ。灯明がほの暗いお堂の片隅で、女性が黙然と祈りを捧げている。その光景は何ともいえず艶で惹かれるものがあると謳った。

長谷寺温泉「湯元井谷屋」〜ふるさとは湯につかりて思ふもの

長谷寺の標高は548m。石段の数は399。長谷寺の回廊は「道」であり登山道。無色無味無臭な空気。心地よい虚無がある。長谷寺に参ることは初瀬山に登拝することに他ならない。

桜井の古刹「大和国 長谷寺」

総本家 寿屋

長谷寺温泉「湯元井谷屋」〜ふるさとは湯につかりて思ふもの

帰りに参道にある「総本家寿屋」で1個140円の名物くさ餅、焼き餅を買う。

日本一の草もち〜総本家寿屋

スイーツなのに甘さが主張しない。ただ甘さが口と心を包んでくれる。甘味ではなく最高密度に澄んだ空気を作ろうとしているようだ。背伸びするのではなく等身大。これぞ大和国。これぞ桜井、初瀬の味。

湯元井谷屋

長谷寺温泉「湯元井谷屋」〜ふるさとは湯につかりて思ふもの

寿屋の草もち片手に向かうのが長谷寺から徒歩5分にある「湯元井谷屋」である。

長谷寺温泉「湯元井谷屋」〜ふるさとは湯につかりて思ふもの

文久元年(1861年)の開湯。桜田門外ノ変の翌年という歴史。本館は古く、現在は別館に宿泊。

長谷寺温泉「湯元井谷屋」〜ふるさとは湯につかりて思ふもの

夕食には山メシのようなワイルドさと繊細さが同居した「倭鴨(やまとがも)」を頂ける。

長谷寺温泉「湯元井谷屋」〜ふるさとは湯につかりて思ふもの

部屋までは長谷寺のように長い回廊を歩く。お年寄りや幼年にはキツいほど。部屋は大和の国に関連が深い名前が付けられ、香久山、耳成(みみなし)、畝傍(うねび)などの大和三山や春日などがある。

長谷寺温泉「湯元井谷屋」〜ふるさとは湯につかりて思ふもの

お世話になったのは「葛城」の部屋。人生で初めての登山をした山なのでうれしい。

長谷寺温泉「湯元井谷屋」〜ふるさとは湯につかりて思ふもの

館内は広く、浴場は螺旋階段を登った2階にある。

長谷寺温泉「湯元井谷屋」〜ふるさとは湯につかりて思ふもの
長谷寺温泉「湯元井谷屋」〜ふるさとは湯につかりて思ふもの

奥の卓球台の奥にはクリムトの《抱擁》を模した大きなレリーフがある。

長谷寺温泉「湯元井谷屋」〜ふるさとは湯につかりて思ふもの

長谷寺に登拝した足の疲れを大浴場へ運ぶ。

長谷寺温泉「湯元井谷屋」〜ふるさとは湯につかりて思ふもの

迎えてくれるのは地下600mより噴出した大和国でも珍しい天然の湯。浴槽は一つだけの広い風呂。水風呂も電気風呂も余計なものはない。一湯勝負。

長谷寺温泉「湯元井谷屋」〜ふるさとは湯につかりて思ふもの

無味無臭、無色透明の柔らかいナトリウム炭酸水素塩・塩化物泉。「美人の湯」と呼ばれ、皮膚に吸収された炭酸ガスが血管を拡張して血行を促進する。ph値は8.5とスベスベの湯。初瀬山の緑に包まれ、柔らかい湯にも包まれる。この宿の卓球台の隣にあるクリムトの《抱擁》を模写した巨大なレリーフのように、肌を包容してくる。

