11月11日 、ソニー・コンピュータエンタテインメント(SCE)の次世代家庭用ゲーム機「プレイステーション3(PS3)」が発売された。東京、大阪など都市部の主要な家電量販店やゲームソフト店には、PS3を求めるゲームファンの長蛇の列が連なり、各店で売り切れが続出した。「2006年度中に全世界で600万台」(久夛良木健SCE社長)という当面の目標の実現に向けて、好スタートを切ったかのように見える。
しかし、この好スタートは決して手放しで喜べるものではない。そこに至るプロセスを子細に分析すると、SCEだけではなくソニーグループの屋台骨を揺るがしかねないような問題が見て取れるからだ。
【1.ソニーが半導体に5000億円投資した理由】
まず、ソニーが2003年度からの3年間に、5000億円もの巨費を半導体開発に投資したことを忘れてはならない。目玉は、PS3への搭載を前提に、米IBM、東芝と共に共同開発してきた次世代高機能半導体「cell」の開発である。
それまで半導体投資に積極的とは言えなかったソニーが、これほどの巨費を投じる決断を下した理由は、当時は明快だった。ズバリ、「ウィンテル(米マイクロソフトと米インテル)支配から離脱し、自らがウィンテルに取って代わる存在になるため」、これである。
毎月100万台ペースで伸びるであろうPS3を起爆剤として量産効果で「cell」の生産価格を引き下げ、薄型デジタルテレビに代表されるデジタル家電にも「cell」を搭載。そして、PS3を軸にして家庭内のデジタル家電を、様々な事業者が持つ「cell」搭載のネットワークサーバーとブロードバンドでつなぎ、世界中に「cell」で作られる「コンピューター・ジェネレーテッド・コンテンツ」を拡げる。これにより、ウィンテル支配の構図から脱して、ソニーグループが次世代の覇権を握る――。これこそ、ソニーがグループを挙げて「cell」の開発に5000億円を投じた理由だったはずだ。
この戦略を早期に、しかも確実に実現させるためには、3つの条件がクリアされなければならなかった。(1)PS3の急速な普及、(2)ユーザーに、PS3を単なるゲーム機ではなく家庭用コンピューターとして認識してもらう、(3)「cell」をPS3以外のデジタル家電にも搭載する――である。
【2.ソニーは「cell」に賭けるという戦略を捨てたのか!?】
ところが、実際にはどうだったか――。今回のPS3発売までの経過から見えてきたのは、「cell」を軸にした脱ウィンテル戦略の貫徹どころか、SCE、なかんずく久夛良木氏とソニーの間の埋めがたい溝だけである。
まず、ソニー自身がPS3普及の足を引っ張った。
今年6月頃、ソニーの生産子会社、ソニー白石セミコンダクタ(宮城県白石市)が、担当した青紫色半導体レーザーの量産に失敗。原因究明に2カ月近くかかり、PS3本体の生産計画にも大幅な遅れを生じさせたのだ。ソニーは事態が発覚する直前の今年4月1日、青紫色半導体レーザー開発を陣頭指揮していたフォトニックデバイス&モジュール事業本部長を突然異動させている。これから本格的な量産というタイミングで開発の中心人物がいなくなれば、現場にマイナスの影響こそあれ、プラスの影響があるとは考えにくい。SCEからすれば、この異例の人事はソニーがPS3を軽視している何よりの証明に映っただろう。
結果として年内400万台を見込んでいたPS3の出荷台数は、半分以下の200万台となり、SCEは仕方なく北米と日本に100万台ずつを振り分け、欧州での発売を来年3月上旬に延期せざるを得なくなった。これで久夛良木氏が目論んでいたスタートダッシュは、不可能になってしまったわけだ。
戦略的な「高価格戦略」に後方支援なし
また、SCEとソニーの間の溝のおかげで、ユーザーにPS3を家庭用コンピューターとして認識してもらうことにも失敗した。
PS3の当初の発売予定価格は、ハードディスクの容量が少ない下位機種で6万2790円(税込み)。オープン価格の上位機種は7万円前後(税込み)と見られていた。実はこの価格にこそ、久夛良木氏の“割り切り”が込められていたはずなのだ。「PS3はもうゲーム機ではない。家庭用コンピューターなのだ」という割り切りである。
