中国語の音韻論では語頭の子音は声母、語頭子音以外の声調を含む部分を韻母と呼ぶ。現代北京語のliǎng(両(兩)上声)はlが声母、iǎng(上声)が韻母であり、韻母は介音(つなぎの音)i、核母音(中心となる母音)a、韻尾(語末の子音または副母音)ngに分かれる。
中国語における音韻の変遷を便宜的に四分類することがある。
上古音は諸子百家の書や「楚辞」などに現れた言語音、中古音は「切韻」(六〇一601年)および「広韻」(一〇〇八1008年)に代表される言語音、中世音は「中原音韻」(一三二四1324年 現代北方語の体系をなす)を一つの代表とする言語音をさす。近世音は「中原音韻」よりさらに現代北方語の体系に近く、現代北京語はほぼ一八18世紀にその体系的枠組みが成立した。
上古音の研究は「詩経」など紀元前に成立した文献の押韻を分類整理することから始められ、今日では周・秦代の韻のグループとして三〇30部前後が推定されている。
「切韻」は反切法によって韻を分類したもので、その後写本として伝わり、一方では増訂されて、一〇〇八1008年「広韻」として集大成された。反切とは、例えば当時の「東」tuŋという字音を「徳紅反」(または徳紅切)と表すもので、反切の上字の「徳」tkによって声母を、反切の下字の「紅」uŋによって韻母を表した。「切韻」では一九三193韻、「広韻」では二〇六206韻に分類されているが、これらによって中古音の音韻体系はかなり明らかになる。
中古音の音韻体系は大ざっぱに言えば、三七37の声母と一六16の韻母のグループ(これを「一六通摂と呼ぶ」)に分けられる。ただし、中古音には韻尾がp t kとなる入声があり、また現代北京語では区別されないm nの区別もあった。声調はp t kで終わる入声のほか、平声、上声、去声が区別された。
中世音は、中古音の入声の韻尾が消滅するか、もしくはi uとなったこと、声母は「広韻」では三七37種もあったが、「中原音韻」では二五25種となったことなどが大きな特徴としてあげられる。この「中原音韻」の音韻体系は現代北京語にほぼ受け継がれている。全体として、中国語の音韻体系は時代が下るに従って簡素化されていったといえる。
呉音・漢音は字音仮名遣いで示した。ただし、撥韻尾の「—ム」と「—ン」は区別した。また、推定音は藤堂明保による。
日本語の呉音は五、六5、6世紀頃、百済を経由して移入され、主として六朝時代末期の中国南方音の字音体系を反映していると言われている。一方、漢音は八、九8、9世紀頃の中国北方の長安の音韻(中古音)に基づくもので、遣唐使たちが我が国にもたらした。漢音は中国すなわち漢の標準音という意であり、正音とも呼ばれた。そして、既に流布していた南方音に基づく字音を「呉音」(南方の訛った音の意)と呼んでこれを退けた。奈良時代末期には、朝廷は呉音を廃して漢音を使用するように奨励したが、呉音はすでに日本語に深く浸透していたため、廃棄されることはなく、今日まで呉音・漢音という二種の字音体系が用いられることとなった。
呉音は「極楽」「経文」などの仏教語、「一」「二」「六」「百」などの数詞のほか「人間」「屏風」などの日常的に用いる語をはじめ、広く用いられている。一方、漢音は古くは漢籍を読む場合に用いられ、江戸時代に儒学が普及するに従って、徐々に優勢となり現代に至っている。
呉音と漢語はそれぞれが反映する字音体系に中国での地域的時代的な差異はあるものの、全く別個のものではない。ただ、伝来の経緯が異なり、また時代とともに変遷することもあるため、すべての字音が対応しているとは限らないがその両者には密接な関係が見られる。
声母で見ると、中古音でのm(明母)は呉音マ行・漢音バ行、n(泥母)は呉音ナ行・漢音ダ行、ř(日母)は呉音ナ行・漢音ザ行となるほか、b(並母)、d(定母)、g(群母)、dz(従母)では、それぞれ呉音が濁音バダガザ、漢音が清音のハタカサの各行となるという対応が見られる。また、韻母では、それぞれの音韻変化を反映して韻ごとにそれぞれ対応が見られる。
一三13世紀には栄西・道元などの禅僧が入宋し、中国江南の浙江地方の字音に基づく漢字音をもたらした。これを唐音(唐宋音または宋音とも)と呼んでいる。その後、一七17世紀には隠元
唐音の特徴は、中世音を反映して入声韻尾がない(行脚の脚をギャと読む類)、呉音・漢音でタ行音のものがサ行音になる(喫茶の茶をサと読む類)、呉音・漢音でア段音がオ段音となる(暖簾の暖をノ、蒲団の団をトンと読む類)、「中原音韻」でŋ韻尾の字をンとする(行脚の行をアン、普請の請をシンと読む類)などがあげられる。
一方、呉音より古い字音の系統を「古音」という。例えば、仮名の起源となっている「止」をト、「乃」をノと読む類である。これらは上古音を反映しているもので、七世紀初め以前の金石文などに用いられている。
「立」はリュウ、「戯」はキであるが、これらはそれぞれリツ、ギ・ゲと読んでいる。このような日本で独自の変化をした字音を「慣用音」と呼んでいる。中には「洗滌」の「滌」のように、本来はデキと読むべきだが、形声符(諧声符)の「条」(條)に引かれてジョウと読むといった誤った類推によるものもある。
(相違する主な例について、呉音を右上に、漢音を左下に示す)
