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DOMMUNEに出演しなかった理由と、例の「いじめ語り」に対する簡単な見解

明けましておめでとうございます。

 

さて、年末DOMMUNEというイベントスペースにて、「2021 SUPER DOMMUNE YEAR END DISCUSSION  小山田圭吾氏と出来事の真相」というイベントが行われたようです。僕にも依頼メールが来たのですが、多忙であることと、企画趣旨に賛同できなかったことからお断りしました。

 

するとこのイベントの当日、主催者側から、「荻上チキにも依頼したが、企画趣旨に賛同できないと断られた」といった趣旨のアナウンスがあったようです。ツイッターのTLにて、僕について否定的な言及がされているのを複数見かけ(逃げた、舐めるな、といったような趣旨のものでした)、「あ、僕が断ったことをイベント内で触れたのだな」とわかりました。その上で、僕が断った理由についても、主催者による推測などが語られておりました。

 

「ファクトチェック」なき「メディアハラスメント」を問うと銘打つイベント会場で、一つの推測などが語られたことを受け、否定的なコメントが誘発されるという場面を目の当たりにし、こうした論点を扱う際の難しさをますます思い知った次第です。

 

そこでこのエントリーでは、なぜ荻上DOMMUNEのイベントに参加しなかったのかについて簡単にまとめておきます。なお、本エントリーは、小山田氏に対する新たな非難などを目的とするものではありません。ただ、ことの性質上、これまでさまざまに言及されてきた当該関連行為などについては触れざるを得ないため、いくつか具体的な暴力描写などが含まれる点、読まれる際にはどうかご注意ください。

 

 

前提として、小山田氏の騒動については、当時、次のようなことを考えていました。そして今もなお、このような考えを維持しています。

 

・この件については、「過去にいじめを行っていたことが発覚した場合、その人の仕事をキャンセルする必要があるのか」という問題として理解される向きも一部あるが、それとは別に考える必要があるだろう。

・すなわち「学生時代にいじめ加担していたことが発覚した問題」というより、「表現者として、いじめや差別を軽視するような発言を行っていた問題」が問われるものである。

・僕はオリパラ開催そのものに反対であるが、障がい者に対する侮蔑的発信が確認された人物が、特にパラスポーツのテーマに関わることについて、掲げられた理念との一貫性・整合性が問われた場合、適任ではないと考えられるだろう。

・今後は、記事を読み、一連のいじめ・差別関与が不公正だと思った人々に対して、小山田氏側がどう応答するかが問われている。

・なお、加害者の悪魔化をし、ミュージシャンとして二度と活動するなというような反応は賛同できない。そのうえで、小山田氏には適切な応答を望みたい。

 

私自身は本件によって、例えば作品の発表や配信を中止したり、他の仕事を降板するといったようなことを求めるのが適切だとは思いません。そのため、小山田氏が複数の仕事をキャンセルしたことについては、疑問が大いにあります。

 

ただ、個別にはそれぞれが「キャンセルされた」のか「降りた」のかもわからないため、部外者からの判断は保留としています。「中止」「辞退」などの背景には一般的に、騒動の渦中にあることで心が消耗した本人による要望や、当人を守るために事務所がストップを求めるというケースもありえるためです。

 

 

次に、自分のことを簡単に説明しておきます。いじめと、Corneliusに関わる部分です。

 

・大学生の時、ミュージシャンに憧れ、音楽を毎日聴いて過ごしていた。Corneliusの作るサウンドクオリティの高さは、音の立体感を巧みに操る独創性と技術力の高さに惹かれ、CD、書籍、ビデオ作品を購入したり、ダビングしたMDをヘビロテで聴きながら通学する日々を送ったりもしていた。

・2001年だったか、2002年だったか。音楽好きの大学の先輩から、「昔のロキノンの小山田インタビューがやばかったんだよ、あれ読んで引いたよ」といった発言を耳にする。その記事を確認したくて、古本屋にいくたびに、バックナンバーがあるか気にするようになる。

・数ヶ月後、下北沢の古書店で「ロッキング・オン・ジャパン」を立ち読み。また別の日に「クイック・ジャパン」を購入(この「クイック・ジャパン」は2020年、コロナ禍での大掃除で売却)。フラッシュバックにも似た感覚で味わう。それでも、作品は作品であると捉え、曲は変わらず聴き続ける。

・大学生の頃、『いじめの社会理論』を読んだことをきっかけに、いじめ関連の書籍や論文に読み始める。

・2007年に物書きとなり、2008年、2010年には、いじめをテーマにした書籍を出す。

・2012年、大津いじめ自殺事件についての過熱報道をきっかけに、NPO「ストップいじめ!ナビ」を立ち上げる。いじめ研究の参考データなどを、政治家、行政、自治体、学校、保護者らに提供する活動を行う。

・2021年、ニュース拡散時に改めてコピー入手(月刊カドカワロッキングオン・ジャパン、クイック・ジャパンの記事を入手)

 

このように小山田氏の問題は、例えばブログで取り上げられたり、報道で話題になる前から、とても不快な出来事として記憶していました。その不快さには、自分が受けた被害内容と、小山田氏が笑いながら語っていた加害内容が、少なからずリンクしていたこともあります。それでも、その高い音楽性へのリスペクトは変わらず、「作品は作品」として切り分けて聴取し続けてきましたし、コメント時にも私的エピソードは盛り込まず、自分なりの見解を示しました。

 

 

続いて、小山田氏が語った内容がどういうものかを理解するためにも、簡単に、いじめ研究の整理を参照してみます。いじめ研究には、90年代と比べても非常に多くの知見が蓄積していますが、本件の整理に役立つところに触れておきましょう。

 

・いじめには、「直接的攻撃」(殴る、蹴る、悪口をいう、からかう)と「間接的攻撃」(噂を広める、仲間はずしにする、嫌なあだ名をつける、からかいを共有する)がある。あるいは、「身体的攻撃」(殴る、蹴る)、「言語的攻撃」(悪口をいう、噂を広める)、「関係性攻撃」(無視する、仲間外しにする)といった分類や、「暴力系いじめ」「コミュニケーション操作系いじめ」といった分類もある。実際のいじめは、これらの類型が折り重なって行われる。

・日本では「暴力いじめ」よりも、悪口やからかいなどの「言語的攻撃」「関係性攻撃」のいじめの方が件数として多い。

・森田洋司らの「いじめの四層構造」では、いじめは被害者/加害者の二者関係によって成り立つのではなく、「観衆」(はやしたてたり、おもしろがったりする者と「傍観者」(見て見ない振りをする者)を含めた四層構造になっている。

・いじめは突然に重度化するのではなく、観衆、傍観者、大人などの態度によって、抑制されたり助長されたりする。すなわちいじめは、周囲の反応を踏まえてエスカレーションしうる。

・傍観者(いじめを知りつつ見て見ぬふりをする人)が多い環境は、いじめに暗黙の了承を与えることで、いじめを助長する。

・傍観者にならない手段は、「仲裁者」(いじめを止める)の他にも、「通報者」(いじめ解決可能な人につなげる)、「シェルター」(いじめられている相手と対等に接する)、「スイッチャー」(いじめムードを変える)などがある。

・小中学生の間。9割近い生徒は、加害も被害も両方経験する。一方で一部には、長期持続的に加害/被害にかかわる人者もいる。

・障害者、性的マイノリティなど、「いじめ被害のハイリスク層」となっている人々がいる。

自尊感情の低さや共感性の低さは、傍観行動を助長する。

・共感性は加害傾向と負の効果を、排他性は加害傾向と正の効果を持つ。

・「Kiva」などのいじめ対応プログラムは、傍観者の役割の重要さに着目したスキルトレーニングを提供している。

 

特に、「いじめの四層構造」の理解は重要です。多くのいじめは、「実際には加害は行われていなかった/いや行われていた」というような、単純な二分法で考えられるものではありません。いじめ事件の多くは、個別の加害行為に対して、時には加害者の立場で、時には観衆という立場で、時には傍観者という立場で関わっていた、と整理されていく必要があります。それらはまた、なぜ関与した者は、「仲裁者」「通報者」「シェルター(いじめをせずに関わり続ける人、避難所)」「スイッチャー(いじめが起きにくい空気へと変える人)」という立場を取れなかったのか(取らなかったのか)という問いにも続きます。

 

小山田氏の件も、「直接加害者かそうでないか」といった軸でのみ考えると、問題を矮小化することになってしまいます。その上で、氏はこれまでどのような仕方でいじめ関与をしてきたと語ったのか。主要な二つのインタビューを見てみましょう。

 

ロッキング・オン・ジャパン」1994年1月号

●がインタビュアーの山﨑洋一郎氏、鉤括弧内が小山田氏

「あとやっぱりうちはいじめがほんとすごかったなあ」

●でも、いじめた方だって言ったじゃん。

「うん。いじめてた。けっこう今考えるとほんとすっごいヒドいことしてたわ。この場を借りてお詫びします(笑)。だって、けっこうほんとキツイことしてたよ」

●やっちゃいけないことを。

「うん。もう人の道に反してること。だってもうほんとに全裸にしてグルグルに紐を巻いてオナニーさしてさ。ウンコを喰わしたりさ。ウンコ喰わした上にバックドロップしたりさ」

(大笑)いや、こないだカエルの死体云々っつってたけど「こんなもんじゃねえだろうなあ」と俺は思ってたよ。

「だけど僕が直接やるわけじゃないんだよ、僕はアイディアを提供するだけで(笑)」

●アイディア提供して横で見てて、冷や汗かいて興奮だけ味わってるという?(笑)

「そうそうそう!『こうやったら面白いんじゃないの?』って(笑)」

●ドキドキして見てる、みたいな?

「そうそうそう!(笑)」

●いちばんタチ悪いじゃん。

「うん。いま考えるとほんとにヒドいわ」

●いやあ、文系の学校が血気盛んになるとそっちに走るよね。

「うん、ほんっとにそっちに走るよ」

●で高校はそのままエスカレーター式で?

