そこに山があるからではなく、そこに温泉があるから山に行くことが多い。下山後に寄る温泉は事前にチェックするが、うれしいのは偶然の出逢い。当初は大菩薩峠から下りたら温泉施設『大菩薩の湯』に浸かる予定だった。
2月27日に登り始める前、雲峰寺を過ぎた所で民宿『ひがし荘』を発見した。看板に「入浴できます」とあるが営業中なのか怪しい。とりあえず下山してから決めようと、ロックオンして登り始める。
翌28日の10時30分に下山したとき、インタホーンを押して「ごめんください」と尋ねた。何度か呼んでも反応がなく、諦めて大菩薩の湯に向かおうとしたら、中から「いらっしゃい」とおばあちゃんが引き戸を開けた。70歳は超えている。
「入浴できますか?」と聞くと、「どうぞどうぞ」と微笑んでくれる。民宿客はいないようだ。玄関には数年前の少年マガジンが何冊も積んである。
「ご飯も頂けるんですか?山菜そばを食べたいんですけど」と聞くと、「ええ、できますよ。雲峰寺の前に売店があります。そこで作って待ってますから、ゆっくり湯に浸かってから来てください」と微笑む。
「お願いします」と先に入浴料を払おうとしたが、おばあちゃんはすでに行ってしまった。人を疑う時世なのに、昭和や平成から時が止まったようだ。脱衣所には「光明石温泉」とある。泉質は分からないが、民宿のお風呂なのでそこまで期待はしない。
浴槽は2〜3人が入れるくらい。カップルや家族風呂にちょうどいい。山小屋→1日ぶりの温泉は極楽のリレー。しかも、ただの湯ではない。湯に重力がある。「これは気持ちいいぞ」とだんだん沁みてくる。温泉の真価は入浴後にわかるもの。風呂から上がって着替えても、まるで温泉の服を着ているように、効能を全身にまとっているように、あとから泉質が追いかけてくる。
実はこのあとバスが来るまで『大菩薩の湯』にも浸かった。1day 2 温泉。こちらは高アルカリ性の湯で、浸かっているときは肌がスベスベして気持ちいい。しかし湯上りにその効能は消えてしまう。温泉としての軍配は、ひがし荘に上がる。
大菩薩峠の名残惜しさは湯に溶けてくれた。本物の温泉は自分を生まれ直す産湯。違う自分に生まれ変われる。次に大菩薩峠に来たときも必ず寄る。おばあちゃん、ありがとう。
光明石温泉をまとい、ポカポカした身体のまま民宿から3分ほど歩いて売店に向かう。年季がすごい。
「いい湯でした。生き返りましたよ」と伝えると、「こちらが暖かいですよ」とストーブの隣の席に案内してくれる。
テーブルの煎餅をポリポリかじりながら待っていると、山菜そばが運ばれてきた。
山梨名物「ほうとう」を食べたかったが、深田久弥さんが『日本百名山』に「雲峰寺の近くで食べた蕎麦がうまかった」と書いていたので、敬愛する岳人の後を追った。
無事に山を下りたあとの飯は格別だ。東京のどんな名店でもこの味は出せない。自分の足で稼いだ味。クライマーの労と無事の帰還を祝福してくれる。
しかも、今回はおばあちゃんが隣の席に座って話しかけてくれる。この店は35年前に造られたそう。もっと歴史があると思っていたので、自分より年下だと知って驚いた。
おばあちゃんは数年前まで年に5回も大菩薩峠に登り、登山道や山小屋の掃除をしてくれた。この支えによって、クライマーは山に向かうことができる。
「お勘定お願いします」と言うと「コーヒーを淹れます。1分でできるので待っててください」と奥へ行った。
不思議な珈琲。インスタントなのに、なんて美味しい。人生で飲んだ中で5本の指、いや3本の指に入るかもしれない。どこで誰が淹れてくれたかによって味が変わる。珈琲は不思議な生きものだ。入浴代500円、蕎麦代700円、自分用のお土産のオリジナル煎餅400円の1,600円を払う。次に来るときまで、どうかお元気で。また、光明石温泉に浸かり、この珈琲を飲みに来る。バスに乗って新宿に帰るとき、ひがし荘のおばあちゃんこそが、大菩薩峠の菩薩である気がしてきた。
