WEB本の雑誌>【本のはなし】作家の読書道>第55回:豊島 ミホさん
1982年生まれ、と、まだまだお若い豊島ミホさん。早稲田に在学中に作家デビューした新鋭の素顔に迫りました。自身のことを「底辺女子高生」というほど地味だった彼女が、高校時代にとった大胆な行動とは? 在学中、大学名を明かさなかった理由は? また、漫画家を目指していた彼女が、小説の面白さに気づいたきっかけとは。あまりのお話の面白さに、思わず引き込まれてしまいます。
(プロフィール)
1982年秋田県生まれ。東京都在住。大学在学中の2002年、「青空チェリー」で“女による女のためのR−18文学賞”読者賞を受賞しデビュー。2005年春、大学を卒業し専業作家に。著書に「日傘のお兄さん」「檸檬のころ」「陽の子雨の子」など。
――豊島さんは秋田県の出身ですよね。どんな環境で育ったのですか。
豊島ミホ(以下 豊島) : 県境に接する山奥の町で、はっきり言って何もない場所だったんです。
――どんな子供だったのでしょう。
豊島 : とりあえず、運動系じゃない(笑)。保育園では、その頃って遊ぶことが勉強みたいなところがあって、みんな先生と一緒に外で鬼ごっこしたりしますよね。でも私は一人で絵を描いていました。先生が「一緒にやらない?」と誘ってきても、「いえ、嫌です」というような子供でした。
――その頃から絵が好きだったんですか。上手ですよね。ポップで見たことがある。
豊島 : ポップは気合入れて描いてます。で、読書はどうだったかというと、小学校に入るちょっと前から、子供向けの名作絵本セットのようなものが棚ごと届けられるのがあって。2年に一度棚ごと届いて、積み重ねていけるようになっているんです。小さい頃はそれに親しんでいました。中川李枝子さんや松谷みよ子さんとか。
――『いやいやえん』とか『ちいさいモモちゃん』とか。
豊島 : そうです。中川李枝子さんの本で『ももいろのきりん』という本があって、それが好きでした。主人公の女の子が折り紙を動物の形に切ると、それがホンモノの動物のように動き出す、という話で。子供向けの話って愉快ですよね。小学校に入る前の子が読むものは押し付けがましくない。
――説教臭くない。
豊島 : はい。面白ければいい、という感じで、そこが好きでした。小学校に入ってからは、2年か3年の時に戦争の本にハマって、図書室でいかにもそれっぽいものを探して読んでいました。
――子供向けの戦争モノ…。『ガラスのうさぎ』のような?
豊島 : そうそう!あと『おこりじぞう』というのがあって、優しい顔をしたお地蔵さんがいるんだけれど、原爆で溶けて怒った顔になる、という話だったのをよく覚えています。初めて本を読んで泣いたのも戦争を描いたものでした。
――ちなみにタイトルは?
豊島 : それが、私が覚えているのは『ヒロシマの白いかげ』なんですが、いろんな人に聞いてもネットで検索しても、分からないんです。だから間違ってタイトルを覚えているのかもしれない。昭和40年代の本で、戦争を知らない女の子がいて、ある日白い影が現れてタイプスリップして広島に行くという話。白い影というのは男の子なんですが、私の頭の中で勝手に格好良くして読んでいて(笑)、別れのシーンで泣きました。
――戦争を描いたものって、胸が痛くなるし、辛くなるでしょう。どうしてハマったんでしょうね。
豊島 : 子供って怖いものに興味があるような気がする。あと、子供なりに世界平和も考えるんですよ。戦争はダメだな、とか。でも、小さい小学校なので図書室の本の数も少なくて、読みたい本がなくなってしまったんですよね。うちの町には、私が中3になるまで図書館もなくて。そうするともう、本を探す場所がないので、そこで私の読書生活はいったん終わったんです。もちろん、図書室には読んでいない本もあったけれど、興味が沸かなくて。妹は『赤毛のアン』を熱心に読んでいましたね。小学校4年生くらいから本を読む子って海外モノを読み始める。でも私は日本のものが好きだから、海外モノに移行できなかったんです。4年から6年まで、もちろん本を読むことはあったけれど、何を読んだか全然覚えていませんね。学校の読書感想文なんかは大嫌いだったし。
――それはまたどうして。
豊島 : いいお手本がなかったんですよ。先生の出してくるお手本って、環境問題など教訓のあるお話を読んで、「僕も自分のできることをしようと思った」で終わるようなものばかりで。先生は思ったことを好きに書いていいと言うけれど、でも最初から正解は決まっているじゃないかって思って。
――作文自体が嫌いだったんですか?
