『アウシュヴィッツの残りのもの――アルシーヴと証人』
Agamben, Giorgio 1998 Quel che resta di Auschwitz
=20010928 上村 忠男・広石 正和 訳,月曜社,261p.
last update:20120111
■Agamben, Giorgio 1998
Quel che resta di Auschwitz: l'archivio e il testimone (Homo sacer III)
=20010928 上村 忠男・広石 正和 訳 『アウシュヴィッツの残りのもの――アルシーヴと証人』,月曜社,261p. ISBN-10:4901477005 ISBN-13:978-4901477000 \2520
[amazon]/
[kinokuniya] ※ e08
■内容
内容(「MARC」データベースより)
イタリア現代思想の騎手による「アウシュビッツ以後」の倫理学の試み。プリモ・レーヴィを始めとする強制収容所からの奇跡的生還者たちの証言をもとに、「人間である」状況を剥奪される極限を考察する。
■著者紹介(bk1)
〈アガンベン〉1942年ローマ生まれ。批評家、ヴェローナ大学哲学教授。著書に「スタンツェ」「人権の彼方に」など。
■目次
序言
第1章 証人
第2章 「回教徒」
第3章 恥ずかしさ、あるいは主体について
第4章 アルシーヴと証言
解説 証言について――アウシュヴィッツの「回教徒」からの問いかけ
訳者あとがき
参考文献
■引用
「いかなる想像もおよばないくらいに尊厳と上品さが失われうるということ、零落の極みにあってもなお生が営まれるということ――このことが、生き残った者たちが収容所から人間の国にもち帰る残酷な知らせである。そして、この新しい知識が、いまや、あらゆる道徳とあらゆる尊厳を判断し測定す<0090<るための試金石となる。そのもっとも極端な定式化である回教徒は、尊厳が終わったところで始まる倫理もしくは生の形態の番人である。」(90-91)
「耐え抜くことの最大限の可能性の極端な形象が回教徒である」(103)
「「人間」という名称はなによりも非−人間に付けられている[…]人間についての完全な証人とは人間性を完全に剥奪された者のことである[…]
人間は人間のあとも生き残ることのできる者である」(108)
「「人間は、人間ではないかぎりで、人間である」。あるいは、もっと正確に言えば、「人間は、非−人間について証言するかぎりで、人間である」。」(164)
「人間とは非−人間であり、人間性が完全に破壊された者こそは真に人間的であるということである。」(182)
「人間的なものを完全に破壊することは不可能であるということ、つねにまだなにかが
残っているということである。
証人とはその残りもののことなのである。」(182)
「人間は人間の非−場所において、
生物学的な生を生きている存在と
言葉[ロゴス]のあいだの不在の結合において生起する(ha luogo〔場所をもつ〕のである。」(183)
■書評・紹介
■言及
*更新:
樋口 也寸志