WEB本の雑誌>【本のはなし】作家の読書道>第48回:野中ともそさん
ニューヨークに住み、イラストレーターとしても活躍するなか、小説家としてデビューした野中さん。カリブを舞台にしたものから日本の少女の物語まで、多彩な作品を発表している彼女。新刊ではNYのダウンタウンの魅力をあますことなく描いている。そのお話はもちろん、中高生時代の将来の夢や、渡米したきっかけを交えつつ、読書道を語ってもらいました。
(プロフィール)東京生まれ。明治大学文学部卒業。1998年『パンの鳴る海、緋の舞う空』で小説すばる新人賞を受賞。その他の小説に『フラグラーの海上鉄道』『宇宙でいちばんあかるい屋根』『カチューシャ』『Teen Age』(アンソロジー)、イラストエッセイ集に『ニューヨーク街角スケッチ』『カリブ海おひるねスケッチ』などがある。イラストレーターとしても活躍中。現在、ニューヨーク在住。
野中ともそ(以下 野中) : 私、小さい頃、"小さい人"オタクだったんですよ。
――むむ?
野中 : いぬいとみこの『木かげの家の小人たち』、佐藤さとるの『誰も知らない小さな国』、アルフ・プリョイセンの『小さなスプーンおばさん』、メアリー・ノートンの『床下の小人たち』…。子供なりに本屋さんで探して読んでいました。最初は、友達から借りた「スプーンおばさん」シリーズがきっかけだったかな。
――なるほど。ちなみに、野中さんは現在ニューヨークにお住まいですが、ご出身はどちらなんですか?
野中 : 東京出身です。でも自然に囲まれていて。本当に身近に小人がいればいいなって思っていました。机の引き出しの中に小人たちの別世界があるというのが一番好きなアイデアでした。あと、同じように妄想の入った女の子たちと、森にいって小人のためにお菓子をおいてきたりして。危ない子供たちでした(笑)。メアリー・ポピンズのシリーズなんかも好きで、ずっと読んでいましたね。
――文学少女タイプだったんですか?
野中 : いえ、外で遊んでいるような子供でした。本だけの世界にのめりこんだという記憶はあまりなく、一番読んでいたのが小学生から中学生にかけてくらい。ちょっとファンタジーがかったものが好きでしたね。小さい人たちの話もそうですし、メアリー・ポピンズも日常の中に不思議な力をもつ人がいるお話。普段の生活と隣り合わせに幻想めいたものがあるというコンセプトが子供なりに好きでした。SFでも、レイ・ブラッドベリの『何かが道をやってくる』や『黒いカーニバル』のように、大河系ではないSFが特に好きで。ある日、避雷針のセールスマンが現れて、…この避雷針というのがイメージを喚起するんですよね。そしてカーニバルが開かれ、時間が逆行する回転木馬に乗る…。ちょっと非日常だけど、決して別世界にまではいかない、日常から少しだけズレた世界にあるものというところがいいんです。
――それがいくつくらいのことですか?
野中 : 小学生高学年から中学生くらいですね。その後は少し奇怪なものにそれていって、江戸川乱歩の短編にのめりこみました。『芋虫』とか『人間椅子』とか。夢野久作の『ドグラ・マグラ』や稲垣足穂も読みました。怪しい道に入っていきましたね(笑)。
――ポピンズの世界からずいぶん飛躍しましたね。
野中 : そうなんですよ。ただ、その後はしばらく小説より漫画に夢中でしたね。
―― 少女漫画ですか、少年漫画ですか?