豊島 : いえ、大好き。勝手に書いていいというのが好き。しばりのあるものが嫌いだったんです。
――中学生になると、読書道に変化はありましたか。
豊島 : ライトノベルに入っちゃって。ライトノベルって男の子向けと女の子向けがあるんですが、私は男の子向けのほうを読んで、少女小説は読みませんでした。深沢美潮さんの『フォーチュン・クエスト』とか。冒険モノなんですが、主人公が普通の女の子で、弱いんですよ。仲間もみんな弱い。レベル1、みたいな(笑)。いわゆる勇者が魔王を倒す、ということではなく、草の根レベルの悩みをみんなで解決していく。かなりヒット作なので読んでいる人は多いと思います。
――じゃあ、友達と交換しあって読んだりしていたとか?
豊島 : いえいえ。女子はお年頃なんで、そういうのは私しか読んでいなかったと思います。他には、友野詳さんはドタバタ劇で、コメディなんだけれど冒険モノ。冴木忍さんはなんて言ったらいいか、独特の雰囲気で、女の子が好きそうな冒険モノ。麻生俊平さんは…、あ、麻生さんを読み始めたのが高校に入ってからかもしれない。麻生さんは異色の人で、弱い男の子が大きな力を手に入れてしまったがゆえに苦悩する、というエヴァンゲリオン型をエヴァンゲリオンよりも先にやっています。根暗で眼鏡をかけていて、学校に通ってはいるけれど口をきく人は1人しかいない…というような男の子が主人公。そういうのばかりを読んでいて、いわゆる文学作品はあんまりなかったんですけれど。
――小説はほとんど読まなかった?
豊島 : 教科書に載っているのを読んで面白いなと思ったら文庫を買って読んでいました。池澤夏樹さんの『南の島のティオ』とか向田邦子さんのエッセイとか。あと、本屋で見つけて井上ひさしさんの『下駄の上の卵』も読みました。井上さんの本は、子供が好きそうな感じですよね。中3くらいになると、一般的な文庫にも手を出そうかなと思うんですが、田舎の本屋は文庫の棚が小さい。だから向田さんとか井上さんの作品はあっても、メジャーでないもの、まだ出てきたばかりのものはない。環境的にちょっと恵まれていなかったんです。
――中3でできたという町の図書館は。
豊島 : 新しいからリクエストするとどんどん本を入れてくれるんですよね。するとみんながこぞってドラマのノベライズとかをリクエストする。そういうのを読んでいました。だから普通の図書館にある名作みたいなのは、実はなかったんじゃないかなと思うんです。ただ、よく行ってはいましたね。友達と行って紙芝居コーナーをのっとってだべったり…サイアクなことしてました(笑)。新しいからクーラーがかかっているんですよ。だから夏はみんなで「ちょっと図書館行こうぜ」とか。
――部活はやっていなかったんですか。
豊島 : 吹奏楽部だったんですが、嫌で辞めました。中3の7月くらいに辞めたので、もうちょっと耐えろよ、って感じですが。
――高校は地元の学校に?
豊島 : 地元といっても通学に1時間かかるところで。田舎の1時間の通学はデカイんです、40キロくらい。電車の本数もまた少ないから、朝6時51分の電車に乗らないと間に合わない。
――えー!!
