WEB本の雑誌>【本のはなし】作家の読書道>第47回:馳星周さん
『不夜城』で衝撃的なデビューをして以来、ノワールの旗手として多くの著書を生み出してきた馳星周さん。最新刊『楽園の眠り』(徳間書店)では幼児虐待をテーマに、女子高生と刑事が登場します。インタビューでは、北海道で過ごした少年時代、新宿ゴールデン街での学生アルバイト時代、「本の雑誌」での書評家時代に培われた読書歴が、馳さんの作品群を支えているのだと伝わってきます。窓越しに新宿御苑の広がるホテルで、葉巻をくゆらせながら語っていただきました。
(プロフィール)
1965年北海道生まれ。横浜市立大学卒業。出版社勤務を経てフリーライターに。「本の雑誌」などに書評を書く。96年『不夜城』で作家デビュー、第18回吉川英治文学新人賞を受賞。『鎮魂歌―不夜城』で第51回日本推理作家協会賞を受賞。99年、『漂流街』で第1回大藪春彦賞を受賞。他の小説に『虚の王』『古惑仔』『雪月夜』『ダーク・ムーン』『マンゴー・レイン』『生誕祭』『クラッシュ』『長恨歌―不夜城完結篇』など。書評集『バンドーに訊け!』では愛書狂ぶりがうかがえる。エッセイ集『欧州征服紀行』などサッカーに関する著作も多い。
――幼いころ、どんな本を読んでいましたか?
馳星周(以下 馳) : 記憶にはないですけど、子供のときは病弱で、両親が共働きだったので、よく祖母が面倒をみてくれたらしいです。童話や絵本を読んでもらうのが好きだったらしく、いちばんのお気に入りは「さるかに合戦」だったそうです。まだ字は読めないんだけど、何十回、何百回と読んでもらったので暗記していたらしいですね。4、5歳のときかな、全然覚えてないですけど。たぶんそういうのがあって、小説というかお話を読むのが好きだったのかな。
――小学生のときは?
馳 : 学校の図書室で、最初はドリトル先生シリーズとか『ファーブル昆虫記』とかよく読んでいたけど、あるときからポプラ社の少年探偵団シリーズとかシャーロック・ホームズやアルセーヌ・ルパンのジュヴィナイルを読み始めたんです。図書室の本はたいがい読み尽くして、町の図書館へ行くようになりました。
馳 : 大きな転換は小学校5年か6年のときでした。クラス替えがあって、横にいたやつが本好きで、星新一さんのショートショートの単行本を貸してもらった。これがおもしろくてねえ。中学が終わるまで、星さん、小松左京さん、筒井康隆さんといった日本SFばかり読んでいました。そのとき最終的にハマったのが平井和正さんです。『死霊狩り(ゾンビーハンター)』とかね。当時のエンターテインメントの物語というと、どうしても勧善懲悪みたいな流れがあったんですけど、平井さんのだけは暗くて、どっちかっていうと絶望的な結末で終わるのが多かった。今でも時々読み返したいと思って、ネット古書店とかで探すけど、当時のものがあまりないんだよね。
日本のSF小説を読み漁っていると、本のあとがきに平井さんはレイモンド・チャンドラーの小説がどうのとか、田中光二さんはアリステア・マクリーンの本がどうだとか書いてあるわけです。自分がおもしろいと思った小説を書いている人が「おもしろい」と言うんだから読んでみようと、ダシール・ハメットだのチャンドラーだのマクリーンだのデズモンド・バグリイだの読み始めた。しかも、そのころ日本のSFがちょっと高尚になりすぎて子供心にあまりおもしろくないなっていうのがあって、海外の翻訳ミステリー、なおかつハードボイルドや冒険小説にいったんですね。そのときいちばん好きだったのはチャンドラーかなあ。わかりやすいもんねえ(笑)。特に『さらば愛しき女よ』がよかった。あとはギャビン・ライアル。彼のベストは『もっとも危険なゲーム』ですね。
