『リベラリズムの存在証明』
稲葉 振一郎 19990708 『リベラリズムの存在証明』 紀伊國屋書店,430p.
last update:20111020
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稲葉 振一郎 19990708 『リベラリズムの存在証明』,紀伊國屋書店,430p. ISBN-10:4314008482 ISBN-13:978-4314008488 \4410
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[kinokuniya] ※ l03 p nr03 lj01
■内容
内容(「BOOK」データベースより)
リベラリズムの限界に挑む個人と社会の相克関係を根底的に問いなおし、最小福祉国家への構想を描く理論的挑戦作。『ナウシカ解読』で注目を集めた気鋭の社会哲学者による、渾身の書き下ろし800枚。
内容(「MARC」データベースより)
個人と社会の相克関係を根底的に問い直し、最小福祉国家への構想を描く理論的挑戦作。「ナウシカ解読」で注目を集めた気鋭の社会哲学者による書き下ろし。
■目次
はじめに
第一章 リベラルな制度の検討
一 「特段の理由なくして差別しない」
二 制度の境界
三 制度はどのようにして存立するか
四 洗練された無関心
第二章 「私」の固有性とはなにか
一 人格的個人への注目
二 「公正さ」の要請
第三章 リベラルな制度における権力
一 リベラルな制度と国家
二 リベラルな制度における制裁
三 共同体主義への最批判
第四章 自由主義の思想史―第一の屈曲
一 社会契約論――ホッブズとロック
二 スミス――自発的適応のメカニズム
三 ルソー――合意の「裂け目」
四 自由主義の諸ヴァージョン――英国における展開
五 フランス革命後の思想
六 古典的自由主義、新自由主義そして社会民主主義
第五章 第二の屈曲―進化論的思考を超えて
一 新自由主義の課題
二 進化論的思考の展望
第六章 最小国家論の可能性と限界
一 『アナーキー・国家・ユートピア』
二 最小国家論の検証(一)「見えざる手」による移行
三 最小国家論の検証(二)拡張国家への移行の正当化
四 平等主義と人格
第七章 リベラリズムは悪に耐えうるか
一 ルサンチマン問題
二 歴史原理の限界
三 リベラルな道徳の困難
第八章 悪の神話化を超えて
一 悪の合理性
二 極限の犯罪=殺人はいかにして対応するか
三 全体主義の危険とはなにか
おわりに
一 批判理論としての自由主義
二 自由主義の限界をめぐって
あとがき
ゲーム理論についての補説
■引用
■書評・紹介
■言及
第四章 自由主義の思想史――第一の屈曲
◆二つの屈曲
・自由主義の社会理論の巨大な屈折―社会秩序についての新しい思考パターンの登場
<第一の屈曲とは>
社会秩序を人間の意志、意図的営為の所産とみなす立場(T.ホッブズ・J.ロック)の優位から、「見えざる手」的思考、人間の意志によらないメカニズムとして捉える立場(A.スミス)の優位への転換。
・意図の腑分け―合意とは何か
第一階の意図―それ自体意図的に形成されたものでない共有された意図
第二階の意図―「意図の合致についての意図の合致」
→上記の「屈曲」を捉える前段作業。
一 社会契約論―ホッブズとロック
◆ホッブズ「全員一致の合意」
自然状態・自然権→自然法→国家
*すべての人々を拘束する統治権力形成への意志はいかにして生じるのか
*合意が成立するのならそもそも統治権力の形成など必要ない(など)。
◆統治権力への合意
「設立によるコモンウェルス」―合意に基づく契約
→主権者でない人々の合意の上に成立するものであり、それ自体では「ある者」=主権者を構成しない。
「獲得によるコモンウェルス」―主権者による実力による同意
→正当な合意ではない(反論)⇔不服従=死か服従かの自由はある(ホッボズ)
◆主権者の位置
「設立によるコモンウェルス」―完了しない不完全な合意・履行されえない信約。
「つまり『設立によるコモンウェルス』の場合にも、実は『獲得によるコモンウェルス』の場合と同様、主権者は人民=臣民とは別の存在、人民にとっての他者なのである。」(p135)
→主権者の「設立」過程はまったく不明
*「仮想の合意」
→国家が人々の要請を実現する保証はない=主権者は臣民に対して何ら義務を負っていない。
◆生存権における自由
主権者に譲渡し得ない権利―自己保存、生存の権利。主権者に抵抗する権利、逃亡する権利は認められている。
*主権者を自然法の実現へと導くものは何か?
