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Monday, March 21, 2016

How's it going? - いつかまた会える日まで

自分の人生にとってすごく大切なコンテンツのひとつに、さかいゆうの「君と僕の挽歌」という曲があります。さかいゆうが交通事故で亡くなった高校時代の親友を思って作った、その名の通りの美しいレクイエムで、ちかしいひとを亡くしたばかりの方であれば、たぶん心のふるえがとまらなくなってしまうかもしれません(ちなみにわたしがこの歌に心揺さぶられたのは、誰か大切なひとを亡くしたからではないのですが、それはまた別の機会に)。




さかいゆうはあるライブで、この友人が亡くなったとき「不思議と、つらいとかかなしいという感情よりも、感謝の気持ち - 僕と出会ってくれてありがとうという気持ちが強く湧いてきた」と振り返っていました。もちろん、いつもそばにいた友人がいなくなったことは受け入れがたいし、「How's it going? 調子どうですか」と声をかけても返ってこない現実は堪えるでしょう。それでも「こんなに別れがつらいなら出会わないほうがよかった」ではなく、「ああ、こいつと出会えて本当によかった」という感謝の気持ち、もう友人はこの世にいないけれど、その出会いから得たものはこれからの自分の人生を一生支えていくという確信、それを「これからも、よろしくね」という思いに変え、どうしようもないさびしさに押しつぶされそうな自分をよろよろと前に向かわせている - 重たいテーマの曲ですが、聴き終わったあとにはうっすらとではあるけれど希望の光が見えてくる気がします。かけがえのないひとを失っても、自分は生きていかなければならないという現実を、すこしは受け入れられる心持ちになってほしい、そんな作り手の気持ちがすーっと心にしみいってくるようです。

もうひとつ、大切なひとを見送ることの大切さが胸に迫る文章を紹介しておきます。1981年に飛行機事故で急逝した人気作家の向田邦子さんへの追悼文として、向田さんの書籍のイラストを数多く手がけた風間完さんが、向田さんが亡くなってから編まれた「男どき女どき」のあとがきに寄せた一節です。
人世は夏の日の水面に忙しげに小さな弧を描く水すましのようなものかもしれぬ。
それぞれが何がしかめいめいの仕事を了えて、どこかへ翔んで行き、いなくなってしまう。
向田さんもせっせと仕事をしてやがてどこかへ翔んでいってしまった。
悠久から見れば人が創る作品など水すましが水面にくるくると描く小さな輪のようなものかもしれぬ。
しかし人は生きている限り、たとえ偶然のめぐり合わせにせよ、出会った人々やその作品からうけた感銘というものを大切にする。それはその人の生涯の大切な宝である。
大切なひとから受け取ったものを、自分の人生をかけて大切にする、それは残された人間にとっての義務、というよりはそのひとがくれた最高の機会のような気がします。その宝物が心のなかにあるかぎり、そしてあなたが「How's it going?」と声をかけ続けているかぎり、そのひととはまたどこかで必ず会えるはずですから。

Friday, January 1, 2016

雪と霙と氷と霜と… 2016年の始まりに寄せて

2016年がはじまりました。めずらしく1年の最初の日にブログを更新してみます。

1年の始まりに必ず読む文章があります。大学受験に備えていたとき、国語の問題集にあった高村光太郎の「冬」という詩なのですがはじめて読んだときの鮮烈な印象はいまも忘れられません。そして読み返すたびに、いつもいつも違った心持ちを覚えます。自分の変化とともに、この詩が与えてくれるものも毎年変わっているのかもしれません。



新年が冬来るのはいい。
時間の切り替えは縦に空間を裂き
切面は硬金属のようにピカピカ冷たい。
精神にたまる襤褸をもう一度かき集め、
一切をアルカリ性の昨日に投げ込む。
わたしは又無一物の目あたらしさと
すべての初一歩の放つ芳しさとに囲まれ、
雪と霙と氷と霜と、
かかる極寒の一族に滅菌され、
ねがわくは新しい世代というに値する
清楚な風を天から吸はう。
最も低きに居て高きを見よう。
最も貧しきに居て足らざるなきを得よう。
ああしんしんと寒い空に新年は来るといふ。

身も心も切られるような、1年でいちばん寒い時期に新年はやってきます。さむさとつめたさがすべてを"滅菌"してくれる年の始め、ふるい自分という"襤褸"をすべて捨て去り、"ピカピカ冷たい""切面"に最初の足跡を刻む"初一歩"を踏み出そう - この詩はいつも、わたしがどんな状態にあっても受け容れ、包み込んでくれました。個人的にキツいことがつづいた2015年でしたが、あらためて今日、この瞬間から初一歩を踏み出せる気がします。

