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December 30, 2010

象牙海岸から見る、民族と国家。

11月に行われた象牙海岸(Ivory Coast)の大統領選挙の結果が混乱して、まだ収束してません。選挙は現職大統領のバグボ(Gbagbo、グバグボとも。日本語での表記は確定していない)候補と、元首相のワタラ(Ouattara)候補の間で戦われたんだけど、同国南部を支持基盤とするバグボ候補(=選挙時点での現職大統領)は北部地域(ワタラ候補の支持基盤)の投票には不正があったので無効であるとしてその部分を除いた選挙結果を元に勝利宣言。ワタラ候補側は、全土の選挙結果を見れば当然ワタラ候補の得票数が多いとしてこちらも勝利宣言。どちらも引かない状況となってます。

国際選挙監視団、アフリカ連合、国連、欧州連合等は、選挙に際し若干の暴力は見られたものの、ワタラ候補側が勝利したと認めて、ワタラ候補側が任命した大使を正式な大使として認める、といった対応を取ってます。でも、バグボ候補側が引く気配がなく、二人の大統領が存在したまま内戦の恐れも出て来ています。象牙海岸に基地を持つフランス軍は、同国に滞在するフランス人に対し、「予防的措置」として国外待避を要請しているとの情報もあるようです。

象牙海岸は元々北部と南部で民族的、宗教的な差があります。それに加え、隣国で世界でも最貧国の部類に入るマリやブルキナファソの人々が、カカオの産地であり相対的に豊かな象牙海岸の北部に流入していて、南部の象牙海岸人が「北部の人間は純粋な象牙海岸人ではない。」と主張する要因となっています。(ちなみに、ワタラ候補自身も両親がブルキナファソから象牙海岸に移住しており、かつイスラム教徒。)

バグボ「大統領」は、南部の象牙海岸のアイデンティティを強調し、メディアを統制して「南部人こそ象牙海岸人、北部人はよそ者」という民族主義的な主張を広め、ポピュリズム的手法で南部象牙海岸人の支持を得ているといいます。

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国内に異なる民族集団がいるという状況は日本人には想像が難しいものがありますよね。日本は民族、言語、国土の領域が一致する国ですが(って言うと、アイヌや在日朝鮮人の話を持ち出して批判される向きもありそうですが、で、確かに無視できない論点ではあると思いますが、他国と比較して大枠で見れば「ほぼ」民族、言語、国土が一致しているとして、今は話をしても構わないでしょう)、世界的に見れば、そういう民族、言語、国土が一致するという国の方が少ないというのが現実です。アメリカなど新大陸の国々は言うに及ばず、中国、ロシア、インドなどの大国、中東欧の国々にも多民族、複数民族の国家が多数です。ドイツ、フランス、イタリアなどは比較的、民族、言語、国土が一致しているようですけど、イギリスは「連合王国」って言ってるくらいで、よくみれば「連合王国人」よりもスコットランド人やアイルランド人としてのアイデンティティが強い人々が多そうです。

そういう国内に複数の民族を抱える国を国として運営して行くには、国民統合の施策が必要になります。日本にいる人に「あなたは何人ですか?」と聞けば、自民党の人でも共産党の人でも「日本人です」と答えることに何の疑問もないでしょうけど、世界にはそうでない国が多いのです。「クルド人でトルコ人」、「キクユ族でケニア人」、「パレスチナ人でヨルダン人」、などなど、国籍を有する国と、民族的アイデンティティが必ずしも一致しない場合が少なくない(「族」という表現は差別的だと批判する人もいるようですが、慣用的に使われてきた表現で特に差別的含意を持って使っているわけでもないので、そのままにしておきます)。そのため、世界の国々には国民意識を根付かせる仕掛けが必要になっています。「日本人が日本人であると自覚するための仕掛け」といっても、民族、国土、言語が一致していることを目の前にすればあまりに当たり前過ぎでピンとこないですけど、まあ強いて言えばそれは日本書紀や古事記に始まる建国の神話であったり、天皇家の存在あったりするわけです。それがたとえばアメリカであれば建国の精神とその権化である合衆国憲法、そして星条旗と大統領が「アメリカ人であること」の拠り所です(「英語」はアメリカ人であるところの要件かというのは、ヒスパニック系住民の増加という現実を見ると、これはまたこれだけでひとつの議論ができそうです)。また、たとえばタイ。純粋なタイ族っていうは実はそんなに多くなくて、中華系のルーツを持つ人も少なくないんだけど、1930年代に「タイ人化教育」をかなり徹底的にやってる。学校での中国語教育の禁止とかまでやってますよ。それに王室という象徴を戴くことによって、「タイ人」が「タイ人」として自覚することを当たり前とする国を作り出してます。