◆臣民と主権者の間の信約
「獲得によるコモンウェルス」―「設立によるコモンウェルス」とは違い、その人が服従している限りにおいてその生存を保障する義務を負う。しかし、微妙な違い。
→主権者の拘束には有効でない。その絶対性は揺るがないように見える。
◆不法行為としての抵抗
・スピノザ『国家論』―権利としてはではなくて、事実としての、力としての抵抗が主権を統制していく。→ホッブズもこう考えていたのではないか。
「ホッブズにおいて合意による社会秩序の形成の理論が提示されている、というのは決して間違いではない。しかし、それが普通の意味で成功しているのはそれほど注目されない「獲得によるコモンウェルス」論においてであり、思想史上より重視される「設立によるコモンウェルス」論はいわば仮想の合意、合意が欲されながらも不可能ないし困難であること、を示すものとなっている。自然状態を基準として考えるならば「設立によるコモンウェルス」は合意によっては到達できない、逆にそれなしには合意が実現されない場所にある。」(p140)
「「獲得によるコモンウェルス」を作り上げるのは、専制的主権者と臣民一人ひとりの間のミクロ的な合意の積算である。それに対して「設立によるコモンウェルス」を作り上げるのは、一見したところとはちがって臣民の間のマクロ的な合意ではない。では何がコモンウェルスを設立するのか、についての明確な回答は存在しない。そしてこのコモンウェルスは、「獲得におけるコモンウェルス」における微力だが正当な抵抗とは異なって、不正、不法行為としての抵抗によってその未来の任務に向けてようやく統制されるのである。」(p140)
◆制度体の存続と主体の生存
・「制度体」としての社会―メンバーの同一性
・社会の外側が想定されていない。
◆ロック『統治二論』
・たまたま協同で自分たちの権利のより確実な防衛を意図したものたちだけが、国家の設立に参加する。
→自然状態―単に国家がない状態、既に自然法の秩序がある程度実現している⇔ホッブズ
ロックの想定する世界
�@無主の自然が拡がり、人びとは自らの労働を傾注するだけでそれを自分のものとする。権利の衝突や戦争状態はない。個人の能力が及ぶ範囲は有限であり、権利間の境界線が自然と引かれる。
◆父権の領域
�A子どもは理性をもった意志決定者ではない。両親の支配に服している。⇔「獲得によるコモンウェルス」
→二重の脱政治化―支配のローカリティ・後見義務。子どもや奴隷の政治社会からの排除。
�Bルールの執行の容易さ。統治権力が人びとの合意、契約によって設立されているので、複数の人びとが協力して、協同の裁定・執行機関としての統治権力を設立することが有利となる。
*権利の譲渡
ホッブズ―「aへの権利」と「aへの力」―互いを妨害しないという程度の合意。主権者は「力」の真空を埋める。全面的に自然権を振るえる。人民と主権者との間に信約なし。
ロック―人びとが「力」を持ち寄って主権を設立。「力」を引き上げることができる(=革命)。主権者と人民の間に相互に拘束する契約がある。
◆相続という仕掛け
黙示による合意―後世の政治社会への参加の意思表示としての「土地所有権の確保と享受」。
◆統治機構の永続性
ロックの理論―土地所有の中核性
�@政治社会・国家が領土的―統治権力の設立は同時に国家の成員・領土的範囲を確定する。
�A財産の相続―新しい世代の政治社会への参入
→ここには「飛躍」があるが、それにより統治機構の永続性を保障し得ている。土地の永続性ということもある。
*規律というテーマ−父権、親子関係
「親の子に対する規律が家の領域、非政治的な私的領域のなかに封じ込められており、さらに子が大人として、権利を有する自由な主体として社会に登場してくる際には、相続という利益誘導による規律が作動している。この利益誘導による規律、それを通じての人の市民的主体化という問題領域は、後のアダム・スミスにおいて全面的に開かれてくるのである。」(p152)
→「第一の屈曲」であり、固有の意味での「自由主義」はここから始まる。
二 スミス―自発的適応のメカニズム
◆見えざる手