6万2790円という価格は、ゲーム機と見れば異例の高価格である。先行するマイクロソフトの「Xbox360」の国内販売価格は3万9785円(税込み)。ハードディスクを取り外し、コントローラーを無線から有線に変えた廉価版なら2万9800円で買える。12月2日に発売される任天堂の「wii(ウィー)」は2万5000円でしかない。だからこそ、価格が公表されて以降、ゲーム業界を中心に「高すぎる」との声が相次いだのだ。
しかし、家庭用コンピューターとして見たらどうだろうか。ライバルはもちろんパソコンやハードディスクレコーダーである。20万円近い金額のパソコンや10万円弱のハードディスクレコーダーと比べれば、PS3は異例の低価格であることが分かるだろう。本来なら、SCEもソニーも、この点をアピールしなければならなかったはずなのだ。
マーケティングでも製品戦略でもすれ違い
そのためには、ソニーの薄型デジタルテレビ「ブラビア」とPS3のセット売りこそ、望ましかった。これならば、PS3=ゲーム機という色は薄められる。ソニーにとっても、シャープの薄型デジタルテレビ「アクオス」や、攻勢著しい松下電器産業の「ビエラ(薄型デジタルテレビ)」+「ディーガ(ハードディスクレコーダー)」という組み合わせにも対抗できる。実際、SCEでは、ソニーマーケティング出身者を営業責任者に就けるなど、そのための布石を打っていたはずなのだ。
実際には、このセット売りは実現しそうにない。拒んだのがソニーなのか、ソニーに愛想を尽かしたSCEなのかは分からない。だが9月22日の東京ゲームショウ基調講演で、久夛良木氏はPS3の値下げを表明。PS3をゲーム機として売る方向に戦略の変更を余儀なくされてしまった。
加えて、ソニーの社内では、ソニー製のデジタル家電製品に「cell」を搭載する動きも、まるで感じられない。あるソニー関係者は、「現在のデジタル家電は低消費電力が前提。cellの消費電力の高さが搭載のネックになっている」と打ち明ける。だとすれば、量産効果が生じたとしても、「cell」がデジタル家電に載る可能性は低いと言わざるを得ない。PS3でのスタートダッシュに失敗しただけでなく、デジタル家電への搭載もないとしたならば、「cell」の普及の前途は暗いと言わざるを得ないのではないだろうか。
【3.ゲームビジネスとしてPS3を見ると、その見通しは甘すぎる】
当初、5000億円の投資を決めた際にソニー側とSCEの久夛良木氏が描いた構想の実現は、不可能とは言わないまでも遠のいたのは間違いない。その理由の大半は、久夛良木氏ではなく、ソニーの熱意が冷めたことに求められる。
しかし、「cell」に投じた5000億円から収益を生めず、その回収に失敗すれば、ただでさえ収益基盤が弱体化しているソニーの屋台骨を揺るがしかねない。ハワード・ストリンガー会長・中鉢良治社長というソニーの現経営陣はそこのところを分かっているのだろうか。もしも、ゲームビジネスだけで5000億円もの投資を回収できると考えているのであれば、見通しが甘すぎると言ってよい。PS3は、大成功したPS2の時と置かれている状況がまるで異なるからだ。
PS3のライバルであるマイクロソフトのXbox360は、日本国内でこそ“低空飛行”を続けているが、欧米では着実に普及し、販売台数1000万台が手に届くところにまできている。国内外の有力ゲームソフトメーカーも、この事実は無視できない。自らの収益機会拡大のために、PS3にもXbox360にもソフトを供給したがるだろう。言い換えれば、PS3だけで楽しめる独占ソフトの数は、マイクロソフトに先行していたPS2の時と比べて確実に減るのだ。有力ソフトの存在がPS3普及の後押しになりにくいのである。
加えて、PS2の時には考えなくてよかった任天堂「wii」の存在がある。ゲーム機として比べた時には、「家族全員誰にでも楽しめる」という開発コンセプトのwiiの方が、「高画質・高機能ゲームが楽しめる」というそれのPS3よりも、幅広いユーザーに受け入れられる可能性が高い。ポータブル端末として久夛良木氏が満を持して送り出した「PSP」が、2画面・タッチペンを売り物にした任天堂の携帯ゲーム機「ニンテンドーDS」の後塵を拝しているのが、その証明である。つまり、より幅広いユーザー層に受けそうなwiiに押されて、PS3の普及の速度が遅れる可能性があるわけだ。
日経ビジネス電子版有料会員になると…
- 専門記者によるオリジナルコンテンツが読み放題
- 著名経営者や有識者による動画、ウェビナーが見放題
- 日経ビジネス最新号13年分のバックナンバーが読み放題