豊島 : 電車の中で参考書開いて、ノートをひざの上において問題を解いていました。
――本を読んだりもできそう。
豊島 : 高校がちょっと大きい町にあったので、本屋の文庫の棚も大きくなって(笑)、ちょっと読もうかな、という気になりましたね。それに、高校に入るとオタクであることを隠さないといけないじゃないですか。ライトノベルはもうやめだ、と思ったんです、読書自体もやめだ、とも思ったんですけど。でも『セブンティーン』などを読んでいると、本の広告が入っていたり、読者のオススメ本の記事があったりして。高校生だから山田詠美さん、吉本ばななさん、江國香織さんとかが多かった。あと、太宰治もカッコつけて読んで分かったフリしてました。もちろん『人間失格』も読みましたが、最近読み返したら、高校時代に読んだのは何だったんだ、全然読めてなかったじゃないか、と思って。高校時代でも、文章を追って心情も追えていると思うんですけれど、大人になって経験を積んでからでないと、ぐっとこない気がする。それを想像力で補えるのが本当の読書家なんだろうけれど、私はそういうことができないので。
――ライトノベル断ちはできたんですか。
豊島 : 家でこっそり麻生俊平さんを読んでいました。そっちのほうがぐっときていましたね。でも家で読んでいると父親に見つかって「お前まだそんなの読んでいるのか」って。
――やっぱり辞められなかったんですね(笑)。
豊島 : あ、それと、私、漫画で育ってきているんです。小学校の頃は少年漫画、中学生の時はライトノベルの影響で、ファンタジー漫画を読んで、高校でオタク臭がするから封印して、漫画から離れようと思って。自分でもずっと描いていたんですが、高校に入った時にもう描かないと思って辞めていたけれど、高2の時にすごくカッコいい漫画雑誌に出会って。今日、持ってきたんですよ。
――わざわざありがとうございます。『CUTiE comic』ですか。
豊島 : もうない雑誌なんですけれど、安野モヨコさんがだいたい表紙を描いていて…。
――執筆陣を見ると、やまだないとさん、南Q太さん、魚喃キリコさん…。そうそうたるメンバーですよね。
豊島 : そうでしょ! 初めて読んで、すごい!って思って。
――キャッチコピーが「恋とおしゃれの新コミック」。
豊島 : 新しいコンセプトですよね。私、高2の時に家出をしていて…
――はっ?
豊島 : で、うちでは漫画は家族みんなで読みあう共有財産だったんで、恋愛とかラブシーンがある本とかは親の前で読みづらかったんですよ。で、家出だから堂々と買って読むことができて。家出って荷物が多いから捨てなくちゃいけなくて、人生でそんなに漫画を捨てたことはなかったのに、どうしようもなくて駅のゴミ箱にバサッと捨てた時にすごく悲しかったことをいまだに覚えています。今日持ってきたのは、後から知人からいただいたものなんです。
――豊島さん、それより家出って言葉が気になります。
豊島 : 13日間家出したんです。まず大阪に行ったんです。その頃はネットもないからホテルの情報もなく、私、都会って何でも24時間やっていると思って、大阪駅に行けばなんとかなると思ってた。でも何もないんですよね。それに真夜中になったら駅のシャッターも降りてきて、隠れていようと思ってトイレに行ったら、駅員さんに見つかって駅長のところに連れていかれて。「キミ何やってるんだ、家出やないやろな」って言われて「違います、旅です、旅!」って
――時期はいつ頃? 夏休み中とか?
豊島 : いえ、4月の末でしたね。学校のある時期。でも駅長さんがいい人で、「外は怖いおじちゃんがおるから、ここにいなさい」って、一晩そこで明かすことにして。でもドキドキして眠れませんでした。それで、そういう無茶はやめようと、次の日はホテルに泊まろうと思って。都会は怖いから、和歌山のビジネスホテルに宿を取って、後は秋田に戻りつつ、転々とホテルを泊まり歩いてきたんです。
――それにしてもなぜ家出を?
豊島 : 学校が嫌で、やめようと思って。
――そういえば、『檸檬のころ』のあとがきで、「卒業式のとき、もうここに通わなくて済むんだという事実に安心してボロボロ泣いたくらいです」って書いてましたね。
豊島 : それくらい嫌だったんです。だから最初は帰るつもりもなく、「オレはもう大阪に住むぜ」って、別の人生を生きるつもりだったんです。
――住み込みで働いて…って?
豊島 : そうそうそう!そういうのができると思っていたんです。でもその大阪の一晩で、実際に知らない男の人に声をかけられたりもしたし、すごく怖くなって、これはダメだったと思い。なら学校をやめるだけでいいから、親に思い切り心配をかけさせちゃえ、それで私が学校をやめたいって言えばOKしてくれるはず、と。実際、親はすごく心配していたそうです。
――捜索願とか出されていたりして。
豊島 : 出されましたよ、それまで無断外泊したことがなかったから、即警察。でも置き手紙をしてきたんですよ。そうすると事件扱いでなく家出人扱いになるんですよね。最終的には、中学の友達に仲がいい子がいて、その子のポケベルにメッセージを入れていたんです、「今、松本」とか。それで秋田市に来た時に「秋田に来たよー」って入れたら、その子はもうすでにうちの親と連絡を取っていたんです。ちょうどゴールデンウィークになっていて、親も仕事が休みだったから、秋田市中のビジネスホテルに電話して聞きまくって、それで見つかったんですよね。
――ちなみに、宿泊代とか交通費とかは…?