「うん」(以下別の話に)(p30)

 

このインタビュー時では、自らが加害者側となり、「性暴力」「食糞」「暴力」に関与していたことが語られています。ただし、「アイディアを提供」とあるように、加害者の中でもさらに、「観衆」の立場を取りながら関与していたいじめ立案者であったと語られています。

 

「クイック・ジャパン」(1995年8月号)の方は、いじめをテーマにした長文に渡るインタビューなので、部分的引用がなかなかに困難なため、どのようなことが語られていたのかを箇条書きで触れておきます。

 

・小学時、「障害がある」「S君」(二次加害予防のためイニシャルにします)に対する攻撃が語られる。「段ボール箱に入れる」「全身をガムテープで縛る」「黒板消しの粉をかける」「マットレス巻きにする」「飛び箱の中に閉じ込める」「マットの上からジャンピング・ニーバットする」などの行為があったことを語る。

・中学時、「頭が病気でおかしいんだか、ただのバカなんだか」と語られる「M君」に、「掃除ロッカーの中に閉じ込めてロッカーを蹴飛ばす」などの行為があったことを語る。この行為について小山田氏は、「小学校の時の実験精神が生かされてて」とも語り、「黒板消しの粉をかける」行為についても語る。

・中学の修学旅行時、小山田氏は「M君」と「渋カジ」と同室になる。さらに「渋カジ」が「洗濯紐でグルグル縛りにする」「服を脱がす」「自慰行為を強要する」などの加害を行った件について、小山田氏は「そこまで行っちゃうと僕とかひいちゃうっていうか」「おもしろがれる線までっていうのは、おもしろがれるんだけど」「かなりキツかったんだけど、それは」と語る。

・高校時、「S君」に対して、「服を脱がす」「女子が反応するから、裸のまま廊下を歩かせる」といった行為があったと語る。小山田氏自身は、「ちょっとそういうのはないなー」「笑ってたんだけど、ちょっと引いてる部分もあったて言うか」と語る。

・高校の時に外で喫煙しながら、「養護学校の人」であるダウン症児たちがマラソンをする様子について語る「『あ、ダウン症の人が走ってんなあ』なんて言ってタバコ吸ってて。するともう一人さ、ダウン症の人が来るんだけど、ダウン症の人ってみんな同じ顔じゃないですか?『あれ? さっきあの人通ったっけ?』なんて言ってさ(笑)」「次、今度はエンジの服着たダウン症の人がトットットとか走って行って、『あれ?これ女?』とか言ったりして(笑)。最後一〇人とか、みんな同じ顔の奴が、デッカイのやらちっちゃいのやらがダァ~って走って来て。『すっげー』なんて言っちゃって(笑)」

 

なおこのインタビューについては、人によって細部のニュアンスの受け取り方が異なるようなので、細かなニュアンスはぜひ、原典を読んでいただければと思います。実際、まとめブログやコピペなどを読んだ後に、当該インタビュー全文を読んだ人の反応も、「印象が変わった」というものもあれば、「印象は変わらなかった」というものもあります。

 

このインタビューでは、小山田氏が、「おもしろがれるいじめ」と「引くいじめ」の線引きについて語っています。実際、人には「攻撃抑制規範」があるため、自分が行うことについて許容できる攻撃には限度があり、一定程度を超えると罪悪感を抱くこともあります。小山田氏にとっても、独自の線引きがあったことや、加害的関与に対する快楽と罪悪感との揺れがあることが窺い知れます。

 

特徴的だと思ったのは、関与した相手について言及するときに、その障害特性などについて触れる場面が続くことです。基本的には、障害特性のある他の生徒への関わり方は、「観察する側」として「面白がる」という描写が目立っていました。

 

なお、こちらのインタビューでは、自慰の強要などは別の人(=渋カジ)が主導していたことと説明されています。これをもとに、「ロッキング・オン・ジャパン」の発言と、「クイック・ジャパン」の発言とを、相当の熱量をかけて「差分」で読み解くことを通じ、小山田氏は実際には、「食糞」「自慰強要」などの重大事態加害者ではないのだと読むのが、この時点で既に自然であったはずだと位置付ける言説もあります。但し、それが実際に、一般読者の普通の注意と読み方によって受ける印象なのかと言われれば、疑問もあります。

 

というのも、「クイック・ジャパン」においてもなお、「ロッキング・オン・ジャパン」のでの発言の逐次修正が行われているわけではありません。すなわち、片方の記事だけを読んで発信内容を捉える人もいれば、「ロッキングオンで総論的に語り、クイックジャパンでは別件も含めた詳細を告白している」と「加算」で読み解く人もいる。つまり小山田氏本人の声明が出るまで、その解釈の幅の中でどう読解するのかは、受け手にグラデーションがあったことになります。

 

ただ少なくとも、障害のある児童に対して、「加害者」「観衆」の立場で深刻な「直接的攻撃」「間接的攻撃」に関与したと小山田氏が語る、なかなかに露悪的な記事が複数、存在していたことは間違いありません。この点に反応する形で、後に複数の障害者団体が、抗議文を出すことにもつながります。

 

このような記事を読んだ上で、僕は2021年7月21日、次のような発言をしています

 

「小山田氏の様々な発言というのは、いじめの文脈というものを越えた性暴力でもあるし、障害者差別でもあるしという、いろんな問題をこう含んでいるわけです。例えば人前でマスタベーションすることを強要するとか、あるいはその女子たちが見ている中でわざと服を脱がして人前を歩かせるであるとか。あるいはぐるぐる巻きにしてバックドロップをしたり、あるいは大便を食べさせたりとか。そうしたようなことを繰り返していたんだということを言っていたわけです。また他にも様々な、ダウン症の児童などに対する侮蔑的な発言というものを仲間内で繰り返していたことなど、いろんなことがこう、自ら、発信されてるんですね。しかもそれがインタビューの中だと、「(笑)」とかそうしたような文言を用いて、非常にこう露悪的な仕方で発信されていた、ということになるわけなんですね。」

https://www.tbsradio.jp/articles/1337/

 

僕はここまで、小山田氏の「過去のいじめ行為」そのものというより、メディアを通じた「発言」「発信」の影響力について問題視しています。実際にどの範囲の加害行為が確定しているのかは不明ながら、「このようないじめをした」との、本人の語りを紹介するテキストそのものは存在し続けている。それにフォーカスがなされたならば、それに対する適切な応答が望ましいだろう、という趣旨になります。

 

なお、実際にこのコメントをする際には、手元に「ロッキング・オン・ジャパン」「クイック・ジャパン」の記事を持ちながら話していました。そのため、語られていた文の内容について説明する際、小山田氏の発言の内容を、当該部分をめくりつつ、少し指先を震わせながらも、慎重に言葉を選びながらも発言したのを覚えています。

 

 

こうした記事について、小山田氏はオリパラ議論の際、公的な応答を行うことになりました。そのうち、事実認識についての修正も行われました。

 

2021年に行われた釈明(週刊文春インタビューおよび公式に投稿されたメッセージより)

 

・「ロッカーに同級生を閉じ込め蹴飛ばしたこと」「知的障害を持った同級生に対して、段ボールの中に入れて、黒板消しの粉を振りかけてしまったこと」は事実(週刊文春記事より)。

・「同級生に排泄物を食べさせた、自慰行為をさせた」といった内容については、私が行わせたり、示唆や強要をしたといった事実は一切ありません。

・「排泄物を食べさせた」ということについては、小学校の帰り道に、クラスメイトの一人がふざけて道端の犬の糞を食べられると言い出し、拾って口に入れてすぐに吐き出したという出来事があり、彼本人も含めその場にいた皆で笑っていたという話が事実です。

・「自慰行為をさせた」という部分については、中学校の修学旅行の際、ある先輩が、私のクラスメイトの男子に対し、自慰行為をしろと言っている場面に居合わせ、限度を超えた状況に自分は引いてしまったということが事実です。

・『ROCKIN'ON JAPAN』については、発売前の原稿確認ができなかったため、自分が語った内容がどのようにピックアップされて誌面になっているかを知ったのは、発売された後でした。それを目にしたときに、事実と異なる見出しや、一連の行為を全て私が行ったとの誤解を招く誌面にショックを受けましたが、暴力行為を目にした現場で傍観者になってしまったことも加担と言えますし、その目撃談を語ってしまったことは自分にも責任があると感じ、当時は誌面の訂正を求めず、静観するという判断に至ってしまいました。

・しかしその判断についても、被害者の方の気持ちや二次被害の可能性に考えが及んでいない、間違った判断であったと深く反省しています。

・『QUICK JAPAN (1995年8月号)』の記事では、知的障がいを持つ生徒についての話が何度か出てきます。報道やSNS等では、私がその生徒に対し、「障がいがあることを理由に陰惨な暴力行為を長年に渡って続けた」ということになっていますが、そのような事実はありません。

https://www.tokyo-np.co.jp/article/131625

 

一見して、丁寧な応答だという印象があります。まずここでは、一部のいじめ加害は事実である一方、一部のいじめについては、「その場を盛り上げるために、自分の身の回りに起きたことも含めて語ってしまいました」と述べられています。

 

加えて、原稿の本人確認がなされない編集体制や、露悪的な発言内容を削除するどころか、むしろ積極的にフォーカスしていった媒体責任の問題についても示唆されています。実際、そのような「発信」がされたのには、「ロッキング・オン・ジャパン」「クイック・ジャパン」の影響がとても大きい。だからこそ、媒体の応答責任もまた、問われることとなったのです。なお、実際に現場でどのくらい盛って語ったのか、あるいはその発言がどのくらい盛られて書かれたのかは、当時の取材テープなどの検証がなされない限り難しいと感じます。

 

このほか、自身の問題や責任についても、踏み込んだ発言をしています。

 

・これまでに説明や謝罪をしてこなかったことにつきましても、責任感のない不誠実な態度であったと思います。特に、長年に渡ってそれらが拡散されることで、倫理観に乏しい考え方や、いじめや暴力に対しての軽率な認識を助長することに繋がっていた可能性もあり、これまでそのことに真摯に向き合わず時間が経ってしまったことはとても大きな過ちでした。

・小学生の頃、転校生としてやってきた彼に対し、子どもの頃の自分やクラスメイトは、彼に障がいがあるということすら理解できておらず、それ故に遠慮のない好奇心をぶつけていたと思います。

・『ROCKIN'ON JAPAN』で誤って拡がってしまった情報を修正したいという気持ちも少なからずあったと記憶しています。とはいえ、その場の空気に流されて、訊かれるがままに様々な話をしている自分は、口調や言葉選びを含め、とても未熟で浅はかでした。また、学生時代の話を具体的に語ったことで、母校の在校生や関係者の方々にも大変なご迷惑とご心配をお掛けしてしまったことを、心から申し訳なく思います。

・今にして思えば、小学生時代に自分たちが行ってしまった、ダンボール箱の中で黒板消しの粉をかけるなどの行為は、日常の遊びという範疇を超えて、いじめ加害になっていたと認識しています。子どもの頃の自分の無自覚さや、雑誌でそのことを話した20代の自分の愚かさによって、彼や同じような体験を持つ方を傷付けてしまい、大変申し訳なく思っています。

https://www.tokyo-np.co.jp/article/131625

 

 

相手への謝罪、二次加害への謝罪、表現者としての発信の責任、応答不足の認識など、さまざまな配慮が行われた文章であると考えられます。とりわけ、自らが「傍観者」として関与したことについての問題、その目撃談を語ってしまった問題、そして訂正や応答をしないことについての反省が正面から述べられている点は重要だと思います。少なくとも僕のような部外者が当初に求めていた「応答」は、一通りには行われたと感じました。

 

厳密に触れておくとすれば、いじめの四層構造理論の分類でいえば、小山田氏は「傍観者」ではなく、「加害者」「観衆」「傍観者」を行き来している立場のように見えます(内心で「引いていた」からといって、「傍観者」になるというわけではありません。例えば内心では「引いていた」けれども、場の雰囲気に飲まれて「殴る」ということが可能なように)。また、本人コメントでも雑誌記事でも、細かな行為の全てについて、逐一確認できているわけでもありません。

 

また小山田氏は、「障がいがあることを理由に陰惨な暴力行為を長年に渡って続けた」ことを「事実はありません」と述べていますが、先のいじめ理論に基づいて整理すると、「障害特性のある児童に対して、直接的攻撃、関係性攻撃を含む、さまざまないじめ関与を継続していた」という説明が妥当だと思われます。

 

ただ本件は、相当過去の出来事であり、個別の事実確認がどこまで可能かといえば難しいでしょう。そうした中でも、数十年前以上のいじめ事案、およびそのことをメディア上で語ったことについて、これだけ言葉を割いて説明がなされるという事例は、日本では珍しいと思います。少なくとも、小山田氏が雑誌で「発信した」ことに対する「応答」は、今回の声明文で相応になされていたと捉えられるのではないでしょうか。