長谷寺温泉「湯元井谷屋」〜ふるさとは湯につかりて思ふもの

昼の湯から上がったら、少しの間ほっこりして宴会場「鳥見(とみ)」へ向かう。

長谷寺温泉「湯元井谷屋」〜ふるさとは湯につかりて思ふもの

空腹と幸福を満たしてくれるのが名物の「倭鴨(やまとがも)」

長谷寺温泉「湯元井谷屋」〜ふるさとは湯につかりて思ふもの

葛城山の麓で2,500羽を飼育。山から吹き下ろす葛城おろしによって鴨が羽ばたき、肉質に良い影響を与え臭みが少なくなる。

長谷寺温泉「湯元井谷屋」〜ふるさとは湯につかりて思ふもの

鴨肉が硬くならないよう、サッと火を通すだけ。しゃぶしゃぶの感覚で食べるのが美味しい。

美味しい白米、奈良漬と鴨鍋。大和の三種の神器と歴史を味わう。

長谷寺温泉「湯元井谷屋」〜ふるさとは湯につかりて思ふもの

鍋のお供は大和の地酒の利酒セット1100円。明治10年創業の小さな酒蔵「西内酒造」の「談山」が鴨の旨味を引きあげ、旅路を彩ってくれる。

長谷寺温泉「湯元井谷屋」〜ふるさとは湯につかりて思ふもの

温泉は生きもの。朝、昼、晩と呼吸が違う。脈拍を変える。機嫌のいいときも不機嫌なと気もある。できるだけ多く入る。特に初瀬は朝晩が冷え込むので、昼間に入るのとは湯の体感が変わる。湯が暖かく感じる。初瀬山も見えず、常夜燈だけが鼓動している。昼より温度が高い。だだっ広い浴槽を独り占めすると温かい大和川にぷかぷか浮かんでいるかのように思える。夜湯のやさしさに包まれていると、このまま何処までも泳いでいける気がする。

井谷屋に泊まるときは長谷寺で毎日おこなわれる早朝の朝行に申し込む。まだ世界が眠り、吐く息は純白。想像の5倍寒いなか、お経を聞き、初瀬山やお堂に始まりの挨拶をする30分の体験コース。

長谷寺温泉「湯元井谷屋」〜ふるさとは湯につかりて思ふもの

身体を冷凍マグロのように冷やしながら宿に戻り、寒さを残したまま朝湯に向かう。今度は浴槽が男女で入れ替わり、「牡丹の湯」。仙人風呂より少し狭い代わりに、泉質を感じやすい。

長谷寺温泉「湯元井谷屋」〜ふるさとは湯につかりて思ふもの

朝に光のなかで目を瞑ると、産湯につかっているかのように思えてくる。初瀬山を背に「これまで」と「これから」を想い、ここから人生を生まれ直し、ここではない何処かへ向かう。ふるさとは湯につかりて思ふもの。

桜井のふるさと自慢

桜井の焼肉は「こよい」へ

桜井の冠婚葬祭

日本一のちゃんこ鍋

桜井が生んだ至高の割烹

桜井の山々

食べログにない人生最高レストランを紹介した本

月とクレープ。Amazon  Kindle

温泉の歴史と文化

温泉おすすめの入浴方法

らいちょう温泉 雷鳥荘〜春を背負う霊山の山ホテル

らいちょう温泉 雷鳥荘〜春を背負う山の温泉

標高2,450mの山の中にゴージャスな天然温泉がある。と言ってもクライマー以外はピンとこないだろう。場所は富山県の標高3,015メートルの立山(たてやま)。古来より山岳信仰が強く、静岡の富士山、石川県の白山と並んで日本三霊山に数えられる神聖な山である。。一般的には黒部ダムがある場所といったほうが分かりやすい。山の温泉があるのは江戸時代に日本最古の山小屋と言われる「室堂小屋」があった場所。元来なら苦労して登る山も今ではロープウェイで行けてしまう。

しかも、温泉宿やホテルと変わらない大浴場まである。泉質は「酸性・含鉄(Ⅱ)・硫黄-硫酸塩・塩化物泉」の掛け流し。客室数は53室、収容人数260名。ちょっとしたホテルである。登山をしない人でも一生のうち一度は訪れることをおすすめする。

立山登山ー春を背負って

2005年の夏、大学の卒業旅行で弟と車で北海道を旅行した帰り、黒部ダムに寄った。そのとき室堂から立山に向かう登山者を見て「なぜ人生でいちばん退屈なアクティビティである山登りなんかやるのだろう?」とバカにした。9年後の31歳、クライマーになっていた。それから山に行くほど沼に堕ちていった。

立山を舞台にした映画『春を背負って』に感化され、この山は春に登りたかった。雷鳥荘を予約し、ゴールデンウィーク初日の5月1日から1泊2日。

立山へは富山側と長野側から入るルートがある。本来は富山側から向かう予定だったが、新宿からの到着時刻が遅く、長野の扇沢駅から向かうことにした。結果的にこれが奏功する。

