WEB本の雑誌>【本のはなし】作家の読書道>第53回:西 加奈子さん
家族小説『さくら』が20万部を越えるロングセラーとなり、夫婦の深い愛情を描く最新刊『きいろいゾウ』も好評を博している西加奈子さん。自分のことを「わし」といい、大阪弁全開で話す彼女は、実に気さくで大らかで、そして感受性の豊かな女性。カイロで過ごした小学生時代や、本も音楽も映画も含めた中で一番衝撃を受けたというある女性作家、そして作家デビューの経緯について、オープンに語ってくださいました。
(プロフィール)
77年5月、イラン・テヘラン市生まれの大阪育ち。
関西大学法学部卒業。04年『あおい』でデビュー。
――西さんは、イラン・テヘラン生まれなんですよね。
西加奈子(以下 西) : 2歳までテヘランにおって、その後大阪に住んでいたんですが、小学校1年から5年まではエジプトにいました。それからまた大阪に戻ったんです。
――初めての読書となると、どういう状況だったんでしょう。
西 : 絵本とかも読んでたんですけど、あんまり記憶になくて。ちゃんと読んだのは、小学校1年生の時の『ファーブル昆虫記』です。エジプトの日本人学校に六畳くらいの図書室があって。安達さんという子と仲良しになって、安達さんが『シートン動物記』を読み出したので、じゃあわしは『ファーブル昆虫記』読むわ、て言うて、二人でずっと競って読んでいました。
――虫が好き、ということではなくて?
西 : 特に好きということではなかったですね。でも読んでたら、フン転がしの生態を調べるために1週間ずっとその場に寝泊まりして見とったとか、そんなんでしょう。わし、ムツゴロウの動物王国も大好きなんやけど、そんな風に何かに対して時間かける人ってすごいなーって思ってたから、読んでて面白かったです。わしの中ではファーブルもムツゴロウも同じレベルだったんですよね(笑)。
――ちなみにその頃って、生活は日本語で、だったんですか。
西 : そうです。ちなみに、家ではコテコテの関西弁で、学校では東京弁、というバイリンガルでした(笑)。安達さんとかと外で遊ぶ時は、現地の子も一緒だったりしたり、公園に行っていろんな人とお喋りしてた記憶はあるから、アラビア語も少しは喋っていたんだろうけれど、今は全然、喋れません。
――エジプトはどこに住んでいたんですか?
西 : カイロです。ナイル川に浮かんでる、ゲジラという島の中の街、ザマレクというところにいました。そこは高級住宅街やったんやけど、1回暴動が起こって戒厳令が出て、うちから出たらあかん、ということがあったんやけど、うちは小さかったから、ただ学校休めんのが嬉しかった。お父さんとお母さんは怖かったみたいやけど。
――日本に帰ってきた時は、どうでした?
西 : エジプトでは1クラス5、6人とかだったんですよ。少ないもんやから、上下でも仲良しやった。駐在の子供やから誰かが絶対帰ると、いいなあと思ったり、自分もたまに帰国すると、お菓子はいっぱいあるしテレビは面白いから、日本に住みたいなあって思ってたんやけど、日本に帰ったらもう、カルチャーショックで。給食が、何百人もの生徒が全員同じものを同じプラスティックの食器で食べさせられるのにびっくりしました。囚人みたいでしょ?兄ちゃんは中学生で、坊主にさせられたから、それもびっくりした。まあ、そういうのはすぐ慣れたけど。ただ、大阪いうてもニュータウンで、独特の雰囲気やったんです。ニュータウンの子って、下町みたいに人情あるわけでもない。カイロにいた頃は、国語の時間に読める子って聞かれたらみんな手え挙げたし、運動も頑張ってやったけど、帰ってきてみたら、女の子がもうオンナって感じで、授業中に手え挙げへんし、マラソンなんかもわざと頑張らないで、友達同士で手えつないで走ったり、トイレもつれションしてて。わしはそういうのが分かれへんから、トイレ一人で行っとった。違和感がありました。「あいつ、いきっとる」って言われてました。
――いきっとる、って? いきがってる、という感じですか?