どうかみなさまにとって、そして世界にとって、幸多い1年でありますように。つらい思いをしている人々のかなしみが少しでも癒えますように。わたしはしがない物書きですが、自分の書くものがほんのすこしでも誰かを力づけるきっかけになることを、そして"新しい世代"の誕生を促す存在になることを願いながら、ただひたすらによい文章を書き綴っていきます。みなさま、本年もどうぞよろしくお願いいたします。

Friday, May 22, 2015

動くには、理由がある - "運動"という意味のcause

ばかみたいに海外出張が多いくせに英語がちっとも上達しないわけですが、正直、もううまくなることはあきらめています。居直りもはなはだしいですが、インタビュー相手には申し訳ないけどこちらのヘタな英語でがまんしてもらうことにしました。だってネイティブじゃないしさー、大きな声で話すこと、ボディランゲージを大げさにやることで、語学力のなさをカバー…されてないんだろうな、きっと(しょんぼり)

ただ、毎日少しずづでも英語に触れていないとほんとうに錆びついてどうしようもなくなってしまうので、仕事のための大量英文記事リーディングのほかに「Duolingo」という語学学習アプリをスマホにいれて寝起きや空き時間にちまちまとやっております。すごくシンプルな例文を20ほど、瞬間的に読む/書く/聞く/話すをひたすら繰り返す。うーん、例文がちょっとシンプルすぎるかなあ、レベルが低いかなあ…と思わないでもないんですが、「へー、英語でこう表現するんだ」という気付きも多くて、けっこう楽しくやっています。まあ、この程度の学習で上達するとは思っていないんですが、やらないよりはかなりマシかなあと。ちなみに現在のレベルは15です。ときどきサボってしまうのですが、フクロウにうながされつつ、細々と続けているかんじですね。

で、昨日のレッスンでこんな和文→英文の問題がありました。
彼らはその運動を支援する。
運動? あーexerciseでいっか、とあまり考えもせず瞬間的に「They support the exercise. 」と書いたわけですが、当然×。うぅ、これだけで筆者のお寒い英語力がおわかりになるかと思いますが…正解は
They support the cause
でした。えー運動ってcauseなの? 原因とか理由じゃないのcauseって!?

こういうときはおなじみの「アルク」に頼るのもいいんですが、英英辞典のサイトで確認するとより理解が深まります。今回はDictionary.comで引いてみたところ、6番目の説明にありました。
a principle, ideal, goal, or movement to which a person or group is dedicated:
the Socialist cause; the human rights cause.
「個人やグループがその身を捧げて取り組んでいる理想やゴール、ムーブメント」という感じでしょうか。何か人を具体的な行動へと突き動かす"理由"がある、だからcauseが"運動"に当てられているのかな…と想像しました。ちなみにアルクにも「support a cause: 大義に資する、運動を支援する」という記載がありました。supportとペアで覚えておいたほうが良さそうですね。

ここまで調べると、もう少し具体的に使われている例を知りたくなってついついGoogle先生のニュース検索でsupport a causeでチェックしてみたところ、ちょうどよい素材がありました。
Brides Against Breast Cancerという乳がんと闘う結婚間近の女性とその家族を支援する団体が、ファンドレイジングで集めたウェディングドレスを格安で販売するというニュースです。乳がんの闘病という苦しいエクスペリエンスを、ウェディングドレスという幸せの象徴のような存在でつつみこむ - たしかにSupport A Good Causeというフレーズにぴったりの運動です。動くべき理由がそこにあるという感じがすごく理解できます。

もう英語が上達することはないと自覚はしていますが、こういうふうに知識がひとつひとつ増えていくプロセスはわりと楽しかったりします。"運動"という意味のcause、そのうち使う機会があるといいのですが。

Monday, January 20, 2014

妄想女子の理想をカタチにした25年前の名曲

Facebook経由で回ってきたんですが、このまとめ、おもしろいですね。ついニヤニヤしながら読み込んでしまいました。


それにしてもみなさんバックハグがすきですねー。筆者はゴルゴ13と同じで、他人に後ろに立たれるのがすごーく嫌なので、この感覚はあまり理解できないんですが。

このまとめを読んで、チェッカーズの「素直にI'm Sorry」というなつかしい曲を思い出しました。若い人はご存じないでしょうけど、チェッカーズをリアルに聞いてた世代でも知らない人が多い曲かもしれません。カラオケのチェッカーズベストにはたいてい入ってるんですけどね。喧嘩したカップルが仲直りするまでのヒトコマを描いた曲ですが、当時最高にカッコ良かったフミヤが妄想女子の理想を4分強の間だけ満たしてくれています。



