たまたまビビッと好みに刺さるブコメ見ちゃって そのブクマカのコメント一覧したらうわ全部面白ってなって スターけっこう付いてて人気なんかと思ったけど フォロー少なっ…えっ少なっていうか少なっ…もったいなっ…転生垢? 自分もコメさかのぼっていっぱいスター付けかけたけど キモがられたら嫌だから思いとどまった ファンメする手段もなくて安堵 久々ドキドキした なんだろこの気持ち

たまたまビビッと好みに刺さるブコメ見ちゃって そのブクマカのコメント一覧したらうわ全部面白ってなって スターけっこう付いてて人気なんかと思ったけど フォロー少なっ…えっ少なっていうか少なっ…もったいなっ…転生垢? 自分もコメさかのぼっていっぱいスター付けかけたけど キモがられたら嫌だから思いとどまった ファンメする手段もなくて安堵 久々ドキドキした なんだろこの気持ち
中高年に向けての娯楽作品ってこれまでどんなものがあったんだろう 中高年になったら仕事も家庭も忙しくて、物語の消費どころではない、というもんなのかな
麻雀ファイトガールは麻雀初心者に世界一優しい麻雀ゲームなので、「ミツモト・ダイアが気になるけど麻雀のルール知らないからなー」という人ほどプレイして欲しいゲームです。 その世界一初心者に優しい麻雀ゲームに、ミツモト・ダイア効果で初心者が増えるであろう今が最大のチャンスです。 「俺は麻雀がやりたいんじゃなくてギッチギチのパッツパツを堪能したいんだよ!」という気持ちも分かりますが、120%堪能しようと思うと麻雀の部分も最低限理解しておく必要があります。 このゲームの凄いところはそんな人達でも麻雀が遊べるように作っているところで、この記事ではミツモト・ダイアにしか興味が無い人が麻雀を遊ぶ方法を麻雀用語と例外ケースを可能な限り排除した上で書きますので、このnoteを読んだらそのまま最寄りのゲーセンかネカフェに向かってください。 長いなと思ったら太字だけ読んでください。 前置き(飛ばして良い)なんでこ
1987年兵庫生まれ。会社員のかたわら、むだなものを作る活動をしています。難しい名字のせいで、家族が偽名で飲食店の予約をするのが悩みです。(動画インタビュー) 前の記事:iPhone型文鎮を作って書き初めする > 個人サイト >むだな ものを つくる >ライターwiki 道の駅に行こう やってきたのは「道の駅 許田(きょだ)」である。 名護市にあり、那覇あたりから美ら海水族館へ向かう途中に位置している。 ということでやってきた。きょだ! めちゃくちゃ海沿いで絶好のロケーションだ。 数年前に改修工事が入ったようで、対向車線から来た場合でもスムーズに入れるように駐車場が整備されていた。 その場合はこの立派な陸橋を渡って道の駅へ向かいます。 陸橋に上ると見晴らしが良い!曇ってるけど!あと本日風が強いです! さらに言うと最強寒波の到来により最高気温が12℃の日だった。 普通に寒くて、ここは沖縄だよ
⚫︎人間は誰でも、多かれ少なかれ(さまざまな異なるあり方で)気持ち悪い。気持ち悪くない人などいない。他人の気持ち悪さをどの程度受け入れられるか(許せるか)ということが、そのまま、自分の気持ち悪さをどの程度肯定できるのかということに繋がるのではないか。他人の持ち悪さを強く否定してしまうと、自分の中にある気持ち悪さもまた、抑圧したり、否定したりするしかなくなる。それはとても苦しいし、そのような潔癖は誰のためにもならない。他人の気持ち悪さをある程度は拭け入れることで、自分の気持ち悪さもまた容認するという方がずっといいように思う。わたしも気持ち悪いし、あなたも気持ち悪い。それを認めた上で(気持ち悪いということは前提として)、現実上で互いに最低限の節度を保ってあるにはどうすればいいのかを考えるのがいいのではないか。 (決して受け入れられない、一線を越えた気持ち悪さというのもあるだろう。それについてど