野中 : 手塚治虫から入って、ちばてつやとか赤塚不二夫とか。中学2年生の1年間は、漫画家になりたいと思っていました。私、人生の中で2年間だけ漫画家になりたいと思っていたんです。1年間が、中学2年の時で、あとの1年間が、高校1年の時。中2の時は、『あしたのジョー』の横顔もかなり模写できるようになっていました。あ、あとすごく好きだったのは松本零士の…ヤマトのほうではなく、『男おいどん』(笑)。押入の中にキノコが生えるような、どうしようもない世界がたまらなくて。『サザエさん』の足袋ソックスや火鉢といった昔めいた世界も、不思議な魅力でしたね。
――でも、1年間でその夢は終わってしまったんですか。
野中 : 飽きっぽいので。
――野中さんはイラストレーターとしても活躍されていますが、絵が得意だったんですか? 美術部だったとか。
野中 : いえいえ。そういうことはなくて。ただ、『あしたのジョー』オタクの友達と漫画雑誌を作って、みんなで回して読んでいました。でも中2なのに締め切りがあったんですよね。「何日までに書いてくれ」と言われるともう、プレッシャーで。それが嫌でやめてしまいました。
――でも、高校に入ってまた志すわけですね。
野中 : その頃はくらもちふさこ、陸奥A子、大島弓子などの少女漫画でした。あ、でも『男おいどん』は心の友でしたよ(笑)。一度、本格的に『別冊マーガレット』に応募したんです。そうしたら、いまだに覚えていますが、「絵は下手だがストーリーに光るものがある」と言われ、くらもちふさこの原画コピーをもらいました。確かに絵は下手で、やってもムダだなと思ったし、ペンで描くのが大変で諦めました。
―― その頃はどんな本を読んでいたんですか?
野中 : 太宰治や五木寛之の初期の作品ですね。『青年は荒野をめざす』、『デラシネの旗』…。「革命」という言葉の響きに憧れ、ギターで曲を作ったりしてました(笑)。あとは大江健三郎の『われらの時代』など。倉橋由美子も好きでした。でもどちらかというと文体を読み込んで味わうというより、書いている人間の姿勢にどこか格好よさを感じて、読んでいるという感じでした。
――では、文学に行くでもなく…。
野中 : ロック少女の道にいきました。音楽をきいている合間に本を読むくらいで。
――外見もロックに?
野中 : 親に「恥ずかしいからバス停に行くまではその上着は脱いでくれ」と泣きつかれました(笑)。米軍払い下げのアーミージャケットなどを着ていましたから。勘違いしてましたねぇ。学校をサボってコンサートに行ったり。大学に入ってからはそのままバンド生活に入りました。バンドの練習をして、終わったら飲みに行って、パチンコして…まさに『男おいどん』の世界(笑)。女子大生の合コン生活とはほど遠い世界にいました。
――担当パートは何だったんですか?
野中 : 下手くそですけど、一応キーボードです。ほかにも、そのバンドに参加したくてコーラスガールでライブに出たりしていましたね。リズム&ブルースとか、古くさいソウルやブルースをやっていました。ただ、たぶん、音楽の影響でアメリカ文学にも興味が出てきて。カポーティの、南部の生活の空気感が好きでした。私の中のカポーティは『冷血』よりも、『遠い声遠い部屋』や『草の竪琴』なんです。
――それがきっかけで、アメリカ文学を読むように。
野中 : そうですね。カーソン・マッカラーズがすごく好きなんです。『夏の黄昏』はもともと旧題を『結婚式のメンバー』といって、タイトル通り、少女が南部の家で退屈な夏を過ごしながら、お姉さんの結婚式に参加することだけを待ち焦がれる、というお話。文中からうだるような暑さや少女の倦怠が伝わってきて、何度も読み返しましたね。他にも『心は孤独な狩人』など、精神的に繊細で脆い人たちを書いています。そういえば、吉行淳之介の妹の、吉行理恵さんの作品は、私の中でマッカラーズに共通しているんです。猫のことを書いていながらも、自分の孤独を痛々しいくらい見つめている。作者の内面が文章ににじみでているところが似ている気がしますね。
――なるほど。
野中 : あと、南部ではないんですが、ジェームズ・ボールドウィンも読みました。ニューヨークが舞台の作品が多いんですが、彼自身は差別を逃れ、後にパリに移住しています。黒人の差別問題やゲイの問題を結構取り上げていますね。一番好きなのは『もうひとつの国』。ボールドウィンは、はじめてアメリカに行ってから、原書でも制覇しようとやる気を出した作品。根性がなくて、今は日本語で読んだほうが楽しいと思っていますが(笑)。
――国内作品は読みませんでしたか?
