タイトルを見て何かと思われたでしょうが、新田一郎『日本の歴史11 太平記の時代』(講談社学術文庫、2009年)の話です。
本書の中で「中世の人々がなぜ領主に毎年年貢を支払ったのか、その理由は本当のところ判っていない。」という一文があるのに思わず笑ってしまったわけです。
本書では一応有力な解釈として、領主が農業再生産の条件を整える見返りとして農民が年貢を納めるという契約的な関係として発生し、それが慣習として制度化していったという説を紹介してますが、どうにも煮え切らないものを感じます。年貢を払わなかったら怖い人たちが押しかけてきてボコボコにされるからという理由じゃダメなんでしょうか(^^;)
そして後文でも、ヨーロッパ中世の封建諸侯が年貢の確保のためにエラい苦労をしたのに対し、日本の荘園領主が所領から遠く離れた畿内に暮らし、かつ自前の組織的な軍事力を持っていないにも関わらず、遠隔地の所領からちゃんと年貢を確保できていたのが何故なのか実はよく判らないとコメントしています。
著者はその理由を解明する鍵として、人々が特に疑問に思うわけでなく年々繰り返されるパターンを前提として動くという「予期可能性」が挙げられるかもしれないとしていますが、これって要するに昔からの慣習なので何となく年貢を納めているということですよね(^^;) 日本人が当たり前のことを当たり前のこととして疑わないというのは昔からのことなんだなあと思ったり……
本書の中で「中世の人々がなぜ領主に毎年年貢を支払ったのか、その理由は本当のところ判っていない。」という一文があるのに思わず笑ってしまったわけです。
本書では一応有力な解釈として、領主が農業再生産の条件を整える見返りとして農民が年貢を納めるという契約的な関係として発生し、それが慣習として制度化していったという説を紹介してますが、どうにも煮え切らないものを感じます。年貢を払わなかったら怖い人たちが押しかけてきてボコボコにされるからという理由じゃダメなんでしょうか(^^;)
そして後文でも、ヨーロッパ中世の封建諸侯が年貢の確保のためにエラい苦労をしたのに対し、日本の荘園領主が所領から遠く離れた畿内に暮らし、かつ自前の組織的な軍事力を持っていないにも関わらず、遠隔地の所領からちゃんと年貢を確保できていたのが何故なのか実はよく判らないとコメントしています。
著者はその理由を解明する鍵として、人々が特に疑問に思うわけでなく年々繰り返されるパターンを前提として動くという「予期可能性」が挙げられるかもしれないとしていますが、これって要するに昔からの慣習なので何となく年貢を納めているということですよね(^^;) 日本人が当たり前のことを当たり前のこととして疑わないというのは昔からのことなんだなあと思ったり……
南北朝時代だとまだまだその逆のパターンですかね。飢饉で年貢を納められない→農民が夜盗に武装化→あるところから略奪→略奪したものを年貢として納める(アレ?)→略奪されたところが野武士に武装化→ループ……と循環している可能性もあるとか。
そのとき聴講した講師のコメント「『中学高校の教科書では、あいつぐ争いで農民は飢えにあえいで苦しんだ』だけで済まされているが、本当にただ苦しんでいただけなのか……我々はもっと人間のしぶとさを研究しなければならない。」
>略奪したものを年貢として納める(アレ?)
そもそも年貢というのはそこまでして納めなければいけないものなんでしょうか(^^;) やっぱりどこかおかしいんじゃないかという疑念が拭えないのですが……
危機感のない人間になっていきそうですね。
特に日本人は上がやりたい放題やってても
大人しく納めちゃう人が多そうだし。
独占企業で選択肢のない
東京電力の高いと言われる電気代とかNHKとかも年貢の一部かな?w
>黙ってても年貢が入ってくる側の人間は
年貢が入ってくるのを前提にして借金とかしたりしてますからね。先日読んでた中公新書の『贈与の歴史学』という本にはそういう事例が山のように出て来ましたよ(^^;)
>年貢の一部かな?w
あと、年金もそこに加えてください(´・ω・`)