「人間は自分の行為に対する他者による是認を欲求するという前提の上で、人間が他者による是認を求めて自発的に「行為の一般的諸原則」へと自分を適応させ、「不偏不党の観察者」の判断力を内面化する、というメカニズムを『道徳感情論』は描き出し、市場における交換を通じた分業経済への参加を通じて、人間が自発的にお互いの利益のために(それを意図せずして)行為し、さらにそのことから自己の利益を増進することができるゆえに、ますます分業経済に積極的にコミットしていくというメカニズムを『国富論』は描き出した。」(p154−155)
・規律
形成された秩序が同時に、個々人の意図と行為を再びこの秩序を再生産していくようなものに規律していく。
◆ルール受容のメカニズム
・『道徳感情論』―「想像上の立場の交換」による同感を通じて、自己と他者の振る舞いを「行為の一般的諸規則」に適合したものへと規律していく→ミクロレベル。
・『国富論』―交換による分業を通じて、個々の主体のミクロ的な行動と社会全体のマクロ的な作動との間に整合性が生み出される。
→行為の意図せざる帰結として自動的に作動する
◆労働の二重性
・人間の労働する能力の共通性
・具体的な能力の錬成は報酬を得て働く中でもっともよく行うことができる。
→一人一人の人間が意識せずして社会のマクロ的な水準と繋がる
「かくしてスミスは個々の人間の自由な社会的主体としての規律のメカニズムを、マクロ的な社会調整のメカニズムと合わせて、かつ意図的営為に直接よらないものとして描き出すことに成功した。」(p162)
→この理論構築作業をしたスミスの意図とは?
◆経済学と行政学
『国富論』―"political oeconomy"についての書(本来は統治、家政という意味)。
→スミスの講義と『国富論』における議論の主眼は、従来の"police""political oeconomy"が問題としてきたような領域においては統治権力による介入は抑制され、自由な営為が意図せずして秩序を形成し、統治による意図的介入は秩序錯乱的であることなどを示すことにあった。
◆立法者の「自由主義」
・重商主義への批判―ローカルな利害を統治権力を私物化する。
→よりニュートラルな、社会のなかの私的利害から超越した統治を求めていた、と解釈することもできる。
cf.貧民の子弟に対する教育への介入
◆国民教育の機能
・貧民の子弟に対する読み書き算盤。
→規律とは言えない。スミスの力点は、読み書きによって庶民は、迷信・狂信・デマゴギーに惑わされないようになる。
「ここにスミスの議論の不吉さが集約されている。そしてそれはそのままで近代の社会思想としての自由主義そのものの不吉さである。スミスによって、社会秩序は意図的営為の所産ではないものとして理解可能になった。複数の主体間での意図の一致という僥倖や、特定の主体の意志の一方的な貫徹によらずとも、社会秩序は可能でありまた現にそのような秩序の成立していることが示された。にもかかわらずそのような主張はまた特定のタイプの主体性を具体的な人間が獲得すること(主体化=隷属化)を求めているのである。」(p166)
→主体化自体も「見えざる手」によって達成されるのか?自由主義が予想するような主体化のプロセス自体のなかに、また自由主義を主張するという実践自体のなかに「自由な主体たれ」という強制が入り込んでいないか?
三 ルソー――合意の「裂け目」
◆ホッブズ、ロックへの批判
『人間不平等起源論』―人びとがそれぞれ孤立にうちに生をおくる真の「自然状態」。各人が自らの自由を全面的に享受し、争いがない。
⇔ホッブズ
◆主権の再配分
主権―全員が自分の自由な権利を一切放棄して主権に譲渡。のち、許容される権利を再配分。全員一致の合意の拘束力が強い。
→合意の困難さ。条件
�@共和国の規模の小ささ―地域的コミュニティ程度
�A市民の宗教―国家への愛
�B立法者―賢明な政策提言
◆三つの「裂け目」
�@個々の主体の意志と社会全体の合意によって統合された意志の間の「裂け目」
�A仮に合意された社会全体の意志が成立したとしても、その実現が社会全体の利益のよりより実現を保障するかどうかわからない、といういわば意図と帰結の間の「裂け目」
�Bそもそも個々の主体のレベルにおいて意図と帰結の間に「裂け目」があることも想像できる
◆富の再分配問題
経済社会の二極化・政治社会の二極化
