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COLUMN

田内万里夫 SUB-RIGHTS

田内万里夫 SUB-RIGHTS
12: Grapefruit Juice

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海外の本を自国で刊行する翻訳出版には、契約を成立させるための業務を担う「版権エージェント」という職種がある。このテキストは、一般社会ではあまり聞き慣れない職種「版権エージェント」の仕事、またそこから見聞きすることになった知られざる翻訳出版小史を伝える自伝的小説になっていく予定だったが、どうだろうか。連載タイトルの「SUB-RIGHTS」とは、著作権の二次的使用を意味する用語である。日本と海外の架け橋となったスコットランド人の版権エージェント、師であったウィリアム・ミラーへ追悼の念を込めて書き綴っていく。
※この物語は、概ね事実を元にしていますが「フィクション」です。登場する個人名・団体名の一部は架空名、もしくはプライバシー保護の観点から仮名にしています。
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 編集者たちの始業は遅めのことが多いので、そんな彼等を相手に仕事をするエージェントの一日のはじまりもまた割とのんびりとしたものだ。フィーロン・エージェンシーの出社時間は一応午前10時という決まりになっているが、多少の遅刻なら咎められることもない。ただ月、水、金は新着タイトルを積み上げての会議が午前中にあるので、遅くとも10時半には到着している必要がある。海外から次々に届く新しい本の行き先を決め、どの出版社にどう売り込むべきか相談するのだ。興味を惹く本もあれば、そうでもない本もある。護身術のハウツー本だと思って取り寄せてみたら素手で相手に致命傷を与える方法ばかり図解入りで解説している本だった、なんてこともたまにはある。著者は元特殊部隊のメンバーだそうだ。軍事や兵器に特化した出版社の本が送られてくるとフィーロンさんは心底うんざりした顔をして、それを赤いプラスチックのゴミ箱に放り込む。セールスマンに騙されないための予備知識を教えるような顔をした本が実は客を騙すテクニックを満載した営業マン向けの手引き書、という場合もある。フィーロンさんはちょっと困った顔をするが、その本はゴミ箱には放り込まず、「これ、どうしたい?」と三輪さんに手渡して、判断を放棄する……という態度を示す。
 概ねどのような本にも、その扱うテーマに適した出版社がある。驚くほどだ。あとはそれが日本でも売れそうか、売れなさそうか、出版社の判断に委ねればいい。読者がいると思えば出版社は権利を買ってくれるし、自信がなければとりあえず買わない。
 会議が終わると昼だ。フィーロンさんに誘われて、ランチについていく。もうコートのいる季節だ。
「そういえばちょっと前に、アメリカから届いた幽体離脱のハウツー本があったろう」
 注文したランチが運ばれてくるのを待つあいだ、白ワインのグラスを傾けながらフィーロンさんが笑い出す。
 本にはスピリチュアル系というジャンルがあるらしい。英語圏では“Mind, Body & Spirit”とカテゴライズされたり、日本でも“ニューエイジ”や“精神世界”と分類されたりするという。要は目に見えない世界について扱う本のジャンルのようだが、目に見えない領域というだけあって、禅やヨガなどの東洋的な精神世界の研究から、宇宙人や宇宙意志、霊魂にまつわる話、またヒーリングや気功、呼吸法といった精神および肉体の治癒を目的としたメソッドを紹介する本など、内容は極めて幅広い。自己啓発書というジャンルがあって、思いのほか出版点数が多いことを知り驚いたのは仕事に就いてからのことだが、スピリチュアル系にはその地続きと言っていいものもあるらしい。
「あの本、なんでダメか知ってるか?」
フィーロンさんが話題にしている幽体離脱のハウツー本などはスピリチュアル系のひとつの典型といって良いようだ。検討していた出版社の企画会議で、どうやら落とされたということらしい。
「トンデモ本だからですかね?」
「いや、荒唐無稽な本だって、それだから悪いというわけでは必ずしもない。幽体離脱がなんの役に立つのか私にはさっぱり想像もつかないが、肉体から意識を切り離して飛ばせるのだとしたら、楽しいかもしれないじゃないか。少なくとも人を欺き傷つけるような悪意にもとづいた内容じゃなければ問題ないはずだ。……むしろ異なったものの見方や考え方を反射的に排除してしまうことこそ危険だと思わないか」
「まあ、ものの見方を変えることで、なにか発見することだってあるかもしれないですけどね……。でもそういうことに救いを見出しはじめたら、やっぱり危なくないですか?」
 実際、3年前の1995年にはオウム真理教の起こした「地下鉄サリン事件」があったばかりで、人々の記憶にまだ新しい。あの年は1月に阪神淡路大震災があり、そのショックも冷めやらない3月にはオウムの事件があったのだ。空中浮遊をする髭面の教祖とか、土のなかに埋まって仮死状態で瞑想する信者とか、電極のついたヘッドギアをかぶって修行する人々……、出家信者たちがサリンなる毒ガス化学兵器を製造していたという山梨県の上九一色村のサティアンと呼ばれる教団施設とか、そんな話が連日連夜テレビでセンセーショナルに報じられ、しまいには何台ものテレビカメラの目の前で教団幹部のひとりが刺殺されるという事件もあり、社会はパニックした。当時まだ学生だった僕は、ただただ茫然となった。時間が経った今でも精神世界に対する社会のアレルギーは解消されていないから、怪しげな幽体離脱の解説書が企画会議を通らなかったとしても、なんの不思議もないはずだ。
「たしかにな。摩訶不思議な力で病気が治るとか、それで人生や世の中の困難が解決されるとか、そんな誘導をする本は問題外だ。でもあの本がダメだったのはそんな話とは無関係で、魂を肉体から離脱させる方法について事細かに解説されているのに、その魂を肉体に戻す方法が書かれてなかったからなんだそうだ。それでは困りますって。信じられるか?」 
 企画を蹴った編集者の、そのユーモアに宿るものこそ精神性と呼ぶべきものだ、とかなんとか言いながら、フィーロンさんはスパゲティをフォークで巻いている。

