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October 26, 2018

ジャーナリストの人質事件についての会話。

>>安田純平氏の件ってどうなんですか? 私は、戦場ジャーナリストを名乗る以上、自身のセキュリティには最大限注意すべきだと思ってます。カタールが払ったという3億円の身代金も……。
>>私の考えが歪んでいたらごめんなさい。
>>でも、自分の行動で、他人様に迷惑をかけるって我慢ならない。しかも、3回目! 日本の報道を見てると、ジャーナリストは支持してますね。彼を。

>彼のこれまでの発言、行動を見ているととても支持できないし、「いい加減にしろ」「自己責任だろ」と言いたくなるのも分かります。僕も「なんなんだこの人は」と思う。
>でも、それでも、そんな人間でも、海外でヤクザな犯罪集団に拘束されたとなればその解放に最大限可能な努力をするのが国家であるし、それがあるべき姿だと思います。 >たとえ一納税者としては腹立たしく思えたとしても、国家の威信と信頼を維持するためには必要なコストだと思いますよ。

>>なるほどね。
>>今回の事件と離れますが、湯川遥菜さんのときには、あんまり日本政府は熱心に動いたようには見えなかったけれど、それは高度の国際政治的問題から実は隠密裏にやっていたんだけど間に合わなかった・・・、ということなんでしょうか。

>>それと、カタールが3億円?の身代金を払ったということなんですが、カタールがたまたま金持ちだったからよかったようなものの、日本政府は絶対に払わない、という姿勢だよね。最大限可能な努力、というのは、「金を払わないで」という前提となると、なかなか解放交渉はシンドイのではないかと思うのです。私個人は、国家が身代金を払えとは思ってないです。ただ、先方が金を要求する以上、いくらなんでも交渉に限界があるのでは、という意味。

>「最大限可能な努力」も限界はあるのですが、努力しているという姿勢を見せることが大切なんではないでしょうか。

>実際上は手詰まりになって、だからいつまでも解決しないまま時間が過ぎていくわけで。 >身代金については、これは本当に払ったかどうか分かりません。「身代金の要求には応じない」が正攻法であり、払わないから解決しないし、場合によっては人質が殺害されることもやむなし、というのが正しいとされていますが、実は裏でこっそり払っている可能性は否定出来ないです。アメリカでさえ、「絶対払わない」と言っていたのに、事件解決後何年も経って、実は払っていたことが暴かれたケースがあり、欧州諸国も実は払っていたのではないかと疑われる事案があると聞きます。 >今回はカタールが払ったことになっているそうですが、実際は誰が払ったのか、あるいは誰も払っていないのか、分かったもんじゃないです。

>>なるほどね。身代金のことは、だれもわからない・・・それはそうだわね。
>>日本の報道機関の論調だと、ジャーナリストなんだから英雄だ・・・という感じなのですが、民間人だろうがジャーナリストだろうが、日本政府としては同じ扱いということだよね。
>>ジャーナリストといっても、単に目立ちたがりの冒険野郎の自称ジャーナリストの人もいるだろうし。
>>とにかく政府は「日本国民を見捨ててません。努力してます」という姿勢を示すことは大事で、今回は、幸いにも結果が伴った、ということでしょうかね。


>どんなに愚かしい人でも、どんなに政府に批判的な人でも、政府は国民を守るという姿勢を取ることが必要だと思います。 >どんなに馬鹿で自己責任で貧困に陥った人でも、政府にはすべての国民に福祉を提供することが憲法上求められるのと同じでしょう。


>>なるほどー。
>>ということになると、ジャーナリストと民間人は、あまり違いはないということだね。


>政府は、ジャーナリストは民間人に分類していると思います。一般旅券所持者は民間人かな。あるいは軍人でなければみんな民間人。

>っていうか、報道機関がジャーナリストを民間人と区別して英雄扱いしてるのなら、そこが変。英雄のジャーナリストもいれば、愚かなジャーナリストもいる。 >医者だから、サラリーマンだからという肩書だけではその人の偉さは測れないのに、ジャーナリストの自分たちは特別であると自分たちで報じているなら、その選民意識が人々から嫌われる理由の一つではないかと。

>>それだ!


October 01, 2016

東の果てから、西の果てアゾレス諸島へ。


 思い立って、ちょうど1年ぶりに旅らしい旅に出かけてきました。行き先はポルトガル領アゾレス諸島。首都リスボンから北大西洋上に飛行機で2時間ほど、人が住む9つの島とその他の岩礁からなる火山群島です。噴火でできた丘陵やカルデラ、盆地や湖など変化に富んだ地形が興味深く、ヨーロッパ旅行中の友人Sがアゾレス諸島に滞在している時期を狙って、これ幸いとばかりに一緒に旅行してきました。

 上陸したのはサン・ミゲル島とピコ島。


 サン・ミゲル島は9つの島の中では面積最大(759.41平方km)、人口も最大(約15万人)の島です。ヨーロッパ各国のみならず、北大西洋の対岸のアメリカ東海岸からも空の便があり、アゾレス諸島の拠点となっています。


 アゾレス諸島がヨーロッパ人に最初に発見されたのは西暦1427年、群島の全体像が知られるようになったのは15世紀の中頃のこと。しかし、北大西洋の真ん中、北米大陸からも欧州からも離れた場所にありながら、覇権を争う各国の世界史の波から無縁でいることはできず、16世紀から17世紀にかけてはカスティーリャ王国(後のスペイン王国の中核)の部隊が駐留し、英国やマグレブ(北部アフリカのアラブ文化圏)の勢力などと対峙していたとのことです。


 すでに15世紀には小麦の生産が始まり、一時はヨーロッパ本土への一大供給地となっていましたが疫病で壊滅、大青(植物染料)、オレンジ、とうもろこし、茶葉、ブドウ、パイナップルなどの生産に移り変わっていきました。それが19世紀にはまたオレンジ、ブドウが疫病でやられたそうで、現在は観光業の他は牧畜、林業、漁業が盛んなように見えました。


 林業で植林されているのは日本原産の杉。その他にも日本原産のアジサイがサン・ミゲル島中で見られ、日本から遠く離れているのにどこか既視感のある景観が広がっていました。しかし島の中部にはアゾレス原産種の植物で覆われた森が保護されており、巨大なシダ類や奇妙な枝ぶりの大木が繁茂して、映画ジュラシックパークのセットのような姿を見せています。


 火山島で、人が住み始めてからも何度となく噴火を繰り返し、狭い範囲内でも異なる成分の溶岩が分布しているので、吹き出す温泉も泉質が多様だそうで、こんな茶色い温水プールもありました。





現在、サン・ミゲル島で最大の町、ポンタ・デルガーダ。どの町も教会を中心に拓かれていますが、さすがに中心地のポンタ・デルガーダ、海沿いは漁港や大型客船の着く桟橋、ヨットハーバーがあり、レストランやカフェ、バーなども数多く、さらには行政機関まで立ち並び、観光客と地元の人が夜遅くまでそぞろ歩いておりました。


 サン・ミゲル島からさらに飛行機で小一時間。富士山にも似た孤立峰の火山・ピコ山が印象的なピコ島です。ピコ山はポルトガル共和国の最高峰で標高2351m、日本人が移住していたいたら必ずや「アゾレス富士」と名付けたに違いない姿です。


 山麓には火山岩を組んだ壁にブドウの木を這わせる独自な形態のブドウ畑が広がり、その景観はUNESCO世界遺産に指定されています。ブドウ畑の溶岩壁は、一説によると地球2周分にもなると言われるそうですが、きっとまだ誰も正確には計った人はいなんじゃいないかと思いますよ。過去にはブドウの疫病が蔓延し、生産量が大きく減少したこともあったそうですが、国が補助金を出してブドウの生産を奨励し、新規のブドウ畑の開拓も進んでいました。
 土が乏しいので、溶岩を積んだ壁に隣のファイアル島から持ち込んだ土を入れ、そこにブドウの苗を植えるそうです。黒い溶岩は陽の光を吸収して温かく、水はけもよいのでブドウの根もよく伸び、ワイン造りに好適な甘いブドウが収穫されて、ピコ島はワインの産地として有名です。糖度の高いブドウから造られるワインは甘口で、食前酒や食後のデザートワインとして楽しむのがよさそうです。


 またこの島は捕鯨の島としても知られていました。1985年までマッコウクジラの捕獲と加工を行っており、当時の面影を残す工場や港湾施設が残っています。
 ところがピコ島はきっぱりと宗旨替えをして1987年以降はホエールウォッチングの島として売り出し中。未だに捕鯨を続けている日本国民としては発言に注意を要するところです。

 季節になればマッコウクジラだでなく各種のクジラが回遊してくるし、イルカは通年で島の周りにいて、時にはシロナガスクジラも島の近くに寄ってくるとのことでした。

*  *  *

 世界遺産にも登録される独自の美しい景観を誇るブドウ畑とピコ山。ホエールウォッチングやスキューバダイビングも楽しめ、ヨーロッパやアメリカからの観光客を数多く受け入れるアゾレス諸島ですが、ポルトガル本国の経済が芳しくないこともあり、経済はなかなか厳しいとの話もありました。生活の質(QoL)は高いと地元出身のガイドさんも言っていましたが、現金収入の口が少なく、出稼ぎに出る人も少なくないとの話でした。言われてみれば平日昼間からいい年頃の男女が何をするでもなく町中で遊んでおり、また一歩裏手に入れば日雇いの仕事を求めて寄せ場に集まっている男たちの姿があり、この世の楽園とはいかない現実も見え隠れします。

 町は美しく、道路も人口に見合わないほどよく整備されているのですが、これも裏を返せば公共事業が隠れた主要産業であることの証左なのでしょう。職業訓練校や研修施設が目に付いたのも、働き口が少ないことの裏返しかもしれません。

 どこか、日本の八重山諸島の暮らしを思わせる構造がありました。八重山諸島は石灰岩、アゾレス諸島は溶岩を使っていますが、島の景観も似たところがありますし。八重山が日本でありながら本土の暮らしとは違う独自の文化を持つように、アゾレス諸島にも欧州、ポルトガルでありながらそこともどこか違う、アゾレスとしての独自のアイデンティティがありました。

