そうか、竹俣さん「女流棋士」やめちゃうのか……誰でもなれるものじゃないし、もったいないなあ……とは思ったんですよ。
でも、それと同時に、現在・早稲田大学政治経済学部に在学していて、タレントとしてかなり活躍されているというのを考えると、「女流棋士」という仕事よりも、別の世界に魅力を感じるようになった、というのもわかるのです。
プロ棋士というのは、まさに「天才たちが頭脳を競って生きていく勝負の世界」なのですが、羽生善治さんや佐藤天彦さんのようなごくひとにぎりの天才のなかの天才(もちろん、藤井聡太さんもこの中に入ってくるのでしょう)でないかぎり、プロになることの難しさに比べて、待遇面では、そんなに恵まれた仕事ではないのです。
プロ棋士の平均年収は700~800万円程度で、最低でも400万円くらいなのだとか。
もちろん、羽生さんのように、1億円くらい稼いでいる人もいるわけですが、逆にいえば、羽生さんですら、そのくらいでもあるわけです。
ただ、「本当に好きなことをして食べていける」ということを考えれば、けっこう良い仕事、でもありますよね。
ずっと研究し続け、勝ち続けなければならないのは、すごくキツイことではあるだろうけど。
ただし、竹俣さんは、「女流棋士」なので、奨励会を突破して四段になった「プロ棋士」とは違って、固定給はなく、将棋による収入はかなり低くなってしまいます。
女流棋戦の賞金総額は推定5000万円で、女流棋士としての賞金収入は、それらを現役の約50名で分け合うことになり、1人あたりの賞金は100万円程度になります。それとは別に指導対局やイベント出演などで稼ぐことはできるのですが、それでも、そんなに高収入というわけにはいきません。タレント性みたいなものを要求される仕事をするのであれば、それこそ、竹俣さんのように、テレビタレントとして活躍したほうが、よほど実入りは良いはずです。
もちろん、お金が欲しいから、というよりは、将棋が好きだから棋士になっているのでしょうから、お金だけが判断基準にはならないのでしょうけど、女流棋士だと、将棋だけでは食べていくのは難しい、という収入なんですね。
女流棋戦はそんなに数が多いわけではないので、対局数も「プロ棋士」より少ない。ちょっと検索した限りでは、竹俣さんで、だいたい月に1局くらい、女流最強の呼び声も高い里見香奈さんで、月に2~3局(年間20~30局)くらいです。
里見香奈さんよりも竹俣紅さんのほうがおそらく知名度が高い、ということは、女流棋士の置かれている状況の象徴でもあるのでしょう。
女流棋士の香川愛生さんが書いた『職業、女流棋士』という新書があります。
fujipon.hatenadiary.com
香川さんは、女流棋士としてデビューしたあと、プロ棋士になるために、奨励会(プロ棋士の養成機関)に挑戦しています。
女流では屈指の実力者である香川さんにとっても、年齢制限があり、プロ棋士にたどり着くために勝ち続けるしかない奨励会は、とてつもなく厳しい世界だったのです。
香川さんは四段に上れないまま奨励会を退会し、大学に進学しますが、のちに女流棋士として復帰します。
僕は、現状において、スポーツの競技の「男女別」は、やむを得ないとしても、将棋で、そんなに男女差があるのだろうか、と感じていたのです。
それは、男女の将棋に対する向き不向きというよりは、競技人口の差や「プロ」を目指そうとしたときの周囲のバックアップの差が大きいのではないだろうか。
その理由はさておき、とりあえず現状では、奨励会を突破して四段になった女性はいません。
香川さんは、「女流棋士」という存在について、こんなふうに仰っています。
渋めの色合いが好まれる棋士に比べ、対局やイベントの際の女流棋士の着物は色とりどりです。公開対局やトークショーのあるイベントは、和服でいっそう華やぐのです。笑顔で明るく、将棋の普及をする。先輩がたから学ぶ女流棋士の重要な仕事のひとつです。
しかし時に、聞き手や普及活動に重きを置く女性棋士に対して、勝負からの逃避や諦めという非難があるのも事実です。包み隠さず言えば、自分も奨励会時代は似たような感想を持っていました。これは正当な批判なのでしょうか。
もちろん、将棋に力を注ぐのはプロとして当然のことです。以前は「一意専心」、つまり将棋以外に力を入れるべきではないというのが業界の通念でした。それでも、いわゆる華は、容姿においても棋譜においてもひとつの重要なファクターです。大事なのは不用意に傾倒しすぎない効率と管理であり、キャパシティの問題です。将棋でも同じですが、特に流行に関しては、神経と時間の負担を減らしながら効果を出す方法の探索は重要です。
「女流棋士」というカテゴリーそのものが、「最強の棋士」を目指すべき存在である「プロ棋士」とは、すでに別枠になっているのではないか、というジレンマは、やっぱりあるのだと思います。
プロスポーツであれば、体格や筋肉のつきかたに「男女差」があるので、男女がそれぞれの「ナンバーワン」を目指すということに、そんなに抵抗はない(というか、男女別であることに、みんな慣れてしまっている)。それでも、男子にだって負けたくない、という女性アスリートは少なからずいるのだけれど。
女流のなかではどんなに強くても、現状「奨励会の壁」を突破することもできておらず、収入もけっして多くはない。普及の現場でも、「聞き手」であることや「タレント性」を求められてしまう、という「女流棋士」というのは、将棋好きであれば憧れの仕事であるのと同時に、実際になってみたら「こんなはずじゃなかった」っていうことが多いのではなかろうか。
竹俣さんであれば、他の世界でも「主役」になれる可能性が高いだろうし。
逆に言えば、「女流棋士」という、「頭がいい人であることをわかりやすく説明してくれる称号」を自ら捨てる決心をしたというのは、すごいことではありますよね。将棋のほうは開店休業状態で名前だけ残しておいて、タレント業のための武器にしていくことだって可能なわけで、僕だったら、たぶんそうしたと思います。極論すれば、月に1回くらいの対局は適当に流してしまうことだってできる(もちろん、それはさすがに対戦相手にも将棋にも失礼、ではありますね)。
ある意味、将棋が好きだからこそ、女流棋士を「卒業」することにした、とも言える。
今回の竹俣さんのような選択もあれば、奨励会で三段リーグにまで到達しながら、プロ棋士への最後にして最大の壁を突破できず、年齢制限で退会したのちに、アマチュア名人からプロ編入試験を受けた瀬川晶司さんのような人生もある。
竹俣さんだって、もしかしたら、また将棋の世界に戻ってくることだって、あるかもしれない。
考えてみれば、20歳の人が、自分のやりたいことを変える、なんていうのは、よくあるというか、当たり前の話なんですよね。
多くの人の「夢」みたいなものが、結果的に「踏み台」になったように見える人へのなんだかスッキリしない感情は、僕にもあるのだけれども。
そういえば、最近こんなエントリもありましたよね。
anond.hatelabo.jp
こんな才能を「ゲームなんか」で浪費するのはもったいない、のか、「ゲームだからこそ」才能を発揮できる、という人が世の中にはいるのか。
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