 

小山田氏の文章は短いながら、自分の間接的攻撃や、発言の影響力を含めた考察が加えられたものでした。そのため、少なくともこの声明以降は、「障害者に対して、食糞や自慰を強要させたのだ」といった文言に引っ張られるのではなく、かといっていじめの間接的攻撃や観衆的関与に関する社会的発言の意味を軽視することない仕方で、それぞれが評価を行うことが妥当であると思います。

 

なお、90年代というのは、まだまだいじめ研究が出発地点に立った時期で、適切ないじめ分析が共有されるような状況ではありませんでした。いじめなどが日常に起きている中にあって、小山田氏だけでなく、多くの人が、自らが被害/加害に関わった行為を、適切に言語化できないような鬱屈感があった時代だ思います。

 

もしこの時、より適切ないじめ理論が小山田氏にも届いていれば。分析的語彙をもたなかった一人の「元児童」「若手ミュージシャン」が、自己卑下および「過剰演出」のために、反発を呼ぶような発信にかかわらなくて済んだのかもしれません。そのことを思うと、いじめ関連のデータや知識などをさらに広めることの重要性を痛感するところでもあります。

 

個人的には、小山田氏が書かれていたような、「罪悪感と後ろめたさを感じていながら、どのように発信すべきか判断できないまま、ここまできてしまった」「自分の過去の言動やこれまでの態度を反省すると共に、社会に対してどのようなかたちで関わり、貢献していくべきかを個人としても音楽家としても、今まで以上に視野と意識を広げて考え、行動に移していきたいと思っています」という言葉には説得力を感じ、ひとつの納得を得ました。

 

小山田氏には機会があれば、改めて、本人の今後の社会的取り組みなどについてお話しを伺ってみたいとも思わされました。

 

このような応答をした人物に、今度は社会が応答し、その活動を見守るということがあれば、多くの居場所を作れる社会への歩みとなるのではないか。そう考えています。

 

 

さて、こういう考えをイベントで発言すればいいじゃないかと思われるかもしれませんが、先に書いたように僕は、DOMMUNEへの出演を断りました。一番大きな理由は「多忙さ」です。

 

僕は12月29日に、別のイベントに出席していたのですが、そのイベントは、主催者との信頼関係もあり、半年前からスケジュールを抑えられていたものでしたので、その日を最後に、2021年の仕事納めにしようと決めていました。今年はワクチン休暇を1日取った以外、休みを取っていないので、29日以降は絶対に外出仕事をせず、在宅すると決めていたのです。

 

しかし、DOMMUNEから依頼が来たのは12月18日。依頼内容は、「収録にしたいと思うので、19、23、27、30日のうち、登壇可能な日はあるか」といったものでした。19日は都内におらず、しかも前日でのオファーに応じるのは現実的ではありません。23日と27日とで指定された時間帯は、ラジオの生放送と時間帯が完全に重なっており、30日以降は先に述べたように、原稿執筆に集中すると決めていた日でした。

 

一方で、「多忙さ」だけでは、「別の日ならどうか」という申し合わせがあるかもしれません。そこで率直に、「企画趣旨への賛同できなさ」があることも書きました。その時の企画案は、後に公式サイトに掲載されている企画趣旨と、多くの面で同じ内容です。但し、僕が断ったことを受けて、エクスキューズとなるような文言が、一部に加わっていました。

 

企画文の中でまずひっかかったのが、次の文章です。

 

実は、我々DOMMUNEは、この問題が浮上した時期から番組の計画をしていた。しかし、今年9月17日にコーネリアスオフィシャルHPから小山田圭吾氏の署名付きで発信された【いじめに関するインタビュー記事についてのお詫びと経緯説明】を読み、この声明が拡散されることによって、遂に大きな誤解が解ける筈だと安心し、一度、我々DOMMUNEは計画していた番組を配信する必要は無いと考えた。

 なぜなら、本人によるこの経緯説明と、同時期に出版された「週刊文春」9月23日号の「小山田圭吾氏の懺悔告白120分」をきちんと読めば25年前の2つの雑誌から引用され、世間に断罪された凄惨ないじめの主要部分は、小山田圭吾氏の行なった行為ではないということを誰もが読解できると思ったからだ。しかし、時が経つにつれ、その後も状況は殆ど変わっていないと感じるようになり、DOMMUNEアカウントにも、沢山の意見が届け続けられた。

事実、声明を出した後にも、小山田氏は再び批判に晒され続けている。 一度、適切でないと判断されれば、客観的な事実に基づいていないことが明らかだとしても、ネットリンチのごとく袋叩きにされ、傷に更に塩を塗るようにデジタルタトゥーを刻み続け、どん底まで徹底的に糾弾し続ける現代のキャンセルカルチャーに自分は強い危惧の念を抱いた。いや、何も全てのキャンセルカルチャーを否定しているわけではない。叩く側のリテラシーとモラルが崩壊すると、ここまで根深い暗黒を生み出してしまうのかと、驚愕したと言っているのだ!!!!!!

https://www.dommune.com/streamings/2021/123101/

 

この文章からは、小山田氏を「批判」する人は、「誤解」に基づいて批判しているのだという認識を読み取りました。しかし、実際に批判的態度を持っている人にもそれぞれの温度感があり、批判者を一括りにするようなことはできないでしょう。

 

当時記事を読み、メッセージや記事を読んで、小山田氏による事実説明を信用してなお、心のなかに不安定なしこりを持ち続けている人はいます。先に述べたように、小山田氏を批判する人の中には、「実際にはしていないいじめ内容を誤認した」人もいれば、「確定されたいじめ内容ですら拒絶感がある」という人もいるでしょうし、「媒体上で行われた露悪的な発言の主だから」という人もいれば、「応答に納得がでいないと今でも思うから」という人もいるでしょう。

 

小山田氏を悪魔化する言説にも同意できませんが、批判者をひとくくりに、欠如モデル的に「無知な暴徒」として扱うかのような姿勢も同意できません。もちろんこれが僕の過剰な反応で、あくまで実際の主催者のスタンスは、そのような態度ではないのかもしれません。しかし、檄文のようなこの企画文から、「うわっ」と気持ちが退いたのは確かです。率直に、この文章に滲む「ノリ」が自分には合わず、冷静に議論するといったトーンには合わないようにも感じました。いろいろな「場」の作り方があるのでしょうが、少なくとも自分にはミスマッチだなと思ったわけです(念の為、企画内容は自分には合わないなと思いましたが、場所作りそのものはリスペクトしています)。

 

もちろん、不当な攻撃も多く存在するでしょうから、その危機感はよくわかります。他方で、攻撃について議論する際に注意しなくてはならないのは、先程の「攻撃抑制規範」のブレーキを外す要因となるひとつ、「報復的攻撃」の感覚です。

 

「相手が先にやったのだ/相手を懲らしめるためやり返さなくてはならない」という状況では、人は普段以上に、攻撃性を発揮しやすい。小山田氏に対する攻撃のあり方を問題視するという企画趣旨そのものが、批判者を悪魔化して攻撃するものにならないようにするなど、適切にキュレーションすることが求められると思います。その点、この企画文からは、相当に「前のめり」な印象を受けたので、僕自身がそこに関与するリスクを感じ、辞退することにしました。

 

さらにいえば、私に登壇が求められていたパートでは、企画段階では「昭和の校内暴力/令和の同調圧力」といったサブタイトルが付けられていました。しかし、このように大括りの時代区分で、有意義な語りになるとは思えません。依頼段階では、僕の他に同席する登壇者が確定していいない状態でもあったので、誰とどのような議論になり、どのような形での配信となるのかも不安であったため、やはり断るのがよかろうと思った次第です。

 

当然、「90年代の世紀末を共に生き抜いてきた同志」といったフレーズにも違和感がありましたし、検証するといいつつ、結局は自分も「擁護側」グループにリクルートされようとしているのではないかと感じた点もあります。ただ、僕が登壇を拒んだのは、このように複数の要因を検討したものであり、「こういう理由ではないか」と、何か一つの推測がなされるようなものではありません。

 

とはいえ、これらはあくまで企画文について感じた僕の一方的な距離感であって、実際の主催者の方の考えや、イベントそのもののクオリティがどうかはわかりません。残念ながら僕は参加しませんでしたが、イベントが有意義なものであったことを願っています。

 

というわけで、DOMMUNEで言及されたことへの説明に加え、簡単な振り返りなどを行いました。今年もよろしくお願いいたします。

 

 

 

伊藤詩織氏と大澤昇平氏との裁判、判決内容が示唆するもの

ジャーナリストの伊藤詩織氏と、最近はTwitterのプロフィールに「Ex-東大最年少准教授」「経済学者」という肩書きをつけている大澤昇平氏との裁判について、東京地裁は7月6日、大澤氏に対し、33万円の支払いと投稿の削除を命じました。判決文の内容を踏まえつつ、投げかけられている課題について考えてみます。

まずは、判決文から抜粋・要約しながら、事の経緯を追いましょう。

裁判の前提

  • 大澤昇平氏は、東京大学大学院情報学環・学際情報学府所属の特任准教授の職にあった者である。ツイッター上の被告のアカウントは、2020年7月20日時点で、約1万8000人のフォロワーを擁していた。
  • 大澤氏は、「伊藤詩織って偽名じゃねーか!」という文章に「# 性行為強要」及び「#芦暁楠」とのハッシュタグを付し、平成22年9月 8日に東京地方裁判所において伊藤詩織こと芦院楠という人物について破産手続が開始したことが記載された官報公告記事の画像を添付したツイートを投稿した。
  • 実際には、原告伊藤氏の本名は「伊藤詩織」であり、通名はなく、過去に破産手続開始決定を受けた事実もない。
  • なお、大澤氏は他にも、以下のようなツイートを行なっていた。
  • 「どういうロジックで訴えるんだ?別に伊藤詩織を名指しで誹謗中傷してるわけじゃないから、名誉棄損には当たらないでしょ」
  • 「伊藤詩織の何がダメダメかって、刑事裁判でレイプが認められなかったにもかかわらず、その後の民事裁判の結果をレイプを関連付けている点。今回もやってることの筋が通っておらず全く支持できない。」
  • 「(スラップ訴訟というリプライに対して)恐らくそうでしょう。ただ伊藤氏の場合はこれまでの行いもあって露骨に透けて見えるため、よりセコく見えちゃいますね。」
  • 「具合悪そうだから介抱したのに急に「レイプされた」とかファビョり出して社会的地位を落としにかかってくるのトラップ過ぎるし、男にとって敵でしかないわ」
  • 訴訟開始後も、大澤氏は伊藤氏に対し、否定的なツイートを繰り返していた。

大澤氏は数々のツイートを行なっていますが、今回の裁判では、大澤氏が「伊藤詩織って偽名じゃねーか!」という文言と共に、伊藤氏が破産経験者であるかのように受け取られる画像をツイートしたことを受けてのものです。よって裁判では、この一件のツイートについて、どのような認定がなされるかが問われていました。つまり争点は、次のようになります。

主な争点

(原告=伊藤氏側の主張)