*  *  *

 機会あればぜひ、行く価値はある場所です。ヨーロッパ本土に比べれば物価も安く、シーフードを中心に食べ物もおいしいし。ただ正直、日本からは遠いです。日本からの観光客はどこでも珍しがられましたし、「地球の歩き方」でもアゾレス諸島全体で1ページ。なかなか思い切りがつかない場所ではありますね。

 旅に出るのは、日常から離れてすごい景色を見たり、心地よい天気の下でのんびりしたいというのもありますけど、違う土地に違う暮らし、違う歴史があることを見ることも大事な要素だと思います。自分の暮らしを相対化するとでも言いましょうか。
 仕事で海外出張もあったりして、旅に出るは腰が重くなりがちなんですけど、やっぱり、時には旅にも出ないといけないなあと実感するアゾレス諸島でした。


July 30, 2012

気楽なカオス。



雲ひとつない土曜の昼下がり、知人の家のベランダで緑の庭を眺めながら、スウェーデン人のおばさんが「このアフリカのような途上国のカオスが、時々恋しくなるのよね。」とおっしゃる。

 そうかも。たしかに、思ったように物事は進まないし、何事も雑だし、トホホなことも多い。しかしその分、うるさい規則やタブーが少ないとでも言いましょうか。 

自己責任の部分が大きい、というか、自分で解決しないとどうにもならないことが多い。店や、業者や、役所に文句を言っても埒があかないっていうことも多くて、自分でなんとか片付けなきゃならない。だから少なくともサバイバル英語くらいはできないとキツい。

 お金で解決しないと仕方ないこともある。電気や水がちゃんと供給されないなら、電力会社や水道局に頼らず自分でその手当をする羽目になったりするし、どうしても必要なものは海外からお取り寄せしないといけなかったりするし。 

それでも、です。穴だらけの社会ゆえの気楽さがある。先進国の人間、特に北欧や日本みたいにきっちりした社会から来ると、途上国の暮らしはストレスが多い。でも、そのストレスは日本にいる時に感じるストレスとは別物です。もっと直接的と言いますか、サービスがちゃんとしてないとか、電気や水や物資の供給が安定しないとか、そういうもの。で、それを処理する術を見出せば、そしてある程度は「そんなもんか」と諦観できるようになれば、実はけっこう気楽だったりする。 

たとえて言えば、自動車道が整備された先進国では「交通ルールをちゃんと守らないといけない」ということがストレスだとすると、アフリカのような途上国のストレスは「道路の穴に落ちたら大変だよ」ってところです。そして、穴に落ちても自己責任だからね、っていう感じ。その代わり、交通ルールの遵守は少々いい加減でもよい。 

そこにずっと住めといわれたら困る。足りない物は多いし、なんといってもケガや病気をしたら、この物事の進まなさはシャレにならない。平均寿命が日本よりずっと短いのにはそれなりに理由がある社会なわけだし。 しかし、スウェーデンなり、日本なりの生活を知っている上で、そこで生活する選択肢を留保した上で、アフリカのような途上国のカオスの中に気楽さを見出すっていうのは、そのとおりだなぁと、そのおばさんのつぶやきを聞いて納得したのでした。

 *   *   * 

そして、そのスウェーデンのおばさんと話したのは、自殺が多いのは「きっちりした社会」の方だよね、ということでした。

そのおばさんや私のように、みんながみんな「カオスが恋しい」という感覚が共有できるとは思えないし、今、自殺するほどに悩んでいる人に「途上国暮らしは気楽だよ」って言っても何の解決にもならないとは思います。でも、世界は広くて、もっといい加減な社会もあるんだよっていうのは知っておいて損はないなぁと思う次第でございます。

September 27, 2011

タイに行ってました。



ナイロビからアフリカを飛び出し、タイへ弾丸旅行してきました。
バンコクとその郊外で滞在60時間位。 

なんでなんでしょうね、アジアの町があんなに心地良いのは。アフリカでもそれなりに発展している町はあるんですが、バンコクのように、香港のように、シンガポールのように、東京のようには心地良くない。 もちろん私が日本人であって、アジアで育ってきたから、馴染みのある雰囲気が心地いいっていうのもあるんですけど、それだけではないと思うのです。 

アジアの町が素敵な理由はいろいろ挙げられそうですが、私が指摘したいのは2点。 

ひとつは「多様であること」。
そこにいる人も多様であれば、食べ物も多様。買い物するにしても選択肢が多い。何か手に入れようと思えば、高いもの、安いもの、かわいいもの、洒落たもの、といろんな種類がある。 摩天楼の大都会に、裏通りの庶民的な通りも隣接している。近代的なもの、雑多なもの、猥雑なもの、きれいなもの、いろんなものがある。その多様さが、アフリカにはない気がする。少なくとも今住んでいる町にはないし、以前住んだことがある中東の某都市にもなかった気がする。 

ノーベル賞経済学受賞者のアマルティア・セン博士は、「豊かさとは選択肢が多い事である」と喝破してますが、まさにそうだなぁと、思うのです。 

そしてもうひとつは「safeであること」。
日本語で言えば、治安が良い、安全である、ということなのですが、ただそれだけで片付けてしまえるレベルではなくて、気を張る必要がない、簡単にいえば「ゆるさ」がある。これは欧州の町にもない感覚だと思う。なんか食べながらそぞろ歩いてても問題ない町がある。外ですわってビール飲んでてもいい場所が広がっている。もちろん、犯罪はあるし、気をつけなくてはいけないところもあるんだけど、アフリカとはそのレベルが違う。その気楽さ、safetyが心地いい。

 と、ぐだぐだ言ってますが、バンコク最高、でした。

June 19, 2011

政府開発援助=人道支援、ではないよ。

「震災後のこの大変な時に、海外に援助なんかしている場合か。」というご意見はごもっともなんですけど、さりとてODA(政府開発援助)はゼロにできるものではないのです。軍事力を海外展開しないのが国是の日本にとって、ODAは重要な外交ツールなんですよね。

「援助」と言ってはいるものの、「かわいそうだから助けましょう」という人道目的だけではないんです。鎖国しているならいざ知らず、これだけ世界の国々が分ち難くつながってしまっているご時世、日本が食っていくためには「国際社会の安定」は重要な条件で、日本はそれを所与の条件として享受しているだけではいけない規模の国だし、応分の負担をして「国際社会の安定」にコミットしていくことは日本の責務で、またそこから得る利益も大きいと思うのです。

あるいはまた、ODAは「経済開発・市場の開拓」の側面もあります。企業がリスクを取れないところに先にODAが入ってマーケットの地ならしをする。よく取り上げられる例は、たとえば道路建設を支援すれば、車が売れる。地域の交通ネットワークができて人々が豊かになり購買力が上がる。さらに道路建設の技術が移転できれば、自力で経済開発が進み経済成長がもたらされる。そうすれば日本企業にとっても市場が広がるし、生産拠点を開くこともできるかもしれない。・・・と、こんなにトントン拍子に、うまい具合にすべてが進むわけでもないでしょうけど、でもこういう側面があるのも確かです。ODAによるインフラの支援が日本企業の現地進出、現地事業拡大と組み合わせて実施されることもよくあるしね。

ODAの生々しいところでは、日本の「発言力の確保」「対外イメージの向上」、さらに「外国政府の懐柔・支持獲得」という役割もあったりする。表立っては言わないもののやはり援助を受ければ恩義は感じるし、苦しい時に手を差し伸べてくれたとなれば、また別の機会にご恩返しが期待できる。なんかいやらしい感じだし、また恩返しを期待して支援しているわけではないとしても、でも現実としてそうなるわけですよ。たとえば国際社会秩序の維持・形成に重要な役割をもつ国際機関の理事国に日本が立候補したり、あるいは日本人が委員に立候補したときに、日本支持に回ってくれたりする。東日本大震災に際して世界中から支援やお見舞い、救助隊の派遣があったのもこれまでのODAのがあったればこそ、という面もある。普段から日本はよくやってくれている、信頼できる国だというイメージを培っておくことが必要で、ODAはそのための工作費的な役割を持ってます。

アフリカ等の特に脆弱、貧困な国では、ODAはさらに露骨に外交、政治の道具にもなることがあります。日本はそこまで露骨にはやらないですけど、欧米諸国は割と明確にODAと引き換えに被援助国側に改革を要求することがあります。似たような話では、IMFや世界銀行が資金協力の実施と引き換えに財政引き締めや特定の金融政策の実施を求める例がありますけど、そこまでいかなくても、まあ、端的に言ってしまえば「援助するからコレをやるように。」と改革を進めさせるわけです。貧しい国、脆弱な国は往々にして統治機構が弱い上に腐敗していたりするので、ODAと引き換えに改革を進めさせる圧力をかけたりしています。

日本のODAに関しては、対中国でこのところ議論になることが多かったですね。尖閣諸島問題で中国との関係がぎくしゃくしたり、中国がGDPで日本を抜いたりして、対中国ODAも「止めろ」の声が盛り上がりました。たしかに、もはや道路や橋を造ったり、食料を援助したりするODAは止めて当然でしょう。あれだけ自力で発展しているんですからね。でも、ゼロにするのはちょっと待った、と思うんです。単純に中国を非難してdisってれば済むわけではなくて、21世紀の大国である中国とはどうあっても共存共栄を図っていかねばならんわけです。そのためには、中国国内に知日派、親日派が増えてもらわないといけない。多くの中国人に日本を正しく知ってもらわないと。日本の良いところ、日本の足りないところを知る人が増えてもらわないと。ODAには人材育成の事業もいろいろあって、毎年多くの人が途上国から研修、セミナー、留学のために来日していて、たとえば環境関連や社会開発、地方自治などの研修への中国からの参加は、今後も継続していいと思うのです。むしろ、それなりのポジションにいる、あるいは将来そういうポジションにつくレベルの人物の人的交流を増やさないとマズいだろうと思うし、その活動はODA予算で支えられている部分も割と多いんです。