西 : そうですね。それで、目立ってへんほうがいいねんなーっていうか。もともと、目立つ気なんてないけど。でもカイロにおったというだけで、ヘンな目で見られるしな。
――そういう体験をするとちょっぴり卑屈になりそうだけれど、西さんってまったくそういうところがないですよね。
西 : オンナって1学期もすると変わるんです。堂々と、というか、普通にしてたら、夏休み明けにはもう、みんなと仲良くなっていて。学級委員とかに選ばれたし、マラソン大会もめっちゃ頑張って走ったし。
――その頃の読書は。
西 : 小学校で週に一度、読書の時間があったので、図書室で『くまのパディントン』を読んだ気がする。外国の本って、わしらの知らん食べ物が出てくるでしょ。なんてことないけど、めっちゃ美味しそうなやつ。そういうのが好きやったんです。
――日本の小説は読まなかったんですか。
西 : 中学生になってから、遠藤周作を全部集めました。『深い河(ディープ・リバー)』が出た時かな。お父さんが貸してくれたんですよ。それ読んで、めっちゃ感動して、遠藤さん大好きになって。わたし、著名な方に初めてファンレター書いたのって遠藤さんなんですよ。エッセイも読んで、原宿の南国酒家によく行くって書いてあったから、いつか行きたいなと思っていて、高校の時に東京に遊びに来た際に見に行ったり。
――遠藤作品にそこまで惹かれたのは、何だったんでしょう。
西 : とりあえず女の子やから、集める、ということに喜びを感じたんです。新潮かな、文庫の背表紙が全部緑色やから、本棚が緑になるのが嬉しくて。あと、文庫を持っているのに、天牛書店でわざわざ古本の単行本を買ったりもしましたね。で、いろんな本の中で、同じ表現を使っているのを発見して喜んでました。「皮膚病のようにただれた壁」という言葉とか、結構使ってるんですよ。あと、わしは宗教のことは分からんけど、カイロの時に周りにキリスト教、エホバの子も結構いたりして、遠藤さんのキリスト教観を読んで感動しました。頭ええ人っているんやなあ、って。
――ファンレターの返事はきましたか?
西 : うちが手紙出した1週間後に亡くなったんです。
――ええー。
西 : それで余計届かなかったという気持ちがあるんですよね。今、うちはファンレターいただくと読むんですよ。遠藤さんみたいにすごい人になると読まれへんかもしれないけれど、もしかしたら読んでくれてたかもと思うと………ねえ。本当に、大好きやったんですよ。遠藤さんが朗読しているテープとかも聞きました。今考えてみたら、遠藤さんの小説の書き方って、書いたらテープに吹き込んでいって、リズムのおかしなところあったら直すって。うちもすごいリズムにこだわっていて書いてるんやけど、そうしたことが頭に残ってるかもしれないな。
――その頃、自分で文章を書いたりは?
西 : 全然、全然。絵は好きやったけど。あと、音楽を聴いたり。プロレス好きで大仁田のFMW見に行ったりしてるような子やったんです。『猪木を信じよ』とか『ザ・G(グレート)・カブキ自伝』『男は馬の助』なんかを読んでいました。
――絵といえば、今度の『きいろいゾウ』も、表紙の絵はご自身でお描きになっているんですよね。
西 : そうなんです。
――上手ですよね。で、遠藤さん以外は、読まなかったんですか?