→スミスの理論に責を負わせても意味はない。が、この「二重の二重化」が、いわば固有の意味での自由主義的な政治思想、社会主義にとっての枢要な課題となる。スミスにおける不吉なものはそこでは全面化する。
四 自由主義の諸ヴァージョン――英国における展開
◆自律的な個人の消滅
自覚的な、固有の意味での自由主義―スミスが提示したような統治すなわち自律した国家権力、市場を中軸的制度として成立する自律的な市民社会、そして自律した個人の間の関係についての思想。
→そこにおいてはもはや個人を国家や市場などとは無関係なところで存在するものとして捉えられなくなっている。
*ヒュームの「効用」
「こうした強烈で平静な個人主義はしかし、十九世紀以降の自由主義の伝統の中からはほとんど消え去ってしまう。自由で自律した個人については、もはや国家や市民社会との関係においてしか論じられない。」(p173)
◆市民の二重化
「いわゆる古典的自由主義は自由な個人を規律しその生存を支える機構を市民社会と見なし、国家にその作動を妨害しないよう要請する。」(p173)
→しかし、逸脱者・脱落者には、放任・監禁・抹殺を国家が執行する。
*想定される二流市民層―スミス、カント、ミル
◆逸脱者の扱い
「古典的自由主義の不吉さについて、改めて確認しておこう。それは庶民を含めたすべての個人を市民として承認すると称しつつ、そのために強烈な規律を個人に強いる。しかもその規律はかつての絶対主義のそれに比べていっそう苛烈かつ陰湿でさえある。」(p175)
→外側の隠蔽―逸脱者には監禁、抹殺あるのみということの隠蔽。
→コミットメントの隠蔽―責任の隠蔽。
五 フランス革命後の思想
・市民社会の二重性への批判―トマス・ペイン、ウィリアム・ゴドウィン、マルクス主義
→新自由主義(New Liberalism)の登場―市民社会の擁護と改善
◆アナキズム
・平等な市民社会の実現―国家は障害
→マルクス主義との距離と親近性
◆社会民主主義
・議会政治の成熟による二重性の克服を肯定―新自由主義より市民社会の二重性に対し批判的であるがその土俵は共通。→のち、新自由主義と見分けの付かないものになっていく。
◆新自由主義
・新自由主義の積極的な主張―国家権力による巨大組織のコントロールと個人に対するパターナリスティックな保護。cf.独占禁止法
◆投資家と企業の対立
・巨大企業主導の市場経済における問題―短期的思惑の強い投資家と企業組織との対立
◆法人資本主義
・不況―長期化する失業
→市場の調整メカニズムによる自然淘汰と割り切ることはできない。修正資本主義としてのケインズ政策の登場―財政金融政策による需要の創出と企業への資本供給。20世紀の市場経済システムを法人企業中心の自由主義システムと捉える。
・自由主義の新しい局面=新自由主義の含意
「それは個人に対して国家がパターナリスティックに振る舞いつつ(個人としての資本家は信頼されず、労働者は保護される)、巨大な組織が市民社会における自由な主体としての地位を認められているのである。」(p182)
◆マルクス主義的社会主義とインダストリアリズム
・混合経済体制(法人資本主義+福祉国家)―古典的自由主義と社会主義の間
cf.資本主義はやがて安楽死を迎えて社会主義へと移行する(シュンペーター)
・収斂理論=産業社会―普遍的な科学技術に基づく産業に基盤を置く社会編成原理が市場経済と計画経済の相違を掘り崩していく。インダストリアリズム(カー、ダンロップ)。
→マルクス主義の「正嫡」。源流としてのサン=シモン。エリート主義。
・「過渡期」―社会主義定着から共産主義移行までの「過渡期」
→前衛党による指導とプロレタリアート独裁。しかし、この「過渡期」を脱せずに解体した。
◆「過渡期」の問題性
・無階級社会の実現―互いの差異を認め合うという政治的自由主義の存在意義自体の消滅。差異=差別は、全て階級に還元される。
→しかし、階級に差別・差異・不平等を還元できないとしたら、マルクス主義は、差別の異議申し立てを「そんものは存在しない」と悪質なレトリックを弄していることになる。その意味で、「過渡期」を乗り越えてもリベラルには容認しがたい現実となる。
・統制経済のパフォーマンスの貧困
「新機軸」をもたらす企業家は中央統制経済のなかでは生まれる市場という競争的な環境の中でこそ生まれる(シュンペーターの誤算)。