*   *   *

東日本大震災で国内の復旧・復興事業に巨額の資金需要が発生していて、ODAはなまじ「援助」と呼ばれていることもあり、こんな緊急時に途上国の困っている人に金をばら撒いている場合かというのもごもっともですけど、ODAは日本外交の足腰であって単に「困っている人を助けましょう」というだけのものではないんですよね。日本が国際社会で生き抜くための経費であり、先行投資である面が大きくて、削り過ぎれば国際的信用を失うだけでなく、じりじりと国内の経済にもマイナスの影響をもたらしてしまいます。

本年度のODA予算は約5,700億円。その額については議論もあるだろうと思います。巨額だとも言えるし、国家予算やGDPの規模から比べたら少ないとも言える。すでにピーク時から半分になっているというのをどう見るか、というのもある。しかしとにかく、「震災、津波で大変なんだから止めっちまえ。」という乱暴な議論はよくないです。要はバランス。震災対応も必要だけど、国際社会に対する責務、外交活動も無視できない。「0」か「100」かではない冷静な議論が必要だと思うのです。

January 28, 2011

アラブ世界での開発独裁の終わり。

チュニジアのジャスミン革命がアルジェリア、イエメン、エジプトと広がりを見せていることについては、BBCとネットのニュースをざっと見て回っただけで詳しい状況は分からないし、たぶんその道に詳しい人がいろいろと解説してくれているんだと思うんですけど、私も気付いたことをちょっと書いておこうかと。

*   *   *

気付いたんですけどね、これらの国での市民のデモでの主張は「経済改革」「汚職撲滅」「自由・権利の拡大」とかで、宗教がらみの主張が含まれていないんですよ。イスラムへの回帰とか、世俗国家の追求、なんていう主張をしていないみたいなんです。より民主的な社会、よりフェアな社会を求めるデモなんですよね。

貧しく、国内に様々な対立勢力を抱え、国民の教育水準もあまり高くない国では、いわゆる開発独裁の強権的な政権が必要悪のように存在することが多いです。民主的選挙だの言論の自由だのというような贅沢に付き合っていたら収拾がつかないので、とりあえず、社会の少々の軋みは力で黙らせて、社会開発事業を推進する。東南アジアはそうやって急速に成長してきた国ばかりです。そして、アラブ世界も国王や国王のような大統領がいる国ばかりなんですよね。

しかし、社会が一定の開発段階まで至って、国民の教育水準、民度が高くなり、衣食も足りてくると、より民主的な体制を求めるようになる。特権を享受し一般市民とは比較にならない富を蓄えた支配階層を排除し、正統な自分たちの代表に国を率いてほしいと考えるようになる。そのとき開発独裁を敷いてきたアジアの為政者達は、ある者は市民革命に破れ、ある者はクーデターに倒れ、またある者は後継者に禅譲して引退し、あるいは自ら民主化を進めて次の時代を開いてその治世を終えた。マルコス、マハティール、スカルノ、蒋経国、リー・クアンユー、そんな名前が思い出されます。

それで今回のジャスミン革命に続くアラブ世界の動乱なんですけど、いずれも強権的な長期政権が続いていました。為政者たちがどのくらい真剣に社会開発に取り組んだのかはよく分からないですけど、それでもその統治下で曲がりなりにも経済成長は続いており、市民の多くは食うや食わずの生活からは抜け出していた。宗教的なスローガンが見当たらず、フェアな社会を求める主張をするデモを見ていると、世俗アラブ世界も民主主義という贅沢を求める水準に達していたのではないか、そんな気がします。東南アジアが2、30年前に経験した開発独裁時代の終わりを、今頃迎えているのではないかと。

まだ結論を出すのは尚早ですけど、そういう見方もできるように思っています。

*   *   *

追記:

開発独裁の終わり、という解釈ではアジアと似ている面があるけれど、大きく異なることは、アラブ世界は域内にイスラエル・パレスチナ問題を抱えていること。これは大きい。

ヨルダンとエジプトはイスラエルとの和平協定を締結しており、アラブでありながら親米の姿勢を維持する政権が続いてきたんですけど、今回の市民蜂起ではこの体制が崩れる可能性が出てきています。政権の素性はともかく、ヨルダン、エジプトが中東の緩衝地帯としての機能を持ってきたことは確かで、だからこそアメリカもこの二カ国を援助でジャブジャブにしてでも支えてきたわけです。(ちょっと古い情報になりますが、直接・間接を合わせると、ヨルダンの国家予算の4分の1はアメリカが支えていますし、ヨルダンの人々の主食である小麦の半分は日本の支援に頼っています。)

市民の民度と生活水準が充実してきて、独裁的な政権を排除すべきと目覚めたというのは民主主義の観点からは結構ですけど、その結果がイスラエルとの対立の激化を招き、地域のさらなる不安定化という事態を招いてしまう可能性が高いことは、アジアの前例とは目立って異なる。もはや止めることはできないところまで来てしまった感の中東の市民蜂起、この後の展開は、中東の政治風景を一変させ、アメリカに世界戦略の見直し迫り、世界の政治経済、パワーバランスを一変させる可能性を帯びてきましたねぇ。

January 06, 2011

国際協力の仕事を目指す人へ。

国際協力の仕事をしたい、という若い人の話を聞くこともそれなりにあったりしまして、そういう人たちに説教を垂れる、というようなことはやりたくはないんですけど、でも、毎回同じような話をしてばかりいるので、思うところをちょっと書き残しておこうと思います。

まずね、大学なり大学院なりを卒業してすぐ「国際協力の仕事」を得るのは、そう簡単じゃないですよ。日本全国の大学に、国際関係学科、開発経済学科、国際教養学科とかいう学科はたくさんあって、さらには政治学や経済学の方面から途上国開発の業界に興味を持ってくる人もいる。毎年、「国際協力の仕事ができたらなぁ」という卒業生は、きっと数千人はいるんです。多く見積もれば万の単位に乗るかもしれない。

だけど、みなさんが真っ先に思いつく、例えば独立行政法人国際協力機構(JICA)の新卒採用数は毎年30人とか40人とか。その他に将来にわたってちゃんと生計を立てられる「国際協力の仕事」は、新卒の人々に対してはほとんど門戸は開かれていないですよ。あとは、薄給で若い間しか勤まらないNGOや、原則2年の青年海外協力隊とか。就職希望者数に対して、圧倒的に枠が小さいです。

じゃあ、その他の「国際協力の仕事」ってどこにあるのか。

それは、開発コンサルタントであり、国連など国際機関の職員であり、国際NGOの職員であり、各種の国際協力専門家の稼業です。そこで求められているのは専門性を持ったプロなのです。「途上国の困窮している人を救う仕事がしたいのです。」という清い心だけでは勤まらない仕事ばかりなのです。逆に言えば、プロであれば「国際協力の仕事」を得るチャンスは広がる。

いい例なのは、青年海外協力隊の採用状況ですよ。協力隊はいろんな職種が募集されているんですけど、「理数科教師」「農業」「情報技術」といったような職種は途上国側から要請が多いのに応募数が少なくて、もしあなたが応募すればきっとかなりの確率で採用されますよ。他方、「村落開発普及」「青少年活動」とか、一見専門性がなくても気合いや日本人としての常識で勤まりそうに見える職種は大変な競争倍率になっています。で、実際に採用されている人には、イギリスに留学して開発学を勉強してきましたとか、過剰に優れた経歴の人がいたりするんです。

あるいは、特定の専門技術を持っていれば、英語がそこまで得意じゃなくても「途上国の人々を救う仕事をしてほしい」というオファーは向こうからやってくる。医者や看護士などは最たる例ですが、そこまででなくても、例えば送電網設計、上水道漏水対策、システムエンジニア、灌漑農業、HIV/AIDS対策、廃棄物処理、道路設計、教師・・・、なんらかの「手に職」があれば、「国際協力の仕事」がめぐってくることは多いです。手を挙げれば、ぜひ行ってくれ、となることも多い。だから、「国際協力の仕事」を目指すにしても、まずなんらかの専門性を身につけることの方が先だと思うんです。急がば回れ、の格言どおりですよ。「国際協力の仕事」の内定もらうには、運もよくなくちゃ受からないような国際協力機構や、若者の善意を買い叩いて善意を押し売りしているNGOを目指すのもいいけれど、もっと広い視野で仕事探しをした方がいいと思うんですよね。

そして、実は、なんだかんだ言っても途上国の人々の困窮を救うのは、経済、もっといえばビジネスであるというのが現実だったりします。「国際協力」を看板に掲げている人たちの活動よりも、そこに工場が進出してきたり、新しい商売が生まれたりした方が、現地の人々の生活に余程プラスだったりするんです。国際協力だといって援助をするよりも、金儲けを覚えてもらうことの方が、経済開発には大事だったりする。

だから、「国際協力の仕事」を目指す人には、純粋に「国際協力」を掲げているところばかりを探すのではなく、民間企業の活動だって途上国の人々の生活向上にものすごく貢献している、ということを忘れないでほしいなと思うんです。そして、なんらかの専門性を持つことを目指すことをお勧めしたい。肩肘張って「国際協力」と言わなくても、あなたの日々の仕事が途上国の困窮を緩和することに役立っていることも多いだろうと思ったりするのです。

*   *   *

繰り返しですが、国際協力の現場で求めれらているのは、なにかの「プロ」です。

国際協力機構や国連機関は「途上国の困窮している人を救う仕事がしたいのです。」という気持ちが純粋であれば純粋であるほど、心が折れそうになる官僚的な職場だとも聞きますし、「国際協力の仕事」がしたいとは結局どういう仕事がしたいのか、冷静に落ち着いて考えてみられるとよいと思いますよ。要は、困窮している国の人々の暮らしに役立つ仕事、であり、それは自分の専門性をもって貢献する、ということで実現されるのではないでしょうかね。