マ行 バ行 |
美 | ミ ビ |
武 | ム ブ |
米 | マイ ベイ |
万 | マン バン |
文 | モン ブン |
木 | モク ボク |
末 | マツ バツ |
物 | モツ ブツ |
|
ナ行 ダ行 |
男 | ナン ダン |
女 | ニヨ ヂヨ |
尼 | ニ ヂ |
奴 | ヌ ド |
内 | ナイ ダイ |
納 | ナフ ダフ |
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ナ行 ザ行 |
人 | ニン ジン |
然 | ネン ゼン |
日 | ニチ ジツ |
児 | ニ ジ |
如 | ニヨ ジヨ |
柔 | ニウ ジウ |
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バ行 ハ行 |
貧 | ビン ヒン |
凡 | ボン ハン |
平 | ビヤウ ヘイ |
白 | ビヤク ハク |
奉 | ブ ホウ |
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ダ行 タ行 |
大 | ダイ タイ |
重 | ヂユウ チヨウ |
直 | ヂキ チヨク |
定 | ヂヤウ テイ |
地 | ヂ チ |
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ガ行 カ行 |
権 | ゴン ケン |
強 | ガウ キヤウ |
極 | ゴク キヨク |
勤 | ゴン キン |
求 | グ キウ |
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ザ行 サ行 |
自 | ジ シ |
成 | ジヤウ セイ |
存 | ゾン ソン |
神 | ジン シン |
上 | ジヤウ シヤウ |
e a |
家 | ケ カ |
仮 | ケ カ |
下 | ゲ カ |
化 | クエ クワ |
馬 | メ バ |
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eu au |
孝 | ケウ カウ |
交 | ケウ カウ |
校 | ケウ カウ |
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en an |
山 | セン サン |
間 | ケン カン |
眼 | ゲン ガン |
反 | ヘン ハン |
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on en |
建 | コン ケン |
言 | ゴン ゲン |
権 | ゴン ケン |
遠 | ヲン エン |
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ai ei |
西 | サイ セイ |
歳 | サイ セイ |
体 | タイ テイ |
弟 | ダイ テイ |
米 | マイ ベイ |
礼 | ライ レイ |
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e ei |
世 | セ セイ |
繋 | ケ ケイ |
衛 | エ エイ |
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e ai |
快 | クヱ カイ |
芥 | ケ カイ |
礙 | ゲ ガイ |
解 | ゲ カイ |
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yau ei |
明 | ミヤウ メイ |
京 | キヤウ ケイ |
形 | ギヤウ ケイ |
生 | シヤウ セイ |
成 | ジヤウ セイ |
平 | ビヤウ ヘイ |
丁 | チヤウ テイ |
兵 | ヒヤウ ヘイ |
名 | ミヤウ メイ |
|
yau au |
行 | ギヤウ カウ |
荘 | シヤウ サウ |
猛 | ミヤウ マウ |
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u o |
都 | ツ ト |
図 | ヅ ト |
徒 | ヅ ト |
奴 | ヌ ド |
布 | フ ホ |
歩 | ブ ホ |
捕 | ブ ホ |
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o yo |
虚 | コ キヨ |
語 | ゴ ギヨ |
御 | ゴ ギヨ |
呂 | ロ リヨ |
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au yau |
強 | ガウ キヤウ |
向 | カウ キヤウ |
相 | サウ シヤウ |
象 | ザウ シヤウ |
良 | ラウ リヤウ |
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u ou |
工 | ク コウ |
公 | ク コウ |
貢 | グ コウ |
通 | ツ トウ |
奉 | ブ ホウ |