西 : 読んではいたんですけれど、ぱっと出てこないってことは、印象に残ってないんやろうなあ。…あとは、あれ読んでた、あれ。『ムー』。うち、ムー少女やったんです。
――世界七不思議とかの『ムー』ですか。
西 : そうそう、オーパーツとかね。「ナスカの地上絵は何のために…!?」とかいうの、大好き。小学生の時にカイロやったから、定期的に『小学○年生』とか送ってきてもらっていて、その中に『ウータン』という科学雑誌があったんです。それが大っ好きで。そこから、『ムー』も好きになったんですよね。失礼な話ですが、その頃は『ニュートン』と『ムー』を同系列においてました(笑)。とにかく、ムー少女歴は長いですね。大学ではじめてカミングアウトしたんですよ。
――隠してたんですか。
西 : 若いなりに『ムー』読んでるとモテないっていうのが頭のどっかであって、こっそり読んでました。なんでああいうの読んでる人ってモテないんですかね。キモがられるよね。なんでやろう。ムーガールとしてはちょっとなあ……(笑)。
――『ムー』が好きというと、SFとかファンタジーが好きというのとはまたちょっと違う…? あるいは、少女漫画とか。
西 : ちょっとちゃいますよね。漫画は少女漫画は読まなかった。『キン肉マン』とか読んでました。
――じゃあ、高校生の頃に読んだ本というと…。
西 : トニ・モリスンですっ!!!あと、オースターとか、アメリカ文学が多かったですね。でもモリスンは本当に衝撃でした。早川書房のトニ・モリスン・コレクションを集めて読みました。
――ノーベル文学賞を受賞した女性黒人作家。これまたどうして。
西 : 高校2年生の時だったと思うんですけど、装丁に惹かれて『青い眼がほしい』を買ったんです。文学少女やないし、まったく知らなかったんですけど、たまたま本屋に『ムー』でも買いに行って、目にとまって手に取ったんでしょうね。でも読んでみたらすっごい衝撃でした。冒頭が「秘密にしていたことだけれど」っていうんですよね。その言葉がボーンときて。なんかいろんな意味を含んでいるし、すごく素敵な言葉だなと思って、その部分に赤い線引きました。そうしたら後書きでモリスンが、あれはすごく重要な言葉だって書いてはって、またガーン、ときて。何回も何回も読んで、本当に好きな人なんです。ずーっとモリスンを読んでました。『スーラ』とか他のも読んだし、全部好きやけれど、でも『青い眼がほしい』は衝撃度で言うと一番。言葉ってこんな力があるんだ、とびっくりしました。本も映画も音楽もいれた全部の中で、フィッシュマンズもガン、ときたけれど、でもその比じゃないくらい、モリスンは全部もっていかれた、という感じ。
――映画も音楽も含めて一番、なんてすごい。
西 : トニ・モリスンにいつか会いたい。会うのが夢。いや、会うというか、見たい。ちょっと怖いけど。
――わりと迫力のある外見なんですよね。
西 : そう、どつかれそうな顔の人(笑)。あと、「小説は政治的でないといけない」って書いてはって、うわーっ、すごいこと書くなー、と思った。そこからハマって、アリス・ウォーカーとか、黒人女性の本を読みました。
――『カラー・パープル』の人ですね。
西 : 映画も観たし。
――さきほど、オースターの名前も挙がっていましたが。アメリカ文学が多かった、と。
西 : それも分かって読んだんじゃなくて、気づいたらアメリカ文学が多かったんです。ジョン・アーヴィングとかスティーヴィン・ミルハウザーとか。
――オースターやミルハウザーというと、柴田元幸さん訳のものが好きなのでしょうか。
西 : いや、関係なく読んで、あとから、柴田さんの訳は違うんやなあって思いました。あの人はの訳はすごい。
――ちなみに、それぞれ、好きな作品は。
西 : オースターは『ムーン・パレス』。アーヴィングは絶対『ホテル・ニューハンプシャー』ですね。ミルハウザーは、柴田さんの訳やないけど、『エドウィン・マルハウス』が大好き。
――読んだきっかけは? どういうところがよかったんでしょうか。
西 : 装丁を見て買ったりとか、友達から勧められたりして読んだんです。訳される方の力やと思うんだけれど、外国文学の表現が、すごい好きなんですよね。モリスンに関しては“コケモモの種のような筋肉”という比喩を使ったりするし、他の人も、例えば「いじめられるのが嫌やからなるべく目立たないようにしていた」っていう文を「目立たないということに関して並々ならぬ努力を惜しまない人間だった」みたいな書き方をする。ちょっと皮肉った、ちょっと外した言い方がいいんですよね。あと、人が死ぬこととかを、すごくさらっと書くでしょう。アーヴィングに関して言うとホントそう。パッとページをめくったらいきなりお母さんの乗った飛行機が落ちた、って書いてあって、でも登場人物たちがガーン、とする場面はまったくなくて。でも読んでいるほうは泣けてしゃあない。
――それらを読んだのが高校時代。大学生になってからは…。