少なくとも、「国際協力の仕事」は、大学の3年から就活をすれば内定をもらえる、というところにはあまり落ちてないと思いますよ。

December 30, 2010

象牙海岸から見る、民族と国家。

11月に行われた象牙海岸(Ivory Coast)の大統領選挙の結果が混乱して、まだ収束してません。選挙は現職大統領のバグボ(Gbagbo、グバグボとも。日本語での表記は確定していない)候補と、元首相のワタラ(Ouattara)候補の間で戦われたんだけど、同国南部を支持基盤とするバグボ候補(=選挙時点での現職大統領)は北部地域(ワタラ候補の支持基盤)の投票には不正があったので無効であるとしてその部分を除いた選挙結果を元に勝利宣言。ワタラ候補側は、全土の選挙結果を見れば当然ワタラ候補の得票数が多いとしてこちらも勝利宣言。どちらも引かない状況となってます。

国際選挙監視団、アフリカ連合、国連、欧州連合等は、選挙に際し若干の暴力は見られたものの、ワタラ候補側が勝利したと認めて、ワタラ候補側が任命した大使を正式な大使として認める、といった対応を取ってます。でも、バグボ候補側が引く気配がなく、二人の大統領が存在したまま内戦の恐れも出て来ています。象牙海岸に基地を持つフランス軍は、同国に滞在するフランス人に対し、「予防的措置」として国外待避を要請しているとの情報もあるようです。

象牙海岸は元々北部と南部で民族的、宗教的な差があります。それに加え、隣国で世界でも最貧国の部類に入るマリやブルキナファソの人々が、カカオの産地であり相対的に豊かな象牙海岸の北部に流入していて、南部の象牙海岸人が「北部の人間は純粋な象牙海岸人ではない。」と主張する要因となっています。(ちなみに、ワタラ候補自身も両親がブルキナファソから象牙海岸に移住しており、かつイスラム教徒。)

バグボ「大統領」は、南部の象牙海岸のアイデンティティを強調し、メディアを統制して「南部人こそ象牙海岸人、北部人はよそ者」という民族主義的な主張を広め、ポピュリズム的手法で南部象牙海岸人の支持を得ているといいます。

*   *   *

国内に異なる民族集団がいるという状況は日本人には想像が難しいものがありますよね。日本は民族、言語、国土の領域が一致する国ですが(って言うと、アイヌや在日朝鮮人の話を持ち出して批判される向きもありそうですが、で、確かに無視できない論点ではあると思いますが、他国と比較して大枠で見れば「ほぼ」民族、言語、国土が一致しているとして、今は話をしても構わないでしょう)、世界的に見れば、そういう民族、言語、国土が一致するという国の方が少ないというのが現実です。アメリカなど新大陸の国々は言うに及ばず、中国、ロシア、インドなどの大国、中東欧の国々にも多民族、複数民族の国家が多数です。ドイツ、フランス、イタリアなどは比較的、民族、言語、国土が一致しているようですけど、イギリスは「連合王国」って言ってるくらいで、よくみれば「連合王国人」よりもスコットランド人やアイルランド人としてのアイデンティティが強い人々が多そうです。

そういう国内に複数の民族を抱える国を国として運営して行くには、国民統合の施策が必要になります。日本にいる人に「あなたは何人ですか?」と聞けば、自民党の人でも共産党の人でも「日本人です」と答えることに何の疑問もないでしょうけど、世界にはそうでない国が多いのです。「クルド人でトルコ人」、「キクユ族でケニア人」、「パレスチナ人でヨルダン人」、などなど、国籍を有する国と、民族的アイデンティティが必ずしも一致しない場合が少なくない(「族」という表現は差別的だと批判する人もいるようですが、慣用的に使われてきた表現で特に差別的含意を持って使っているわけでもないので、そのままにしておきます)。そのため、世界の国々には国民意識を根付かせる仕掛けが必要になっています。「日本人が日本人であると自覚するための仕掛け」といっても、民族、国土、言語が一致していることを目の前にすればあまりに当たり前過ぎでピンとこないですけど、まあ強いて言えばそれは日本書紀や古事記に始まる建国の神話であったり、天皇家の存在あったりするわけです。それがたとえばアメリカであれば建国の精神とその権化である合衆国憲法、そして星条旗と大統領が「アメリカ人であること」の拠り所です(「英語」はアメリカ人であるところの要件かというのは、ヒスパニック系住民の増加という現実を見ると、これはまたこれだけでひとつの議論ができそうです)。また、たとえばタイ。純粋なタイ族っていうは実はそんなに多くなくて、中華系のルーツを持つ人も少なくないんだけど、1930年代に「タイ人化教育」をかなり徹底的にやってる。学校での中国語教育の禁止とかまでやってますよ。それに王室という象徴を戴くことによって、「タイ人」が「タイ人」として自覚することを当たり前とする国を作り出してます。

インドネシア、ジャカルタの中心にある独立記念公園に行くと、立派な記念塔を備えたモニュメントに独立記念博物館があります。あれこそは、「インドネシア人」としての国民意識を育む教育の象徴じゃないでしょうか。そもそもインドネシアという国のあるところは、古くはシュリーヴィジャヤなんかがあってスルタンや地域の伝統的指導者がそれぞれの島や圏域を支配していた地域だけれども、最終的にはオランダ支配の領域が「国」として独立したものであって、そこに住んでいる人々に「インドネシア人」という自覚なんてなかったわけです。だいたい、「インドネシア」という呼称自体がヨーロッパ人目線の言葉ですしね。だから、「国」として独立しても、放っておけば遠心力でバラバラになってしまうのも必定、っていう感じの国なわけです。現に東ティモールは分離しましたし。インドネシア人に自らをインドネシア人と自覚させるためにはそれなりの仕掛けが必要であり、それは建国神話であり、独立の英雄であるわけで、その象徴があの独立記念公園ですよ。「あなたがたの祖国はインドネシアである。」、そう自然に感じられるだけの物語が必要だったのです。この「インドネシア人」の国民教育を進めたという意味でも、スカルノはインドネシア「建国の父」と呼べるでしょう。

タンガニーカの大統領であり、その後ザンジバルと合併してタンザニアの初代大統領となったニエレレ(Nyerere、ニェレレ、ナイレレとの表記もあり)もまた、「タンザニア」の国民教育を進めた人物でした。自身はザナキ族の出身であったものの、民族間和平、タンガニーカとしての独立を主張し、今の「タンザニア」という国の形を決めたと言えると思います。

これと対照的なのがケニア。初代ケニヤッタ大統領は独立以来、西側寄り資本主義体制を堅持してケニアに経済発展をもたらしたんですけど、「ケニア」という国というよりは同国で多数派のキクユ族にその支持基盤を置き、なにかにつけキクユ族を優遇しました。ケニヤッタ大統領の死去に伴い就任したモイ大統領、そして政権交代よって大統領の座を得たキバキ大統領も政権ではキクユ族を重用しています。現在でも、ケニアの人々に自身のアイデンティティについて尋ねると、「ケニア人」と答える人は半数しかいないという報告もありました。多くの人が「ケニア人」である前に、「キクユ族」「ルオ族」という部族をアイデンティティとして自覚しているということです。ケニアでは2007年年末に行われた大統領選挙後の混乱、暴力沙汰が記憶に新しいところですが、これはキクユ族(キバキ大統領)対ルオ族他その他部族(オディンガ候補)という側面が強く、これまでは好調な経済によって覆い隠されていたものの、実はケニアという国家の統合があまり進んでいないことを露呈したように思います。

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話を戻して象牙海岸の話。「象牙海岸」という国家ではなく、南部の支持層だけを基盤として北部を異端視するバグボ大統領の政権下で国民統合が進んだとも思えず、どういう展開になるのか気になります。国際社会はバグボ大統領の退陣を求めていますけど、これ以上の流血の事態を避けるためには、ケニアやジンバブエで行われたように、両陣営に政権入りさせて連立政権を組ませるというオプションも模索されるでしょう。

ニエレレやスカルノの例を挙げて、国民統合の推進を紹介してみましたけど、別に無理矢理「○○人である」と認識させるよう洗脳を進めるのが望ましいと言ってるわけではなくて、民族ごとの自治権の拡大と中央政府の役割のバランスを取ることで国家、国民の統合を進める、連邦制的な方向だってあるわけです。あるいはスーダンのように、選挙によって国を分割するかどうか決める、という選択をしたところもあります(2011年1月にこの件を問う住民投票が行われます)。

今日明日に片付く話ではないですけど、民族と国家の関係を考えると、象牙海岸でどういう統治が模索されていくのかとても興味深いものがあります。

November 28, 2010

辺境の国・日本の、押し付けない国際協力。

原研哉氏の「デザインのデザイン」という本を読んでいたんですけど、この部分が非常に印象に残ったんです。ちょっと長いですが、引用してみます。

「東京は好奇心の旺盛な街だ。世界のどの都市よりも他の文化から情報を集めることに熱心である。そしてそれらの情報をていねいに咀嚼して、世界に起こっていることをリアルに理解しようと勤勉な知性を働かせている都市でもある。自分たちの立っている場所が世界の中心ではない、そしてそもそも世界に中心などないのだという意識がその背後には働いているような気がする。だから自分たちの価値観で全てを推し量るのではなく、他国の文化の文脈に推理を働かせつつそれを理解しようとする。」(p.155)

もうひとつ、内田樹先生の「日本辺境論」。これもちょっと引いてみます。

「日本という国は建国の理念があって国が作られているのではありません。まずよその国がある。よその国との関係で自国の相対的位置がさだまる。よその国が示すヴィジョンを参照して、自分のヴィジョンを考える。」(p.38)

ちなみに、内田先生は日本人がこんな「辺境性」を持っていることを別に否定的に書いてらっしゃるわけじゃないです。ただ「そういうものだ」と書いておられる。また、この本では、梅棹忠夫氏の「文明の生態史観」を引用していて、それは以下のとおりです。

「日本人にも自尊心はあるけれど、その反面、ある種の文化的劣等感がつねにつきまとっている。それは、現に保有している文化水準の客観的評価とは無関係に、なんとなく国民全体の心理を支配している。一種のかげのようなものだ。ほんとうの文化は、どこかほかのところでつくられるものであって、自分のところのは、なんとなくおとっているという意識である。」