豊島 : 郵便貯金です。お年玉とか使わないでがっちり貯めていたので。
――で、学校ですが。例のあとがきからすると、卒業式を迎えたってことは、やめられなかったんですね(笑)。
豊島 : 転校もしてません(笑)。まあ、なぜそんなに嫌だったかは、幻冬舎のWebマガジンの連載エッセイで書きました。『底辺女子高生』ってタイトルで8月くらいに文庫で出ます。そのタイトルにもあらわれているように、ロクでもない高校生生活だったんです。作家の人ってみんな、学校嫌いだっていうとアウトロー的でカッコいいんですよね、サボったとかタバコ吸ってたとか。そういうのではなく、ただクラスの中でも地味で教室で口きける人が4人で…。そういう暗い高校生活を延々と書いたエッセイです。それに家出の話も書きました。…すみません、すっかり読書道の話から遠ざかってしまいました。
――いえいえ、聞かずにはいられなかったので。で、『CUTiE comic』に出会って、再び漫画を読むようになったわけですね。
豊島 : それで読んだかわかみじゅんこさんの『少女ケニヤ』がすごく好きで。かろうじて田舎にもまわってきた1冊を買えました。台詞がもう全部、独特で、いいんですよ。それで、かわかみさんに『青空チェリー』の表紙を描いてもらったんです。単行本のほう。
――豊島さんのデビュー作ですよね。
豊島 : 色の塗り方とかも、思いつかないような色選びをする。漫画って決まった色の塗り方をする人もいますよね。特に白黒だとトーンだから考えないで描いてしまう人もいる。でもかわかみさんの絵は、白黒でも色がついているように見える。
――ご自身でも描いてたんですよね。
豊島 : 高校では美術部だったんですよ。家出から帰ってきてからの話ですけれど。でも私はちゃんとした絵は描けなくて。デッサンする、という感じではなく、ちょこちょこっとした落書きしか描けないんですよ。部の中でも、大会の成績は悪かったですね。デザイン部門と油絵部門があるんですが、デザインって何? みたいな感じ。そんなだから賞も全然取れなかったけれど、それでいいやと思っていました。漫画家になりたいのであって、画家になりたいわけではなかったから。
――やっぱり漫画家を目指していたわけですね。で、大学へは…。
豊島 : この通りなんで、普通に卒業できなかったんです。補習を受けて卒業したんですが、大学受験って、「卒業見込み」の人が受けられるんですよね。私は見込みがなかったので受験はダメだと言われたんです。模擬試験の成績は志望校もA判定だったりしたのに。それで浪人することになったんです。まあ、自分としては漫画家への猶予期間ができたな、という感じでした。1年もうけた、と。
――どんな1年間だったんですか。
豊島 : 予備校が仙台だったので、通えないから寮生活になりました。秋田ってチェーンの大きい本屋さんがないけれど、仙台にはあるんですよね。日常的に大きな本屋がそばにあるのはすごい、と思って、意味なく休み時間に本屋に行ってウロウロしていました。というわりに本は読んでいないですね。
――勉強が忙しかった?
豊島 : 私立文系希望で、国語と英語しかやらなくてよかったんです。大学よりもヒマでした。1日2コマやったらあとは自由時間。そんな感じだから、1週間分の勉強を2日でやって、あと5日間は遊んでいいから、最高でした。だからもう、漫画を描いたりとか漫画を描いたりとか(笑)。予備校生なのに、投稿してました。それが初投稿ですね。
――そして、大学に入って、東京へ。漫画は描き続けていたんですか。
豊島 : それが、大学に入ったら急にボルテージが下がっちゃって。大学に入ったらいろいろやろうと思っていたのに。
――生活の変化も大きかったのかな。
豊島 : でも私は外で遊ぶの好きじゃないし、お酒も興味ないし、騒ぐのが嫌いだからサークルにも参加していなくて、しかも夜間部で。そうすると昼寝し放題。1年生の頃の記憶は昼寝ですね。
――あ、考えて見たら、在学中の時は大学名を明かしていないのに、卒業してから早稲田大学卒業、と明かしていますね。
豊島 : 在学中は言わない、と決めていたんです。
――名前はペンネームですか?