西 : 大学の時は映画をやっていたんですが、その友達に国文科の子がいたんで、谷崎潤一郎、太宰治、内田百�閧ネどを貸してもらって。こんな昔にこんなカッコイイこと書いてはってんなーって思いました。時代が違って距離があるから、外国文学みたいに新鮮な気持ちで読めるんですよね。あと、世界七不思議本とは違って、カバーせんで人前で読んでいてもカッコイイのがよかった(笑)。
――大学を卒業してからはどうされたんですか。
西 : 大阪で『ぴあ』で映画欄をやりたかったんですけれど、映画班に落ちて、ライターとしてお店取材などの記事を書いてました。バイト・バイトでちゃんと就職はしてないです。
――その頃読んでいたのは。
西 : 今、本棚を思い返しているんですけれど…。装丁重視なので、新潮クレストブックスは結構読みましたね。ジュノ・ディアズの『ハイウェイとゴミ溜め』とか。あ、ゼイティー・スミスの『ホワイト・ティース』がめっちゃ面白かった。イギリス人とジャマイカ人のハーフの作家ですよね。
――『ホワイト・ティース』も異なる人種や文化を描いた作品だし、モリスンやウォーカーもそう。そういうものに興味があるのですか。
西 : 選んでいるわけじゃないんですけれどね。モリスンは「白人でもないし男性でもない私たち」という言い方をするけれど、カイロの時のお手伝いさんがまさにそうなんですよ。割礼であるでしょう?そういう、イスラムの厳格な教えを守っていた最後の世代の人なんですよ、ずっとチャドルで顔を隠していて。私はその人が大好きで、私のカイロのお母さんやと思ってるんです。小学校の時はそこまで思わへんけど、帰ってきて二度と会えないと思うとすごく気になって。家でも、机のところに彼女の写真が飾ってある。だから、黒人女性のイスラムとか、虐げられる人たちのこと書いてある本があると手がのびますね。勉強したいと思う。そして、もう死んでるかも分からへんけど、いつか、彼女に本を届けられたら、と思う。
――そして、ライターをやりつつ、喫茶店もはじめたんですよね。
西 : 24歳の時やったかな、彼氏と二人で、玉造で15坪の店を始めたんです。重信房子が潜伏してた地域で、過激派の人がうちで待ち合わせしてたんですよ。神奈川県警の人がきたもん、店に。お店の情報書いた紙が、捕まった男のポケットに入ってた、言うて。「この男に見覚えはないですか」って汚いおっさんの写真を見せられたけど、そんなおっさんばっかり来んねん(笑)。
――レトロな純喫茶風の店だったんですか。
西 : いや、若かったんで、カフェをやりたいねってことで、壁は黄色と緑に塗って南アメリカとかラスタな感じにしたんですよ。でも来んのは「ここはコーヒーチケットないんかい」なんて言うおっさんばっかりや。うち、“ママ”って呼ばれてたからね。
――そんな中で、小説を書こうと思い立ったのは。
西 : 店が暇すぎて、ヘンに立ってたら客のおっさんと喋らなあかんし、ライターのバイトもしてたから、店の隅で、パソコンで原稿書いていたんです。その時に、小説が書きたくなって。25歳くらいの時ですね。最初は短編で、1月から12月まで、月ごとの話を自由に書こうと思って。女やから、形が好きでしょ。それで、短編を書いていきました。
――その時に書いた12月の話が、『さくら』の原型だったとか。
西 : そうそう。12か月の話の中で、唯一人が死ぬ話なんですよね。『さくら』は、最初に犬を囲んでいるシーンが浮かんだので、石川さんにも「犬の話です」って言ったんですけど。で、それとは別に「サムのこと」も書いた。「あおい」は初めて、もっと別のテンションで書きました。あれは、思ったことを思ったまま書けた。それまで、溜まりに溜まっていたものを、吐き出した感じ。5月に書き初めて、1か月で書いて…。
――そしていてもたってもいられなくなって、東京に来た、と。
西 : そう、8月には東京に来てました。その後で沖縄にいったりしていたので、実際にちゃんと住み始めたのは9月ですけれど。とにかく「あおい」を書いた時に、この子を活字にしてあげたいと思ったんです。それから、作家になろう、とも思った。東京は出版社も多いし、大阪におったら書かれへんもの絶対にあると思って。大阪はあったかいけれど、東京でひとりぼっちで書くものも見てみたかったんです。
――何のあてもなく、一人で東京に来るなんて、勇気ありますよね。
西 : 勇気あるなってうちも思うけど、実は覚えてないんです。トランス状態で。『ムー』読んでる時の頭で来ました(笑)。知り合いに桜上水のボロアパートを紹介してもらって引っ越して、小学館の石川さんを紹介してもらって…。
――そうしたら、すぐ、出版することが決まったわけですね。
西 : もう、信じられへんかった。石川さんは詐欺師やと思った(笑)。名刺も偽物だと思ったし。お母さんに電話した時も「小学館が本を出すって言ってくれてるけど嘘かもしれんから、周りの人に言わんといてー」って言いましたもん。そうしたら、刊行日の後に渋谷のブックファーストに行ったら、平積みにしてくれてて、もう、心拍数が上がりましたね。自分の書いたものが棚に入って背表紙が見えてるだけでも嬉しいのに、平積みなんて。
――そして翌年出した『さくら』が大ヒットして…。作家になって、読書傾向は変わりましたか?