*   *   *

これね、海外で生活しているからかもしれないですけど、実感としてこのとおりなんですよね。有史以来、日本は中華であったことはない。常に辺境であり、辺境としての国民性をもって強かに生き残ってきたんですから、自ら世界に範を示すことが生来的には身に付いていない。別にいいとか悪いとかいう話じゃなくて、そう。

ミクロの現場では、「べき」論を以て雄弁に語る欧米人を前に、気後れすることも多いです。しかし、私の英語力の問題もありますけど、英語力が十分だったとしても、ああいう風には語らない、語れないことが多いなと思うこともしばしばなんです。常に、周りの考えを見て、自分の考えを検証している自分がいます。

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日本の国際協力事業の現場に携わったことがあるんですが(今も携わっていますけど)、日本の国際協力の特徴に「要請主義」というのがあります。原則的に、相手国側から「要請」されたものに対して応えるという方針です。こちらから押し付けない。あくまで相手国側の考えを尊重して、「うちの国の開発にはこれが必要なので協力してください」と要請されたものについて協力を検討するという原則があります。

もちろん、「おたくの国の発展にはまずこういうところから手を付けるべきなんじゃないですか」と日本側から提案して、最終的に相手側に要請させるということも少なくないので、いつも「ご用聞き」だけをやっているわけじゃないですが、原則は「要請主義」です。また、これは「ownership」の強調という日本の支援の特徴も同時に説明しています。すなわち、日本はあくまで「支援」「協力」はするけれども、事業の主体はあなたの国なのですよ、プロジェクトはあなたの国が実施したいとして日本に支援を要請しているから日本は支援するだけですよ、という「当事者感覚」を強調することにつながってます。相手国側が自分で考えて必要だと思って要請してくる、その事業は相手国のものです。日本はそれを支援する。

押し付けないのです。相手国の言い分を聞く。相談に乗る。その上で助言する。開発途上国には自国の開発課題について取り組む政策や事業計画を策定する能力も覚束ないところも多くて、まともな要請を出すこともままならないという国も多いので、まず相談に乗る、ということも少なくないです。結果として、事業開始までにやたらに時間がかかることも少なくないですけど、事業計画の形成段階から、相談に乗って議論を導くところから援助が始まっていると見ると、時間がかかるのも仕方がないなという面もあるんですよね。

で、なぜいきなり日本の国際協力の話をしているかというと、この日本の国際協力の特色も、自分たちの価値観を絶対のものとしない、どこか別のところにヴィジョンがあって他所様のヴィジョンに照らして自分のアイデンティティを確認する、という日本人の特色が非常によく反映されているシステムに見えるからなんですよ。途上国とはいえ、相手国の考えには耳を傾け、一緒に考えてみる。既成の「正解」を安易に持ち込むようなことはとりあえずしない。

欧米諸国による国際協力事業は、パッケージを持ち込むようなものが多いんです。エイズ対策はこう、水・衛生問題対策はこう、食料支援はこう、という、すでにデザインされて出来上がった事業計画を持ち込むことが多いように見えます。これが定石、正しい対応というもの用意してきて現地で指導し適用する形態です。さらにキリスト教系の援助団体ともなると、自分たちの価値観まで一緒に広めようとしたりして。自分たちの範に従えばよろし、という中華な空気が感じられることも少なくない。

そういう欧米式の援助も効果は高いです。特に即効性が高いことが多い。日本の支援がいつまでも始まらずだらだらしている間にバンッと資金と人とを投入して成果を上げる局面も何度も見ました。

それもよい。否定はしないし、ひとつのやり方だと思う。でも、相手国側の文化的文脈に合致していなくて、一時の成果だけで長続きしなかったり、時に傲慢に感じられたり、あるいはたとえば「民主化の支援」のような政治的に敏感な分野では原理的主義的な危うさも感じたりする。

世界の先進国、援助国による援助事業は、みんなそれぞれに個別の事情、特色を持っていますけど、日本のODAも例に違わず「要請主義」「ownership」で代表されるような独自色があります。上記で引用した識者の方々の日本、日本人の特徴についての評を、人の顔色ばっかりうかがって情けない、という風に見ることもできるでしょうが、好意的に解釈すれば、相手のことをよく考えている、ということです。日本の国際協力にも、その特徴がよく反映されているように思うのです。

まあ、実際の現場には、さらにさまざま事情があって、ここで書いたようにすっきり「日本はこう、欧米はこう」と割り切れないことも多いですけどね、実は。

November 12, 2010

18世紀以来の外交の変革期、かも?

もう議論も出尽くした感がありますね、尖閣諸島沖の海上保安庁巡視艇と中国漁船の衝突の様子を収めた動画がYouTubeで流出した件。

で、それに関して、なんら目新しい答えや意見を出せるわけではないんですけど、ただ、今回の海上保安庁の動画流出の騒ぎを見ていて、政治や外交の世界も、ネットの世紀になって新しい時代に入りつつあるのだなぁと感じたりなんかしてるので、ちょっとだけその感想を書き残しておこうかと。

外交ってさ、古くは国王とか皇帝とかの専権事項で、要は王様が使節を送って外国と物事の調整をする作業だったわけでしょう。成功も失敗も最終的には王様自身の威信の問題で、王様の責任だったんですよね。そこで民が意識されることは少なくて、国家を体現する王様とその取り巻きや貴族達だけが情報を独占してた。民は戦に駆り出されるばかり、って時代だったはず。

ところが、18世紀頃から今風の議会政治が成立する国が出て来て、民主制、議会制民主主義の国が出て来た。外交は政治を通じて間接的に民の信託を受けた外交の専門家が行うようになった。で、この時代から新聞というメディアも発達してきて、主権者たる国民も、曲がりなりにも情報に接することができるようになってきて、「情報を持った民がいて、少なくとも建前上は最終的には彼らが決める」という新しい環境を前提とした、現代にまで続く外交の手法が構築されていったんですよね。もちろん紆余曲折があり、様々な問題や失敗も経験してるんですけど、外交の秘密保持と情報公開のバランスとか、政府と外交官と新聞の関係のあり方とか、民主外交に必要なノウハウや経験が積み上げられていったわけです。

そしてラジオ・テレビの時代がきた。新聞より速報性があり、民に対する訴求性も高いメディアなので、またそこでも外交の新しい方法論が積み上げられていったんでしょう。が、しかし、それは新聞というメディアとの付き合い方の延長線上にあったように思います。新聞より速い、新聞より情報量が多い、という違いはあれど、情報の流れ方には基本的に違いはない。そう、「マスメディア」であることには変わりない。

ところが、ネットの時代は本質的に新しい。政府と外交官とマスメディアの3者の間で培われた枠組みの外側に、まったく新しい情報のルートができつつあるんだと思うんです。だれしもが新聞やテレビの力を借りずに情報を拡散する力を得て、この3者のコントロールの及ばないところで情報が大々的に流れるようになってますよね。Wikileaksも、公安情報の流出も、海上保安庁の動画流出も、今までとは全く違う情報の流れを作っている。従来型のマスメディアの枠外の話になってる。

確かにすごいことになってきたんじゃないですかね? 封建時代の外交から近代外交に移り変わった18世紀以来の大きな地殻変動のような気がしているんです。「外交と情報」という視点から見ると、18世紀初頭以来の、2、300年ぶりの新局面じゃないかと。国民主権と言いながら、選挙の時以外は観客に過ぎなかった市民が、ネットというプラットフォームの上にソーシャルメディアという情報空間を得て、政治と外交とマスメディアという既存3者が300年安住してきた心地良い空間を激しく揺さぶっている。そんな感じがするんですよね。

だったら、この新しいセットアップのもとでの外交はどうあるべきなのか。情報のコントロールはどうあるべきで、どういう風な政治が求められて、市民にはどんな教養が必要とされるのか。私には今のところはなんの回答もないんですが、ただとにかく、私たちは新しい地平に立っているんじゃないかなー、すごいことになってきたなー、というのは実感するんですよね。

September 04, 2010

無謬を求め過ぎるのも大概にしよう。

遅ればせながら、引き続き高齢者行方不明問題の件。

この話でも気付いたのは、すべてに無謬を求める風潮が根強いことですよ。すべての戸籍が完全で、すべての国民の所在が確認されていることを求めるような報道が多いです。

無理だって。

1億2千万の国民の記録が全部完全に押さえられると思う?そんだけあれば、いろんな例外や予想だにしない人生を送ってる人もいるはずで、それを全部完全に確認しておくべき、というのは、原理原則としては正しくても、実態面では無理があるよ。

いや、もしかしたら可能かもしれないけど、可能にしようとすれば、今度はものすごいコストがかかるはず。役所の人が半年に1回国内すべての世帯を巡回して確認する、とかやったら、今の公務員の数では到底無理で、そのための費用は膨大になるよ。数万人だか数十万人だかに1件の記録の不備をなくすためのコストとして正当化できる金額ではないはず。そのくらいの記録不備は、望ましいことではないけれども、許容しておかないとしょうがないでしょう。

コストと便益の競争ですよ。どこまで完全を目指すか、その場合にかかる費用はいくらか。そのバランスをとって、最も便益の高くなる妥協点を見つけなくては。少なくとも、コストをかけまくって無謬を目指すことは正しくない。

*   *   *

この手の無謬信仰って、けっこう見かけるよね。

たとえば麻疹の予防接種。何十万人に一人だか、予防接種による重篤な副作用が出たということで、それに対する批判に抗しきれず、予防接種自体を止めてしまった。結果、大人になって重い麻疹に罹る人が出てきたり、麻疹が流行して大学が休学になったり、外国から日本が「麻疹汚染地域」と看做されてしまったり。その社会的、経済的損失は、何十万に1例という副作用を避けるためだったとして正当化できる?私はできないように思うんですけど。タミフルの件も似たような話だったよね。


駅のプラットフォームにドアを付けるという件なんかも。プラットフォームから落ちたり、はみ出して電車に接触する事故があるので、電車が停車した時だけ開くドアをプラットフォーム側に付けましょう、という話。

都内の乗降人数の多い地下鉄の駅とかならば、事故率の高さとドア設置の費用を検討すれば、ドアは付けた方がよい、という判断になることも多いんでしょう。腐ってもまだ日本は豊かな国だし、ドアくらいなら設置する余力もある。

しかし、国内すべての駅に設置すべき、という主張はやはりおかしい。盲人団体などから主張されれば、面と向って「できません」と言いにくい事情は分かりますけど、乗降量や電車の本数から考えて、ドアの設置費用が鉄道経営的に正当化できない場合が多そうなのは素人でも予想できる。そもそも、乗降量の少ない駅ではホームから人が落ちて電車に接触、なんていう事故は何十年に1回あるかないかという話でしょうし、そんな事故を防止するために鉄道経営自体が傾いてしまったら元も子もないでしょう?