本件ツイートは、原告が本名を芦暁楠、通名を「伊藤詩織」とする外国人で、平成22年9月8日に東京地方裁判所で破産手続開始決定を受けたという事実を摘示するものである。 本件ツイートは、原告が支払うべき債務を支払うことができず、破産に至ったかのような印象を与えるから、原告の社会的評価を低下させる。

(被告=大澤氏側の主張)

「伊藤詩織」という名前は、ツイッター上も多数存在する上、芦暁楠という破産手続開始決定を受けた原告と別人であることは既にネット上で拡散されており、広く認識されていたから、一般読者において、本件ツイートが原告について言及したものと最終的に認識されない以上、一般の読者の普通の注意と読み方とを基準として、本件ツイートが原告に関する何らかの事実を摘示したとは認められないし、本件ツイートによって原告の社会的評価は 低下しない。


伊藤氏側は、伊藤氏が破産に至った人間であるかのようなツイートは、社会的評価を下げると主張。対して大澤氏側は、このツイートは別の「伊藤詩織」氏についての投稿であり、読者もそのように受け止めると反論します。なお、裁判の中で伊藤氏側の弁護士が、「では、被告は、この『伊藤詩織』は誰だと考えてツイートしたのですか?」と尋ねるも、大澤氏側が答えられないという一幕もありました。

続いて、慰謝料について見てみましょう。

 

慰謝料について

(原告=伊藤氏側の主張)

本件ツイートは、原告の経済的信用を毀損しただけでなく、別件性被害の二次被害というべき訴外B(補足:はすみとしこ氏)による誹謗中傷行為に対して原告が別件名誉毀損訴訟を起こしたことを理由に、さらに原告を誹謗中傷するものであり、本件ツイートによる被害は原告にとって別件性被害の三次被害と評価できる。これにより原告が被った精神的苦痛に対する慰謝料は100万円が相当である。(補足:これに加えて弁護士費用10万円分が加算)

(被告=大澤氏側の主張)

否認ないし争う。本件ツイートが、原告が破産手続開始決定を受けた事実を摘示すると認められるとしても、上記摘示事実は専ら原告の経済的信用を低下させるものであり、別件性被害とは無関係である。また、上記摘示事実は、本件ツイートに添付された画像により間接的に摘示されるにとどまるから、その影響力は小さい。


伊藤氏側は、大澤氏のツイートは、二次加害を訴えた裁判をさらに中傷する三次加害であり、精神的苦痛が大きいと主張。ツイートの削除を求めます。対して大澤氏側は、これはそもそも別の伊藤氏についての投稿だが、仮に原告の伊藤詩織氏について触れたと読まれたとしても、経済的信用をさげたとしても三次加害には当たらず、画像による間接的な言及なので影響は小さいと主張。ツイートの削除は否認します。

これらの争点について、裁判所はどのように判断したのでしょうか。名誉毀損にあたるかどうかは、「一般の読者の普通の読み方」を基準として考えます。つまり一般的な人が大澤氏の投稿をみて、「これは、原告である伊藤詩織氏への中傷だな」と読むかどうかがポイントになります。判決文を読んでみましょう。

 

裁判所の判断

被告は、①原告と同姓同名の人間に関する話題はツイッター上も多数存在すること、②原告が芦暁楠という人物と別人であることは本件ツイート時点で広く認識されていたことを理由に、本件ツイートが原告について何らかの事実を摘示するものとは認められないと主張する。
しかしながら、原告が「伊藤詩織」という実名を明らかにして別件性被害を訴えて社会に発信している人物であること、「#性行為強要」のハッシュタグは、性被害に関する文脈で用いられているものであること、本件ツイートに先立ち、被告が複数回原告を名指しした上で別件性被害や別件名誉毀損訴訟に言及する投稿をしていること等に照らし、一般の読者の普通の注意と読み方を基準にすれば、本件ツイートが「伊藤詩織」という人物の中でも原告を名指しするものであることは明らかである。よって、被告の上記①の主張は理由がない。
一方、本件各証拠によっても、原告が芦暁楠という人物と別人であることが、一般の読者による解釈の当然の前提であるといえるまで社会的に広く認識されていたと認めることはできない。かえって「#芦暁楠」からのハッシュタグ検索による検索結果の大半が原告に言及するツイートであることからは、実際に大半の読者が原告と芦暁楠という人物とを誤認し、あるいは、結び付けて認識していることが裏付けられる。よって、被告の上記②の主張は前提を欠き、理由がない。


大澤氏は「別の伊藤さんのことですよ」と言い逃れしようとしましたが、裁判所は「普通の読解力であなたの投稿を読めば、原告である伊藤さんのことを書いていると読むのが妥当ですよね」と判断しました。

では、大澤氏の投稿が、伊藤氏に対するものだと認められるとして、それが社会的損失を生む内容であるかどうか。裁判所は次のように判断しました。


社会的評価の低下の有無

本件ツイートは、原告が本名を芦暁楠、通名を「伊藤詩織」とする外国人であり、平成22年9月8日に東京地方裁判所で破産手続開始決定を受けたという事実を摘示するものであって、一般の読者の普通の注意と読み方とを基準とすれば、原告が多額の負債を抱え、経済的に破綻して破産手続開始決定を受けるに至ったかのような印象を与えるから、原告の社会的評価を低下させると認められる。
これに対し、被告は、①原告が芦暁楠という人物と別人であることは、本件ツイート時点で広く認識されていたこと、②本件ツイートに対するリプライの中には、原告と芦暁楠が別人であることを指摘するものも含まれるから、本件ツイートの下部に表示される上記リプライも読めば、原告のことを破産手続開始決定を受けた芦暁楠であると認識する読者はいないと考えられることを理由に、本件ツイートにより原告の社会的評価は低下しないと主張する。
しかしながら、原告が芦暁楠という人物と別人であることが、一般の読者による解釈の当然の前提であるといえるまで広く社会的に認識されていたと認めることはできないから、被告の上記主張①は前提を欠く。
また、本件ツイートは、読者がこれを閲読し得る状態になった時点で原告の社会的評価を低下させるものであり、 本件ツイートが投稿された後に本件ツイートにされた他者のリプライの内容によって、本件ツイート時点で原告の社会的評価が低下した事実自体に消長を来すわけではないから、被告の上記主張②は失当である。
そして、上記の摘示事実(補足:伊藤氏が破産経験のある外国人であること)は、真実に反しており、かつ、被告から上記摘示事実が真実であると信じるについて相当の理由がある旨の主張立証はない。
よって、本件ツイートは、原告に対する違法な名誉毀損行為に当たる。


大澤氏側は、「①多くの人は原告の伊藤さんが掲載画像と別人であると知っている。そして②大澤がツイートした後、『それは別人ですよ、間違いですよ』というリプライが多く集まったので、そのリプライも合わせて読めば、大澤ツイートを元に原告を非難することはない」と主張しました。しかし裁判所は、①そのような前提はないし、②間違いを指摘するリプライが来てくれたからと言って、大澤氏が伊藤氏の社会的評価を下げたこと自体がチャラにはなりませんと判断しました。

最後に、損害賠償額については、どのような判断がなされたのでしょうか。

 

損害の発生及びその額

(ア)本件ツイートは、それ自体原告の経済的信用を毀損し、その社会的評価を低下させるものであるところ、その態様は、通名を「偽名」と誇張して記載した上、その裏付けであるかのように官報公告記事の画像を転載するなど、読者の誤認を殊更誘引する演出を加えたもので、悪質であること、(イ)被告は本件ツイートの理由を自ら説明しないが、原告を名指しで中傷する態様でなければ名誉毀損とならないという趣旨の先行ツイートを踏まえると、本件ツイートでは、あえて原告とは別人である者を対象とする表現行為の体裁を用いて、先の持論のもと名誉毀損とはならないとする方法を実践したことがうかがわれ、そうであるとすれば身勝手な動機に基づくものと言わざるを得ないこと、(ウ)この点をおいても、被告の一連の先行ツイートから、 被告は、原告の別件名誉毀損訴訟提起に反感を抱いていることを繰り返し表明した上で、本件ツイートに及んだもので、原告に対する攻撃の一環であると認められること、(エ)被告が本件ツイートを発信したアカウントは令和2年7月2 0日時点で約1万8000人のフォロワーを擁していたもので、本件ツイートの社会的な影響は小さくないこと、(オ)被告は、本件の提訴報道後、ツイッター上に「伊藤詩織とかいう活動家が突然俺を訴えると言い出し た。正直全く意味が分からない。」、「俺は断固抗戦する。」、 「【悲報】 伊藤詩織、裁判前に一方的な会見を開き世論を味方に付けようとするも、反応が真逆で大失敗してしまう。」などと投稿し、原告に対する攻撃的な姿勢を軟化させていないこと、以上の事情が認められる。
そうすると、本件に現れた諸般の事情に鑑み、本件ツイートが1回の投稿にとどまることを考慮しても、原告に与えた精神的苦痛は軽視できないもので、原告に対する慰謝料の額は30万円が相当であると認める。


ここでは、大澤氏の、裁判前後のツイートなども考慮されているのがポイントです。 裁判所は、(ア)伊藤氏を「偽名の破産経験者」と位置付ける大澤氏のツイート内容は悪質なもので、(イ)名指ししなければセーフという独自理論は身勝手であるとしつつ、(ウ)もともと大澤氏は伊藤氏を繰り返し攻撃しているから本件ツイートもそのうちの一つであり、(エ)その影響力は小さくなく、(オ)さらに訴訟後もイキったツイートを連発しているから相変わらず攻撃的だよね、と判断しました。結果、大澤氏は敗訴し、33万円の支払いと、記事の削除を求められています。

 

伊藤氏側代理人のコメント

この結果を受けて、原告代理人である山口元一弁護士は、次のようなコメントを出しています。

① 同姓同名の別人物が存在するから、多くの人がツイートの内容をデマだと認識していたから、伊藤さんの社会的評価が低下していないという主張が排斥されたこと
② 通名を「偽名」と誇張したうえに官報公告の画像を引用するなど読者の誤認をことさら誘引する手法が悪質と評価されたこと
③ 名指しで中傷しなければ名誉毀損にならないという独善的な解釈の実践が身勝手と評価されたこと
④ 当該ツイートの前後に原告に対する反感を繰り返し表明しており、本件ツイートが原告に対する攻撃としてなされたと評価されたこと
⑤ 18000人のフォロワーをもつアカウントを通じたツイートで社会的な影響が大きいと認められたこと
⑥ 提訴後も原告に対する攻撃的な姿勢を維持している態度がマイナス評価されていること
など主張のすべてが認められている点については満足している。
損害賠償額はもっと高額であるべきだったが、ネット、特にTwitter上の誹謗中傷は、個々のツイートがそれぞれ悪質という点とは別に、誹謗中傷が多くのユーザーの目に触れることによってリツイートやコピーされるなどして新たな誹謗中傷を呼び、いわば大量の誹謗中傷となって被害者に襲いかかり、大きな苦痛を与える点に問題がある。本件でも、同種のツイートをしたのは大澤氏だけではないし、多くのユーザーが大澤氏のツイートをRTしている。代理人は、判決が、ネット上の誹謗中傷を許さない社会への一助となることを願っている。

伊藤氏代理人のコメントは、原告側の主張が全て認められたことに納得しつつ、後はこうした誹謗中傷問題が繰り返されないように望むという内容でした。

一方で大澤氏やその代理人は、メディア各社の取材に対しても、特段のコメントを出していないようです。

 