豊島 : はい。豊島区に住んでいたから。地名から名前をとろうと決めていたんです。私は秋田出身なので、秋田という苗字の人がいるとすごく気になる。それと同じで、豊島区の人は応援してくれるかも、と甘い期待を抱きつつ…。ミホはおさななじみにミホちゃんという子がいたから。
――そうなんですかー。で、読書道のほうは…。
豊島 : 正直言って、小説が面白いと思うようになったのって、ここ2年くらいなんですよ。面白くないとは思わないけれど。その頃は「好きな作家は?」と聞かれると困っていましたね。私は文学部なんですけれど、古典平安時代が専攻なので、現代文学、近代文学はやっていないんです。それで、図書館に行っても論文を読んでいて、情報がダイレクトに書いてある論文に慣れてしまうと、小説を読むのが大変になってしまって…って、結構問題発言だと思うんですけれど、正直。あと、大学の雰囲気もあまり好きじゃなかったんですよね。
――どのような雰囲気だったんですか。
豊島 : みんなまずは村上春樹を読んで坂口安吾を読んでって、こういうのを読むとエライというのが決まっている。大学の人たちは「最近の作家で読むべきは村上春樹ぐらいだよね」というノリで。そういうの、ケッ!って思っていたんです。村上さんはすごく好きだしエッセイも最高に面白いけれど、でもそういう学生たちが、鼻にかけるために本を読んでいる気がして、それがすごく嫌で。でも自分もどこから手をつけたらいいか分からなかった。
――そんななかで、自分で小説を書いたのはなぜ。
豊島 : ただ夏休みの宿題から逃避したくて。何の覚悟もなく。
――なおかつなぜ「女による女のための『R−18』文学賞」に応募を。
豊島 : 大手出版社のホームページをざっと見たら、その時募集しているのは『R−18』くらいで、締め切りまで1か月で、しかも短編だったから、これはいける、出すぜ、と思って出したんです。以前からちょこちょこ書いてはいたけれど、最後まで書いたのはそれが最初です。
――じゃあ、読者賞を受賞したのは意外でしたか。
豊島 : はい。書き終わって出した後、日記にこういう人が大賞を取って、こういう人が読者賞を取るって顔とか年齢とか書いていましたから。大賞は経験豊富なお姉さんで、読者賞には若めの専門学校生を書いてました。
――受賞してから、本格的に書こうと思ったのですか。
豊島 : 1冊本にしないかと言われてとりあえず書き、2冊目は「一応出す?」「やってみます」ということで書き…。3冊目までは覚悟も何もないんです。それに、1年の春休みに賞をもらって、2年になったら、1年に綿矢りささんが入ってきたんですよ。読んでみたらべらぼうにうまくて。私、『蹴りたい背中』、本当に大好きなんですよ。天才だと思う。それで、綿矢さんの存在にすごくショックを受けて。在学中は大学名を出さなかったのも、早稲田にもう一人作家がいると知れたら「もう一人のほうはヘタクソだ」って叩かれると思ったからなんです。たとえ無名作家でも、わざわざ引っぱり出して叩かれると思いました。
――たしかに、それまで顔出しもしていませんものね。
豊島 : はい。新学期の自己紹介では、仕事していることは言っておかないと後々が面倒だと思って「パソコンを使って内職しています」なんて言って(笑)。
――デビュー後の読書歴はどうでしょう。
豊島 : 『蹴りたい背中』が出た時も、今読んだら自分が書いているものに影響されちゃう、と思って、全然書いていない時期を狙って、4か月くらい待って買いました。そんな風にして4年生までいってしまって。でも掲載誌が送られてくるので、これは勉強しろ、ということだなと思って拾い読みはしていましたね。でも、4年生までは小説のよさが分かっていなかったんです。でも、4年生ですごい出会いがあって。
――何ですか。
豊島 : 古川日出男さんの『gift』。もう、これだ!!!!と思いました。小説ってこんなに面白かったんだ、って。
――珠玉の掌編集ですよね。19編の中でどれが好きですか?