――どっぷり漬かっていたんですね。
馳 : 高校生というのはお小遣いも限られているし、田舎にいたので読みたい本もあまりない状況だったから、文庫しか読めなかった。田舎町から地方都市に通学していたんですけど、授業が終わってから帰りの列車までに2時間くらいヒマをつぶさなきゃいけない。駅前の本屋でハヤカワのポケミスのカーター・ブラウンとか、あのへんのいわゆる軽ハードボイルドといわれるものをずっと立ち読みしていました。書店にはわるいけど(笑)。
馳 : 高校2年くらいのころ、まわりに本を読む友だちがいないし、どういう本がおもしろいのか情報がなかなか入ってこないときに、内藤陳さんが月刊プレイボーイで書評をやっていて、よく参考にさせてもらったんですね。まあ、高校生がプレイボーイを買っていいのかとかそんな話は置いといて(笑)。そのころ内藤さんが日本冒険小説協会というのを作ると。入りたい人は編集部あてに手紙をどうぞと。で、手紙を出しました。さすがに北海道のド田舎でそれだけ本を読んでいるのが珍しかったらしくて、陳さんも僕のことを覚えてくれた。大学に入ると、陳さんが新宿のゴールデン街で「深夜+1」というバーをやってらっしゃるので、そこでバイトしろということになって……。
――ええ。
馳 : そこからが大変でしたね。陳さんがいてくれるんだったらいいんですよ。こっちは田舎から出てきた18歳のガキで、当然ながらお客さんはほとんど年上の人ばかり。陳さんがいてくれれば相手をしてくれるけど、18歳の小僧が、大人の、しかも半分くらいはろくでもない酔っ払いを相手にする場合にどうしたらいいかというと、本の話をするしかない。「深夜+1」に集まって来る人たちはたいてい昔の傑作を読んでいるわけだから、新刊について話すことにしました。「これ読みました」とか言って。あのころは毎日1冊以上読んでいましたね。
――それはすごい!
馳 : 夕方6時前に新宿に出てきて店を開ける支度をして、朝の4時ごろ閉めて帰るんだけど、いつ読んでたんだろう(笑)。でも読んでたなあ。ちょうどそのころ翻訳ミステリーのブームが文庫本ブームとともにやって来て、各社が定期的に出すようになった時期だったので、読む本には事欠かない状態でした。
――当時読んだ本で、今でも印象に残っているのは?
馳 : 志水辰夫さんの『裂けて海峡』ですね。僕がまだ北海道にいるとき、志水さんが『飢えて狼』でデビューしたんですけど、田舎では絶対に手に入らなかった。上京して陳さんに「読ませてください」と頼んだら、「どこに置いたかわかんない」と言われ、「えー、読みたいのに」とがっかりしていたころに『裂けて海峡』が出たんです。紀伊国屋書店で買ったのかな。そのまま晩飯も食わないで「深夜+1」に行って、カウンターの内側で読んで、ほんとにおもしろいやって記憶がありますね。憧れの人にやっと会えた感じだった。
――他にもありますか?
馳 : あとはロバート・ラドラムの『暗殺者』がむちゃくちゃおもしろかったなあ。「ボーン・アイデンティティー」という映画があるでしょう。最近DVDを借りて見たけど『暗殺者』じゃん(笑)。見るまで全然知らなくてさ。話は当時に戻るけど、新宿ゴールデン街のカウンターの中にずっといて、高校生のときに憧れたチャンドラーとかああいう小説はウソじゃんって思うようになったね(笑)。人間ってもっとドロドロしてるんじゃないかって。
――就職されてから読書に変化は?