伊藤詩織さんを「偽名」とツイート、元東大特任准教授・大澤昇平さんに賠償命令【UPDATE】 | ハフポスト

反論について、大澤さん側の代理人はハフポスト日本版の取材に対し、「守秘義務のため個別案件の取材には答えられない」としていた。

伊藤詩織さんの裁判、「偽名」とツイートした元東大特任准教授に33万円命じる

BuzzFeed Newsは大澤さんに取材を申し込んでいる。

伊藤詩織さんを中傷 東大元准教授に賠償などの判決 東京地裁 | NHKニュース

東京大学の大澤元特任准教授は「勝訴しました」とか「4対6でギリギリ負けるかなと思ったが、7対3で大勝した。裁判長、公平な判断をありがとうございます」などとツイートしています。

 

流言を求める背景

今回、大澤氏がツイートした内容は、大澤氏以前にも複数のユーザーが行い続けたものでした。ではそもそも、「伊藤氏は偽名であり、日本人ではなく、破産している」というデマが、なぜ拡散したのでしょう。

これら流言は、「伊藤氏は虚偽の告発をしている」というイメージを強調するため、否定的ステレオタイプとして受け取られるような情報を含んでいる、ある意味で典型的なものでした。そのような内容の(偽)情報を求める人が、相応に存在したということです。

ウェブ上には、伊藤氏を「信用できない語り手」として位置づける情報を求める人が一定数います。そうした人々にとって、「偽名流言」「破産流言」はとても都合の良いものでした。実際に性暴力など存在しなかったはずだ。異なる集団に属する人が、利害意識に基づく虚偽の訴えを起こしたのだと確信できるためです。そのように位置づけることにより、自らの世界観などを保つこともできますし、さらには、自分たちが行っているのは二次加害や被害者非難ではなく、あくまで不埒な人間を成敗しているだけなのだという正当化を与えてもくれます。

大澤氏本人が、今回のデマツイートを、どこまで信じていたかは不明です。ツイッターでの言動などを見る限り、差別投稿などによる影響で懲戒解雇を受けた後から特に、排外主義政党への支持を表明したり、「保守系のためのSNS」を作ると宣言したりするなど、特定界隈へのPRが目立つようになりました(他にもモザイク削除AIなるものを販売もしていましたが)。もしかしたら大澤氏は、伊藤氏の事件そのものにことさら関心が高いわけでなく、「伊藤詩織を批判すること」によって、内輪に向けた目配せゲームを行う程度の動機だったのかもしれません。

しかし、本人の動機はともあれ、「名前と顔を出す被害者」に対して、軽率に「からかって良いのだ」とするようなカルチャーが存続していること自体、被害者にとって有害な空間になります。また、二次被害の溢れる空間が広がれば、被害を訴えることの抑止につながってしまう可能性があります。伊藤氏が改善を訴えてきたのは、まさにこうした加害風土そのものでした。

大澤氏の投稿そのものは、他の訴訟などと比べると、影響などを小さく感じられる人もいるかもしれない。しかし、そうした攻撃の積み重ねが、他者を精神的に追い込みうるのだということは、もっと周知されてしかるべきでしょう。

 

おまけ:謎の勝訴宣言について

なお、大澤氏は自身のツイッターで、「110万円の請求が33万円になったのだから自分の勝訴だ」という独自理論を展開しています。しかしこれまでみてきた通り、伊藤氏の訴えが全面的に認められた上、違法性の認定がされ、そのうえ削除と賠償を命じられています。どうみても大澤氏の敗訴です。

もちろん、賠償費用がこの額でいいのか、という議論はあります。他の名誉毀損裁判などをみても、中傷に対して認められる賠償金額の相場は、この判決と同程度の範囲が目立ちます。そして弁護士費用が賠償金額の1割程度という慣習も、原告などにかかる実際の負担と乖離しています。この点は、賠償額をめぐる判定のあり方が変わっていくことが望ましいと考えられます。その点では、110万円満額認められてもいいのではないかと、個人的な心情としても思います。が、それと大澤氏独自の勝利宣言は、全くの無関係です。

こうした場面は以前も見たことがあります。裁判で負けた側が、「相手の請求額の何分の1しか認められなかったから、その分だけ自分の勝ちなのだ」という理屈で、周囲にアピールするのです。大澤氏の場合、支持者の離反を防ごうとしているのか、それとも本気でそのような法理解をしているのかはわかりません。ただ大澤氏は判決前から、「55万以下なら自分の勝訴」という予防線を張っていたので、おそらく自らの主張が裁判所に認められず、賠償を命じられる可能性が高いことと、その金額の相場感がどれくらいなのかを、ある程度は把握していたのではないかと思います。

またこの裁判とは別件で、政治家の杉田水脈氏が、伊藤氏を中傷する内容のツイートに対して繰り返し「いいね」を行ったことについて、伊藤氏から訴えられているのですが、大澤氏はそのニュースを受けて、あたかも自分が「いいね」をしたことで訴えられたかのような誤認を誘う投稿を繰り返し、その上で訴訟費用のカンパを呼びかけていました。活動報告や収支報告など、どこまで寄付者に対する説明責任を果たしているのかは分かりませんが、特定の読者に「自分は正しい、自分は勝者だ」として支援を求めるのでれば、最低限の事実を説明したほうが良いかと思います。

より悲しいのは、それを真に受けてリプライを送っているような人が、少なからずいることです。一部のインフルエンサーが、そうした「応援者」や「仲間」と響き合うことによって、二次加害、三次加害を助長したり、継続しているーー。ウェブ空間をどう改善していけばいいのかを考えるためにも、まずはこのような現実を共有するのが重要となります。その意味でも、重要な判決であったと思います。

 

もうすぐ40代になる僕が、スプラ2でウデマエXになった話

スプラトゥーン2のガチマッチ、全ルールでウデマエXになりました。ランキングでのベストは600位ほど。いまはXパワー2300あたりをうろちょろしてます。総プレイ時間は3700時間ほど。今度は王冠をつけてみたいという気持ちで、楽しんでいます。

 

きっかけ

もともとスプラ2は完全にヌルプ勢。アクションやFPSは苦手だったので、暇な時に、特に戦略も目標も何もなく楽しんでいました。ファミコン世代である僕は、ジャイロ操作が苦手であったため、ジャイロを切ってのプレイ。そんな状態で、2000時間くらい、ヌルプを続けていました。

 

スプラ2にはウデマエという名のレベル区分があり、C<B<A<S<Xの順に強くなります。それぞれの段階に+(プラス)と−(マイナス)があり、さらにSには「S+9」まである。Xは、「S+9」まで勝ち続けて、ようやくたどり着けます。

 

僕は大体「A−」から「S+1」くらいをうろちょろしていました。そこから上に行くのには、よほどの才能がいるんだろうなと、雲の上を眺めるような気持ち。戦術まとめサイトなども見ることなく、実にのんびりとやっていました。

 

プレイ時間が2000時間を超えた頃、プレイ実況のYoutube動画を見はじめます。喋りながら、ネタも仕込みながら、それでも上位に食い込む配信者たち。時にはランキング1位を、さらりととってみせる。そんな猛者たちが、テクニックやコツなどを解説してくれるものです。

 

動画を見ていると、「自分もX目指してみようかな」という気持ちが湧きました。才能もあるでしょうが、ある程度は「勤勉さ」でカバーできるんじゃないか。そんな手応えを感じたからです。

 

まずはジャイロオンにした

まず手始めに、ジャイロ操作をオンにしました。ジャイロ操作は、コントローラーの持つ角度によって画面操作ができるものですが、不慣れな状態だと画面がガクガクし、酔うような感覚に襲われます。しかし、上達するには、ジャイロオンは不可欠でした。あ、コントローラーはもともと、プロコンを使っています。

 

例えば自分の真横から、相手プレイヤーが接近していた時。そのプレイヤーを倒すには、当然、相手の方を見なくてはなりません。ジャイロオフだと、コントローラーの方向スティックを操作しますが、それだと真横を向くのに時間がかかります。真後ろを向くなら、体感で0.5秒くらいはかかるでしょうか。「ぐいーーーん」と画面を後ろに向けている間に、撹乱されてやられてしまいます。

 

ジャイロオンにしていれば、真横も真後ろも一瞬で向ける。それができるとできないとでは、キル数にもデス数にも、大きな差がでます。そのことに気づいて、ジャイロをオン。慣れるのに100時間くらいはかかったと思います。

 

他にもゲーミング環境をちょこっと改善した

ジャイロに慣れる次にしたのは、音響環境の見直しでした。スプラは、インクを塗り、インクに隠れ、インクで相手を攻撃するゲーム。インクの中に潜ることをセンプクと言いますが、センプクしている相手を見つけるには、視覚だけでなく聴覚も大事になります。近くにセンプクしている相手プレイヤーがいると、「プクプク…」と小さく音が鳴る。テレビから音を出してプレイしている間はまったく気づきませんでした。

 

そこで、ゲーミング用にヘッドフォンを使用。すると、センプク音はもちろんのこと、敵の接近音が、どの方向になっているか、立体的に把握できるようになりました。そうすれば当然、反応速度も変わります。これは効果的面で、全く違うゲームのように、プレイヤーたちの位置が鮮明にわかるようになりました。

 

音で相手位置を把握し、ジャイロ操作でスムーズに方向転換。それに加えて、「テレビとどれくらいの距離に座るか」を固定しました。こうした見直しで、ランクが「S+」より下がることはなくなりました。「S+」から「S+3」の間を行ったり来たり。でも、そこからはなかなか伸びず。環境改善でできるのは、自分の足枷をなくすくらいまで。そこからは、自分自身の成長が必要のようでした。

 

プレイ動画は教科書になった

キャラコン上達、立ち回り上達、エイム上達、マップ特性の把握、強ポジの把握、マップおよびルールごとの強ブキ、強ギアの把握……。強くなるためには、こうした各項目を育てていくことが必要かと思います。僕はこの中でも、エイムが全く上達しません。チャージャーなんてもってのほか。

 

チャージャーが上手い人が、解説動画で「強ポジからのチャージャーは、無敵状態の的当てのようなもの」と発言していました。でも僕がチャージャー担いでガチマに潜ろうものなら、むしろこちらが格好の的にされるでしょう。

 

幸いスプラには、エイムが上手くなくてもそれなりに使えるブキはあります。ヒッセン、ローラー、ホクサイなど、エイムがある程度雑でも、キルが取れるブキ。あるいはわかばモデラーのように、スペシャルやヌリで貢献するブキ。トーピードやビーコンなど、サポートで役立つブキなどです。そんなこんなで、「田植え職人」「マルミサ連打」「アーマー回転」など、いろいろな役割を演じてみたりしました。なお、エイムが下手なので、「ハイプレ連打」は苦手でした。

 

ただ、これらの役割にも限度があります。ある程度以上、安定して勝つためには、「味方のことをサポートできるポジション取り」「デスしない立ち回り」「人数不利でも圧力をかけられる立ち回り」「塗り維持での盤面優位の確保」「負け筋を作らないために後方にスパジャンできる選択肢」など、細かな判断が必要になります。一点突破のネタギアでは限度があり、編成事故も起きやすいので、複数の戦術の使い分けに対応できるようにならなければいけない。

 

色々な動画を見ていると、著名プレイヤーは、そのプレイヤーのアイコンになるほどに使い込んだブキがあります。例えばケルデコ、ボトル、ロングブラスター、ローラー、ハイドラなど。多くの猛者は、とびぬけてエイムが上手く、真似しようとしてもなかなか難しい。まるで相手位置を全て把握しているかのように立ち回り、まるで自分のインクに相手が飛び込んできているかのようにキルを吸い寄せる。

 

中には、スパイガジェットという、決して強いとは言えないマイナーブキで、上位勢にランクインしている配信者もいたりして、勇気付けられたもします。エイムは見ているだけでは上達しませんが、立ち回りはとても参考になります。「トラップを次々置いて、塗り確保とセンサー付与」「トーピードは転がすもの」といった、サブの使いこなし方も勉強になったし、攻略方法も学べました。

 

選んだのは…クラブラネオ?!