豊島 : 女の子が踊りだす「雨」とか、あとお台場が水没する「台場国、建つ」かな。もう、あの人はすっごいなー、と思って。目次を見ただけで、もう、読みたくなる。それで、要するに私は、今まで好きな本に出会っていなかっただけなんだと思って。これかあー、と思いました。古川さんって、文章自体がすごいじゃないですか。何年も漫画を描いてくると、小説が不自由に感じてくるんですよ。漫画なら一コマで説明できるものが、小説はできない。だから3冊目ぐらいまでは小説ってやりづらいなって思っていたんです。でも古川さんは、小説でないとできないことをやっている。そこで、22か3でやっと初めて小説の魅力が分かったんです。遅すぎなんですけれど。
――しかも小説家になった後で。
豊島 : 本当に。私が小学生の頃に『gift』があればよかったのに。それで比較的小説に好意を持ち始めて。あと、私は卒論で江戸川乱歩の「人でなしの恋」を扱ったんですが、その時に「芋虫」を読んで、すげー!と思いました。あともうひとつ、課題で読んだんですけれど、ロシア文学で、プラトーノフの『ジャン』も、文章にはっとさせられました。
――やっと小説の楽しみを感じるようになって。
豊島 : 小説も漫画も前よりもはるかに面白く感じるようになってきました。さっき言った『人間失格』を高校時代とは違う風に読めたのもこの頃。この『作家の読書道』に出るような方たちは中学生くらいからちゃんと読んできているだろうけれど、私は読書量自体が多くないので、今年の目標は読書にして。そう思った時に『ダ・ヴィンチ』から書評のコーナーをやりませんかと言われて、渡りに船と思って引き受けました。それで、最近は小中学生の頃に比べたら、やっと読むようになりました。
――最近読んだ中で印象に残っているのは。
豊島 : よしもとばななさんの『イルカ』。もともと影響は受けやすいんですが、これもすごく影響を受けました。ばななさんって、好きなことを書いて好きな人に好きと言われる、みたいなやり方をしている。でも私は仕事をする時に、自分を嫌いそうな人を減らそう、みたいなやり方でやってきたんです。『青空チェリー』が出た時に、この[WEB本の雑誌]の新刊コーナーで、5段階評価でEとかつけられたので。最初の小説を書いた時は、本を読まないような人のところに届けたいと思って、軽い口調で書いたんですよ。甘く考えていたんですが。そうしたら、書評家さんたちの評価が高くないと末端までいかない、消される、ということが判明して。でも、低く評価した人たちの気持ちも分かるんです。文章書けてない小娘の書いたものが活字になるなんて、って。そう思ったので、第一目標を、そういう人たちをどうにかしないと、と思って、それで、嫌いな人を減らそうと思って書いているんです。でないと、先に進めないと思う。
――『青空チェリー』はちょっぴりHな作品でしたが、最近は高校生や小学生の日常を描いていますよね。それは…。
豊島 : 『R−18』みたいなものは「小説新潮」で細々と書いています。受賞した時に、若い恋愛小説家みたいなものが欲しいのかな、と思ったのですが、担当編集者さんが「別に何を書いてもいいよ」と言ってくれたので、じゃあ、勝手にやるか、と思って。ただ、毎回、こういう風に書こう、というのはないかな。思いつきなんです。
――高校生を描いた『檸檬のころ』、小学生が主人公の『夜の朝顔』などを読んでいると、思春期の思いを、書き留めておきたいのかな、とも思ったのですが。
豊島 : というよりは頭に入っているのを出さなきゃいけないと思って。私は、大学4年間仕事と勉強しかしなくて、何もしていなかった。普通の大学生の楽しい生活も分からないし、バイトも何もしていないし。だから卒業したらバイトしたほうがいいんじゃないって何人かに言われたけれど、それは嫌だなあと思って、でも新しい経験を重ねないと小説が書けないという風潮もありますよね。そうしたらばななさんがテレビ番組の『トップランナー』で、23歳でデビューして、経験足りないと思ったと言っていて。その時に、休んで、今まであるものを、出してしまおうと思った、というんです。それではっとして。無理にバイトするのではなく、自分のネタを全部出しちゃおうと思ったんです。
――出し切った後、どんな作品を書かれるのか、楽しみですね。今後の刊行予定は?
豊島 : 7月に書き下ろし長編を双葉社から出す予定です。内容は、まだ言えないかも。でも、思い出からネタを出す、みたいなのはひとまずこれが最後です。
(2006年5月26日更新)
取材・文:瀧井朝世
WEB本の雑誌>【本のはなし】作家の読書道>第55回:豊島 ミホさん