大菩薩峠と介山荘
山頂と同じくらい「峠」が好きだ。言葉の響きも「山」に「上」「下」と書く字面もカッコいい。山地図に「〇〇峠」を見ると、どんな道だろう?とワクワクしてしまう。
「この峠を越えたとき、違う自分に生まれ変われる」。そんな期待と高揚感を届けてくれる力が峠にはある。
新宿の西口ガード下を起点に、山梨の甲府市を終点とする青梅街道。江戸時代、その途中で最大の難所と呼ばれたのが「大菩薩峠」
先人たちは地下足袋で険峻な山道を越え、冬には凍死者が出るほどの強風に耐え「青梅往還」を果たした。この四文字熟語には単なる地名以上の浪漫が生きている。その歴史を少しでも背負いたくて、いざ大菩薩峠へ。
令和三年の登山は1月3日の「本社ヶ丸」から始まり、徹底的に中央沿線の山に通った。人が少なく、手付かずの登山道が残る。標高は低いが急登が多い。空が遠く野外の道場のような存在。「本社ヶ丸」や「笹子雁ヶ腹摺山」など変わった山名は我が子の名前を懸命に考えたようで愛を感じる。
暖冬の新宿は暑いのに、高尾駅に近づくと寒さで目を覚ます。俺は山に向かっている。京王線の始発列車で笑みがこぼれる瞬間だ。
前々日までルートを悩んだが、大月駅からタクシーを拾って大峠を迂回することにした。一度「雁ヶ腹摺山」を登って下り、そこから登山をスタートさせる。5つの山を縦走する1day 5 summitになるが、体力バカの自分にはふさわしい。
しかし、いざ大月でタクシーに乗ろうとすると、冬期は道路が閉鎖中。仕方なしに隣駅の甲斐大和駅でタクシーをつかまえるも、またもや道路は封鎖。山小屋を予約しているから時間もない。
結局、塩山駅からバスに乗るしかないが、冬は本数が少なく1時間待ち。たまらず塩山タクシーを拾って大菩薩峠の登山口に向かった。バスなら300円、その10倍の値段はするが運転手さんと話す楽しみがある。
ゆうに70歳は超えるおじいちゃん。「最近、登山者は少ないですか?」「コロナでめっきりだよ」。道中「あれが金峰山だよ、あれが乾徳山だよ」と教えてくれる。「登りました」と返すと、「この辺の山はぜんぶ登ってるね」と微笑んでくれた。登山はせず、山の沢釣りが趣味らしい。
30分で登山口に着き、3,080円を払う。クレジットカードが使えないのにPayPayはOKなのが不思議だ。
「帰りにバスを逃してタクシーを使うなら電話して。私は岩波と言います」とレシートに名前を書いてくれた。小さな出会いが計画の狂いを吹き飛ばしてくれる。
8時45分スタート。すでに標高1580mもある上日川峠は急登がなく穏やか。しかも右手には南アルプスの大パノラマという贅沢な山道。厳しい道場のような中央沿線の山々がウソのようだ。
2時間ほど歩くと「勝縁荘(しょうえんそう)」が出現。ここで中里介山は29年に及ぶ未完の大作『大菩薩峠』を執筆した。
幸田露伴の『雁坂越』と並び、峠を舞台にした書籍の双璧だ。人間と同じく小説が誕生した場所は特別であり、生まれ故郷は大切にしたい。現在は中に入れないが、山荘に会えただけでも大満足。ここからアイスバーンが現れ、チェーンスパイクを履く。
大菩薩峠はすぐそこ。30分ほど登ると今日の宿泊所「介山荘」に到着。ついに大菩薩峠と対面した。
一目惚れ。歴史もへったくれもない。ただ眼前に広がる迫力、稜線の美しさに圧倒される。早く登りたくてウズウズして仕方ないが明日の楽しみに残しておく。
介山荘の2代目のご主人・益田さんが部屋の準備をしている途中だったので、荷物を預かってもらって『牛奥ノ雁ヶ腹摺山 』に向かった。
「 うしおくのがんがはらすりやま」、14文字と日本で一番長い名前を持つ。丑年の今年は験担ぎのツアーも組まれていたが、コロナのせいで全部キャンセルになったらしい。だったら弔い登山をやろうじゃないか。
足場の悪い樹林帯を抜けると、小金沢連嶺が眼前に広がる。この石丸峠を歩くのかと思うと武者震いがとまらない。右手には大菩薩湖と南アルプス、そして富士山。