*   *   *

消費者が王様、という日本社会においては、企業や役所に消費者である市民が無謬、リスクゼロを求めることを否定しない。それどころか、マスコミも一緒になってそれを煽る。それどころか、マスコミが先頭に立って煽ってる。こんにゃくゼリーの事故の一件とか、まさにそう。

それで、政府の方も「消費者庁」なんて屋上屋みたいな機関を作ってしまって、国民のわがままにおもねってる。

それはものすごくコストのかかることだし、もっといえば、無駄があまりにも多い。みんな、成熟した大人なんだから、もう少し考えようよ。

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ついでに、思い出したのは飛行機の設計。

これは限りなく無謬、リスクゼロを求めるべきと考えられる。たとえ100万回の離着陸に1回事故を起こす程度だとしても、世界中で毎日何万回も離着陸が行われているわけだし、事故ったときの影響の大きさを考えれば無謬を求めようとするのは当然だと思えるよ。

で、飛行機なんかで取り入れられているのは、「fail safe」という思想。どんなに厳密にやっても、やっぱり壊れる時はあるし、人為的なミスもある。だから、もしもの問題が起きたときに備えて、致命的な機構には必ずバックアップを設けるという考え方です。重要な装置は必ず複数の系統を用意しておく。


って、これって、「無謬を求める」というのとはちょっと違う気がするよね。「無謬ではないことを認めて、間違いが起きた場合でも事故に至らないようにする。」というわけで。

人間の考えること、なかなか賢いよね。

September 02, 2010

「外圧」が懐かしい。

そういえば昔、「外圧」という言葉が日常的に使われていたような気がする。ニュースはいつも、「外圧」の話を伝えていた。そう、「外圧」は「gaiatsu」としてそのまま英語でも使われるくらい、みんなのお気に入りの単語だったよ。

とかく反応が鈍く、なかなか明確な政策を打ち出さない日本政府に対して「外圧」は有効な手段だったよね、特にアメリカにとっては。なんとかしろ、という圧力を外からかければ、日本はあたふたと対応していたように覚えてます。市場を開放しろ、関税を下げろ、もっと輸入しろ、陰に陽に外圧をかけて対応を求めた。まあ、そうでもしなきゃ、他所様の顔色ばっかり見てなかなか決断ができなかったからね、日本は。

そして、「外圧」はアメリカだけでなく、日本の政策担当当局にとっても便利な言葉だったよね。何らかの対応を取らなければ「外圧」に負けてしまいます、「外圧」を緩和するにはこの程度の妥協が必要です、という感じに使えば、政策の合理性や妥当性についてネチネチと吟味されることなく政策を通すことができたからね。


「外圧」が盛んに使われたのは、バブルの頃までだったかな。日本経済が最も勢いづき、世界の市場を席巻し、その勢いが故に世界中のあちこちで摩擦を引き起こし、「なんとかしろ」と文句を言われた。その「なんとかしろ」の文句が「外圧」だったのでしょう。

*   *   *

気がつくと、すっかり「外圧」なんていう単語を目にしなくなったね。しぼんじゃって年中病み上がり、もはや脅威でもなくなった日本に「外圧」なんてかける用事もなくなった、ていうことなんでしょうかね。それどころか、「もうちょっとがんばってください、あなたが風邪ばっかり引いてると、周りも困るんですよ。」と心配されるような状況だもんね。

「外圧」をかけられてばかりの頃は、「大変だなー」「うるせーなー」とイライラもしたし反発も感じたでしょうが、思えば、「外圧」をかけられるうちが華だったんでしょうね。

*   *   *

もうひとつ、国際経済の世界自体も変わったんだよね。国と国の二国間の通商関係ではなくて、市場経済が爆発的に拡大してる。「外圧」が見えなくなったのは、国際経済の「市場」、マーケットによる支配が強まったっっていうのもあるよ。変なことやってると、市場から警告を受け、場合によっては手痛いダメージを受けることもあるわけでさ。政治の世界はともかく、特に経済の分野においては、「外圧」は「市場の圧力」に置き換えられてしまった感があるなぁ。


「外圧」にノスタルジーを感じるほど、時が流れちゃった。

August 15, 2010

社内英語化、やりたきゃやればいいんじゃないの?

ちょっと旬を過ぎた話題になりますけど、楽天やユニクロが社内の共通語を英語にすると決めたという話。三木谷・楽天社長は決算報告の会見を英語で行って注目を浴びたりしておられます。社内共通語を英語にするということについては賛否両論ですが、なんとなく反対派の人の声が大きいように見えます。どうなんでしょうか。

「能力があって英語が出来ない人と、能力がなくて英語が出来る人、英語化すると後者が優勢になって会社のためにならない。」
「能力があっても、苦手な英語では能力が十分に発揮できない。いつもアウェイで勝負するような不利な状況に置かれる。」
「顧客とは英語で仕事できない。佐川の配達員にも英語で対応するのか?」
「日本人同士で英語で話をしているのは滑稽だし、不気味だろう。」
「TOEICが基準点に達しないとクビなのか。それってひどすぎる。」

などなど。たしかに一理あるように思いますけれども、私は、どちらかというと「英語化?いいんじゃないの?」という感想を持っていますよ。だって、一企業の判断なんですもん。会社にとって、社内を英語化した方が商売がやりやすい、そちらの方が会社の成長にとって都合が良い、と判断されたということなので、だったらそうすればいいんじゃないですか?という、安易な考えなんですけれどもね。

楽天もユニクロも、グローバル展開を図っていくには世界各地に存在する(ことになる)事業所間で円滑なコミュニケーションが必要で、そのためには日本語を標準としていたのでは都合が良くない、と判断されたのでしょう。また、グローバル・マーケットに打って出るに際して、社員の英語力の不足を感じ、多少の無理を押してでも英語化を宣言した方がよいと思われたのでしょう。英語化による非効率の発生を天秤にかけても、やっぱり英語化した方がビジネス上の利点が多いと判断されたということで、周りがとやかく言うことでもないかなと思っています。

「能力があって英語が出来ない人と、能力がなくて英語が出来る人、英語化すると後者が優勢になって会社のためにならない。」って、その通りになってしまって会社の業績に影響がでるような事態になれば、それは経営判断としての英語化が間違っていたということになるだけです。

たしかに見回してみると、かつてのように海外事務所に日本から社員を赴任させ、本社の指示を仰ぎながら事業を展開する駐在員派遣型の海外事業展開は、今どきの国際市場では非効率が目に余るものになりつつある。中国市場でもインド市場でも、現地には優秀でグローバルな人材はたくさんおり、わざわざ日本人を送らなくても、現地の人材を採用した方がよほど効率的だと思う。現地の人の方が、現地の言葉、現地の商習慣にも通暁しているわけですし。海外生活が不慣れな日本人がオタオタしながらなんとか現地に順応し、それからやっと仕事に取り組みます、というのではなんとも遅いし、現地で雇った人には太刀打ちできないでしょう。現に、パナソニックは新規の採用の8割は外国人にする、ということになっているらしいし。

そういう国際的なビジネス環境になれば、社内の標準言語を英語にした方がいいかもね、という判断もありえるだろうなぁとも思いますよ。

公立学校や役所が英語を標準にするという話ではないのです。そんな話には断固反対ですよ、もちろん。十分な母国語の運用能力があっての外国語だし、言語は文化と一体のもので、それをおろそかにはできない。英語教育を小学校から義務化する、なんていう話も、考えなくてはいけないことがたくさんありそうで、「はいそうですか」とは賛成できないです。

ただ、グローバル市場で商売をする一企業の判断としての社内の英語化は、別の話。英語化が便利だと思えば、その便益が不便を上回るのであれば、そうすればいいじゃないって思うんです。

August 13, 2010

カガメ大統領の再選

「ホテル・ルワンダ」という映画があったの、覚えてます? 1994年、ルワンダのツチ族とフツ族(「族」という表現は差別的だという批判もあるようですが、言葉狩りをしても仕方ないのでそのままにしておきます)の対立が先鋭化して、フツ族によるツチ族の「民族浄化」が勃発、そんな中でフツ族のホテル支配人がツチ族の人々をなんとかして守ろうとした必死の行動を描いた映画です。実際に起こった悲惨な出来事なんですけど、「残酷でしょう?かわいそうでしょう?」っていう扇情的な演出を避けて、比較的さらっと描いたのが逆にリアルさを際立たせていた映画だったように覚えています。

日本ではメジャーな配給会社による上映がなく、あまり日の目を見ないままお蔵入りになりそうだったところだったのに、この映画はもっと広く公開されるべきだという市民運動、署名活動が拡大して、結果的にそれなりのヒット作になったという経緯も興味深かったですね。

そのルワンダなんですけど、第二次世界大戦後では最悪と言われた民族浄化からほんの15年しか経っていないのに、首都キガリはいまやアフリカでもっとも治安がよく、成長著しい注目の都市になってます。スタバを彷彿とさせるような清潔でシャレたカフェなんかも繁盛しているし、インターネットの普及率も高いなんていう話を聞きました。