はじめに 研究者から投げかけられたことば 被調査者としての体験 おわりに(おまけ) はじめに 2月21日は国際母語デーということで、まつーらとしおさんの呼びかけもありましたし、私の母語であるウチナーヤマトグチに関する思い出について書いておきます。 note.com この先の内容はすでに何度かX(旧Twitter)に書いたことなのですが、ブログ記事としても書いておいた方が良いだろうと思っていました。 なお、ウチナーヤマトグチがどのような言語かということについては下記の下地理則氏の記事が詳しいです。私の過去のX(旧Twitter)での投稿にもこの記事に触発されたものがあり、おすすめです。 note.com このブログでもときどき沖縄については書いています。気になる方は下記のカテゴリーをご覧ください。 沖縄 カテゴリーの記事一覧 - 誰がログ 研究者から投げかけられたことば 沖縄県沖縄市で18歳
はじめに:個人サイトの更新 "girlfriend" と "girl friend" の音と意味 "girlfriend" と "girl friend" の表記 おわりに はじめに:個人サイトの更新 個人サイトに作成した「形態論の入門書・教科書・概説書」のページに、工藤和也・依田悠介 (2025)『ブックレット形態論概説』(開拓社)の短評を追加しました。下記のリンクからこのページの該当箇所に飛べます。 [読書案内] 形態論の入門書・教科書・概説書 | 田川拓海 このページでは、新しめの書籍を優先的に取り上げています。特に小野尚之 (2024)『ベーシック形態論』や由本陽子・杉岡洋子・伊藤たかね (2024)『語の文法へのいざない』など、刊行されたばかりものは学会誌の書評をはじめ一般的なレビューもまだあまり出ていないと思いますが良い本が多いです。2024年度はほんとに形態論関係書籍の刊行が
2024年スーパーの店頭からコメが消えるという騒動が起こった。猛暑による精米歩留まり低下という供給の減少やインバウンド消費などによる需要の増加などをきっかけとしたものであるが、この騒動を起こした根源的な原因として1970年から継続されているコメの減反(生産調整)政策がある。農林水産省はコメ不足を認めようとはせず、備蓄米の放出を行わなかった。 猛暑による供給減少やインバウンド消費の増加などは、全体のコメ需給からすればわずかにすぎない。それが大きな価格上昇をもたらした理由はなぜかを説明する。また、農産物の場合には価格が需給調整するはずなのに、なぜコメの端境期に量的な不足が生じることになったのかについても、説明を行う。 減反を廃止すれば輸出を行うことが可能となる。アメリカやEUなどの穀物輸出国のように輸出を行っていれば、国内で消費が増加したり生産が減少したりしても、輸出量を調整(減少)することに
1: 「良いの定義」を決めずに良くすることは可能か 社会のなかで善意を持つ人は少なくないだろう。しかし、デモや署名活動など、その善意の発露としての抗議運動は、なかなか成果をもたらさないという現実がある。 それでも抗議には行うこと自体に意義があり、為政者がそれを気にするということを通じて運動は現実を変える、という考え方もある。しかし、あまりにも遠い目標や間接的な実現を目指して、フィードバックのない活動を続ける精神力を求めることは酷であるし、抗議のための抗議に堕してしまわないことをチェックするのも困難だろう。 散発的な善意は、何かしらの形でつながらないと成果を出すことは難しい。だが、運動を上から集権化する「革命運動=組織の更新」には、さらなる悲劇(ナチズム、ソ連の虐殺など)を生んだという歴史がある。 国や社会という大きな単位の組織だけでなく、我々は企業や地域コミュニティなどに属している。そのよ