猛者たちの動画を見ると、頻繁にマップを開いて、盤面を確認しているのがよくわかります。リスポン以降、自分がどこに行けばいいのか。どのブキを持つ相手が対面で強いのか。こうした確認がなければ、特にアサリやホコで上位に行くことはできないんだなとわかりました。

 

さらには自分に合ったブキを、使い込んで慣らすことが必要だとわかりました。僕はエイムが苦手なので、後衛ブキは向いていない。なら、前線か中衛で、何をするのが自分に合っているのか。いろんなブキを試してみました。

 

そんな僕にマッチしていたブキは、クラブラネオ(クラッシュブラスターネオ)。「パンパンパン」と、短射程で連続攻撃するブラスター。キル速は遅く、射程は短く、塗りが弱い。クラブラ無印はスペシャルがハイプレだけど、クラブラネオはマルミサで微妙。カーリングボムは移動サポートと牽制や撹乱がメインで、キルにはあまり向かない。射程=正義、となっている最近のスプラだと、格好の餌になりがちなあいつです。

 

味方にいると舌打ちされそうな、そんなブキで、全ルールウデマエXまで行きました。エイムが下手だけど、立ち回りでカバーするというスタイルに合っていたからです。

(※ホコだけは、どうしてもS+9から上に行けず、索敵に優れた赤ザップでXに行きました)

 

クラブラに限らず、ブラスター系が特に相性がいいのはヤグラですが、エリア付近までは油断しがちなエリアルールでは、高低差と壁を利用して相手チームを減らしたり、対物ギアをつけてエリアルールに多いバリアを秒速で剥がしたり。イカ忍とヒト速ギアをつけて、アサリ付近で待機して、取りに来た相手を壁裏から削ったり。ホコはどうしても、対面での勝負が増えがちなのですが、シューター系の味方のサポートをしながら、相手を削ったり、カーリングやマルミサで牽制したり。特に壁や高低差を利用することで、「ウザいクラブラ使い」の仲間入りができたように思います。

 

強ブキ使いこなしてX帯で安定

そんなこんなでXに行ったのですが、さすがにXになってからは、クラブラネオでさらに上位ランクに入るのがキツくなってきました。月頭だけ上位勢に食い込んだものの、実際、トップランカーにクラブラネオはほとんど見当たりません。

 

しかし、思わぬ拾いものがありました。「クラブラネオでXにいく」というプレイを重ねたおかげで、どのブキでも相応の立ち回りができるようになったこと。それと、エイムが少しだけ上達したのです。チャージャー担いでいくほどのエイム力はないですが、シューター系ブキであれば、安定していられるくらいにはなりました。

 

マップを見る癖がつき、味方のサポートに行く判断ができるようになったこと。特にサポートは、「挟む」「圧をかける」「牽制する」「削る」など、いろんなレパートリーがあることを学べました。

 

今はクラブラネオ以外にも、ルールごとに、自分にマッチしたブキを担いで、ガチマッチに潜っています。エリアはガロン、ホコはダイナモ、ヤグラはノバ、アサリはヒッセンがお気に入り、X帯中位で安定するようになりました。一方、他のどのブキにもそれぞれの魅力があって、いつまでも飽きない。サブ効率ガン積みでボム転がしまくるのも、イカイカ忍ローラーであばれまくるのも、ホクサイやパブロで敵陣を荒らすのも。このままだと、プレイ時間が4000に達するのも、そうかからなそうです。スプラ3楽しみ。

屋山太郎氏が静岡新聞に流した「福島瑞穂実妹流言」についての判決

2019年2月6日。政治評論家の屋山太郎氏が、静岡新聞紙面上にてコラムを発表した。「ギクシャクし続ける日韓関係」というコラムは、静岡新聞2面の右肩に五段組で掲載。そこで屋山氏は、慰安婦問題や徴用工問題について持論を述べたあと、次のような文章を綴った。

 

徴用公に賠償金を払えということになっているが、この訴訟を日本で取り上げさせたのは福島瑞穂議員。日本では敗訴したが韓国では勝った。福島氏は実妹北朝鮮に生存している。政争の具に使うのは反則だ。

 

この内容が事実に反するとして、福島瑞穂氏が静岡新聞に対して訂正を要求。静岡新聞は同年2月9日。2面下部に、次のようなコメントを出した。

 

「6日付朝刊2面論壇『ギクシャクし続ける日韓関係』で、『徴用工に賠償金を払えということになっているが、この訴訟を日本で取り上げさせたのは福島瑞穂議員』『福島氏は実妹北朝鮮に生存している』とあるのは、いずれも事実ではありませんでした。おわびして訂正します」

 

また福島氏は、同内容が名誉毀損にあたるとして、屋山氏を相手取り、330万円の損害賠償請求をおこした。そして11月29日、東京地裁の判決にて、屋山氏に対して、330万円の支払いが言い渡された。

 

この裁判で福島氏側は、「原告が徴用工訴訟を取り上げさせたという事実はない」「原告の実妹北朝鮮に生存している事実はない」「原告は日本で生まれ育ち、日本国籍を有する」という事実を提示したうえで、屋山氏のコラムが「あたかも原告が(実在しない)身内を利するために政治活動を行なっているかのごとき印象を読者に与えるもの」であり、社会的評価を著しく低下させ、名誉を毀損するものであると訴えた。

 

対して屋山氏は、原告の妹の存否は不知(知らない)とし、その他の事実は認めつつ、名誉毀損という意見や評価について、認否の限りではないとした。また、実妹云々という文言については、他の人と取り違えをしたとしつつ、具体的には「迷惑をかける人もでかねない」という理由で説明を控えた。

 

また被告は、「原告が被告を<ジャーナリスト>とは到底いえないと非難していることは理解でき、かかる非難を真摯に受け止め、心より反省するとともに、今後同じような過ちがないように慎重を期す」と応じた。

 

判決では、「原告の実妹北朝鮮に存在しているという事実がないことは証拠により認められ、その余の事実については、当事者間に争いがない」としたうえで、名誉毀損表現であると判断した。

 

そのうえで、1)コラムの内容は、政治家としての社会的評価を著しく低下させる、2)新聞という、多数の読者が想定され類型的に信憑性が高いとされる媒体に掲載された、3)被告が、本件記載の内容につきその審議を調査・確認することなく本件行為に至った、4)記載の主要部分である「原告が徴用工の訴訟を日本でとりあげさせたという事実」「原告の実妹北朝鮮に生存しているという事実」が存在しないなどの事情を踏まえ、すでに訂正記事が掲載されたことを考慮したうえでもなお、慰謝料は300万円を相当する(弁護士費用相当額が30万円)と判決した。

 

この裁判では、事実をめぐる争いがほとんど行われない点が特徴であった。また、被告(屋山太郎氏)側が、「原告が被告を<ジャーナリスト>とは到底いえないと非難していることは理解できる」という認否を行った点などは、なかなか類を見ないものである。

 

原告側が、事実を取り違えたことに対する説明を求めたのに対し、被告側が「他人に迷惑がかかる」という趣旨で説明を控えたのは、個人的には残念である。間違えてしまった経緯を屋山氏がこれからでも丁寧に説明すれば、フェイクニュース対策を論議するための重要証言にもなり得るだろう。

 

また今回の事案は、新聞社がコラム寄稿者の文章をファクトチェックできなかったというものでもある。静岡新聞は今回の件についての検証をオープンにすることで、同業他社に対する注意喚起にも繋げて欲しい。

 

誰もが公に情報発信が容易いウェブ社会では、今回の判決は誰にとっても他人事ではないように思う。ウェブ上には福島瑞穂氏への同様の流言を数多く見かける。そうした書き込みも当然、法的責任を問われるリスクがある。

 

拡散者が、単に流言をコピペしてしまった「だけ」だと思っていても、あるいはシェアやリツイートをした「だけ」だと思っていても、被害者から見れば、それもまた、その都度新たに生じた名誉毀損行為に他ならない。また当然ながら、「人違いでした」といっても被害者が免責してくれるわけでもなく、司法が情状酌量してくれるわけでもない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「保守速報」裁判の高裁判決と、ヘイトスピーチ対策のこれから

昨年、地裁判決によって、まとめサイト「保守速報」によるライター李信恵氏への差別や名誉棄損などが認定された(詳細は→http://d.hatena.ne.jp/seijotcp/20171118/p1)。この判決を不服として、「保守速報」は控訴していたが、2018年6月28日、大阪高裁が1審の判決を支持し、「保守速報」の訴えをいずれも棄却するという判決を出した。


名誉毀損や差別が認定され、李信恵氏への慰謝料が必要だとした点は、一審と同様だ。但し、高裁判決では、より差別事象ごとに整理した判決文の書きぶりになっていた。その書きぶりは、あたかもウェブ上の排外的主張に対する、法的観点からの丁寧なQ&Aのようでもあった。


以下、判決文から、控訴人(保守速報)の主張に対する高裁の判断について、気になった論点を自分なりに要約していきたい。



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(1)各ブログの一体性及び新規性
控訴人】
・本件各ブログ記事は複数の第三者による複数のレスで構成されており、各ブログ記事単位で集合体として一体をなしているわけではないから、各レスの表現が名誉棄損に当たるとしても、ブログ記事全体が名誉毀損、侮辱、人種差別、女性差別にあたるわけではない


【高裁判断】
・本件各ブログ記事は、控訴人がその相当数の表題を作成し、その表題の下に、2ちゃんねるのスレッド又は被控訴人(※李信恵氏)のツイッターに掲載されていたレス又は返答ツイートからごく一部を選択したうえで、順番を並び替え、表記文字を拡大・色付けするなどの加工をして編集・掲載したものである
・すなわち、本件各ブログ記事は、控訴人が一定の意図に基づき新たに作成した一本一本の記事(文書)であり、引用元の2ちゃんねるのスレッド等からは独立した別個の表現行為である
・(本ブログ記事は)各レスを個別にみるものではなく、当該レスを含むブログ記事が名誉毀損や侮辱罪にあたるかを判断するものである


控訴人】
・各ブログは2ちゃんねるの記載内容以上の情報を伝えるものではない。


【高裁判断】
・素材は2ちゃんねるであるとしても、情報の質、性格は変わっている
・引用元の投稿を閲覧する場合よりも記載内容を容易かつ効果的に把握することができるようになっている上、読者に与える心理的な印象もより強烈かつ煽情的なものになっているというべきである
2ちゃんねるの読者とは異なる新たな読者を獲得していることも否定しえない
・新たな文書の「配布」であり、新たな意味合いを有する