野中 : 高校生くらいの時に、村上龍さんの『限りなく透明に近いブルー』を読んで、はじめて言葉でロックを体験したような感覚に驚きました…。『コインロッカー・ベイビーズ』、『ニューヨーク・シティ・マラソン』や『悲しき熱帯』も好きでした。村上春樹は乗り遅れて、かなり遅くに読み始め、あ、こんなに面白い人がいたのか、と。私、ポツポツと抜けていて、後から、こんな人がいたのか、と気づくことが多いんです。田辺聖子さんなんかもかなり遅れて読みました。ニューヨークの本屋で日本語の棚を見ていると、文学全集をはじめ、そういう作家がたくさんいるんです。まあ、これからゆっくり読んでいくのが、逆に楽しみですね。
――卒業されてからは、どうされたんですか?
野中 : 音楽方面に行きたくて、バンド時代に読んでいた音楽雑誌を出している出版社に入りました。コンサートを見てレビューを書いたり、ミュージシャンにインタビューをしたりしていましたね。
――そしてその後、ニューヨークに行かれたわけですが、そのきっかけは?
野中 : 失恋したんですか、とか夢があったんですか、とかよく聞かれるのですが、そんな大げさなことはまったくないんです。音楽ライターとしてB'zや久保田利伸くんのレコーディングに同行してニューヨークに行ってリポートしている中で、この街にいれば、来月のこのライブもあのライブも行ける…と思い始めて。ちょっと長く住んでみたいな、と思ったのがきっかけです。それで、東京にアパートを残して、親には「仕事上英語も学びたいから」と適当なことを言い、「半年間で帰ってくる」と、ニューヨークへ。そして住んでみたら、肌に合ったんです。それで日本のアパートを引き払って、気がついたら13年になりますね。
――その間に、イラストレーター&エッセイストとしての活動も始めて。
野中 : 音楽ライターの仕事は好きで日本の音楽雑誌に記事を書いたりしていたんですが、渡米したために仕事がこなくなって。で、自分で何かするしかない、と絵を描いて路上で売りはじめたんです。人間、職を失うとなんでもできますね。いったんやりだすと、案外面白かったです。ただ、暑さ寒さもキツイし、自分で本が出せたらいいなと思い始めて。それで、絵と一緒に文章も書いて、ダミーを作って出版社の人に持ち込んだんです。今思うと、よく見知らぬ人間の本を出してくれたなと思います。…結構適当な人生を送っているかも。好きなことだけしていますよね。
――そして、小説を書き始めるわけですね。
野中 : イラストエッセイの仕事は文章と絵の両方ができてバランスがとれていたんですが、本を3冊出した後、絵だけの仕事が結構続いたんです。そうなると文章が恋しくなってきて。文章だけ、それもフィクションという方向にも行ってみたい、とぼんやり思いはじめました。今も、小説だけ書いていると絵が描きたくなるし、だからといって絵だけ、という気分にもならないですね。
―― ニューヨークでは、本は手に入りやすいのですか?
野中 : アメリカに住み始めてから、やっぱり本を読むのが好きかも、と気づいたのですが、いざそうなった時には簡単に手に入らなくて。日本語が恋しくなって本屋に行ってみても、輸入本なので高い。図書館に日本語の本が少しあるので、そこで借りることも。そのぶん、普段手にとらない傾向の本を読んだりするので面白いですけれど。ニューヨークに来てから、本がすごく大事になりましたね。カバーに自分でラミネートをはったりして。
――図書館みたい。
野中 : :一人図書館員状態です(笑)。たまたま日系の本屋で見つけたカーソン・マッカラーズのもう絶版になった『針のない時計』や、『もうひとつの国』などにもカバーをかけています。それほど本が貴重なものに思えてきたんですね。
――最近は、どのような本を読まれているんですか。
野中 : 今はポール・オースターが好きなんですが、彼の作品も、私が子供の頃から惹かれてきた、限りなく日常に近い非日常、という世界なんですよね。『偶然の音楽』はタイトルもいいな。特に好きな『ムーン・パレス』は、今回の新刊に思わず引用しています。それと、大人になってから児童書やヤングアダルトという分野をあまり読まずにきたんですが、梨木香歩さんの『西の魔女が死んだ』のカバーに私の絵を使っていただくことになって、ゲラを読ませていただいたんです。もう、感動しましたね。子供だけでなく同時に大人を楽しませる世界があるんだ、と。それ以来、森絵都さんや佐藤多佳子さんなども好きで読んでいます。
――それらの本も、思うように手に入るのですか?