インドネシア、ジャカルタの中心にある独立記念公園に行くと、立派な記念塔を備えたモニュメントに独立記念博物館があります。あれこそは、「インドネシア人」としての国民意識を育む教育の象徴じゃないでしょうか。そもそもインドネシアという国のあるところは、古くはシュリーヴィジャヤなんかがあってスルタンや地域の伝統的指導者がそれぞれの島や圏域を支配していた地域だけれども、最終的にはオランダ支配の領域が「国」として独立したものであって、そこに住んでいる人々に「インドネシア人」という自覚なんてなかったわけです。だいたい、「インドネシア」という呼称自体がヨーロッパ人目線の言葉ですしね。だから、「国」として独立しても、放っておけば遠心力でバラバラになってしまうのも必定、っていう感じの国なわけです。現に東ティモールは分離しましたし。インドネシア人に自らをインドネシア人と自覚させるためにはそれなりの仕掛けが必要であり、それは建国神話であり、独立の英雄であるわけで、その象徴があの独立記念公園ですよ。「あなたがたの祖国はインドネシアである。」、そう自然に感じられるだけの物語が必要だったのです。この「インドネシア人」の国民教育を進めたという意味でも、スカルノはインドネシア「建国の父」と呼べるでしょう。

タンガニーカの大統領であり、その後ザンジバルと合併してタンザニアの初代大統領となったニエレレ(Nyerere、ニェレレ、ナイレレとの表記もあり)もまた、「タンザニア」の国民教育を進めた人物でした。自身はザナキ族の出身であったものの、民族間和平、タンガニーカとしての独立を主張し、今の「タンザニア」という国の形を決めたと言えると思います。

これと対照的なのがケニア。初代ケニヤッタ大統領は独立以来、西側寄り資本主義体制を堅持してケニアに経済発展をもたらしたんですけど、「ケニア」という国というよりは同国で多数派のキクユ族にその支持基盤を置き、なにかにつけキクユ族を優遇しました。ケニヤッタ大統領の死去に伴い就任したモイ大統領、そして政権交代よって大統領の座を得たキバキ大統領も政権ではキクユ族を重用しています。現在でも、ケニアの人々に自身のアイデンティティについて尋ねると、「ケニア人」と答える人は半数しかいないという報告もありました。多くの人が「ケニア人」である前に、「キクユ族」「ルオ族」という部族をアイデンティティとして自覚しているということです。ケニアでは2007年年末に行われた大統領選挙後の混乱、暴力沙汰が記憶に新しいところですが、これはキクユ族(キバキ大統領)対ルオ族他その他部族(オディンガ候補)という側面が強く、これまでは好調な経済によって覆い隠されていたものの、実はケニアという国家の統合があまり進んでいないことを露呈したように思います。

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話を戻して象牙海岸の話。「象牙海岸」という国家ではなく、南部の支持層だけを基盤として北部を異端視するバグボ大統領の政権下で国民統合が進んだとも思えず、どういう展開になるのか気になります。国際社会はバグボ大統領の退陣を求めていますけど、これ以上の流血の事態を避けるためには、ケニアやジンバブエで行われたように、両陣営に政権入りさせて連立政権を組ませるというオプションも模索されるでしょう。

ニエレレやスカルノの例を挙げて、国民統合の推進を紹介してみましたけど、別に無理矢理「○○人である」と認識させるよう洗脳を進めるのが望ましいと言ってるわけではなくて、民族ごとの自治権の拡大と中央政府の役割のバランスを取ることで国家、国民の統合を進める、連邦制的な方向だってあるわけです。あるいはスーダンのように、選挙によって国を分割するかどうか決める、という選択をしたところもあります(2011年1月にこの件を問う住民投票が行われます)。

今日明日に片付く話ではないですけど、民族と国家の関係を考えると、象牙海岸でどういう統治が模索されていくのかとても興味深いものがあります。

December 15, 2010

コペンハーゲンに行ってきました。


出張でコペンハーゲンに行ってきました。デンマークの首都です。出張の用向きは脇に置いておいて、デンマークの話がいろいろ面白かったので備忘録がてらにメモっておこうと思います。特に賢いことや鋭いことを書こうというわけじゃなくて、ただデンマークの話。