控訴人】
・社会的評価の低下や名誉感情の侵害は、2ちゃんねるにおいて元のレスを閲覧し得る状態になった時点で発生しており、社会的評価を新たに低下させるなどすることはない


【高裁判断】
・保守速報には相当数の読者がいると認められる上、保守速報と2ちゃんねるとではその読者層も異なっているから、新たにより広範に社会に情報を広めたものと言える
控訴人が各ブログ記事を掲載した行為は、その内容によっては、被控訴人の社会的評価をより低下させたものと認められる


(2)権利侵害又は悪質性の不存在について
控訴人】
・トンスルの意味を理解できたとしても、それは被控訴人が朝鮮半島にルーツを持つというほどの意味にとどまる
・トンスルという用語が、2ちゃんねる等では侮辱的意味を有するとしても、このような論戦の場で使用される用語により被控訴人が名誉感情を害されたととることは困難である


【高裁判断】
・トンスルが韓国人又は朝鮮人を侮辱する際に用いられる言葉として理解される
・侮辱的表現である以上、これにより被控訴人が名誉感情を害されることがないとはいえない


控訴人】
火病の語義は一般的ではなく、仮に「精神病又は一瞬の癇癪やヒステリー」を意味すると理解できたとしても、それはせいぜい被控訴人の言動が穏当でないというほどの意味にとどまる


【高裁判断】
火病が韓国人又は朝鮮人を侮辱する際に用いられる言葉として理解される
・被控訴人の名誉感情が害されることはないとの控訴人の主張に理由がない


控訴人】
・「マジこいつゴミ」「脳内お花畑」「浅はか」「コウモリ野郎」等の表現は、これが被控訴人個人にむけられた侮辱的表現であるとしても、議論の中で被控訴人の言動をからかう程度の意味合いしか読み取れず、社会通念上許される限度内にとどまる
・そのほかの表現(カス・本当にくるってるなこのクソアマ・精神病・頭くるくるぱー・キチガイ・もはや狂ってます・頭おかしい・気違い女・馬鹿丸出し・バカ左翼鮮人・バカだろリンダ・アホウ・ボケ・バカ・どこまでアホなんだ、この婆は・寄生虫ばばあ・寄生虫・日本に寄生・日本にしがみついてタカって自分の存在を確認している・害毒・ゴキブリ・馬鹿なゴキブリ・ヒトモドキ・人外・朝鮮の工作員・このガラの悪さ、品のなさ、顔の不器用さが在日朝鮮人のリンダちゃんの特徴・外面も内面もブサイクな輩・ヘイトスピーチ増幅器)も、社会通念上許される限度を超えた侮辱に当たらない


【高裁判断】
・「マジこいつゴミ」等の4つの表現は、被控訴人の人格を貶める攻撃的表現又は被控訴人の精神状態や知性を揶揄する侮辱的表現とみるほかない
・その他の表現(頭くるくるパーや寄生虫、ゴキブリ、人外など)が、社会通念上許される範囲内の表現、このような言葉を相手方にいうことが本邦における常識である、言い換えれば、このような言葉を言われても大部分の者は名誉感情を害されないとは、認めることができない
・上記表現は、社会通念上許されう限度を超え、相手に言うことは常識に反し、このような言葉を言われれば名誉感情を害されるというべきである


控訴人】
・外国人制度等に関する議論又は一定の者に日本を出ていくことを提案するにとどまる
・攻撃的な表現を用いたモノでも、「在日朝鮮人であることを理由に」被控訴人を排除することを扇動するものではない


【高裁判断】
・これらが何らかの議論であるなどとはいえず、単に日本からの出国を提案する内容でもない
・これらは、在日朝鮮人であることを理由に被控訴人に日本から出ていくよう求めているものというべきである
・ブログ記事は、被控訴人に対する人種差別にあたる
・これを閲覧した一般読者がおよそ具体的行為を扇動されたりすることもあり得ないとは言えない


控訴人】
・「雌チョン」(※ほか、クソアマ、ババア、年中更年期障害みたいなもんだろ、BBA、ブス・ブサイク・鏡見ろ・醜いなど)などの表現及び本件似顔絵は女性であることを理由に差別することには当たらない
・侮辱的表現としては、社会通念上される限度に留まる


【高裁判断】
・女性又は高齢の女性に対する侮蔑的表現、被控訴人が中年以降の年代の女性であることに対する揶揄的表現、被控訴人が女性であることに着目してその容姿を貶める表現である
・このような用語を使用されて、自己に対する客観的、中立的な表現であると受け止める女性がいるとはおよそ考えられない


(3)違法性阻却事由の存在について
控訴人】
・対立思想支持者全体に対する過激な批判的言動に対抗するための対抗言論として適当と認められる限度を超えていない


【高裁判断】
・言論の応酬の定理は適用されない
・その内容において適当と認められる限度を超えている


控訴人】
・インターネット上、ことに2ちゃんねる上の表現については、その信頼度は低く、名誉が毀損されてもインターネット上で回復が可能である


【高裁判断】
・インターネット上の表現であるからとの理由で、一般の読者が信頼性の低い情報として受け取るとは限らない
・インターネット上に掲載された情報による名誉棄損の被害の回復がむしろ容易ではない


控訴人】
・精神的苦痛を被ったとすれば、まずは削除依頼なり警告文なりで当該行為をやめさせるのが通常
・被控訴人が本件各ブログ記事の掲載をやめさせるための行為等(削除依頼等)をしなかったこと及びツイッターでの発言内容から、被控訴人は精神的被害を被っていない


【高裁判断】
・(※別件で要望された)保守速報で掲載された記事の削除依頼を拒否してさらに批判した上、その記事を固定記事にしている
・被控訴人が控訴人に対して削除依頼や講義等を行うのを躊躇するのは自然な事であり、削除依頼や抗議をしなかったことが、被控訴人が精神的苦痛を被っていないことにつながるものではない


控訴人】
・被控訴人が保守速報に自分に関する記事が掲載されていることを知ってから本件訴訟までに約1年を要したことから、被控訴人が損害の拡大に寄与した


【高裁判断】
・1年という期間は、訴訟を提起するのを不当に遅らせたと評価されるような期間ではない
控訴人は、保守速報で本名を明らかにしておらず、被控訴人は、控訴人のIPアドレスや住所の特定など訴訟を提起するのに必要な情報を得るのに時間を要したことも認められる
2ちゃんねるに対して削除依頼をしなかったからといって、損害の拡大に寄与したことにならない


*****


この判決は、「保守速報」が複合差別を行っていると明確に認めたものになっている。また、2ちゃんなどの匿名掲示板からのまとめのみならず、Twitterなどからのまとめであっても応用可能なものになっている。ウェブ上のヘイトスピーチ対応をめぐる議論において、重要な役割を果たす判例になると思われる。今回の判決に励まされて、新たな訴訟が行われるかもしれない。


現在、<ネトウヨ春のBAN祭り><広告剥がし>などの流れの中で、「保守速報」に対する広告出稿が控えられている。その文脈上でも、SNS運営元や広告出稿者が、この判決を議論の具体的材料にする可能性もある。いずれにせよ、インターネット史に残る裁判であることは間違いない。


なお、判決文で紹介されている文言を読むだけで、その言葉が向けられているわけではない僕でさえ、メンタルが削られ気分が悪くなった。こうした言葉を向けられた当事者にとって、その精神的苦痛は大変なものであったろう。


「まとめ」や記事作成、あるいはSNS掲示板への投稿は短時間で可能だが、その書き込みによる攻撃は長期間にわたって被害者を苦しめ、読者を扇動し、誤った学習を促し、新たな差別を助長する。僕はヘイトスピーチなどは、「言葉の暴力」すなわち、心と脳味噌へのグーパン、人権や尊厳へのストンピングであると考える。ウェブ企業の中には、ヘイトスピーチに対する対応が消極的にみられるところも多々見られるが、実態に即した責任ある対応が求められる。

「保守速報」裁判の地裁判決と、「まとめサイト」の今後

2017年11月16日。京都地裁で、ライターの李信恵氏が、まとめサイト「保守速報」を相手取って訴えた裁判の判決が出た。李信恵氏が原告となり、「保守速報」が被告となったこの裁判では、「保守速報」に対し、200万円の支払いを命じるという判決がひとまずでた。


この判決で確定というわけではないため、今後、高裁などでどういった判断が下されるのかを見守りたい。というのもこの裁判は、今後「まとめサイト」の法的責任をどのように位置づけるかという重要な参考事例となりうるためだ。


以下、判決文から、原告と被告双方の主張と、それに対して地裁がどのような判断を行ったのか、気になった論点を自分なりに要約していきたい。

  • 争点1:原告の権利を侵害しているか

【原告の主張】
「朝鮮の工作員」「キチガイ」「寄生虫」「ゴキブリ」「ヒトモドキ」「クソアマ」「ババア」「ブサイク」「鏡見ろ」「死ね」などの数多くの書き込みが、名誉毀損、侮辱、人種差別、女性差別、いじめ、脅迫、業務妨害にあたる。


【被告の主張】
ブログ記事は、原告個人に対する批判ではなく、対立思想に対する批判又は保守的な政治思想に基づく意見ないし論評にすぎない。名誉感情を害するものや、差別などにはあたらない。


【判決】
本件各ブログ記事には、名誉毀損、社会通念上許される限度を超えた侮辱、人種差別、女性差別にあたる内容が含まれているというべきである。

  • 争点2:新たな権利侵害の有無

【原告の主張】
被告は、表題の作成、抜粋、強調、加工、転載などを行うことで、ブログ記事の内容を、引用元の投稿よりも集約的かつ先鋭的なものに変容させた。その結果、情報の伝播性が高まり、内容が広く知られた。したがって、原告の権利利益が新たに侵害された。


【被告の主張】
表題の作成、抜粋、協調、加工、転載などはまとめ記事を作成する上で当然必要となる行為だった。本件各ブログ記事の内容が2ちゃんねるのスレッド等の読者以外に広く知られたことは、何ら証明されていない。原告の権利利益は引用元の投稿の掲載行為により侵害されたのであって、本件各ブログ記事の掲載行為により新たに侵害されたものではない。


【判決】
本件各ブログ記事は、引用元の投稿を閲覧する場合と比較すると、記載内容を容易に、かつ効果的に把握することができるようになったというべきである。記事の内容は、2ちゃんねるのスレッド又はツイッターの読者以外にも広く知られるものとなったといえる。ブログ記事の掲載行為は、引用元の2ちゃんねるのスレッド等とは異なる、新たな意味合いを有するに至ったというべきである。被告がブログ記事を掲載した行為は、2ちゃんねるのスレッド又はツイッター上の投稿の掲載行為とは独立して、新たに憲法13条に由来する原告の人格権を侵害したものと認められる。

  • 争点3:違法性阻却事由の有無

【被告の主張】
(1)名誉毀損について:ブログ記事を掲載した目的は、原告を誹謗中傷することではなく、2ちゃんねるのスレッドに掲載された情報を集約し、読者に分かりやすく紹介するという、専ら公益を図ることである。原告は知名度のある記者として、記事等において発言したのに対し、レスの投稿者は、無名の私人として、2ちゃんねるのスレッドで原告の主張の過激さと同程度の過激さをもって原告個人ではなく対立思想を批判したに過ぎず、その方法及び内容は相当な限度を超えるものではない。
(2)対抗言論の奏功:原告は知名度のある記者として反論を繰り返しており、その対抗言論が奏功している。したがって、原告の社会的評価の低下が否定される、又はその違法性が阻却されるというべきである。
(3)インターネット上の表現であること:インターネット上の表現は従来型のメディア上の表現と比較し、一般の読者には信頼性の低い情報と受け取られるし、これにより一定程度名誉が毀損されても、被害者はインターネット上の反論によりその回復を図ることが可能である。インターネット上の表現は、より広く保護されるべきであるから、掲載行為による名誉棄損については、違法性が阻却されるというべきである。