 ランチから戻ると、受話器を片手に立ち上がった三輪さんが、唾を飛ばしながら社員に発破をかけている。
「ほらほら、まだフランクフルトの直後やから、どこもまとまった予算持ってるはずよ。フンフンフン。のんびりしてると出版社の予算、ほら、ほかのエージェンシーのタイトルに取られちゃうやんか。ディール作ってかないと、権利者もよそに取られちゃうんよ」
 今のうちに高く売らなきゃいけないタイトル、絶対に落とせないタイトルはバーッと紹介して、それで結論、とにかく急いでもらって! リスト、まとまってるよね? 三輪さんは誰にともなく言いながら、次から次へと電話をかけている。翻訳出版のための企画の仕入れ先である海外の権利者、つまりアメリカやイギリス、それかれら主に西ヨーロッパの国々の出版エージェントや出版社のなかには、日本において複数の版権エージェンシーを併用しているところもあり、おかげで僕たちは常に競争にさらされている。
 この機を逃すな、出遅れるな、とばかりに本や資料の束を抱えて出版社を訪ね歩き、夜には夜で編集者たちとの会食などの約束が入る。フランクフルト・ブックフェア後の怒涛の数週間が目まぐるしく過ぎて行き、11月も中盤に差し掛かれば今度は方々から忘年会の誘いが舞い込んでくる。
 初任給が23万円の僕は、さしあたっては毎月合計4~5万ドルのアドバンスを目標に動きながら仕事を覚えていけばいいと言われている。エージェントのコミッション、つまり手数料は印税の10%が相場だから、別に生じる事務手数料を加えれば月々50~60万円ほどの売り上げを作っていることになる。出版業界の売り上げのピークが1996年だったことを考えれば90年代終盤の出版社はまだまだ景気が良く、小説でもノンフィクションでもアドバンスが数万ドル、つまり印税の前払い金が数百万円を超えるようなオファーも当り前のように出ていた頃だ。
「どひゃー、6ケタ出ちゃったよ! 6ケタよ!」と、大手出版社から提示された10万ドルのオファーに丸い顔をほころばせてはしゃぐ三輪さんの姿も、この半年のあいだに幾度となく目にして、もう見馴れた。「ビッグタイトル、これだから助かるわ。フンフン。この調子なら気持ちよく年越しできそうやね」と、1千万円を超える額のディールを手にした三輪さんが小躍りしている。
 12月に入ると本格的な忘年会シーズンがはじまる。年末の仕事納めまで毎晩のように接待をしたりされたりしながら、青山、渋谷、六本木、新宿、神田、神楽坂、銀座、新橋、それからもちろん神保町……、年の瀬の賑やかな東京の街を連れ回されるがままに飲み歩き、興がのれば二軒目、三軒目とはしごする。ついこのあいだまでは貧乏学生だった僕にとっては、どこで出される料理も酒も、味わったことのない贅沢だ。毎晩日付が変わる頃にヨレヨレになって安アパートに帰り着く僕を、ガールフレンドの真紀は呆れ顔で出迎える。冬のボーナスで、その年、1998年の夏に発売されてすぐに社会現象になったiMacのボンダイブルーを新品で買ってインターネットに繋いだが、電源を入れる暇もないほどだ。やっと一晩空いたかと思えばフィーロンさんに誘われて、またワインが何本か空く。毎朝ただれた胃袋を抱えてどうにか目覚める。
 いわゆる年末進行に追われる編集者たちは、当然のことながら酒ばかり飲んで浮かれているわけにもいかないはずだが、それでも時間を惜しむようにして連れ立って出歩く。
 欧米諸国の取引先とのやりとりは、年末へと向かうなかでスローダウンしてゆく。12月も半ばから、もう仕事どころではないといった様子でそわそわした空気が漂いはじめ、そしてクリスマスを待ち構えて一足早く冬休みに突入してしまう。日本にとって重要なのは正月だが、先方にとってはクリスマス前から大晦日までが特別だ。
「これ、年内に必ず確認の返事が必要だから、どうにかして」とか、「あっちが休暇に入る前に図版を取り寄せてくれないと間に合わないから!」とか、切羽詰まった編集者がギリギリになって連絡を寄越してくる。
「あ、そうそう。マリオ君も忙しいと思うけど、時間見つけてあっちの作業、手伝ってあげてくれるかな」
 三輪さんが指差した応接コーナーに向かうと、パーティションの向こうでは経理総務の佳代子さんを中心に、フィーロンさんの秘書のマサコさん、学術書担当の川上さん、更にはアルバイトのマユちゃんまでもが加わり、テーブルにぎっしり積まれた書類の山と格闘している。
「なにやってるんですか、これ?」
「“印税報告”の準備よ。これが片付くと、毎年やっと仕事納めが見えてくる感じね」と佳代子さんが顔を上げる。
「逆に言えば、これ終わらせないと仕事納めもできないというか……」と、書類を束ねる手を休めることなく、学術書の川上さんが小声でボソッとつぶやく。
「印税報告ってなんですか?」耳慣れない響きに僕は首をかしげる。
 翻訳書は売れたら売れた分だけ、その実売部数に応じて印税が発生する。その印税額を清算するために、出版社は毎年12月31日を期日として一年間の実売部数を権利者に対して報告する義務があるのだそうだ。