あらためて聞くとナオユキのサックスがすごくすきだー。

個人的にツボなのは2番の内容、女の子が激おこ状態で彼氏にメッセ残したものの、エネルギー使い果たして眠り込む、そこに留守電聞いた彼氏があわててやってきて抱き起こされて、寝ぼけまなこで( ゚д゚)ポカーンとしている……うう、文字にするとなんてはずかしいんだwww まさしく「ただしイケメンに限る」の世界です。

いやー妄想ってすばらしいですね、ホントに。妄想はイノベーションの原点、人類だけに与えられた特権です。そう考えると彼氏いませんタグにはものすごくたくさんのヒットのヒントが隠されているような気がします(←てきとう)。

Saturday, December 7, 2013

出戻りフリーランス

すごく久々の投稿になってしまいました。ブログはあんまり向いてないのはわかっているんですが、もう一度挑戦してみようと思い立ち、年末のこの忙しい時期にこっそり更新しています。

今月から再び完全にフリーランスに戻ることになりました。今までは小さな会社組織にしていたんですが、素人がよくよく考えもせず、軽い気持ちで会社の立ちあげに参加してしまったことを、2年経ってすごくすごく反省しています。現在、トラブル続きでちょっと疲弊していますが、すこし解決の陽の目が見えてきたかなー…と信じたい(泣)

つらいのは、事務所として借りていた場所を引き上げることで、だいすきな恵比寿を離れてしまうこと。まあ、別に恵比寿には食事なんかでよく行くんですが、仕事の拠点にできなくなったことは本当に痛い。でも仕方ないですね。なるべく遠くないうちに戻ってこれるように、仕事がんばるしかないかなーと。

フリーランスとしてあらためて発信の幅を拡げられるよう、ただいま粛々と準備中です。このブログの再スタートもその一環ということで、なるべく続くようにがんばってみます。つか、その前にバックオーダーで抱え込んでいる原稿をなんとかしないと…(_ _;)

Thursday, March 8, 2012

デブサミの資料を公開しました

先月、デブサミ2012でちょっとだけお話をさせていただく機会がありまして、資料の公開を、とお願いされていたのですが、ちょっと悩んでおりました。わりとプライベートな内容だったので。

でも最近、リストラという言葉がものすごく簡単にメディアで使われるのを見て、本当にそのつらさを知っている人間としてはひどく心が痛むんですね。他者に人生の大事な転機を乱暴に決められることがどんなに心身をぼろぼろにするか、急に先のことが何も見えなくなることがどんなに不安か、お前なんかいらないよと乱暴に言い渡されることがどんなにプライドをずたずたにするか。「1,000人単位のリストラ」とか聞くと、あんな思いをする人が1,000人も生まれるのかと考えるとほんとうにつらい。

そんなつらい体験は、誰であってもする必要がないです。リストラなんかされる必要はないんです。自分から会社をリストラしてやればいいんです。ちゃんとスキルが身についているはずなんだから。

1年前の今日、3月20日までに出て行ってと言い渡されたときの衝撃は、いまもはっきり残っています。この感情と一生付き合ってくのは正直、我ながらめんどくさいw でもしょうがないですね。馬鹿な上司と大嫌いな会社にもかかわらず、仕事は楽しいから、仲間は好きだからと、自分をだましだまし、4年半も働いていた罰なんだと受け留めています。

というわけで、Facebookにもつらつら書きましたが、そんな思いをする人がひとりでも減ればいいなあ…とかるく願いをこめて、とりあえず公開してみました。いろんなご意見があると思うし、共感できない人も多いかもしれません。誰にでも当てはまることじゃない、あなたは運がよかったんでしょ、とも言われましたが、1年間、まがりなりにもフリーでやってこれた人間のちょっとしたノウハウが、すこしでも誰かの役に立つなら、何かを考えるきっかけになったら、ほんとうにうれしく思います。