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2021年4月30日、金曜日の23時。緊急事態宣言下の新宿は黄金週間のイヴにも関わらずガラガラ。左右・前後がいないガランとした深夜バスは初めてだった。マスク着用義務だけが息苦しいが、それ以外は快適。

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サービスエリアは深夜でもレストランが営業している。こんなことは当たり前なのに、東京の生活に慣れると感動してしまう。都会の神経質が異常すぎるのだ。コロナが怖くて登山はできない。

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5月1日(土)、6時30分、扇沢からの始発で黒部ダムに向かう。スキーヤーやクライマーが多い。これでも例年の半分以下らしい。このタイミングで来て良かった。

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黒部ダムは晴れて太陽も見えている。雪の立山、劒岳が美しい。特に立山の神々しさは、日本の山でも群を抜いている。霊峰と呼ぶにふさわしく、エヴェレスト以外で神様が棲んでいると思ったのは立山だけだ。ここからケーブルカーやトロリーバスを乗り継ぐ。画像5

トロリーバスで室堂ターミナルにつくなり出鼻をくじかれた。入山届を出すと「雄山までは無理だよ。昨日までの雪でラッセルだ。行けても一の越山荘までだね」と死刑宣告。その言葉通り、外に出るなり視界も悪く、雪も深い。神々しい立山の姿は見えず、白い魔境だけが眼前に立ちはだかる。昨日、室堂に宿泊し、雄山に行こうとしたクライマーも何人か引き返してきた。だが、登れるか分からない登山がいちばん面白い。ストックで雪を漕ぎながら一の越山荘まで向かう。『春を背負って』の曲を頭の中で流し、300mほど高度を上げる。

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一の越山荘まで到着し、いよいよ雄山への取り付き。ここからアイゼンとピッケルに装備を替える。そのとき前を行っていたクライマーがすぐに諦めて下りてきた。今度は俺の番だと勇んだ瞬間、強風が荒れて、あっという間にホワイトアウト。山で何度か経験している死の世界。霧に包まれ視界が消える。たぶん三途の川がこんな場所だ。

ホワイトアウトは一瞬で晴れるが、吹雪はおさまらない。「天は我を見放した...」八甲田山の北大路欣也のセリフをつぶいたが、きっと呪われた天候には意味があるはず。これは神様が「やめとけ」と告げていると思い、おとなしく下山した。

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吹雪が強まるなか、1時間ほどで雷鳥荘に到着。3階建の立派な山小屋。

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玄関では熊の置物がお出迎え。雪中行軍の労が癒される。画像10

玄関口には『春を背負って』の撮影に関わった人たちのサイン入りTシャツ。「誰かが行かなければ、道はできない」。木村大作の色紙が胸に迫る。この日は相部屋で1泊2食つき1万200円。氷点下の冬山でこの値段は破格だ。

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憩いの場の木の温もりがやさしい。しかも小屋内のすべての水道水が引用できることも高所では重要だ。画像10

雷鳥荘にはカフェがある。しかもワインまで。禁酒法の東京から飛び出たうれしさからピザと白ワインを注文。薄皮のサクサクでチーズがやさしく、今まで食べたピザでNo. 1。歩荷さんが足で運んだ食材を山小屋の人が心を込めて料理する。だから「ありがとう」が沁みる。画像12

何より雷鳥荘の凄さは標高2,400m付近に天然の温泉があること。さすが江戸時代に日本最古の山小屋と言われる「室堂小屋」があった場所。泉質は酸性・含鉄(Ⅱ)・硫黄―硫酸塩・塩化物泉。複雑な泉質だが、塩の味が強い。肌にやさしく、湯当たりするまで入っていられる。まさに、雪山のオアシス。画像13

再びカフェに戻り、風呂上りのホットコーヒー。外では猛吹雪が荒れ、小屋が壊れるのではないかと思うほど。しかも、春雷もビカビカ落ちている。もしアタックしていたら、ここにいなかったかもしれない。5月で氷点下7℃、これが立山の春。平地でも遭難するほどの地吹雪。こんな体験ができるのだから、やっぱり山からは抜けられない。

自分で歩いた距離だけが登山の宝物。何もしていない、何もできなかったが、残雪期に挑んだことに意味がある。令和三年、あの猛吹雪と落雷の立山で、俺はクライマーだった。あの日、春を背負った。