馳 : 出版社に3年半いました。仕事で原稿を読まなきゃいけなくなったのと、もちろんいろんな小説も読まなきゃいけないんだけど、やっぱり学生時代より読書量は半減しましたね。でも、途中から「本の雑誌」とかで書評の仕事が来るようになったので、編集者としての仕事以外でなんとか月15から20冊はノルマにしていた。
――本は増える一方だったと思いますが。
馳 : 6畳一間のアパートに住んでいたころ、玄関からベッドまで一人歩けるスペースしかなかったですね。スチール製の書棚が一個しかなかったもんだから(笑)。あとは床にガーッと積んであるだけ。地震が起きたらやばいかなあという状態でしたね。本と酒瓶があるだけ(笑)。でも高校時代に読んできた本は全部実家に置いてきたので、生活できなくなるほどまではいかなかったけどね。
――学生時代からの読書量が、「本の雑誌」での書評にもかなり役立ったでしょうね。
馳 : 文章って日本語だから、日本人であれば誰でも書けると思うんですけど、読んだものをどうやって噛み砕いて、どうやって表現するかって、やっぱりその人の読書歴って絶対表れると思う。数を誇る必要はないけど、どれだけ濃く読んでいたのかなというのがあるんじゃないですかね。
――新刊書評は91年1月号から97年3月号まで続きました。6年余りの中で、最高の1冊を挙げると?
馳 : 「本の雑誌」では国産の小説が担当でいくつか傑作はあったと思うけど、やっぱりいちばんはアンドリュー・ヴァクスの『ブルー・ベル』。これを読んでから僕自身の小説の読み方も変わったし、後に『不夜城』を書くきっかけにもなった。最初のころは本好きのアマチュアの延長で原稿を書いていたんですよ。こういう言い方は読者には失礼だけど。でも、6年やっているうちに書評やりながら小説の勉強をさせてもらったみたいな感じがありますよね。単に「おもしろい。読め!」と言っていたのが、なんでおもしろいんだろう、おもしろくないんだろうと考えるようになった。まあ、『ブルー・ベル』が僕にとって特別の1冊にはなるんだけど、そのとき読んだ本は全部血肉にはなっていますよ。
――『ブルー・ベル』のどういう部分に惹かれたのですか?
馳 : アメリカのハードボイルドの流れから出てきた1冊なんですけども、僕らが言っているノワールが日本で紹介されたはしりみたいなところがあって、その前に『赤毛のストレーガ』とかいろいろあるんですけど、ニューヨークの暗黒街を舞台にして、出てくるのはすべてアウトローで、幼児虐待とか人間の暗い部分を全面に押し出した小説です。
でも、甘い。好きだけど、もうちょっとなんとかなればものすごいのにというのがあって。アウトローとかいっても基本的には正義の使者なんですよ。この辺がアメ公の限界だな(笑)とかいろいろ考えさせられた。そういう意味でも、あの時代では日本の花村萬月とか梁石日の方が、はるかに先をいってたなと思いますね。
――馳さんといえば、ジェイムズ・エルロイの印象が強いです。
馳 : エルロイに関しては『ホワイト・ジャズ』なんですよ。もちろん『ブラック・ダリア』『ビッグ・ノーウェア』『LAコンフィデンシャル』も大好きで読んでいましたけど、エルロイで1冊を挙げるとやっぱり『ホワイト・ジャズ』。僕の『不夜城』が出た直後に出た。たぶん10回くらい読み返してますよ。
――10回も! 他に繰り返して読む本は?
馳 : 志水さんの『飢えて狼』『裂けて海峡』『尋ねて雪か』『背いて故郷』あたりは2、3回は読み返している。それとハメットの『血の収穫』は何度も読み返しています。ハードボイルドでもノワールでも何でもいいんだけど、その系統の小説はあれがやっぱり出発点だと思う。結局『不夜城』でも物語の構造的には『血の収穫』のパクリだから。あ、いや、借用ですね(笑)。
――作家になってからの読書は?
馳 : 小説を読むこと自体が激減しましたね。ノンフィクションの方が多いです。なかなか小説は読まなくなったなあ。
――純粋に楽しむというものではなくなった?
