栗城 シゲ子
くりき・しげこ
〜2021/06/26
◆田中恵美子さんより →
物故者
「栗城さんは、6月26日の朝に腸閉塞 3回目で 容態が急変し亡くなりました。とのことでした。」
◆青木千帆子・瀬山紀子・立岩真也・田中恵美子・土屋葉 2019/09/10
『往き還り繋ぐ――障害者運動於&発福島の50年』,生活書院,424p. ISBN-10: 4865001042 ISBN-13: 978-4865001044
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◇立岩真也
「はじめに・いきさつ」
「そのずっと以前、一九八六年だったか、私たちは安積遊歩(69頁)に手引きされて、相模原を訪れ、白石そして栗城シゲ子(110・222頁)に話を聞いた。「くえびこ」という――あまり作業はしないのだという――作業所のこと(222頁)、「シャローム」というケア付き住宅のこと――だが、それはあくまで次への「ステップ」という性格のものであること(225・277頁)を聞いたはずだ。
しかしその録音記録も、文字化した記録も残っていない。その当時、私たちはインタビューの時には録音し、調査者自身が――当時は金もなかったので――文字化するようにしていたのだが、この時の記録、そしてその他もいくつかが残っていない。理由はわからないのだが、インタビューというかたちでなく、その場所を移動しつつ案内してもらったので、ということだったかもしれない。文字起こしした記録をファイルしたものに、私がメンバーに送ったメモが一枚綴じてあって、それによると八六年七月一五日に栗城に会ったとある。これだろうか。しかしこれは相模原に行った日ではないように思えてきた。その日私たちは東京(東京都立身体障害者職業訓練校)で別の聞き取りもしている。そこから相模原に行って帰ってくるのは無理のように思われる。そして、私には、その頃、脳性まひで、足指で器用に袋を縛ったりする女性に会った記憶があって、それが栗城であったように思えてきた。メモは八六年末で終わっているから、その後のことはわからない。記録が出てきたらどこかで補記する。このように、私ははなはだしくたくさんのことを忘れている。たいがい一・二枚のおぼろげな画像のようなものしか頭に残っていない――だから書いておこうとも思う。」(立岩[2019:3-4])
「*挨拶が終わった後の補足
八〇年代の調査は、さきに記したメモと文字起こししたものを綴じたファイルによると、八五年六月から八七年四月にかけて三四回は――「は」、と言うのは、相模原でのもののように記録が失われているものもあるから――行なわれた。『生の技法』の「はじめに」を見ると、一〇〇人余りの人に話をうかがったとある。また五三名の方々の名前が列記されている。こちらにある調査の経緯についての記録は本書出版前には公開する。文字起こしした記録も、手書きのものありワープロで入力して印字したものあり(もとのファイルはない)なのだが、可能でまたその気になったものについては、入力しなおすなどして公開できればと思う。ただ、あの時のものだって使えるかもと思ったのはほぼ今日なので、その過去の記録は本書にはほとんど生かすことができない。
それでも、こんなことを付記するのは、(「ぎりぎり」の後の)ほんとうの作業最終日の今日(七月二一日)は参議院議員の選挙の日で、れいわ新選組から木村英子が立候補しているのだが、私と石川准はその人に、一九八六年三月、東京都国立市の喫茶店スワンでインタビューしているのだ(赤窄[i1986]=木村[i1986])――今回は文献表に同じものを二つ載てみた)。当時は赤窄(あかさこ)英子だった。B5の紙三四頁の記録がある。それ以来、彼女にはたぶん一度もお会いしていない――「たぶん」、と言うのは、「はじめまして」と挨拶すると、高い割合で相手からはじめてではないことを言われて恐縮するからだ。ただ、何度か彼女のことを聞くことはあった。近いところでは二〇一八年九月、宮崎市で山之内俊夫にインタビューした時(山之内[i2018])だ。山之内は東京でずいぶん木村に鍛えられて宮崎に戻ったのだと話した。さらに加えれば、私は昨日(=投票日の前日)、二〇一六年七月二六日に相模原の施設で起きた殺傷事件に関わる本の紹介を『朝日新聞』に書いたのだが(立岩[2019d])、そこで紹介した本の一冊は「生きている!殺すな」編集委員会編[2017]で、そこには木村の「私が地域へ帰るとき」(木村[2017])も収録されている。さらに、その事件の翌年の五月「津久井やまゆり園事件を考える集会」が開催され、「津久井やまゆり園の建替えに関する提言書」が出された時、そのよびかけ人のところに、「室津滋樹 グループホーム学会」(横塚[1975→2007:157])とともに「栗城シゲ子 くえびこ代表」を見た時、ああとても長い時間の後で、と思い、あれからずっと活動されてきたのだなと思った。こんなふうに、途切れながら、いろいろがつながっていく。ここまで書いて、寝て、七月二二日夜明けのだいぶ前、最後の仕事をと起き出したら、木村英子当選確実〜当選、との報あり。」(立岩[2019:11-12])