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おすすめの山の湯

温泉の歴史と文化

温泉おすすめの入浴方法

大菩薩峠『ひがし荘』〜名山の麓に名湯あり

eyecatchそこに山があるからではなく、そこに温泉があるから山に行くことが多い。下山後に寄る温泉は事前にチェックするが、うれしいのは偶然の出逢い。当初は大菩薩峠から下りたら温泉施設『大菩薩の湯』に浸かる予定だった。

2月27日に登り始める前、雲峰寺を過ぎた所で民宿『ひがし荘』を発見した。看板に「入浴できます」とあるが営業中なのか怪しい。とりあえず下山してから決めようと、ロックオンして登り始める。

翌28日の10時30分に下山したとき、インタホーンを押して「ごめんください」と尋ねた。何度か呼んでも反応がなく、諦めて大菩薩の湯に向かおうとしたら、中から「いらっしゃい」とおばあちゃんが引き戸を開けた。70歳は超えている。

「入浴できますか?」と聞くと、「どうぞどうぞ」と微笑んでくれる。民宿客はいないようだ。玄関には数年前の少年マガジンが何冊も積んである。

「ご飯も頂けるんですか?山菜そばを食べたいんですけど」と聞くと、「ええ、できますよ。雲峰寺の前に売店があります。そこで作って待ってますから、ゆっくり湯に浸かってから来てください」と微笑む。

「お願いします」と先に入浴料を払おうとしたが、おばあちゃんはすでに行ってしまった。人を疑う時世なのに、昭和や平成から時が止まったようだ。脱衣所には「光明石温泉」とある。泉質は分からないが、民宿のお風呂なのでそこまで期待はしない。

浴槽は2〜3人が入れるくらい。カップルや家族風呂にちょうどいい。山小屋→1日ぶりの温泉は極楽のリレー。しかも、ただの湯ではない。湯に重力がある。「これは気持ちいいぞ」とだんだん沁みてくる。温泉の真価は入浴後にわかるもの。風呂から上がって着替えても、まるで温泉の服を着ているように、効能を全身にまとっているように、あとから泉質が追いかけてくる。

実はこのあとバスが来るまで『大菩薩の湯』にも浸かった。1day 2 温泉。こちらは高アルカリ性の湯で、浸かっているときは肌がスベスベして気持ちいい。しかし湯上りにその効能は消えてしまう。温泉としての軍配は、ひがし荘に上がる。

大菩薩峠の名残惜しさは湯に溶けてくれた。本物の温泉は自分を生まれ直す産湯。違う自分に生まれ変われる。次に大菩薩峠に来たときも必ず寄る。おばあちゃん、ありがとう。

光明石温泉をまとい、ポカポカした身体のまま民宿から3分ほど歩いて売店に向かう。年季がすごい。

「いい湯でした。生き返りましたよ」と伝えると、「こちらが暖かいですよ」とストーブの隣の席に案内してくれる。

テーブルの煎餅をポリポリかじりながら待っていると、山菜そばが運ばれてきた。

山梨名物「ほうとう」を食べたかったが、深田久弥さんが『日本百名山』に「雲峰寺の近くで食べた蕎麦がうまかった」と書いていたので、敬愛する岳人の後を追った。

無事に山を下りたあとの飯は格別だ。東京のどんな名店でもこの味は出せない。自分の足で稼いだ味。クライマーの労と無事の帰還を祝福してくれる。

しかも、今回はおばあちゃんが隣の席に座って話しかけてくれる。この店は35年前に造られたそう。もっと歴史があると思っていたので、自分より年下だと知って驚いた。

おばあちゃんは数年前まで年に5回も大菩薩峠に登り、登山道や山小屋の掃除をしてくれた。この支えによって、クライマーは山に向かうことができる。

「お勘定お願いします」と言うと「コーヒーを淹れます。1分でできるので待っててください」と奥へ行った。

不思議な珈琲。インスタントなのに、なんて美味しい。人生で飲んだ中で5本の指、いや3本の指に入るかもしれない。どこで誰が淹れてくれたかによって味が変わる。珈琲は不思議な生きものだ。入浴代500円、蕎麦代700円、自分用のお土産のオリジナル煎餅400円の1,600円を払う。次に来るときまで、どうかお元気で。また、光明石温泉に浸かり、この珈琲を飲みに来る。バスに乗って新宿に帰るとき、ひがし荘のおばあちゃんこそが、大菩薩峠の菩薩である気がしてきた。