馳 : んー、たとえば俺だったらこうするのにとかいろんなことを考えちゃうし、おもしろかったら影響されたらイヤだなあっていろいろ考えてしまう(笑)。今たぶん小説は月に1冊読むか読まないかですね。
――ノンフィクションの中で、これはすごいぞと思われたのは?
馳 : 竹中労さんが沖縄のことを書いた『琉球幻視行』。あれはすごい。あの当時あんなことを言っていたのは竹中さんしかいなかっただろうと思う。沖縄を舞台にした小説の資料として読んだんですけど。
――読む時間が限られる中、厳選されますか?
馳 : いや、意外と気まぐれです。今年の春はなぜか急に開高健さんの本が読みたくなって、手に入るものはほとんど読み返した。釣りの『オーパ』シリーズとか、『夏の闇』とか『輝ける闇』とか『ベトナム戦記』とか。あとはあまりにも評判いいからダン・ブラウンの『ダ・ヴィンチ・コード』を読んでみた。おもしろいけど、これだけだろ?みたいな(笑)。エルロイの新作が出たら必ず読みます。
――本屋さんで買うことはほとんどないですか?
馳 : そんなことはないですよ。でも、東京にいるときはどうしても半引きこもり状態でいることが多いので、やっぱりネット書店が多くなりますね。
――本の置き場は、6畳一間時代と比べて今はどうですか?
馳 : 女房の実家が運送屋で、倉庫の一角を借りています。月々使用料を払ってね。だから家にはそんなに本はないんだけど、逆にあれ読みたいなというとき、倉庫にあるのはわかるんだけどつい買っちゃうんだよな(笑)。
――原稿を書く時間帯は決めてますか?
馳 : 基本的には昼の12時すぎぐらいから夕方4時ぐらいまで。締め切りが迫ってどうしようもないときは夜も書きますけど。朝7時に起床、7時半に犬と散歩、8時半に犬の朝ごはんをつくる。次に人間のごはんをつくる(笑)。その後は、新聞を読んだり、トイレにこもったり、メールのチェックをしたりして、12時ちょっと前に軽い昼飯をつくって食べてから仕事。4時ぐらいに終わってまた犬と散歩、5時すぎから7時ぐらいまでは食事の支度と食事。夜は7時から10時まで仕事のときもあれば、スカパーで映画やサッカーを見たり本を読んだりですね。10時にまた犬と散歩、11時からお酒タイム。葉巻を吸いながら本を読んだりテレビを見たりして1時に就寝という感じですね。規則正しいですよお(笑)。
――書く前に儀式というか必ずやることは?
馳 : 海外の葉巻販売インターネットサイトを歩き回ってます。ヴィンテージ・シガーで1箱何十万から何百万するようなものがあるんですよ。また大ヒットが生まれたら、「この葉巻をいつか買ってやるー」とか思って(笑)。
――書く分量は決めているのですか?
馳 : 10枚から15枚。
――すごく調子がよくても15枚になったら……。
馳 : やめます。調子がいいと自分が思っているだけで、そういうときは筆が滑っていることの方が多い。かえって苦しいときの方がいい文章ができているみたいです。締め切りに余裕があるときでも何とか10枚は書きたいとは思っています。習い事と同じなので、毎日書いていないと駄目になっていくんです、絶対にね。サッカーが好きなので、日韓ワールドカップとかそういうときは、なるべく仕事を入れないようにするんです。その間、観戦記は書くんですけど、1カ月も小説を書かないで、ワールドカップの後に書こうとすると、小説ってどうやって書くんだろう!?となっちゃう(笑)。2、3日全然書けないときがありますね。とりあえずパソコンの前に座ってはいるんです。逃げちゃ駄目だと。ちょっとインターネット散策しちゃったりとかして。
――犬と散歩が1日3回。いいリズムのように感じます。
馳 : 気分転換にはなります。ただねえ、犬の体内時計ってものすごく正確で、今日は調子がいいからもうちょっと仕事を続けたいと思っても、散歩の時間になると必ずそばにいる(笑)。
――最新刊『楽園の眠り』(徳間書店)のテーマは幼児虐待ですね。書かれた動機は何でしょうか?