その立役者がカガメ大統領。私がカガメ大統領がしゃべるのをちゃんとテレビでみたのでは、ユアン・マクレガーがアフリカ大陸をバイクで縦断するという番組でルワンダを通ったときに、妙に気さくにユアンの訪問を受け入れていた時でした。カガメ大統領はユアンを自宅に案内し、大統領がここまで私邸の中をテレビに映させてよいのかしらん?とか思ったの覚えてますよ。細身でひょろっとした体躯で、哲学者然とした語り口が好感を持てました。

民族浄化、国民同士が殺し合いをやった後の初代大統領ですから、悩みも深く、やることも多く、こういう思慮深い賢人宰相型の大統領がふさわしいんだろうなぁとも思った。

*   *   *

ルワンダの大統領の任期は7年。先週大統領選挙が実施され、カガメ大統領は93%の支持を集めて再選されました。まあ、普通に見てれば順当な結果だなと思います。

ただ、ですね。

選挙前から、あまり気持ちのよくないなニュースがぱらぱらと流れてきたのです。まず、カガメ大統領の対立候補で有力な人物は、ことごとく選挙に立てなくなっている。ある者は逮捕拘束され、ある者は被選挙権を停止され、またある者は暗殺されている。メディアの締め付けも厳しく、大統領与党の批判は事実上行えない状態になっているらしい。まあ、ジェノサイドからたった15年でここまで経済を回復させ、社会を安定させた功績は大きいので、批判しにくいカリスマになっているとは想像されますけど、それでも当局が批判を封じてしまっているという情報はちょっと気になる。

で、こないだBBCのインタビュー番組に出ていたカガメ政権の女性の外務大臣は、「ルワンダの悲惨な過去は、過去とはいえまだつい先頃の話で、こういう情勢では民主主義よりも国民の和解を優先せざるを得ない、そのためにある程度強権的な政権運営はやむを得ない」というったような趣旨の発言をしていたんですよね。事実上、反対派の弾圧を認める発言に聞こえた。

うーん。

アフリカをはじめ、世界の脆弱国家を見てみると、民主主義の実践が最前の解決策で、絶対的に正しいと断言できない実情があるのは、確かにそうなんですよね。特に、欧米の主張するように厳密に自由で公正な選挙に実施が絶対的に正しい、とは言い切れないところがある。現に、東南アジアは今でこそ繁栄を享受し、いろいろ不都合はありながらもとりあえず民主的な制度と認められる程度のことはやっているけど、ついこの前まではどこも開発独裁の国ばっかりだったわけです。国民の教育水準とか、経済水準とかがある程度の条件を満たさないと、自由選挙が社会の安定を逆に損なうことも多くて、スタートラインに立つまではある程度強引な政権運営が必要だったりする。

一種の哲人政治だと思うんですよね。Wikipediaによると、哲人政治とは「哲人王を統治者とする独裁政治体制の一種」とある。マルコスが、スハルトが、リー・クアンユーが、マハティールが「哲人王」であったかどうかは議論の分かれるところでしょうが、開発独裁は衆愚政治を避けるためのひとつの解決策であったともいえる。民主政治をやっても衆愚政治に陥らないところまできて、初めて自由で公正な選挙をやれるのかもしれない。哲人王というよりは、私欲のために国家を利用しただけの僭主だった支配者もあまたいるんですけど、開発独裁は過渡的体制として機能したことも確かだと思う。

カガメ大統領の哲学者然とした人物像と大統領第一期目は業績は、カガメ大統領を事実上の哲人王、少なくとも開発独裁と見なすに足るものなのだろうか。先週の大統領選挙は、カガメ大統領を哲人宰相と認証するための儀式だったのだろうか。

思い起こすのは、ジンバブエのムガベ大統領。30年前のジンバブエ独立は、人種差別政策をとってイギリスがら一方的に独立宣言をしていた南ローデシアのスミス政権を、ムガベ氏らが率いる愛国戦線が打倒して獲得したものなんですよね。独立後のジンバブエは人種差別の撤廃を打ち出し、現に当時の内閣には白人の大臣もいた(って、現在もジンバブエの教育大臣は白人なんですけど)。イギリスはムガベ氏の業績を高く評価し、「Sir」の称号まで送っている。

ところが30年後の今はどうか。1980年代の黄金時代はどこへやら、政権幹部は私利私欲に走り、経済は崩壊し、国際社会からは孤立し、民主的とはおよそ言えない選挙ばかりを繰り返し、白人・欧米を露骨に敵視し、英連邦からは脱退し、推しも推されぬ世界の問題児です。ムガベ氏だって哲人王かと思われた時代もあったのに、です。

対照的な南アフリカのマンデラ氏の例もある。高齢だったというのもあるのでしょうが、デクラーク政権で最後になった白人政権を清算して新・南アフリカの礎を築いたところの早い段階で後任を立て、民主的な選挙で後任の大統領が選ばれる環境を作った。いまや神格化されたマンデラ氏を批判することは御法度になっているし、哲人王のまま晩年を迎えていらっしゃる。(実際には縁故主義の問題もあったらしいんですけど、もはやだれもそんなこと口に出せないでしょうね。)

カガメ大統領はどういう道を進むのか。今のルワンダ経済の好調ぶりを見ていると、そう遠くないうちに西側諸国が標準的と認めうる民主主義の実践が可能なスタートラインに達するかもしれない。そのとき、カガメ大統領は自由で公正な普通選挙を実施できるのだろうか。

とりあえず、大統領二期目の任期の新しい7年が始まりました。今後の動きが気になります。

August 01, 2010

日本海呼称問題

なにか新しいことや、気の利いたことを言おうというのではなくて、こういう問題が議論されているの知ってる?ってだけの話です。

日本海呼称問題。

当然だと思われている「日本海」という海の名前、これを「東海」と呼ぶべきだという韓国の訴えがあるんです。韓国は1992年頃から国際社会にこの主張を問い始め、実際に各国の政府や地図出版社に働きかけを行ってます。なんでも、韓国側の主張によれば、「東海」という呼称は2000年前から使用されており、「日本海」という呼称は帝国主義時代の日本がその国力によって無理矢理強制した呼称であるから、「東海」に戻すべきだとのこと。

こういう話って愛国心を駆り立てるものなので、世界各地の公の場に掲示されている地図で「日本海」「Sea of Japan」と表記されていると、何者かが「東海」「East Sea」と上書きしていくという事件も報告されている。たぶん、そこを訪問した韓国人がやっているのだろうというのは容易に想像されますけどね。

で、実際に、「日本海」を「東海」と表記する地図が徐々に増えている。あるいは「日本海(東海)」とか「日本海・東海」といった表記も出てきている。

他方、日本政府側は世界中の主要な図書館の古地図や古文書を調べて、韓国側の主張に根拠がないことを訴えている。それによると、「日本海」という呼称が概ね定着したのは17世紀、18世紀とか、そのくらいらしい。っていうか、まともな古地図が世に登場したのがその頃、っていう気もするけどね。で、その前は特に決まった名前がなく、海に名前が書かれてない場合も多いみたい。しかし、古文書や古地図にあの朝鮮半島と日本列島の間の海に名前が表記されている場合は、ほぼ「日本海」。古くは「東洋海」(Oriental Sea)や「朝鮮海」(Sea of Korea)という表記もあったらしいけど、日本政府の調査によれば、どの時代にあっても「日本海」とする文献が大多数で、その他の呼称が使われている事例はわずか。ましてや「東海」という呼称はその中でもさらに稀な例で、事実上ほとんど使われたことがない呼称らしいです。

韓国側が「日本海」の呼称を嫌う感情も分かる気はする。帝国主義の日本に痛めつけられ、最後には併合され、民族の誇りを蹂躙された歴史がある。しかも、「恨」(ハン)を美徳とする国民性。その韓国の東に横たわる海が「日本海」というのは、たとえ戦後65年経ったとはいえ、心穏やかではいられない。わずかでも「東海」と呼ばれた事実があるのであれば、やはりこの海は「日本海」ではなくて「東海」であった、「日本海」という呼称は日本軍国主義の名残だと主張もしたくなるでしょう。

この日本海呼称問題、問題が他の領土問題と比べて様相が異なる点があります。当たり前ですが、日本、韓国、双方とも領有権を主張しているわけではない。日本海は国際法上の公海、どの国にも所属しない海なんですよね。公海の呼び名を争うという事例は他に例がない。

世界各国、領土問題を抱えている国はいくらでもあって、各国は領土問題を解決することはできていないけど、領土問題がどういう問題で、どういう風に扱うべきかということには、それなりに慣れている。「ああ、2カ国、3カ国が領有権を争ってるのね、歴史的経緯はどうだったのかな。民族的、文化的帰属はどっちにあるのかな。でも、A国の主張を認めたら、我が国が抱えている別の領土問題での主張と矛盾するな。B国は我が国の友好国だし、ここで主張を認めておけば恩が売れるかな。云々。」って感じで外交ゲームが日々行われているけど、公海の名前を争うっていうのは例がない。

例えて言えば、パキスタンがインド洋を「インド洋」と呼ぶのはけしからん、あそこは「南海洋」である、と主張するのと同じ状況なわけです。日本側は、一国の国内的事情で公海の名前を変えさせようとする挑戦が認められるとすれば、そういうことも起こりうる、として国際社会に訴えている。また、国際海洋交通、国際航空交通上の混乱も無視できないとも訴えている。

しかし、各国の地図出版社や放送局などの中には、韓国の主張に「そうなのかなぁ」と納得して「東海」の表記を載せるところが若干づつだけれども増えているらしい。


別に私は嫌韓でもないし、隣国同士で仲良くやっていけばいいじゃん、って思ってますけど、両国間には竹島問題や歴史教科書問題に加えて、こういう問題もあるんですよね、っていう話です。

July 19, 2010

ダーバン。裏表のある街。

南アフリカ第3の都市、ダーバン。

インド洋に面して白い浜が続く美しいリゾート地というイメージがある反面、外務省の海外安全情報では、戦争が起きてるわけでもなければテロリストが潜んでるわけでもない平時の街なのに市街中心域に「十分注意」が出ていて、さらにその中心部のメインストリートは「地球の歩き方」でも「昼間でも徒歩で出歩いては行けない」との注意書きがあります。