⚫︎ある「正論(と、みなされているもの)」に対する強い違和感があるとする。この違和感を何らかの形で表明したいと考える。しかし、これを表明すると確実にボコボコに叩かれることが予想される(場合によっては友達を失うかもしれない)。それでもなお表明しようとするのならば、想定される「叩き」に対抗できる程度の強さと合理性を持つ反論を用意しなければならない。 だから、正論(と、みなされているもの)に違和感をぶつけることができるのは、ある程度以上に頭がいいか、教育を受ける機会を得た人に限られる。そうでない人は、モヤモヤを抱えつつ黙るか、ネットで匿名でうさを晴らすかするしかなくなってしまう。 これは明確な抑圧である。言論に対して、言論で対抗できるのは、ごくごく一部の限られた人でしかない。 (議論に長けた人と、そうでない人が議論することは、格闘家とそうでない人とが喧嘩するのと同じくらいに「一方的な暴力」である
JASRAC許諾第9009285055Y45038号 JASRAC許諾第9009285050Y45038号 JASRAC許諾第9009285049Y43128号 許諾番号 ID000002929 ABJマークは、この電子書店・電子書籍配信サービスが、著作権者からコンテンツ使用許諾を得た正規版配信サービスであることを示す登録商標(登録番号 第6091713号)です。
7歳長女は、些細なことで不機嫌になるタイプだ。 そのせいで揉めることが多く、でも本人に悪気はないし…と悩んでたんだけど、 最近長女と一緒に編み出した対応策がすごく良かったので書き留めておこうと思う。 その対応策は、"不機嫌になった後にハグする"こと。 下に詳しく解説書くので、すごく長くなるけど、ぜひ読んで欲しいし、よければ参考にして欲しい。 長女の性質 私の長女は本当に「え!?」と思うことで傷ついて不機嫌になる(ちなみに眠い時は傷つきやすさ5割増になる) どうも言葉を深読みしすぎて、こちらが意図してない形で受け取ってしまうらしい。 たとえば下の子が泣いた時に「赤ちゃんを産んだ後の女の人って、赤ちゃんの泣き声を聞くとすごく辛い気持ちになるんだよ」と言うと「じゃあ私なんていなくてもいいんだ!」と言ったり(下の子の方が可愛いと言われたと思い込んだらしい) 会話の中でふと昔のお笑いネタを思い出して
導入のきっかけ2009年に、府中市美術館にて「純粋なる形象 ディーター・ラムスの時代―機能主義デザイン再考」という企画展が開催されました。そこで初めて見たディーター・ラムスのプロダクトのヤバカッコよさよ… ブラウン TP1 ラジオ/レコードプレーヤー複合機 ブラウン L450スピーカーTG 60オープンリール・レコーダー、TS45コントロール・ユニットDer Kofferempfänger T52 同じく2009年に発表された、UNDERCOVERの春夏テーマがディーター・ラムスだったのですが、彼のプロダクトが反映された、凄まじく綺麗なコレクションでした。立ち上がりの日に青山店行ってロングコート買ったな。 https://www.vogue.com/fashion-shows/spring-2010-ready-to-wear/undercover/slideshow/collection
「母語は、〈臨界期〉と呼ばれる時期を過ぎれば、取り換えがきかない」 許多〔きょた〕の人々はこの命題を素朴に信じているだろう。しかし、世には非母語をあたかも母語のように操り、非母語で創作活動を展開する作家たちがいる。いわゆる〈越境作家〉と称呼される書き手たちである。 私は、韓国語を専門とする言語研究者であり、言語教育者でもある。学部時代は、フランス語を専攻しつつ他の言語群とも多く戯れ、また、大学院博士課程在学中には、ソウルの大学で専任講師として日本語や日本語学を講じたりもした。かくして言語の森を一定期間、跋渉〔ばっしょう〕してきたが、その際いつも頭の片隅にあったのは、〈他者の言語〉を〈自己の言語〉として〈引き受ける〉とはいかなる営為かという問いであった。私は、言語、とりわけ非母語とは〈習得する〉ものではなく、〈引き受ける〉ものであり、自身の実存に関わる意志的な選択だと考えてきた。言語を学ぶ者
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く