Location via proxy:   [ UP ]  
[Report a bug]   [Manage cookies]                

「神は死んだ」が「金は死んだ」か

永遠の時間と無際限の可能性

分裂勘違い君劇場 - おとぎ話が人を鬱と自殺に追い込む。おとぎ話をはぎ取ると絶望回路と無気力回路が作動する。
404 Blog Not Found:有限こそがおとぎ話かも知れない
分裂勘違い君劇場グループ - 劇場管理人のコメント - 時間が20年前に戻っても、我々はそのことに気がつけない


fromdusktildawn氏とdankogai氏が文通している「永遠」とか「無限」の話題に乗っかってみます。そこでは、人間の寿命を物理的に延ばせたらという話とか、個々の生物は死んでも生命全体は不死だという話がありました。これは時間の長さに関する無限(永遠)の話ですが、ここでは時間の幅(可能性)に関する無限(無際限)の話をしてみます。

「神は死んだ」が「金は死んだ」か

近代以降の資本主義で、貨幣ほど信仰されている「おとぎ話」はありますまい。紙幣がただの紙切れであって、商品の交換に使えるという約束事以外に、超自然的な力は全く持っていないことは、誰の眼にも明らかです。しかしそれにも関わらず、貨幣は人間の社会を支配する力を持っているように見えます。例えば、嫌な上司に従う、退屈な勉強をする、といった現象の背後に金が見え隠れしていますね。


現代においては、「神は死んだ」かもしれませんが、「金は死んだ」とは言い難いでしょう。資本主義の時代とは金が神である時代だ、と言ってもいいかもしれません。死後に永遠の生命を得る、という宗教が示す無限のビジョンの代わりに、どんな商品とも交換できる、という経済が示す無限のビジョンが受け入れられています。こうしてみると、人間の本性はさほど変わっていないと見ることもできます。

貨幣の不死性と欲望の無際限性

ところで、「金の亡者」という表現がありますが、これは貨幣の不死性と欲望の無際限性を上手く言い表していると思います。金は死なないのです。不死性から見てみましょう。形ある物は必ず壊れるので有限ですが、貨幣は不死性を持っています。どういうことか。例えば、金銀や宝石ですとその物質でなければ意味がないのですが、貨幣は紙幣でなく硬貨でもいいですし、預金通帳の数字やATMで処理する電磁気パターンでも、何でもいいわけです。幽霊が憑依しているみたいですね。


欲望の無際限性というのは、要するに「金はいくらでも欲しい」ということです。食欲であれば食べて満腹になれば消えてなくなりますが、貨幣は身体の制約を受けないので、底無しに欲することができます。性欲は微妙なところがあります。フェティシズム化した倒錯的な性欲は、射精に拘束されないので無際限性を持つように思われます。エロ画像を見切れないほどHDDに収集するといった現象も関係あるかもしれません。

交換の世界と固有の世界

リンク先の話題で、「戻る」という操作が無限ループを生むという話がありました。もちろんこれは原理的な話で、現実には有限でしかありません。というのは例えばプログラム中に無限ループが書いてあっても、コンピュータが無限回のステップを有限の時間で完遂することはできないでしょう。さて、貨幣も「戻る」操作を、原理的には可能にしてくれるところがあります。


「女は金についてくる」とはホリエモンの有名な発言ですが、ドラえもんが四次元ポケットから次々道具を出すように、金があれば女をとっかえひっかえできるのかもしれません。しかし、金があれば勝ち組というのでは、あまりに常識的で面白くないので、最後にささやかながら抵抗してみましょう。


「女は金についてくる」の対偶は「金についてこなければ女じゃない」です。もちろん「金についてこない女は存在しない」というのは偽(であってほしい)でしょうから、これは「強くなければ男じゃないね」のようにプロトタイプの規範的性質に関する記述が入っているでしょう。しかし、「金についてこない女こそ価値がある」と考えてはいけないのでしょうか。


例えば、子供を亡くした母親に「また産めば良い」などと言うのは、全くもって見当違いな話でしょう。「この」子の大事さは、他に代え難いということを含意しています。また「金に代え難い友情」と言いますが、人間の人格は交換不可能な固有性を持っているとされます(本当かな)。とすれば同様に、金で思うようにはいかない恋愛が価値があるでしょう。もっと一般的に言うと、愛は固有なものが対象になります。というより、どんなにありふれたものであっても、愛することで固有な対象になります。これはまさに「有限というおとぎ話」なのかもしれません。