「なかには6月と12月、年に2回の報告という契約もあって、面倒くさくて困るのよ」と佳代子さん。そういえば翻訳出版の契約書には必ず「Royalty Report」とか「Sales Report」について書かれている条項があるが、それが「印税報告」もしくは「販売報告」、つまり印税清算の取り決めなのだ。
 売れた本の冊数に加え、その期間内に重版のあった場合には増刷分の部数も報告する。プロモーションのための見本や献本として無料配布した分も、またなんらかの理由で断裁などの廃棄処分をおこなった数についても、すべて整理して表にまとめる。販売部数だけではなく、どれだけの在庫があるのかも権利者に報告する必要があるからだ。
 本は一度出版されれば、それが絶版になるまで売られ続ける。たとえ1年間に10冊しか売れないとしても出版社が在庫を切らさないと判断すれば、印税報告の義務は続くことになる。
 印刷部数に応じて印税が支払われるのが一般的な日本人著者の本と、実売部数に応じて印税が支払われる翻訳書とでは、清算方法が異なるのだそうだ。
 契約書どおりであれば各出版社が能動的に印税報告を提出する義務がある。でもその約束を守ってくれる出版社ばかりではないらしい。報告が為されなければ印税の精算ができず、つまり権利者の代理人である版権エージェントはその役割を果たすことができない。そればかりか、出版社から権利者に対し支払われる印税のうち10%を自らの手数料収入とする版権エージェントにとっては、利益を回収できずに困ったこととなる。
「……ということで各契約ごとに、それぞれ出版社に宛てて、印税報告の記入用紙をこうやって、こちらから送付して、それを年明けに返送してもらうの」と、佳代子さん。
 過去の契約まで遡って数千件ではとてもきかない翻訳書の一点ごとの販売部数を把握しなければ、支払われるべき印税の請求を立てることもできない。本によって価格や印税率の設定にもばらつきがあるが、あらゆる契約情報がコンピューターのデータベースで管理されている。僕の前任者で今はマイクロソフトに転職してしまった原さんが、そのシステムを独力で作り上げたのだそうだ。コンピューターから吐き出されるタイトル別の用紙を印刷し、それらを送り先ごとにまとめ、カバーレターをつけて三つ折りにして封筒に収めてゆく。契約点数が多く、それに比例して印税報告書の枚数も多い出版社の場合には三つ折りにできずに、そのまま分厚い束でA4サイズの封筒にねじ込む。社名、住所、担当者名の印刷された宛名用のラベルシールを、封筒に貼り付けてゆく。単純作業ではあるが、なかには前年、場合によってはその前々年の報告から為されていないようなケースもあって、しつこく調べて追いかけなければならないという。会議テーブルのうえは封筒の山だ。
「そう言えば、たしか翻訳出版って、契約が成立してから平気で1年とか2年とか、実際に本が出るまで時間がかかるんですよね? その本がいつ出版されたのかって、普通はどうやって分かるんですか?」
 9ヶ月前に仕事に就いたばかりの僕が担当した本で、これまで実際に日本語になって出版されたのは検定試験の更新に伴って大急ぎで出されたコンピューター・プログラミングの参考書くらいだ。自分にとっては縁遠い世界の本だが、出版社から届いた見本を手にしたときには、それでも少し興奮を覚えた。
 翻訳出版契約書には、権利者に対する献本の義務を記した条項もある。日本語版を出版したら、出版社は権利者用の無料献本を6部とか10部とか、その条項により定められた数字に従い、版権エージェントを通じて送付しなければならない。その献本を受け取る際に「出版日」、「初版部数」、「販売価格」などの書籍情報があわせて報告されてくることになっており、それが契約管理のデータベースに入力される。出版社からのサンプルが届いて初めて版権エージェントの記録上、その本が出版されたということになり、印税の精算に向けた準備が契約管理業務の一環として開始されることになる。ということはつまり、たとえ実際に本が出ていても出版社からの献本が届かないから「未刊」という扱いのままになっているタイトルもあって、そんな場合には印税報告の手続きから漏れてしまう。訳書が出たのか出ていないのか、権利者からの問い合わせを受けてはじめて確認がなされるケースも稀にあり、実は2年も前に出版されていたことが後から分かって慌てる、というようなことも起こるらしい。
「印税報告が出版社から返送されてくるのは、だいたい2月から4月のあいだだから、そのときにはまた集計を手伝ってね」と、書類の詰め終わった封筒を束ねて箱に押し込みながら、佳代子さんが言う。
「……あれが始まるとまた地獄なのよねぇ」と川上さんがうんざりした顔をする。「エージェントなんて版権を右から左に動かして、それで印税の中抜きしてるだけのお気楽な商売だろ? なんて意地悪いこと言う人がたまにいるけど、そういうのに限って印税報告もまったく送って来なかったりして、腹立つんだよね。お前らのせいでこっちも楽じゃないんだよ、なーんてね」