◆田中恵美子 「福島コミュニティの形成――コミュニティ・キャピタル論から福島の障害者運動形成期を読み解く」
「殿村は、「施設を出たい」という思いを徐々に強くしていったが、その時相談したのが郡山養護学校の先輩で施設(けやきの村)で同屋であった栗城シゲ子であった。
▽私が遊歩さんと知り合って、青い芝の事務所に行ったりとか、カンパ活動ちょっと手伝ったりとかしてるのも、栗城さんも知ってたので。そいでだんだん、私が「施設出たいかも。」っていう話を栗城さんにしてたら、栗城さんが「じゃいい人紹介してやるよ。」って言ったのが、白石だったんですよ(笑)。「今度同級会があるから、じゃあ同級会に行った時に、白石に話(はなし)してみよっか。」って言われて。「絶対紹介して。」って言って。(殿村[i2019])△
栗城シゲ子は白石より年上だったが、養護学校の同窓だった★11。白石は当時相模原で活動を開始していたため、殿村は栗城と共に白石を訪ねた。
▽で、栗城さんと二人で、東京にお花見見物に行く、って言って。あの時、二泊か、三泊だったのかな。栗城さんと二人で初めて、本当に誰の手も借りず、東京まで出てきて。東京通り越して、神奈川まで行って。白石さんに会って、「施設出たいんだけど。」って言ったら、「ああ、いいよ、じゃあ一緒にやろうよ。」と簡単に言ってくれて。「で、いつ出てくる?」という(笑)。ちょうど白石さんも仲間を探してた時だったので。それで四月に出てきて、「夏にまでには出てきます。」って言っちゃったの(笑)。(殿村[i2019]△
当時の殿村は施設生活にも満足できなかったが、親との関係も窮屈に感じていた。」(田中[2019:110-111])
「★11 白石[2019]及び殿村のインタビューによれば、栗城はその後福島の施設を出て相模原で一人暮らしをはじめ、白石たちと相模原で障害者運動に加わった。現在は白石がつくった「くえびこ」の代表として地域活動、作業所及び介助派遣事業を実施している。」(田中[2019:110-111])
◆土屋 葉「獲るために動き、対話する――白石清春の戦略」
「3 小規模作業所くえびこの結成
白石が全国青い芝の会を離れることに伴い相模原市にあった事務所を引き払うという話が出たが、白石はこの名義を「脳性まひ者が地域で生きる会」に変え、引き続き物件を借りることにした(白石[2010:55])。
そんなおり、栗城シゲ子★09と菊池久子=殿村久子★10が、重度身体障害者授産施設「けやきの村」を離れ、相模原市で自立生活を始めることになった。また相模原市内での在宅障害者・施設入所者への訪問活動を行うなかで、何人かと関わりができた。甲斐邦博★11はその一人で、白石との交流をきっかけとし、入所施設を出て地域生活をはじめたという(白石[2010:56])。
一九八二年、白石は就労の場ではない小規模作業所として、また「地域に根付いた障がい者運動を展開していく」拠点として、くえびこを開所した★12。くえびこは、利用者を徐々に増やし、狭いスペースは大勢の人でにぎわっていたという(白石[2010:55-57])。」
「4 福島県の運動はなぜ発展を遂げたのか
二〇〇四年から二〇〇五年にかけて、ILP(自立生活プログラム)の拡大版のような、「自立大学」を開催した。さらに、二〇〇八年四月に「Work・IL」は地域活動支援センター「ワークIL」としてスタート。二〇一〇年には生活介護事業所として「わーくIL」と「たいむIL」がスタートし、さらに震災後の二〇一六年には同じく生活介護事業所「るーとIL」を立ち上げるなど、精力的に事業の展開を続けている★42。
一方で、相模原市ではいまでも栗城が、かたちを変えながらくえびこを守っている(本章注09)し、後輩である菊池=殿村は町田CILの代表として活躍している(第2章)。また秋田市で白石に出会っていた阿部は、田村市船引で活動をつづけている(第3章)。さらに東日本大震災後には、一時避難の場所としてかつてのケア付き住宅が活用された(第7章註07)。白石が確実に、秋田市にも相模原市にも遺跡を残したといえるだろう。さらにいえば青い芝の会時代の関西の仲間である鎌谷=古井らとは、震災時にもつながりをもった(第7章、第8章)。」(土屋[2019:245])
「★09 栗城シゲ子は、郡山養護学校における白石の同級生。白石が相模原市を去る際に白石に懇願されてくえびこの所長をひきつぎ、現在は「地域活動支援センターくえびこ」として、作業所兼介助派遣事業を行なっている(白石[2019])。」(土屋[2019:248])