西 : 最近は本をもらうことも増えたので、それを読んだりしますね。周りのみんながほんまによう本を知ってはるので、教えてもらっています。漫画も読んでます。最近、白井勝也さんが編集長をしてた頃の、黄金時代の『スピリッツ』の漫画を読むんですよ。『浮浪雲』、『YAWARA!』『F−エフ−』…。それで、だだこねて白井さんに会わせてもらったんですよ、嬉しかったー。あと、『イリヤッド〜入矢堂見聞録〜』っていうアトランティスを扱った漫画とか『美味しんぼ』も読んでます。あと、伊丹十三さんのエッセイを読んでいますね。
――小説は。
西 : 相変わらずモリスンも読んでいます。『おがたQ、という女』の藤谷治さんはレーベル・メイトやし(※担当編集者が一緒)、読んでますね。町田康さんは家族で大ファンです。『告白』を読んで、うちのお父さんお母さん、河内音頭のテープ買ってました。あとはリリー・フランキーさんの『東京タワー』はもうやばかった! あまりによすぎて、読まんければよかったって思った、涙出過ぎて。今は、アーヴィングを読み直しています。
――読書する時間帯や場所は決まっていますか。
西 : 移動中は絶対に読みます。あと、背中に枕あてて、壁によりかかって読む時が幸せ。時間帯でいうと、今、生活で一番重きを置いているのが家事なんですよ。その間に仕事と読書をしているので、日中はあまり…。夜寝る前に読むことが多いかも。
――家事をする間に仕事、ですか。
西 : 他に何かせないかん、という枷があったほうが書けるんです。他のことは何もしなくていいから、さあ、書いてください、というのでは書けない。
――『さくら』も『きいろいゾウ』も、幸福な家族や夫婦に、西さんは試練を与えていますよね。
西 : 日常の大切さ、優しさ、そして残酷さに気づくステップとして書いてます。小説なんで、それは書かなあかんのかなーと思いまして。書くつもりがなくても書いちゃうところはありますね。
――『さくら』は大反響を呼びましたが、ご自身ではどう感じました?
西 : めちゃくちゃ嬉しい。読者の人が愛してくれてるって分かるのが嬉しい。自分の書いたものは自分の子供っていう感じだから、たくさんの人に可愛がってもらってんなあ、って。
――作品は子供だから、登場人物一人一人のこともすごく大切に描いているんですね。『きいろいゾウ』でも、人間だけでなく動物までものキャラクターが、すごく魅力的だし。
西 : 物語の中で、その子のことを全部書いてあげようと思う。そうでないと失礼やし。だからいまだに、お茶の『一』を買う時は、『さくら』の長男の一君のことを思い出して辛くなる。ただ、サイン会の時に、実際にうちでも同じことがあったという人や、手紙で兄を亡くしたという人が、「すごくよかった」と言ってくれて、むっちゃ嬉しかった。
――『きいろいゾウ』は、九州の田舎の村に住む夫婦の、ゆったりとした生活を描いた話。ムコさんとツマと呼び合う、本当にお似合いの夫婦なんだけれど、彼らにも試練が訪れる。彼らも、それをうやむやにせず、自分らの傷と向き合おうとしますよね。
西 : きれいな絵の上にポツポツと黒い点があったとしたら、上から塗って隠すんじゃなくて、削り取る作業をしなくちゃいけないと思う。それを、二人がしてくれました。
――作品の中に登場する絵本「きいろいゾウ」のお話も秀逸。これが、実際に絵本になるって本当ですか?
西 : そうなんですよ。絵も全部わしが描いて。今年の夏くらいには刊行できるんじゃないかな。
(2006年3月31日更新)
取材・文:瀧井朝世
WEB本の雑誌>【本のはなし】作家の読書道>第53回:西 加奈子さん