 大晦日に遊び仲間とパーティーをして、1999年という暗示めいた年明けを祝う(そういえばノストラダムスの本の契約が何件かあった)。正月には埼玉の親元で2泊したが、そこで母親から、実は僕の就職が決まった直後に昏睡状態のようになって、10日間ほど寝込んでしまったのだと打ち明けられた。
 物心ついた頃から、家庭はずっと修羅場だった。父親は酒乱の独裁者だった。高校生になって外の世界が広がると、やがて父親が家にいそうな時間は友人宅や大学生のアパートを転々として過ごすようになった。おなじようにドロップアウトした仲間がひとり、ふたりと増えていった。デパートの屋上やゲームセンター、パチンコ屋、プレハブ造りのビリヤード場、駅前のレンタカーの事務所などに居つくようになり、2年生になる頃には完全に落ちこぼれていた。そんな我が子の行く末を案じた母親に説得されて留学プログラムのテストを受けたところ、なにかの間違いで合格した。1年間、オーストラリアのメルボルン郊外の高校へ奨学金で留学することになったが、ほどなくして高校を留年することも決まった。オーストラリアの日々は、親の呪縛から開放されて楽しいことも多かったが、だからといって、失ってしまった自制心や社会性を簡単に取り戻せるわけもなく、行った先でも結局、付き合いが深まったのは地元の悪ガキ共だった。良くない事件やトラブルがいくつかあって、留置所での一夜なども経験したのち、プログラムの終了を待たずして強制送還されて帰国となった。それでも高校はどうにかこうにか卒業したが、大学受験などできるような状態からは程遠く、TOEFLという英語の語学テストだけを受ければ入れてもらえるアメリカの大学の日本校に入学し、しばらくしてフィラデルフィアの本校に編入した。とにかく日本を離れたかったのだが、それまで勉強らしい勉強などしたことがなかったから、フィラデルフィアでは大いに苦労することになった。追い立てられるように本を読み、小論文を書かされたりしているうちに、なんというか、ものを考えることの楽しさに、生まれて初めて気づいてしまった。学校に残ったらと勧めてくれた教授もいたが、授業料も生活費の仕送りも、すべて母親がフリーランスの内職で支えてくれていたのを知っていたので、なんだか思い切れなかった。酒乱の父親は大学教員で、その頃はそこそこの収入があったのではないかと思うが、生活に足りる金を家に入れたことはおそらく無かっただろう。家にいれば昼間から酒を飲んで、夕方ごろには荒れ狂っており、いなくなったと思ったら何日も帰らないことも珍しくなかった。
 英語で覚えた勉強が楽しかったのだから、より自由になる日本語ならもっと面白いに違いない。そんなことを思っていくつかの大学院の願書を日本から取り寄せたが、帰国したときにはもう受付の期限が過ぎていた。仕方ないのでアルバイトでもしながら翌年の機会を待とうと思い、親元でだらだら過ごしはじめたある日、昼過ぎに目覚めてみると、誰もいない食卓に朝日新聞の求人広告の小さな切り抜きがいくつか置かれていた。そのひとつがフィーロン・エージェンシーのものだった。翻訳出版権のエージェントなるものがどのような仕事なのかは見当もつかなかったが、このまま親元にいれば父親とのあいだで事件が起こりそうな予感もあって、とりあえず履歴書を埋め、ぶっ飛んだ頭でソローの超絶主義について性善説的な立場から書いた卒業論文の写しと一緒に南青山の住所に送った。すると数日後に面接に来いという返事が届いた。
 フィラデルフィアでは毎日一緒にいたガールフレンドの真紀とは、帰国後なかなか会えずにいた。面接が青山なら、デートにちょうどよさそうだ。界隈には面白そうなクラブイベントがいくつかあって、いい音楽が聴けそうだった。
「すぐ終わると思うから、ちょっと待ってて」と、フィーロン・エージェンシーの近くの喫茶店に彼女を待たせ、僕は事務所のドアを叩いた。2月半ばの、まだまだ寒い夕方だった。就職氷河期という言葉も定着しはじめた頃で、僕のような人間がまともに取り合ってもらえるとは思えなかった。
 フィーロンさんがイギリス訛りの英語で、三輪さんが関西弁まじりの日本語で、ふたりが同時に話しかけてくるので、閉口した。好きな作家は誰かと訊かれ、卒論に選んだソローのことや、授業で読まされた哲学者の名前、好きで読んでいたブコウスキーとか、何冊か読んだことのあった程度のバロウズやブローティガン、フィリップ・K・ディックやウィリアム・ギブソン、ディーン・クーンツといった英語圏の作家、それからカミュとかサルトル、ドストエフスキー、カフカ、ガルシア・マルケス……、特に好きでもなんでもないスタンダールやジッド、いかにも学生が読んでいそうな横文字の名を、思いつくままに脈絡なく散りばめた。クーンツについては実は読んだことがなかったが、真紀が好きなホラー作家だった。外で待たせている彼女のことが気になって、つい口をついて出てしまったのだが、おかげで読書の幅を褒められた。それがやや後ろめたくて、慌ててスティーヴン・キングを付け加え、いい加減な感想を披露する羽目になった。
「よし、時間があるならこれから一杯飲みに行こう」と、フィーロンさんが時計を見た。座ってまだ20分も経っていない。履歴書に同封した卒論の内容が気になったから飲んで話をしようと思って夕方の最後の時間に面接することにしたのだと言われ面食らったが、嬉しくないわけでもなかった。
 近所に人を待たせていると打ち明けると、ならば連れて来いという。三輪さんは仕事を残しているからとついてこなかったが、途中でベテラン社員の窪田さんが顔を出し、酔っ払った僕に二、三、簡単な質問をして帰っていった。結局、フィーロンさんと真紀と僕の三人でワイングラスを傾けながら、留学時代のことを中心に2時間も談笑したのち解散した。もはや面接という感じでもなく、これで仕事に就くなどとは思いもしなかったが、翌週には採用を告げる電話があった。都内に部屋を借りることを条件とされ、留学前にやっていたバンドでたまにライブをしていた下北沢の近所、豪徳寺に手頃なワンルームアパートを見つけ大急ぎで契約した。1998年3月2日(月)が、記念すべき初出勤日となった。