まず、デンマークはヨーロッパでもかなり北、スカンジナビアに入ります。コペンハーゲンからスウェーデンのマルメまでは橋がかかってて、車で45分くらいで行けちゃうんですね。デンマーク側の方が付加価値税25%、物価も若干高いらしく、マルメに買い物に行ったり、マルメに住んじゃったりしてる人もいるそうで。

デンマークの人口は550万人くらい、在留邦人は1500人くらい。デンマークという国はクリスチャン4世という王様が建国した国で、基本的に商人の都市国家の性格が強いみたい。現在でも世界最大の海運会社・マースク(Mærsk)の本拠はコペンハーゲン。そういえばこの「Mærsk」って「MAERSK」っていうロゴの入ったコンテナの会社だよね。よく見かけるけど、あれってコペンハーゲンの会社だったのです。

コペンハーゲン、古い町並みが美しいのですが、それにはいくつか理由があるようでした。

まず、第二次世界大戦であまり焼けてない。ドイツに侵攻されたとき、数時間で降伏したそうです。勝ち目がないので無駄な戦いを避け、ドイツ占領下で戦時経済を生きることを即座に判断したそうな。いかにも商人らしい発想です。なので、古い建築の保存がよい。そして、国が古い建築の保全を行っている。新しいビルを建てるのはともかく、古い建物は潰させない。リノーベションして別の用途に使わせる。そしてそれがすごいいい感じなんですよね。元港湾倉庫の会議場とか、基本構造は木造なんだけど、現代の建築にはない贅沢な材料を使っていて、洒落てるんです。

聞けば、古い建築を維持するのに、固定資産税の減免、歴史的建造物管理費の徴収、リノーベションが必要になったときの補助金など数々の制度があるらしい。

そして、古い建築でも天井が高くて窓が大きい。日光が貴重なほど緯度が高いので、昔から窓を大きく造ってたんですと。地震もないので、そういう設計でも大丈夫です、とのこと。で、その窓から部屋の中が丸見えの家が多いんですが、窓辺に趣味良く観葉植物やランプシェードが置いてあって、白熱灯の暖かい光が外に漏れてくる。なんだか余裕を感じる。

街を歩いていると、道路よりも低い位置、半地下に部屋がある建物が多いので、なんでこんな建築なのか聞いたんですよね。で、説明によると、コペンハーゲンの街は厚い砂の層の上にあって、ほとんどの建物は基礎の柱が岩盤までは達してない。なので、建物が数百年をかけて砂地にゆっくり沈んでしまってるんだって。少し沈むごとに建物全体が平準になるように手を入れるので、特に問題はないそうです。

国民性。商人の魂が息づいているらしい。デンマーク人は就職してからリタイアするまで、平均して6回くらい転職するらしいですけど、転職は普通のことで、転職が多いのは望ましくない、という偏見もなければ、「キャリアアップだ」というガツガツしたところもない、だそうです。なんでもうまい仕組みを作るのが上手で、長時間労働しているわけでもなければ、ギリギリと根を詰めて働いている風でもないのに、なんとなく仕事が上手く回るように整えられていることが多い、と、コペンハーゲン在住の日本人が言ってました。

空港やホテルや仕事上で出会ったデンマーク人ですが、なんというか、さらっとした印象。満面の笑顔で精一杯暖かくお出迎え、という感じでもなく、といって無愛想でもなく、もちろん隙あらばカモにしてやろうというようなアグレッシブさがあるわけでもなく。個人的にはとても気持ちのいい人たちだと感じましたよ。特にアフリカくんだりから来ると、「洗練」を感じました。

先進国のご多分に漏れず、少子高齢化の波には見舞われているらしいんですけど、合計特殊出生率は1.8くらい。1.3とか言ってる日本に比べるとかなり高い。人口550万人と小回りの効くサイズで、しかも「うまい仕組み」を作ることに長けているいるので、年金制度とかもあんまり深刻なことにはなっていないそうな。付加価値税が25%と非常に高いのも、その税収がどう使われているのか国民に見えるサイズの国なので、それでも国民が納得するんでしょうね。

私が滞在した間は寒気の流入が止まっているとかで、一番寒くても気温マイナス2℃くらいだったんですけど、北極方面から寒気が流入すると4時間で15℃下がって一気に氷点下10℃以下になる、というようなことも割と普通に起こるそうで、デンマークの子どもたちは幼い頃から寒くても外で過ごして寒さへの対応を身につける、なんていう話も聞きましたよ。

東京に比べると随分小さな街で、エキサイティングさには欠けると思いますけど、それなりに楽しく暮らせそうな街だ、そんな風に思いましたとさ。