【原告の主張】
(1)名誉毀損について:原告は私人に過ぎず、被告が各ブログ記事を掲載した目的は、原告を誹謗中傷することにあって、専ら公益を図ることにないのは明らかである。内容は、原告に対する人身攻撃に及んでおり、意見ないし論評の域を逸脱している。
(2)対抗言論の奏功:保守速報が多数の読者を持つ影響力の大きいブログであることなどからすれば、十分な反論はできず、対抗言論の奏功をいう被告の主張には理由がない。
(3)インターネット上の表現であること:従来型のメディア上の表現とは異なり、誰もが容易に閲覧することができる上、削除されても複製や転載によって永続的に広まっていく性質があり、被害の程度は深刻。違法性が阻却されることはない。


【判決】
(1)名誉毀損について:ブログ記事全体において、侮辱的な表現、あるいは原告が人であることや通常の判断能力を有することを否定するような不穏当な表現を多数用いて、原告の精神状態、知的能力、人種、容姿等を揶揄するものである。これらはいずれも原告の言動を批判するにとどまらず、原告の人格そのものを攻撃するに至っていると認めるのが相当である。違法性が阻却されるという被告の主張は、採用することができない。
(2)言論の応酬の法理について:各ブログの掲載行為による名誉毀損は、原告の発言と対比して、その内容において適当と認められる限度を超えているというべきであるから、いわゆる言論の応酬の法理により違法性が阻却されるという被告の主張は、採用することができない。
(3)その他の違法性阻却事由について:インターネット上の表現であるからといって、一般の読者がおしなべて信頼性の低い情報として受け取るとは限らないこと、インターネットに掲載された情報は、不特定多数の者が瞬時に閲覧可能であり、これによる名誉毀損の被害は時として深刻なものとなり得ること、一度損なわれた名誉の回復は容易ではなく、インターネット上での反論によりその回復が十分に図られる保証があるわけではないことなどを考慮すると、違法性が阻却されるとは解し難い。被告の主張は、採用することができない。

  • 争点4:原告が被った被害の額

【原告の主張】
被告の違法行為は人種差別および女性差別の複合差別であり、原告が複合差別により精神的苦痛を被ったことを確かめてそのことを歓迎したり、原告を日本の地域社会から排除しようとしたりするもの。
また、被告は、過激な内容のブログ記事を掲載して多くの広告収入を得るという動機をも有していたこと、実際に約1年間に45本ものブログ記事を継続的に掲載し、その内容がインターネットを通じて広く知られていたことなどからしても、被告の不法行為は極めて悪質である。


【被告の主張】
原告には損害が生じていない。被告は各ブログ記事でバナー広告収入を得ていたが、過激な内容のブログ記事を掲載して多くの広告収入を得るという動機は有していない。このことは、本件各ブログ記事が被告の掲載した全ブログ記事のうち本数にして1%にも満たないことからも明らかである。
原告は、被告が削除要求に応じる旨を表示していたにも関わらず、被告に削除を要求せず、2ちゃんねるの管理者に対しても削除を要求していない。このように削除を要求せず長期間放置したことにより、自ら損害の拡大に寄与したというべきである。


【判決】
当該表現が原告の名誉感情、生活の平穏及び女性としての尊厳を害した程度は甚だしいものと認められる。特に、本件においては、複合差別に根差した表現が繰り返された点も考慮すべきである。
被告は、約1年間にわたって名誉毀損、社会通念上許される限度を超えた侮辱、人種差別又は女性差別に当たるブログ記事を40本以上も掲載したのであり、不法行為の態様は執拗である。情報を紹介する目的で掲載しただけではなく、原告の名誉を棄損し、侮辱し、人種差別及び女性差別を行う目的をも有していたと認めるのが相当である。
他方、被告が各ブログ記事の掲載行為により一定の広告収入を得ていたことに争いがないとはいえ、被告が過激な内容のブログ記事を掲載することにより多額の収入を得るという動機まで有していたことを認めるに足りる証拠はない。
原告が削除の要求をしなかったからといって、損害の拡大に寄与したことにはならない。

  • 争点5:権利濫用及び信義則違反

【被告の主張】
本件各ブログ記事の内容は、政治思想に関わるものであり、憲法21条の保障する表現の自由の中でも特に保護されるべきである。原告が本件訴訟を提起した目的は、被害からの救済ではなく、このような要保護性の高い政治思想に係る表現の自由を抑圧することになる。本件訴訟は、いわゆるSLAPP訴訟にほかならない。


【原告の主張】
原告が本件訴訟を提起した目的は、政治思想を抑圧することにあるのではない。表現の自由は無制限に保障されるものではなく、個人の権利利益を侵害する表現は、一定の要件を満たす場合には規制の対象となる。原告は、各ブログ記事により、憲法13条および14条1項で保護された自己の人格権及び平等権を侵害されたため、その被害からの救済を求める目的で本件訴訟を提起したのである。SLAPP訴訟には当たらない。


【判決】
本件訴訟における請求が権利の濫用に当たり、信義則に反するものとは認められない。


以上、判決文を自分なりに整理した。地裁の判断は、書き込み内容の問題点だけではなく、「まとめただけ」「ネットだから」では済まされないという、ウェブ上の表現形式についても触れるものとなっている。今後の裁判のゆくえ、および類似の係争について、どのような判断が下されていくのか、見ていきたい。


私見では、この判決はいわゆる「まとめブログ」だけでなく、togetterやNAVERまとめなどのサービスにおいても重要な意味を持つと考える。「まとめ」もまた、主体的な表現である以上、様々な責任が問われる行為だ。このことを前提としたコミュニケーションが必要となってくる。

「netgeek」が流した「泉放送制作」デマについて

2017年6月20日の「netgeek」に、「日テレ・フジ・TBS・テレ朝の16番組以上を1つの制作会社が担当して偏向報道やりたい放題。日本は乗っ取られた」いうタイトルの記事が出ていた。内容は、「泉放送制作」という制作会社が各局のニュース番組を作っており、意図的に偏向報道を行っているというもの。

記事内容については、放送業界に関わっている者であれば、<放送現場を知らない人が、ネットで拾った言葉を繋ぎ合わせて作り上げたデタラメ>だと分かるもの。実際、放送業界の人などから、デマであるという旨の指摘も既に行われている。ただ、Twitterなどの反応を見ていると、真に受けている人も少なくなかった。国会議員であるとか評論家であるとか、社会的地位のある人もこのデマの拡散に加担していた。

テレビ局が放送する番組によっては、自社の社員だけでなく、制作会社からディレクター、AD、事務スタッフなどの派遣を受けて制作現場を回している。「泉放送制作」は、ウェブサイトによれば従業員170人。業界でも大きめの制作会社ではあるが、だからといってその制作会社が編集方針などを決めるわけではない。僕も出演したのことのあるいくつかの番組スタッフに確認しても、ある現場ではADさんだけとか、ある現場では事務スタッフだけといった具合で、制作会社のかかわり方も様々だ。まさか、ADがひとり関わっただけで、マスメディアを「乗っ取れる」と言うのだろうか。

制作会社は、各局・各番組の依頼に応じて、制作スタッフを派遣したり番組制作を補助するもの。ある制作会社が、複数の番組の仕事を請け負ったとしても、まるまる番組を作っているというようなものでは必ずしもない。「泉放送制作」のウェブサイトには、様々な局や番組の制作実績が掲載されている。それを見て、制作会社こそが何から何まで番組を作っていると想像を膨らませたのかもしれない。しかし実際には、それぞれの局や番組ごとに、複数の制作会社が関わる事も多く、特定の制作会社が「やりたい放題」というようなことではない。

なにより、特定の制作会社が複数の番組に関わっていることをもって、「日本が乗っ取られる」と表現する意味がよくわからない。複数の番組を作っている制作会社など、「泉」以外にもいくらでもある。「日本が乗っ取られる」とはあまりに妄想が過ぎる。「netgeek」は採用情報をウェブサイトに掲載しており、そこには「記事を書くライターを募集しております。採用対象は新聞レベルの文章が書ける経験者のみ」と書かれている。だが、同サイトの他記事を見ても、「新聞レベルの文章」とはとても思えない。

Twitterなどの反応では、「乗っ取り」「黒幕」といった言葉が並んでいて、ひとつの陰謀論として消費されている。何か気に入らない放送があると、「また泉さんかな?w」といった趣旨の書き込みが行われたりする。特定の記号を見つけるたびに壮大な物語と結び付けるという点で、陰謀論者ととてもよく似ている。というよりも、これ自体ももはや陰謀論の一種だと言っていいだろう。

メディアを正して社会をよくしたいというよりも、「メディアの裏を見抜いている自分たち」という消費が目的なのだろうか。もしそうでないのであれば、間違った知識で何かを叩くという行為は無駄であるため、こうしたデマにこそ厳しく対応したほうがいい。メディアチェックという言葉には、自分の書き込みも含めたネットへの投稿を含める必要がある。

国会議員がこのデマを訂正し、そのことを共同通信などが報じたことによって、いまは拡散がある程度鎮静化している。デマは放置しておくと、質的にも量的にも「育ってしまう」。だからこそ早めに是正されることが望ましい。報道が出たことはその点ではよかったと思う。

ところでこの記事には、冒頭部分にTBS社員である金富隆氏の写真が掲載されていた。使われていた画像は、2016年に放送された「TBSレビュー」からのキャプチャーだ。なぜこの画像が使われているのか。なぜ金富氏なのか。本文では一切触れられていない。

金富隆氏は僕の友人である。彼はTBS社員であり、泉放送制作とは何の関係もない。そして、彼が関わってる番組においてすら、最高責任者というわけでもない。彼は日本人であるが、在日韓国人在日朝鮮人に対する差別的感情を煽るため、「金・富隆」とわざわざ分け、彼を「在日認定」する書き込みも多く見かけた。

泉放送制作」や「金富隆」というワードでツイッターなどを検索すると、デマを拡散するだけでなく、メディアについての事情通ぶった書き込みが多く出てくる。「ようやくこの事実が知られるようになったか」といったような趣旨の書き込みをみた時は、痛々しすぎて見ていられなかった。

何かを「叩く」先には、ただの記号が横たわっているわけではない。「叩く」相手は、あなたや、あなたの友人や仲間、家族や親戚と同じ、生身の人間がいる。特にデマの場合、その是正のコストはとても大きく、流された側が多大なリソースを割かなければならなくなる。

共同通信の記事が出てから間もなく、「netgeek」から当該の記事が削除された。だが、このブログ記事を執筆している現在において、相手方への謝罪などは見当たらない。当該サイトがこれからどういう対応をするのかわからない。だが、一般的に、「デマを流し、お金を儲け、問題になったら逃げる」という手法が「得」になるようなウェブ社会のあり方は、改めていかなくてはいけないと思う。