 本の世界を覗くことになり、ありとあらゆるテーマで書かれた本が出版されていたことを初めて知った。僕が現実逃避のために読んできた種類の小説は「文芸」と呼ばれており、出版点数も多いとは言えず、またとにかく金にはならない種類の本、という位置付けだった。
 印税報告の用紙をまとめながら、それまで自分が読もうと思いもしなかった種類の本の多さに改めて驚かされる。フィーロン・エージェンシーの扱った本のなかで、その年に大きな部数を売り上げていたのは『80対20の法則』(TBSブリタニカ)というビジネス書だ。100万円ほどの印税前払い金で契約されたアメリカの本だが、その額を超えて既に数倍の印税を稼ぎ出しているとのことで、事務所の目立つところに堂々と飾られていた。自己啓発書やお金の本などを含むビジネス系ノンフィクションこそが、翻訳出版の一大ジャンルなのだと知った。学生時代は遊びにいった友人の部屋の本棚に『マーフィーの法則』なんかを見つけようものなら意地悪くからかったりしていたが、この年はリチャード・カールソンというアメリカ人のセラピストの書いた『小さいことにくよくよするな』(サンマーク出版)という自己啓発書が売れに売れていて、どこの書店に入ってもあの赤い表紙が目についた。100万部を超える大ベストセラー、いわゆるミリオンセラーだという。もう1億円以上の印税を日本だけで稼ぎ出している計算だよ、つまりエージェントには少なくとも1千万円のコミッションだと興奮気味に電卓を叩く経理の渡嘉敷さんは、それが自社の仕事ではなかったことを心の底から悔しがっているようだ。
「そういう本を見つけよう。いつまでも学生気分で売れない本ばかり読んでいたらダメだよ、マリオ君! 本好きの学生なんて、言ってみれば人口の1万分の1もいないだろ。実際に本を買う人の多くは30代から60代くらいまで、つまり購買層の厚さがちがうんだよ! もっともっと大きなマーケットを目指していかないと!」と、ギラギラした目の渡嘉敷さんに煽られる。確かに彼の言うとおり、特にジャンルの定まらない小説なんて、いくら出版社に紹介したところで、なかなか契約には至らない。検討してくれる出版社も多くなく、つまり競合関係もないものだから、企画を預けてから結論を出してもらうまで、かなりの時間を待たされる。それに比べてビジネス書や自己啓発書といった本は、なにか切り口さえはっきりとしていれば、出版社もすぐに結論を出してくれる。渡嘉敷さんの言うことには一理も二理もあるのだろう。
「トカちゃん、たまにはいいこと言うじゃない」と、聞き耳を立てていた三輪さんも我が意を得たりという顔だ。「実際、問題に行き当たったり必要に迫られたりして、はじめて本にヒントを求めるという読者は多いからねぇ。フンフン。君はまだそんなに困ったことないかも知らんけど、社会に出て仕事を持ったら解決を迫られる物事って多いんよ。誰も教えてくれないけど学ばなきゃならないことだって多いしねぇ。フンフンフン。趣味の読書よりも、実用書。そういう本の方がやっぱり数が出るっていうのがリアリティやね。そういうフックのある本やらなあかんわ」
 そう言いますけど、僕だって必要に迫られて本を読んできたんですよ、と反論しようとして言葉を飲み込む。言われてみれば、僕の読書なんてただの時間つぶしだったような気もする。家に帰ることもできずに、金もなく、時間だけはあった十代のあの頃、ゲームセンターで遊ぶ小銭もなくなれば、本を読むことや音楽を聴くことくらいしかできることがなかった。インターネットなどまだなかった時代の話で、新しい音楽を手に入れるのだってバカにならない金がかかった。
 でも、やっぱりなにか釈然としない。