大菩薩峠と介山荘

見出し画像

山頂と同じくらい「峠」が好きだ。言葉の響きも「山」に「上」「下」と書く字面もカッコいい。山地図に「〇〇峠」を見ると、どんな道だろう?とワクワクしてしまう。

「この峠を越えたとき、違う自分に生まれ変われる」。そんな期待と高揚感を届けてくれる力が峠にはある。

新宿の西口ガード下を起点に、山梨の甲府市を終点とする青梅街道。江戸時代、その途中で最大の難所と呼ばれたのが「大菩薩峠」

先人たちは地下足袋で険峻な山道を越え、冬には凍死者が出るほどの強風に耐え「青梅往還」を果たした。この四文字熟語には単なる地名以上の浪漫が生きている。その歴史を少しでも背負いたくて、いざ大菩薩峠へ。

令和三年の登山は1月3日の「本社ヶ丸」から始まり、徹底的に中央沿線の山に通った。人が少なく、手付かずの登山道が残る。標高は低いが急登が多い。空が遠く野外の道場のような存在。「本社ヶ丸」や「笹子雁ヶ腹摺山」など変わった山名は我が子の名前を懸命に考えたようで愛を感じる。

暖冬の新宿は暑いのに、高尾駅に近づくと寒さで目を覚ます。俺は山に向かっている。京王線の始発列車で笑みがこぼれる瞬間だ。

前々日までルートを悩んだが、大月駅からタクシーを拾って大峠を迂回することにした。一度「雁ヶ腹摺山」を登って下り、そこから登山をスタートさせる。5つの山を縦走する1day 5 summitになるが、体力バカの自分にはふさわしい。

しかし、いざ大月でタクシーに乗ろうとすると、冬期は道路が閉鎖中。仕方なしに隣駅の甲斐大和駅でタクシーをつかまえるも、またもや道路は封鎖。山小屋を予約しているから時間もない。

結局、塩山駅からバスに乗るしかないが、冬は本数が少なく1時間待ち。たまらず塩山タクシーを拾って大菩薩峠の登山口に向かった。バスなら300円、その10倍の値段はするが運転手さんと話す楽しみがある。

ゆうに70歳は超えるおじいちゃん。「最近、登山者は少ないですか?」「コロナでめっきりだよ」。道中「あれが金峰山だよ、あれが乾徳山だよ」と教えてくれる。「登りました」と返すと、「この辺の山はぜんぶ登ってるね」と微笑んでくれた。登山はせず、山の沢釣りが趣味らしい。画像1

30分で登山口に着き、3,080円を払う。クレジットカードが使えないのにPayPayはOKなのが不思議だ。

「帰りにバスを逃してタクシーを使うなら電話して。私は岩波と言います」とレシートに名前を書いてくれた。小さな出会いが計画の狂いを吹き飛ばしてくれる。

8時45分スタート。すでに標高1580mもある上日川峠は急登がなく穏やか。しかも右手には南アルプスの大パノラマという贅沢な山道。厳しい道場のような中央沿線の山々がウソのようだ。

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2時間ほど歩くと「勝縁荘(しょうえんそう)」が出現。ここで中里介山は29年に及ぶ未完の大作『大菩薩峠』を執筆した。

幸田露伴の『雁坂越』と並び、峠を舞台にした書籍の双璧だ。人間と同じく小説が誕生した場所は特別であり、生まれ故郷は大切にしたい。現在は中に入れないが、山荘に会えただけでも大満足。ここからアイスバーンが現れ、チェーンスパイクを履く。

大菩薩峠はすぐそこ。30分ほど登ると今日の宿泊所「介山荘」に到着。ついに大菩薩峠と対面した。画像3

一目惚れ。歴史もへったくれもない。ただ眼前に広がる迫力、稜線の美しさに圧倒される。早く登りたくてウズウズして仕方ないが明日の楽しみに残しておく。

介山荘の2代目のご主人・益田さんが部屋の準備をしている途中だったので、荷物を預かってもらって『牛奥ノ雁ヶ腹摺山 』に向かった。

「 うしおくのがんがはらすりやま」、14文字と日本で一番長い名前を持つ。丑年の今年は験担ぎのツアーも組まれていたが、コロナのせいで全部キャンセルになったらしい。だったら弔い登山をやろうじゃないか。画像4