しかも風がない。机龍之介の「音無の構え」のごとく静かだ。中里介山が今日の登山を演出しているのか。無風の中に風がある。自分という風。独りで山を駆けるとき、己が風となることができる。これが単独行だ。
山頂には誰もおらず、富士山と1on1。なんて贅沢な初日。1990mの標高も清々しい。帰りは凍結したアイスバーンを恐る恐る慎重に下り、ルートを外れて道に迷いながらも3時間で介山荘に戻った。
介山荘で買った200円のアイスキャンディーで乾杯。疲れて夕食まで泥のように眠る。
目を覚ますと空に夕暮れの満月が燃えていた。アメリカでは2月の満月を「Snow Moon」と呼ぶらしい。冬の大菩薩にふさわしい。いよいよ明日は峠を越える。
Day2は5時半に起床。雲ひとつない快晴。気温はマイナス2℃。風がないから暑いくらいだ。神様がくれた穏やかな休日。それにしても甲斐の山の稜線を歩くたびに思う。江戸時代に登山の文化があれば、葛飾北斎の『富嶽三十六景』や歌川広重の『富士三十六景』は別のものになっていただろう。
純白の雪をまとった富士山と大菩薩湖。眼下に甲州の町を従え、南アルプスを遠望。日本最高峰の富士山(標高3776米)、2位・北岳(標高3193米)、3位の間ノ岳(標高3190米)の三役が揃い踏み。さらには鳳凰三山や南アルプスの王者・甲斐駒ケ岳の雄姿も威風堂々。峠の眼の前では野生の鹿が楽しそうに何頭も飛び跳ねている。一気に好きな峠ランキング1位に躍り出た。
山荘から30分ちょっとで2057mの大菩薩嶺に到達。景観はなく、ただ静かな頂上が迎えてくれる。
ここでチェーンスパイクから軽アイゼンにシフトチェンジ。アイスバーンの急登が続くので、チェーンスパイクの刃では歯が立たない。コーラとチョコでエネルギーチャージも忘れずに。下り道は大菩薩ブルーの空に小鳥のさえずり、清流のせせらぎ。新宿の喧騒で生きる自分にとって、最高の贅沢と自由だ。
山は束の間の非日常を与え、すぐに日常に押し戻す。早く帰って仕事したい気持ちと、もっと大菩薩を堪能したい想いが交差する。こんなに後ろ髪が引かれることは珍しい。名残惜しさは温泉に溶かしてしまえ。退屈を切り裂くために、今日も全速力で山を駆け下りる。丸川峠に静寂のファンファーレが鳴り響いた。
山小屋の憩い:介山荘
山はそれだけで日常から抜け出せるが、不便な山小屋はもっと非日常を演出してくれる。都会に住んでいれば尚更だ。毎年、山小屋のお世話になっていたが、去年は一度も泊まらなかった。今の会社に転職して山に行く回数も少なかったこともある。
その分、今年は失われた時を取り戻そうと、山に気合を入れている。山小屋の最大の楽しみは一期一会。7年間で13の小屋に泊まっているが、リピートはない。だから聖なる一回性の風景や会話をハッキリ覚えている。高齢者のクライマーとの出会いが多いが、今もそれぞれの山を続けているに違いない。
令和三年の2月27日にお世話になった『介山荘』は、その勇ましい名前に惹かれた。もちろん小説『大菩薩峠』の生みの親・中里介山から冠した。大菩薩峠は日帰りが通常だが、どんな小屋なのか味わいたかった。
昭和39年(1964年)、東京オリンピックの年に建てられた介山荘は、山小屋の中では歴史が新しい。部屋にはコンセントもある。本当は正面に富士山が見える高台に建てたかったそうだが、強風で倒れるため断念。
木々に覆われた標高1,897米の位置にあるが、現在の建築技術なら強風にも耐えられるらしい。もっと繁盛して、ぜひ建て替えて欲しいものだ。
今でも十分ステキな介山荘は、12室あり収容は40人。外に公衆トイレもあるが、宿泊客は小屋内の清潔なトイレを利用できる。真冬の夜、凍えながらヘッドランプを灯して外に出ずに済むのは大きい。
小屋に着いた11時はまだ準備中で、2代目のご主人・益田真一さんがその日の支度をされていた。宿泊は13時からなので、それまで『牛奥ノ雁ヶ腹摺山』まで行ってきますと伝えると「かなり距離がありますが大丈夫ですか?」と心配してくださった。