 年が明けて、仕事に戻る。
 帰宅すると真紀の靴が玄関にあって、部屋は暖かかった。電気をつけたまま眠っている。声をかけて話し相手になってもらおうと考えたが、気持ちよさそうに寝息を立てているので、あきらめて冷蔵庫のビールをあける。枕元に見馴れない文庫本が転がっている。オノ・ヨーコの『グレープフルーツ・ジュース』(講談社文庫)という本だ。なんの気なしに手に取ってページを開くと、詩集のようだ。エピグラフにあるのは、更に見馴れた名だ。「ぼくがこれまでに燃やした本のなかで/これが一番偉大な本だ ――ジョン・レノン 一九七〇年」
 第二次世界大戦中の疎開先の、オノ・ヨーコと、その7歳の弟がお腹を空かせたエピソードが「序」として短く綴られており、それから詩がはじまる。
「想像しなさい。」
 そうか、これがあの曲の原型になったのだと知る。「イマジン」は確か1971年だ。
「呼吸しなさい。」
「一本の線を引きなさい。」
「地球が回る音を聴きなさい。」
「穴をひとつあけなさい。」
「想像しなさい。」
「さわりなさい。」
「絵を描きなさい。」
「空のバッグを持ちなさい。」
「いちばん近い噴水に行きなさい。」
「お湯をわかしなさい。」
「出入りする小さなドアをつくりなさい。」
「行きなさい。」
「握手しなさい。」
 ……いくつもの不思議なアドバイスが連なっている。
「この本を燃やしなさい。」
 もとは『グレープフルーツ』というタイトルで、1964年に日本語で出された本が、70年に加筆されて英語になって、それが今年になって改めて和訳され『グレープフルーツ・ジュース』として出版されたと書いてある。ジョン・レノンが本当に燃やしたのだとしたらちょっと可笑しい。