Wednesday, November 9, 2011

『坂の上の雲』のプロデューサー氏が去年話したこと


もうすぐNHKで始まる『坂の上の雲』の第3部。お笑い大河ドラマの『江』と違って、NHKの底力が結集したような本当に良い作品です。

去年のいまぐらいの時期、ちょうど『坂の上の雲』の第2部が始まる直前にOKIのプライベートイベントに仕事で行く機会があって、NHKの西村与志木エグゼクティブ・プロデューサーの講演を聞きました。PCのデスクトップに散らかっている古い取材メモを整理していたら、そのときのメモも出てきたので、第3部も始まるころだし、残っている記憶を頼りにさらっとまとめてみようかと思います。ちなみに第2部は、正岡子規と広瀬武夫という秋山真之の2人の親友の死がテーマでした。


  • 『坂の上の雲』は司馬遼太郎が40代で書き始めた小説。執筆に10年をかけた大作で産経新聞で4年かけて連載された。作品の舞台は日清戦争と日露戦争。
  • 司馬遼太郎は存命中、『坂の上の雲』の映像化を何度も打診されていたが、決してOKしなかった。その理由は、冷戦時代の最中に日清日露を扱った小説を出したことで、右翼と左翼の両方からさまざまな攻撃にさらされたことが大きい。右翼からは「乃木将軍の描き方がけしからん」、左翼からは「戦争を賛美するのか」とさんざんに決めつけられた。司馬さんは「自分の書いた文章が非難されるのはまだ我慢できる。しかし映像となれば自分の手を離れてしまい、思い描いたものと違うものになる。それで非難されるのはたまらない」と言っていた。
  • 1980年代までに、司馬遼太郎原作の大河ドラマは何本も製作されていたので、司馬さんはドラマの出来がだいたい予想がついていた。つまりすごく"貧乏臭い"作品になるとわかっていた → 時代劇は予算がなかったので、後半になると障子やふすまを背景にした"侍ミーティング"のシーンが増えた。庭のあるシーンは極力減らされた。『坂の上の雲』がそんな貧乏臭い映像になった挙句、右翼左翼からさらなる激しい攻撃を受けるなんて、司馬さんにとって耐えられないことだった。
  • 1996年に司馬遼太郎が亡くなる。その後、2000年に『菜の花の沖』がNHKでドラマ化、北前船のロケの現場で福田みどり夫人の説得を開始する。みどり夫人から「西村さんはなぜそんなに『坂の上の雲』を映像化したいのか」と逆に問われ、「いまの若者は本を読まない。しかしすばらしい映像作品を作ったら、そこから影響を受けて原作を読み始める人が増えるはずだ。僕は若者に『坂の上の雲』をどうしても読んでもらいたい」と答えた。結局、1年かけてようやく映像化の許可を得た。この時点で2001年。司馬さんが断り続けた時代に比べて、はるかに映像技術が進歩したという点も、夫人が許可を出した大きな理由のひとつ。
  • プロジェクトチームを作り、脚本づくりが開始(ちなみにベースの脚本は2004年に自殺した野沢尚が書き上げた。私はこの人の作品が大好きで、亡くなったことはいまでもすごく残念)。作品の時代背景などのリサーチも始まる。諸処さまざまなことがあり、ようやく2008年に撮影が開始。
  • 最初の放送は2009年末の第1部。以後、2010年に第2部、2011年に第3部を放送する。撮影も3年がかり、放送も3年がかり、こんな作品はNHKの中でもほかにない。
  • 第1部は大好評だった。終了すると「どうして、こんないいところで終わるんだ!」と視聴者からお叱りの電話がたくさん。そう言われても、そこまでしかできていなかったのでしょうがない。本当に、できたそばから放送してる。(2010年末の時点で)第3部もまだ撮影続行中。再放送をやるので、見逃した方だけでなく、2回でも3回でも見てほしい。何度見てもおもしろいから。宣伝臭く聞こえるかもしれないが、本当に自信作。この作品を作りたくて自分はNHKに入ったといっても過言ではない。
  • 第2部の見どころ1: 広瀬武夫に注目。第2部の主役はある意味、広瀬。戦前は軍神として奉られたが、戦後はその反動から歴史から名前が消えてしまう。司馬さんはおそらく広瀬を正しく評価したかったのでは。アリアズナとの恋を描いた部分は『坂の上の雲』における宝石のようなシーン。
  • 第2部の見どころ2: 真之と子規の友情。というより2人の関係は友情という言葉では表せない。香川照之は子規役のために17kg減量した。真之の「戦場で散る命も病床で死ぬ命も同じ」という言葉が重くて深い。
  • 司馬遼太郎は、おそらくこの先を書きたかったのではないか。日論戦争(1904年)のあと、日本は坂道を転げ落ちるように太平洋戦争に突入していった。そして1945年に終戦。価値観がなにもかも変わった。そして司馬さんは1985年、バブルが始まるころにこの作品を書いた。こうしてみるとだいたい40年周期で日本は大きな転換点を迎えている。1985年から40年後の2025年、社会の主役となっているはずのいまの若者たちにとって、この作品が何かのヒントになればいいと思っている。