足場の悪い樹林帯を抜けると、小金沢連嶺が眼前に広がる。この石丸峠を歩くのかと思うと武者震いがとまらない。右手には大菩薩湖と南アルプス、そして富士山。

しかも風がない。机龍之介の「音無の構え」のごとく静かだ。中里介山が今日の登山を演出しているのか。無風の中に風がある。自分という風。独りで山を駆けるとき、己が風となることができる。これが単独行だ。

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山頂には誰もおらず、富士山と1on1。なんて贅沢な初日。1990mの標高も清々しい。帰りは凍結したアイスバーンを恐る恐る慎重に下り、ルートを外れて道に迷いながらも3時間で介山荘に戻った。

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介山荘で買った200円のアイスキャンディーで乾杯。疲れて夕食まで泥のように眠る。

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目を覚ますと空に夕暮れの満月が燃えていた。アメリカでは2月の満月を「Snow Moon」と呼ぶらしい。冬の大菩薩にふさわしい。いよいよ明日は峠を越える。

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Day2は5時半に起床。雲ひとつない快晴。気温はマイナス2℃。風がないから暑いくらいだ。神様がくれた穏やかな休日。それにしても甲斐の山の稜線を歩くたびに思う。江戸時代に登山の文化があれば、葛飾北斎の『富嶽三十六景』や歌川広重の『富士三十六景』は別のものになっていただろう。

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純白の雪をまとった富士山と大菩薩湖。眼下に甲州の町を従え、南アルプスを遠望。日本最高峰の富士山(標高3776米)、2位・北岳(標高3193米)、3位の間ノ岳(標高3190米)の三役が揃い踏み。さらには鳳凰三山や南アルプスの王者・甲斐駒ケ岳の雄姿も威風堂々。峠の眼の前では野生の鹿が楽しそうに何頭も飛び跳ねている。一気に好きな峠ランキング1位に躍り出た。画像10

山荘から30分ちょっとで2057mの大菩薩嶺に到達。景観はなく、ただ静かな頂上が迎えてくれる。

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ここでチェーンスパイクから軽アイゼンにシフトチェンジ。アイスバーンの急登が続くので、チェーンスパイクの刃では歯が立たない。コーラとチョコでエネルギーチャージも忘れずに。下り道は大菩薩ブルーの空に小鳥のさえずり、清流のせせらぎ。新宿の喧騒で生きる自分にとって、最高の贅沢と自由だ。

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山は束の間の非日常を与え、すぐに日常に押し戻す。早く帰って仕事したい気持ちと、もっと大菩薩を堪能したい想いが交差する。こんなに後ろ髪が引かれることは珍しい。名残惜しさは温泉に溶かしてしまえ。退屈を切り裂くために、今日も全速力で山を駆け下りる。丸川峠に静寂のファンファーレが鳴り響いた。

山小屋の憩い:介山荘

山はそれだけで日常から抜け出せるが、不便な山小屋はもっと非日常を演出してくれる。都会に住んでいれば尚更だ。毎年、山小屋のお世話になっていたが、去年は一度も泊まらなかった。今の会社に転職して山に行く回数も少なかったこともある。

その分、今年は失われた時を取り戻そうと、山に気合を入れている。山小屋の最大の楽しみは一期一会。7年間で13の小屋に泊まっているが、リピートはない。だから聖なる一回性の風景や会話をハッキリ覚えている。高齢者のクライマーとの出会いが多いが、今もそれぞれの山を続けているに違いない。

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令和三年の2月27日にお世話になった『介山荘』は、その勇ましい名前に惹かれた。もちろん小説『大菩薩峠』の生みの親・中里介山から冠した。大菩薩峠は日帰りが通常だが、どんな小屋なのか味わいたかった。

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昭和39年(1964年)、東京オリンピックの年に建てられた介山荘は、山小屋の中では歴史が新しい。部屋にはコンセントもある。本当は正面に富士山が見える高台に建てたかったそうだが、強風で倒れるため断念。

木々に覆われた標高1,897米の位置にあるが、現在の建築技術なら強風にも耐えられるらしい。もっと繁盛して、ぜひ建て替えて欲しいものだ。

今でも十分ステキな介山荘は、12室あり収容は40人。外に公衆トイレもあるが、宿泊客は小屋内の清潔なトイレを利用できる。真冬の夜、凍えながらヘッドランプを灯して外に出ずに済むのは大きい。