 2本目のビールをあけて、参考に読めと渡されていた、『小さいことにくよくよするな!』の目次を開く。
「完璧な人間なんて、つまらない」
「成功はあせらない人にやってくる」
「人の話は最後まで聞こう」
「もっと忍耐力をつける」
「人生は不公平、が当たり前」
「自分の葬式に出ているところを想像する」
「知らない人にほほえみ、目を合わせてあいさつ」
「むかつく相手を、幼児か百歳の老人だと想像する」
「暗い気分に流されない」
「人はそれぞれにちがうことを理解する」
「話す前に息を吸う」
「もっと穏やかな運転手になろう」
「人のせいにするのをやめる」
「今日が人生最後の日だと思って暮らそう」

 ……どちらも似たようなものかと、3本目のビールで酔いが回りはじめた頭で思う。しかしなにか、決定的に違う気もする。こっちの方が100倍も売れている。やはり釈然としない。本ってなんだろう。
 休暇明けで、頭が仕事の現実になかなか戻らない。

To be continued…


PROFILEプロフィール (50音順)

田内万里夫(たうち・まりお)

1973年生まれ。埼玉県出身。版権エージェント(現在はアルバイト)。マリオ曼陀羅の名義で画家としても活動、国内外で作品発表をおこなう。主な展示として『LOVE POP! キース・ヘリング展 アートはみんなのもの』壁画プロジェクト【キースの願った平和の実現を願って】(伊丹市立美術館・2012年)などがある。著作に『心を揺さぶる曼陀羅ぬりえ』(猿江商會)。本書はイギリス、台湾、イタリアでも刊行。訳書に『なぜ働くのか』(朝日出版社/TED BOOKS)。


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なぜ、不満を抱えながら働く人がこんなにも多いのだろう? 問題は「人間は賃金や報酬のために働く」という誤った考え方にある。今こそ、仕事のあり方をデザインしなおし、人間の本質を作り変えるとき。新しいアイデア・テクノロジーが必要だ。そうすれば、会社員、教師、美容師、医師、用務員、どんな職務にあっても幸福・やりがい・希望を見出だせる。仕事について多くの著書を持つ心理学者がアダム・スミス的効率化を乗り越えて提案する、働く意味の革命論。

「本書は、AI時代における僕たち人間のサバイバルそのものを根源的に問う一冊でもある」解説冊子より
松島倫明(WIRED日本版編集長)