野中 : 年に1回は日本に帰ってきているので、その時に本屋さんによります。ただ、重くて持って帰れないので、かなり厳選しなくちゃならないのが哀しい。
――本の情報はどのように入手しているのですか。
野中 : 情報源がなかなかなくて。この『web本の雑誌』をはじめ、ネットで見ることが多いですね。それと毎月楽しみにしているのが、出版社の方が送ってくれる小説誌。ニューヨークにまで送っていただけるなんて、嬉しいですよね。そのために仕事受けよう、と思うくらい(笑)。
――日本語が恋しい状態ですね。
野中 : そうですね。ただ、ニューヨークでラッキーなのは、紀伊国屋書店で朗読やレクチャーが開かれるのですが、日本よりはずっと人が少ないため気軽に出向くことができるんですよ。多和田葉子さんの朗読も間近で聴くことができました。いしいしんじさんの時も「今日は人数が少ないので、サインする際に好きな絵をリクエストしてくれたら描きますよ」と言ってくださって。私は椰子の木を描いてもらいました。
――野中さん、単なるファンの一人になってます。
野中 : すっかり、本好きの一般人です(笑)。
―― 新刊『世界のはてのレゲエ・バー』は、家族でニューヨークに住むことになった高校生の少年の話。ここまでニューヨークを描いたのは、はじめてでは。
野中 : そうですね。長く住んでいる町なので、ラクな気持ちで書けました。
――そして、前作の『カチューシャ』に続き、主人公が若返っていますが…。
野中 : 今のところ若い主人公を描くのが自分の中では新しいことなので、しばらくこの世界をつきあってみたいなと思っています。今回男の子にしたのは、少年のほうがフットワークが軽そうな気がしたから。勉強嫌いで、あんまり物事を深くとらえていなさそうな、現実にいそうな男の子を、自由に遊ばせてみたかった。高校生にしたのは、フリーのアーティストがうようよいるニューヨークでは、逆に高校生のほうが自分の中で新鮮だったんです。
――ニューヨークの町が実にリアルに書かれていますね。
野中 : 知っている地域だけですけれど。私がダウンタウンが好きなので、アップタウンはほとんど出てこないんですよ。主人公のコオの「整っていないところが好き」というところは、私の意見でもある。
――ちなみにここに出てくるレゲエ・バーは本当にあるんですか?
野中 : その昔、実在していて、私は貝のようにいついていました。一時期通っていたんです。昼間は路上で絵を売って、夜そこにいって怪しいハイチ人たちとクラブに行ったりしていました。ここの登場人物のマヌのように、しょっちゅうナンパするような人もいましたね。
――ホントに隣は寿司屋で、ホントにああいうオヤジがいたんですか?
野中 : いました。
――へえーっ。やっぱりマズかったんですか。
野中 : あまり言うと問題あると思うんですが……。マズいなんてもんじゃないです(笑)。
――実在していたんだと思って読むと、面白さも倍増ですね。今後も若い人の話を書いていくんですか?
野中 : 若い子のものも含め、いろんな世代のものを書いていきたいです。ただ私はどうも人より労働時間が短いようなので(笑)、次がいつになるかは、未定ですね。とりあえず、絵本の翻訳をすることが決まっています。
(2005年10月28日更新)
取材・文:瀧井朝世
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