小屋に着いた11時はまだ準備中で、2代目のご主人・益田真一さんがその日の支度をされていた。宿泊は13時からなので、それまで『牛奥ノ雁ヶ腹摺山』まで行ってきますと伝えると「かなり距離がありますが大丈夫ですか?」と心配してくださった。

15時過ぎに介山荘に戻ってきたときは「すごいスピードだ!」と褒めてくださる。山のプロからお墨付きをもらえるのは格別だ。益田さんは屈強な山男の匂いがなく、心から接客が好きな旅館の主人のオーラがある。画像

この日の宿泊客は全部で6人。都内から来たカップル、愛知県の日間賀島(ひまかじま)から来た年配の男女3人だけ。おかげで個室を占領できた。洗濯したてのようなフカフカで清潔な布団が気持ちいい。

暖房はないが、部屋の目の前が食堂で温かいお茶とストーブがある。歓迎の印として介山荘のオリジナル煎餅がテーブルにあった。ありがたく頂き、日の入りの18時20分まで一眠り。

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偶然この日は満月。アメリカでは「Snow Moon」と言うらしい。2月の介山荘にピッタリだ。大菩薩峠は新宿から登山口まで3時間でアクセスでき、登山道も緩やかなので日帰りが多い。しかし、日本屈指の山岳展望を誇る峠の真価は朝夕の景観にある。

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東に満月を望みながら、西の空には夕焼けに染まる富士山と間ノ岳に沈んでいく落日のサンセット。豪華饗宴を観劇できるのも介山荘があるからこそ。しかし、これもまだ序の口。翌朝がメインイベントだ。

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部屋に戻ると夕食が用意されていた。人数が少ないから奥様のヘルプは無しでご主人が手料理を振舞う。マカロニサラダや椎茸など、どこにでもあるメニューだが、自家製の野菜や漬物がやさしい。四駆の車で上がってこられるから食材が新鮮なのだろう。歓待の印であるサービスの白ワインがまた格別。山は葡萄酒か日本酒。清められる。

たまに料理の美味しい山小屋に出会うが、介山荘の味はトップクラス。山ミシュランを作るなら間違いなく3つ星だ。ご主人が宿泊客に「どんどんカレーのお代わりしてください」と売り込む。この人は本当に接客が好きで、山とクライマーを愛している。言われなくても大盛り、普通盛り、小盛りと3回お代わりした。うどんの日もあるらしいが、やはり山小屋はカレーに尽きる。

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食後の憩いのとき、ご主人が中里介山の直筆の書を教えてくれた。意味は「山の上では身分の隔たりがあってはいけない」

これだ。山小屋を好きな理由は。ここでは全員が同じ飯を食べる。金持ちも偉いさんも、子供もお年寄りも関係ない。全員が平等なクライマー。世間や社会の身分は関係ないことを山小屋は教えてくれる。画像

この夜はマイナス9℃まで下がったが、風がないから暖かく感じる。ご主人によると、今年は全く雪が降らず、雪解け水が得られない。このままでは3月は深刻な水不足に陥ってしまうらしく何度も「雪を降らせてください」と願っていた。温暖化によって素晴らしい文化が失われつつあるかもしれない。

2年ぶりくらいに19時に眠りに落ちる。早寝早起き、これが人間にとっていちばんの贅沢かもしれない。

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夜明け前の5時半に起き、少し高台に登る。マイナス4℃だが、やはり風がないから寒さを感じない。今度は南アルプスの空に満月が浮かんでいる。

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6時過ぎに日が昇ってきた。山を登るクライマーを祝福してくれる。

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ご来光で富士山が朝焼けに染まる。朝日と満月、富士山と南アルプス。すべてが同時に眼中に収まる聖域が他にあるだろうか?

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これが日出る国ニッポンの底力だ。

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部屋に戻り、岩魚と自家製野菜の朝ご飯。パワーを充電し、一番乗りで大菩薩嶺に向かう。わずか1日で多くのことを吸収させてくれた。スピードがあれば山の高さは征服できるが、それでは山の深さは置き去りになってしまう。

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出発するとき、雲ひとつない大菩薩ブルーの蒼天が広がっていた。スピードは両親から授かった刀なので磨き続ける。ただし、できる限り山で一夜を過ごしたい。ゆっくり腰を落ち着け、これからは立ち止まって山と対話する。そこに山小屋があるから。

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