そこをレンタカーで通り抜けてみました。確かにここじゃ車を降りたくない。というか、赤信号で止まるのも不安。ゴミが散らかった通りに、なにをやってるのか分からない人がたくさんうろうろしている。商店のウィンドウには鉄格子のシャッターがついてるし、ぎっしり黒人を乗せたミニバスが乱暴に走り回ってる。街を歩いている人も、ほぼ100%黒人。たとえ「地球の歩き方」の注意書きを読まずに入り込んでも、直感的にここはまずいぞと気付くと思うよ。スラム化してるとまでは言わないけれど、かなり荒廃しているのは感じられる。

中心部を抜けて、ダーバンの北部郊外方面に出ると、状況は一変。ゆったりとした敷地に芝生の緑も美しい住宅や店舗が並び、街路樹の植わった道路も整然としている。高台からは海が見渡せ、アメリカ西海岸のような異様に健全な雰囲気(って、カリフォルニアに行ったことないけど)。たぶん、白人とカラード(ダーバンはインド系住民が多い)が主な居住者だと想像されます。

かつてニューヨークも似たような状況にあったはず。ジュリアーニ市長の下でスラム地区の改善政策が行われて、見違えるように治安も改善したと聞きました(ニューヨークも行ったことないけど)。

振り返って、我が国にはそういう中心部が荒廃して郊外に健全な街が広がる、という都市はあまり聞かないですよね。東京を例にとっても、江東、江戸川、あるいは新宿の方にはガラの悪い地域もあるけれど、スラムってわけじゃないし、人が歩けないわけじゃないしね。

なぜ、中心街が荒廃した都市ができるのか。そういえば、今私が住んでいるハラレも当てはまるなんです状態ですけどね。

理由としてまず、物理的に開発可能な土地の面積の違いが考えられる。ダーバンにしても、ハラレにしても、都市部を広げていこうと思えば、どんどん郊外に広げていくことが可能。山地や海にぶちあたることもなく、割と平坦な(道を造れば車で走れる程度)の土地が延々と広がっているので、新市街をどんどん開発していける。荒廃しつつあるエリアから離れて、新天地を開拓することが比較的簡単。日本じゃ、そういう土地があるのって、北海道くらいじなんじゃないでしょうかね。

で、上記の理由もあって、日本では公共交通機関がよく整備されている。限られたスペースなので、その内側に鉄道や地下鉄を縦横に整備して、人々が車じゃなくても移動できる効率的な街ができる。だだっぴろく拡大した都市圏には、幹線の鉄道は整備できるだろうけど網の目のように鉄道網を張り巡らせることは経済的に割に合わない。

公共交通機関が便利なので、日本では中産階級、あるいは富裕層でも電車や地下鉄に乗る。車がステイタス、という面はあるし、一握りのVIPは電車には乗らないだろうけど、一般人が電車に乗ることになんの疑問もない。

他方で、ダーバンのような街だと、郊外に広がった美しい住宅地では車がないと動けない。公共交通機関っていっても、ミニバスくらいしかないし、ミニバスは不便。なので中産階級以上は車が主要な交通手段になる。結果として、車を持てず、公共交通機関に頼らざるを得ない層が、都市中心部に住むという構造にならざるを得ない。とすると、公共交通機関は貧しい層の乗り物ということになり、ますます中産階級の足は遠のく。豊かな人ほど郊外に逃げて行く。

そういえば、世界の有名な観光地では、往々にして高級なホテルほど郊外にあるよね。駅前や空港近くのホテルは良くてもビジネスのレベル。本格的な「ホテル」は郊外で車でしかアクセスできないところにあるのが普通。ま、余談ですけど。

そう、それで、経済格差によって住むエリアが確定され、貧しい層は都心部に、豊かな層は郊外に、となっていくわけですねぇ、たぶん。そして、車を主な交通手段とする中間層、富裕層のために道路はまずます整備されていく。現に南アフリカのハイウェイの整備状況はすばらしい。片側3車線、4車線、5車線の120km以上で飛ばせるハイウェイは快適。

都心部が荒廃した都市ができる理由には、物理的に開発可能な土地の広さ、それに伴う公共交通機関の整備状況、そして住民の経済格差が挙げられると思うのですが、もうひとつ、人種問題があることも無視できないと思われる。歴史的経緯から一般的に黒人が貧しい。いくらアパルトヘイトが終わったといっても、合法的な経済活動で収益を得ている白人のビジネスや土地を取り上げるわけにはいかないし、それこそ逆人種差別になっちゃう。植民地時代の遺産で食ってると言えばそうかもしれないけど、現実には南アフリカの土地を「購入して」入植し、しかるべき「投資をして」財を成した白人が少なくないので、「植民地主義の下で原住民の財産を搾取した」とは言い切れないし。
生まれながらの不平等は是正されるべき、として相続税の課税強化したところで、法人化されている財産には影響は現的的でしょうしね。

どうしても乗り越えられない人種間の壁は、社会の分断を促進する方に働くことはあっても、融合させる方に働くことは、まあないでしょう。結果、固定化した貧困層には黒人が多く、荒廃した都市中心部に住み、ますます白人やカラードの中産階級から蔑視され、取り残され、都市中心部と郊外の分離が進んでしまう。

*   *   *

ニューヨークで成功したと言われる都市再開発。
ただ古い建築を取り壊して道路やインフラを整えて形を繕ってみても、格差問題を解決しない限りは似たような荒廃地域が別のところにできるだけな気がする。税制や社会福祉政策、南アフリカではさらに積極的差別是正策(Affirmative Action、南アではBlack Empowerment Act)も必要でしょう。それが都市の治安改善、行政の決まり文句みたいですけど「住み良い街づくり」に繋がっていくんでしょうね。

ダーバンの郊外は美しいです。海も近いし、緑も映える。でも、背後にあまりにも暗い都市の分断状況があることを思うと、単純に「すばらしい街だね」って手放しで歓迎できないです。

格差問題が注目を集める日本にも、こんな風に分断された都市ができるのかな。またあるいは、日本以上に格差が広がっている中国沿岸部の都市はどんな具合なんでしょう?

June 29, 2010

ジンバブエとロールスロイス

ジンバブエって、つい1年半くらいまでは日常生活でも「兆」の位が必要なほどのハイパーインフレを起こして、最終的に経済が崩壊した国です。その後、自国通貨を放棄して経済を米ドルと南アフリカ・ランドで回すことにしてなんとか小康状態を取り戻し、このところは経済も市民生活も一応の落ち着きは取り戻した・・・というものの、産業は再生できないほど痛んでいて国内にろくなビジネスはないんです。

なのに、こないだハラレのレストランでディナーをして駐車場に出てきてみたら、超巨大なロールスロイスが停まってるんですよ。「TopGear」で見たのと同じカラーリングの、おそらくは最新型。そして、その向こうに、色違いでコンバーチブルのやつがさらにもう一台!

なぜそういうことが可能なのか、想像はつく。が、途中までその理由を書いてみたんだけど、でも、ここでそれを公開しちゃうのは、たとえ日本語で書いたとしてもヤバい気がするので、やめときます。

ひとつコメントするとすれば、これが国が発展しない理由を象徴してるよな、っていうところです。詳しい話をお聞きになりたければ、個人的にメールください。

June 27, 2010

「いい国に生まれたのだ」っていう話。

佐藤尚之さんのブログに「いい国に生まれたのだ」ということっていうエントリがあがっておりまして、GPI(世界平和指数)で日本が3位だったことを取り上げられてます。ちなみ、私が今いる個に国は、GPI135位/149国で、惨憺たる成績。この国の成績が悪いということで、このGPIが発表されたというニュースが私の関心の網に引っかかっていたんですけど、佐藤さんは「日本はいい国だよね」という視点でこのニュースを拾ってらっしゃいました。



そうだよねー。明日は真っ暗闇、みたいな雰囲気の報道ばっかりだけど、日本はどんだけ恵まれているか、GPI135位の国にいなくても実感できるはずですわ。それで、先のエントリに対して、佐藤さんに「そうですよね」っていう内容のフィードバックのメールをお送りしたところ、そのメールがほとんどそのまま佐藤さんのブログに転載されてますので、ちょっとリンクしておきます。

こんな風に、普通だったら絶対にお近付きになれないような人ともコミュニケーションが取れるっていうなんて、いい時代になりました。

G8サミットの首脳宣言の報道がおかしい。

カナダ・ムスコカのG8サミットが首脳宣言を発表して閉幕したんですけどね。

これが首脳宣言の全文。まあ、英語読むの大変なので、私も全部読んだわけじゃないですけど、最初に大きく開発の問題が取り上げられて、MDGs、母子保健、アフリカなどに焦点を当ててる。

次が環境、気候変動関係。

その次に貿易、投資。

最後が国際平和、安全保障関連。

宣言は事前の事務方の準備を経て、最後に首脳に議論が委ねられて発表されるわけですけど、実際の議論で一番時間が費やされたのは、このところのユーロ危機もあって、経済問題だったそうです。

ところが。

これが、東京新聞のG8首脳宣言の要旨の報道
テーマの順番が入れ替えられており、分量も違う。 軍縮→北朝鮮→イラン→アフガン→世界経済→開発・アフリカ→環境の順になってて、前段の方に力が入ってる。

朝日にいたっては、こんな感じ。
母子保健については他の記事で若干触れてはいるものの、最後に出されたG8首脳宣言の総括記事として、これ。北朝鮮問題とイラン問題にばっかり触れて、最後にちょろっと経済。

*   *   *

北朝鮮やイランの問題が重要であることは否定しないよ。でもね、世界は何に関心を持って、取り組むべきと考えているのか、世界に君臨するともいえる「G8」はどんな責任を負っているのか、日本の報道はマトモに伝えていないのです。勝手に自己の関心事項だけを拾って報道している。 すでに報道機関としての役割を果たしているとは言えないんじゃないの? 

実際にG8に出ている、大手NGO、Oxfam(本部は英国)の論客も指摘してらっしゃいますね、ちょっとマズいでしょうこれはって。