→過渡期という言い訳の失効(マルクス主義の失効)は、新自由主義と社会民主主義を区別する決定的な指標をも消滅させる。
六 古典的自由主義、新自由主義そして社会民主主義
◆階級闘争の制度化
・「階級闘争の制度化」を目指す新自由主義と社会民主主義
→古典的自由主義(二重構造の隠蔽)とマルクス主義(二重構造の解消)との差異
◆社会民主主義における「階級闘争の制度化」
・社会民主主義とマルクス主義の共通点―集散主義(国家・中央指令経済、国有化など)、「階級」単位の社会観・運動観、「過渡期」としての議会制民主主義など
→「過渡期」の失効によって、新自由主義と社会民主主義の区別は曖昧に。
◆組織の自己目的化
・「過渡期」以降における党/運動体の自己目的化か自己解体か
→社会民主主義の団体主義(corporatism)―議会制度の意義を否定。19世紀西欧にありふれた構想。
◆ネオ・コーポラティズムと多元主義への批判
・圧力団体政治―ネオ・コーポラティズム、多元主義論
→圧力団体政治に対比して称揚されるべきは個人のイニシアティヴによる政治であり、政党政治ではない。
◆組織・団体の論理の優位
・多元主義論・ネオ・コーポラティズム―組織・団体の論理の優位とい現状認識を共有
→マルクス主義のように階級還元論ではないが、一方で、個人のイニシアティヴも称揚はしない。集団・組織の論理の優位を認める。
・自由主義の正当化論理との関係
個人の唯一無二性の本源性を強調する権利論的論法・多様性の利益を強調する功利主義ないし帰結主義的な論法
・経済的自由主義―多様な主体間(法人)の競争が経済の効率化、ひいては個人にとって利益をもたらす
・政治的自由主義―ポリアーキー・複数政党制は、複数の選択肢を提供し、独裁を防ぐ。
*本来の自由主義にとっては「セカンド・ベスト」でしかないが。
◆ネオ・コーポラティズムと社会民主主義
・自由主義―現代民主主義の危機・密室政治として批判、否定
・社会民主主義・マルクス主義―新たなタイプの政治として評価
・代表機能の欠陥―圧力団体に組織されていない人びとを代表しえない
→20世紀中葉以降では議会制度・代議制民主主義は、圧力団体とは異なる包括性を必要条件としている―費用負担(租税・兵役など)・発言権(投票権)
◆「階級闘争の制度化」をめぐる新自由主義との違和
・新自由主義と社会民主主義―現代が団体政治の時代であることを否定しないが、組織を個人に奉仕するものとあくまでも位置付けようとする。
→この緊張関係を喪失すれば、その相違はなくなる。
◆戦争と自由主義
・自由主義の不徹底―マルクス主義における世界革命。全面的な戦争の廃絶。アナキズムも共有。しかし、自由主義は主権国家がローカルなものと考えられているところからも、国家間関係という領域に追い込まれるだけ。もしくは、世界統一国家。
・世界大戦の経験―社会主義の優位性、インダストリアリズムの根拠となった官僚制組織への信頼
◆戦時動員体制
・社会主義の優位性と見えたもの―市民社会の動員。一種の中央指令型計画経済。
→第一次大戦中におけるソヴェト・ロシアの誕生。
*国家と市民社会の統合
・平時
自由主義―国家と市民社会の分離・相互の自律
社会主義―国家と市民社会のシステム統合が無理矢理持続する。国家の自律と効率化には大きな困難が生じる。経済成長という実感に時間のかかる目標と核戦争という時代の中で、崩壊に追い込まれた。→世界革命戦争の不可能性。
◆ナショナリズムの機能
「自由主義陣営」における国家と市民社会の共存の実際―修正自由主義、福祉国家も動員体制の産物。そこでは、個人の尊厳以上に国家目標への動員が優先された。その際の手段が「民族」=ナショナリズム。
→新自由主義とナショナリズムの共犯こそが新自由主義を支えた。が、それは一部の諸国に限られる。しかも、その実相は監禁・抹殺による「単一民族」化であることに注意。
◆国家と共同体
「言うまでもなく私の解釈する自由主義は、さらに共同体の手前において個人の尊厳を特権化することを提唱するものである。」(p205―206)
→共同体主義からの自由主義に対する批判―ナショナリズムとの共犯関係
「しかし私は自由主義のポテンシャルは、ナショナリズムとの結託を打破するものであり得る、と解釈するのである。」(p206)
*作成:
山本崇記 更新:
樋口 也寸志