…2025年を待たなくても、もうすでに大きな転換点を日本は迎えているような気もしますが、後世に司馬さんのメッセージを伝えたい、という強いプロデューサー魂が伝わってきた講演でした。こういう大きな作品を作る才能と機会に恵まれた人は、やはり自然とそれにふさわしい風格が備わるものなんだなーとちょっとうらやましくもあり。

というわけで第3部もたのしみにしてます。

Tuesday, October 4, 2011

半年前はしょぼくれていたんだなー

また久々の更新になってしまいました。とほほ。現在、出張でサンディエゴにおります。海が近くて気候がよくて、ほんとにいいところ。こういうところでのんびり暮らすのもいいなあ。

カリスマブロガーのちきりんさんが退職メールを募集されているのをみて、そういえば半年前にクビになったときに、仲良しの同業他社のみなさんにご挨拶メールを書いたなあ…と探してみたらありました。大地震の直前、たしか2、3日前のことです。

このメールを書いた前日に会社から出ていくように言われました。突然、目の前から目標とかToDoとかすべて奪われて、かなり動揺していたはずなんですが、なぜか必死で自分を保とうとしていたんですね。読み返すとモノ書きのくせに文章がめちゃくちゃだw この直後、地震にあわせたかのように、私自身もゲシュタルト崩壊みたいな感じになり、しばらく完全に引きこもり状態になってしまいました。いまとなっては馬鹿だなあと思う反面、あのときの自分がすこし可哀想で、そんなにかなしまなくていいんだよ、と声をかけたい気にもなります。

フリーランスとしてかなり充実したお仕事をさせていただいている現在ですが、あのときの感情はたぶん一生忘れられないと思います。ちなみにこのメールは20人くらいにお送りさせていただいたんですが、地震直後の自粛ムードにもかかわらず、全員プラス数名の方々があつまって壮行会を開いてくれました。そのことも一生忘れないと思います。

あ、ちなみに4年半勤務していましたが正社員ではなく、業務委託契約でした。法律違反ではないけど、4年半も働いたんだから、せめて1カ月以上前に通知してほしかったなあ、と今でも思います。


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皆様、おつかれさまです。
マイコミジャーナルの五味です。

一部の方はすでにご存じかと思いますが、
3月いっぱいでマイコミジャーナルを辞めることになりました。
皆さんには出張や取材で大変お世話になり、仲良くしていただいて、
本当に心の底から感謝しております。
ありがとうございました o(_ _)o

今週の月曜日に3月中に退職するように通達され、
正直、未だ気持ちの整理がついていない状態ですが、
ライターの◯◯さんから、しょぼくれていないでさっさと動けと昨日飲みながら叱られ、
実質的には来週いっぱいで出社しなくなるので、来週から新しい仕事を考えようかなーと。
具体的には決めていませんが、
皆さんと今後も現場でご一緒できるような仕事ができればなーと漠然と思っています。

というわけで今後ともよろしくお願いします。
よければ、近いうちに一緒に飲んでくださいねー

ではでは、とりいそぎ、
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Saturday, July 30, 2011

砂漠の花

気がついたら全然更新していなかったなあ。複数のSNSでの情報発信って、皆さんどのように使い分けているんでしょうか。

7月はMicrosoftのWorldwide Partner Conferenceというイベントの取材で米国出張をさせていただき、いろいろ勉強になりました。追加記事もおいおい、いくつかのメディアで掲載していただく予定です。

WPC後、仕事の合間を縫って、ラスベガスから車で3時間くらいのところにあるザイオン国立公園にトレッキングに行ってきました。日本では見られない、超ダイナミックな景観には本当に圧倒されます。

青い空と赤い岸壁のコントラストが強烈です

トレッキングでは豪快な景色の連続だったのですが、トレイルのところどころに小さな花が咲いていました。周りの男性的な景観とは対照的な、可憐ではかなげな姿に心惹かれます。







サボテンに咲いた花

大好きなスピッツの「砂漠の花」という曲が頭の中で響きました。正確には砂漠に近いところの花ですが。弱々しそうでいて、過酷な大地でもしっかり根を張っている姿は生きていく力にあふれています。

またいきたいなー。