馳 : ここ数年、幼児虐待事件が多いじゃないですか。何かあるたびにテレビや新聞でとりあげられて、特にテレビは事件のアウトラインを報道して、最終的に「どうして自分の子供にこんなことができるのでしょう」みたいに締めくくってしまう。それじゃあ、何もわかったことにはならないし、実際ニュースを報道している人たちも、たぶんどこか他人事で、自分はこんなことはしないと思ってやっているんだろうと。
でも、それはちがうんじゃないか。実は子供を虐待する人たちは、君やあなたや私とは変わらない人たちがやっているんじゃないか。そういう思いが、この小説を書こうと思った最初の動機というかモチベーションですね。のほほんとしている人たちに突きつけたくて書きました。
――原稿用紙に換算すると?
馳 : 900枚ぐらい。僕の小説の中では短い方ですけどね。
馳 : もともと僕が最初に書いた『不夜城』にしても、アウトローというか、過去に親からひどい仕打ちを受けたキャラクターが多いし、実際アメリカでは幼児虐待をテーマにした小説は多いんですけど、だいたいは虐待される子供の側から書くことが多いんですね。だから、それとは別に、虐待する側の視点で書こうと思ったんです。今回、主人公が二人います。
――刑事と女子高生ですね。
馳 : 学術的な研究でも、虐待されたことのある子供は親になったら虐待することが多いという事実はあります。日本でも多いですけど、アメリカではもっと多いので研究も進んでいるんですよ。おそらく幼児期に十分な愛情をもらえずに、逆に暴力を受けたことでたぶん脳のたががはずれちゃう。自分がされたことはしたくないと思っているんだけど、気がつくとやっているというのが多いみたいですね。
でも、親に何かされたわけでもない普通の人、実際今の日本ではそういう人たちがけっこう子供を虐待していることが多いので、もう一人の主人公をそういうふうにしました。
――馳さんご自身、お子さんは?
馳 : いませんし、つくる予定もないです。いい親にはなれないという自覚があるので。結局、自分の中の何かを犠牲にしなきゃ子供を育てられないと思います。子供と比べちゃいけないのかもしれませんけど、飼い犬が今死にかけていて、でも、むちゃくちゃ自分を犠牲にしていますけど。それくらいの覚悟がなければ子供をつくったり動物を飼ったりしちゃいけないんですけど、気楽に子供をつくる人が多すぎると思いますね。
――今後どういったものを書いていこうと思っていますか?
馳 : そのときの気分でしょうけど、ノワールといわれるものが基本にはなっていくと思うんですけど、それにいろんな方向からアプローチしたいのと、なんてこんなひどい国になってしまったんだろうなあっていうことを考えながら、昭和という時代に要因があると思っているので、そういう「近過去小説」みたいなものを書いていきたいです。先ほどノンフィクションのところでお話しした沖縄の話も、70年代の沖縄を舞台にしているんです。
――その作品が次作になりますか?
馳 : ならないと思いますね。直しにすごく時間がかかるので。来年の後半ぐらいじゃないかなあ。
――4年前のインタビュー記事で「おれはノワールに人生かけてる」(01年11月11日付朝日新聞)とおっしゃってます。今もその気持ちに変わりはないですか?
馳 : ノワールを意識して書いている日本の作家は今でも僕しかいないと思いますけど、当時は何でもかんでも「ノワール」と帯についていた時期だったので、腹を立てていたんでしょう。だからあえてそう言ったんだと思う。ただ、小説を書くことにはある意味、命をかけていますね。僕だけじゃないと思いますけど。やっぱり、楽しくもありつらくもある作業ですから。
撮影 : 大川英恵 (2005年9月30日更新)
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