15時過ぎに介山荘に戻ってきたときは「すごいスピードだ!」と褒めてくださる。山のプロからお墨付きをもらえるのは格別だ。益田さんは屈強な山男の匂いがなく、心から接客が好きな旅館の主人のオーラがある。
この日の宿泊客は全部で6人。都内から来たカップル、愛知県の日間賀島(ひまかじま)から来た年配の男女3人だけ。おかげで個室を占領できた。洗濯したてのようなフカフカで清潔な布団が気持ちいい。
暖房はないが、部屋の目の前が食堂で温かいお茶とストーブがある。歓迎の印として介山荘のオリジナル煎餅がテーブルにあった。ありがたく頂き、日の入りの18時20分まで一眠り。
偶然この日は満月。アメリカでは「Snow Moon」と言うらしい。2月の介山荘にピッタリだ。大菩薩峠は新宿から登山口まで3時間でアクセスでき、登山道も緩やかなので日帰りが多い。しかし、日本屈指の山岳展望を誇る峠の真価は朝夕の景観にある。
東に満月を望みながら、西の空には夕焼けに染まる富士山と間ノ岳に沈んでいく落日のサンセット。豪華饗宴を観劇できるのも介山荘があるからこそ。しかし、これもまだ序の口。翌朝がメインイベントだ。
部屋に戻ると夕食が用意されていた。人数が少ないから奥様のヘルプは無しでご主人が手料理を振舞う。マカロニサラダや椎茸など、どこにでもあるメニューだが、自家製の野菜や漬物がやさしい。四駆の車で上がってこられるから食材が新鮮なのだろう。歓待の印であるサービスの白ワインがまた格別。山は葡萄酒か日本酒。清められる。
たまに料理の美味しい山小屋に出会うが、介山荘の味はトップクラス。山ミシュランを作るなら間違いなく3つ星だ。ご主人が宿泊客に「どんどんカレーのお代わりしてください」と売り込む。この人は本当に接客が好きで、山とクライマーを愛している。言われなくても大盛り、普通盛り、小盛りと3回お代わりした。うどんの日もあるらしいが、やはり山小屋はカレーに尽きる。
食後の憩いのとき、ご主人が中里介山の直筆の書を教えてくれた。意味は「山の上では身分の隔たりがあってはいけない」
これだ。山小屋を好きな理由は。ここでは全員が同じ飯を食べる。金持ちも偉いさんも、子供もお年寄りも関係ない。全員が平等なクライマー。世間や社会の身分は関係ないことを山小屋は教えてくれる。
この夜はマイナス9℃まで下がったが、風がないから暖かく感じる。ご主人によると、今年は全く雪が降らず、雪解け水が得られない。このままでは3月は深刻な水不足に陥ってしまうらしく何度も「雪を降らせてください」と願っていた。温暖化によって素晴らしい文化が失われつつあるかもしれない。
2年ぶりくらいに19時に眠りに落ちる。早寝早起き、これが人間にとっていちばんの贅沢かもしれない。
夜明け前の5時半に起き、少し高台に登る。マイナス4℃だが、やはり風がないから寒さを感じない。今度は南アルプスの空に満月が浮かんでいる。
6時過ぎに日が昇ってきた。山を登るクライマーを祝福してくれる。
ご来光で富士山が朝焼けに染まる。朝日と満月、富士山と南アルプス。すべてが同時に眼中に収まる聖域が他にあるだろうか?
これが日出る国ニッポンの底力だ。
部屋に戻り、岩魚と自家製野菜の朝ご飯。パワーを充電し、一番乗りで大菩薩嶺に向かう。わずか1日で多くのことを吸収させてくれた。スピードがあれば山の高さは征服できるが、それでは山の深さは置き去りになってしまう。
出発するとき、雲ひとつない大菩薩ブルーの蒼天が広がっていた。スピードは両親から授かった刀なので磨き続ける。ただし、できる限り山で一夜を過ごしたい。ゆっくり腰を落ち着け、これからは立ち止まって山と対話する。そこに山小屋があるから。
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