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u iu |
宮 | ク キウ |
窮 | グ キウ |
融 | ユ イウ |
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iu yoū |
重 | ヂユウ チヨウ |
竜 | リユウ リヨウ |
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on(m) in(m) |
隠 | オン イン |
近 | コン キン |
勤 | ゴン キン |
音 | オム イム |
金 | コム キム |
琴 | ゴム キム |
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u iu |
有 | ウ イウ |
久 | ク キウ |
求 | グ キウ |
由 | ユ イウ |
流 | ル リウ |
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u ou |
頭 | ヅ トウ |
豆 | ヅ トウ |
口 | ク コウ |
部 | ブ ホウ |
鏤 | ル ロウ |
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e i |
気 | ケ キ |
希 | ケ キ |
飢 | ケ キ |
戯 | ゲ ギ |
衣 | エ イ |
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yaku eki |
逆 | ギヤク ゲキ |
赤 | シヤク セキ |
寂 | ジヤク セキ |
嫡 | チヤク テキ |
役 | ヤク エキ |
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yaku aku |
客 | キヤク カク |
百 | ヒヤク ハク |
白 | ビヤク ハク |
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iki yoku |
色 | シキ シヨク |
食 | ジキ シヨク |
直 | ヂキ チヨク |
力 | リキ リヨク |
yを含むものは拗音節であることを示す
日本は古くから大陸の文化を摂取することに努め、事物の流入と同時にその名称も借用した。そのため、古くに和語化し、和語か漢語か区別しにくいものもある。
[推定音はいずれも中古音]
漢文訓読を通して次第に漢語の使用が増加したが、漢語の使用は主として貴族や僧侶、しかも男性に限られていた。
公家日記などの古記録には仮名文学には見えない漢語も多く見え、今日でも文章語として用いている語が少なくない。
平安朝の女性はあからさまに漢文の教養をひけらかすことを慎み、主として和語を用いたが、実際には仮名文学にもかなりの漢語が用いられた。
(右が呉音読み、左が漢音読み)
平安時代には複合語に音と訓が混在するようになり、漢字漢語が日本語に一層同化されていった過程が看取できる。
鎌倉時代には栄西・道元などの禅僧が唐音による漢語をもたらした。特に生活関連の漢語はその後禅宗を通して普及していった。
中世には和文脈の文章にも漢語が多用されるなど、漢語の日本語への融合は一層甚だしくなり、和語の漢字表記を音読することも行われるようになった。
平安時代以降、漢語は活用語の一部を構成するようになった。
中世から近世にかけて、漢語は徐々に庶民の日常語にも広がったが、多くの庶民は学問として文字を通して習得するのではなく、耳で聞いて覚えた。そのため、もとの意味が転じて別の意味となったり、もとの意味が不明になって当て字されるものも増えてきた。
一七四〇1740年(元文五5)に青木文蔵(昆陽)などがオランダ語の学習を始めて蘭学がおこることとなった。その後「解体新書」(一七七四1774年成)をはじめ、西洋の先進的な文化や科学技術などを幅広く学ぶ過程を通じて、大量の外国語を日本語に翻訳する必要に迫られた。
幕末には蘭学に変わって英学が洋学の中心となったが、そのほかドイツ語・フランス語などからも訳語が作られた。明治維新後の近代化の過程で学問や技術が急速に発展した要因の一つとして、簡潔かつ明晰な漢語が駆使できた点が上げられ、漢語の果たした文化的役割は極めて重要である。
借用(中国の訳語を借用する)
造語・転用
直訳による(言語の各構成要素の意味に対応する漢字をあてる。オランダ語koning(=王)water(=水)を「王水」と訳する類)
意訳による(言語の意味そのものに対応させる。オランダ語zenuwを「神経」(神気の経脈の意)と訳する類)
音訳による(原音に対応する字音の漢字を当てる。オランダ語chemie(化学)を「舎密(セーミ・セイミ)」と音訳する類)
明治期後半には字義によって新たに造語することが多くなったが、前半は漢文の素養を基盤として漢籍や仏典に出典のある漢語で訳出することが多かった。
一九四六1946年に「当用漢字表」が告示され、その表にない漢字を同音の別の漢字で書き表すか、別の語で言い換えるか、もしくはその音を仮名で書くかするようになった。