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ハーフマニア
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外国映画に描かれた日本とは???
日本が主役編パート2

日本を主な舞台にしたもの・日本人を主役に描いたものを集めてみました。(順不同)
 
パート2索引

What's up,Tiger Lily?
1966(劇場未公開)

監督・編集・声の出演ウディ・アレン
音楽、ラヴィン・スプーンフル
三橋達也
浜美枝
若林映子
中丸忠雄
北あけみ
黒部進(ウルトラマン)

この映画をどう扱っていいいのか?1964年の東宝の真面目なスパイ映画『国際秘密警察 鍵の鍵』(谷口千吉監督)をウディ・アレンが再編集し英語の台詞に吹き替えて全くのコメディに仕上げたもの。料理のレシピ「世界最高のエッグサラダの調理法」を巡る諜報戦になっている。主演は三橋達也で、彼は「一見日本人風のフィル・モスコウィッツというダメなユダヤ人」という役にすり替えられてしまっている。女スパイの名がスキヤキ(若林映子)&テリヤキ(浜美枝)だそうな。この二人は偶然?にも007は二度死ぬ』に出演した「ボンドガール」である。著作権は大丈夫だったのか?因みに後の大監督アレンの映像初演出作品だ!もちろん日本未公開。

 WHAT'S UP, TIGER LILY?

ベルリン忠臣蔵

Del Sommer des Samurai
1985ドイツ

ハンス・クリストフ・ブルーメンベルグ監督

大石蔵之助の子孫(何故かドイツ人)が、刀を盗んだドイツの政治経済の黒幕たちに復讐をする。ベルリンで。町のあちこちに武士の名が落書きされるが、漢字が微妙に間違っているのが面白い。四十七士はもちろん、弓道、寿司料理屋、忍者、浦島太郎の話などがドイツ映画特有の超真面目かつ暗い画面に満載されている。ラストはニンジャとチャンバラじゃい!(しかも迫力なし)
この映画を配給したのも江戸木純で、彼が邦題も付けているのだが、実は舞台はベルリンではなくハンブルグだったことが後になって分かったのだが、響きがいいのでそのまま『ベルリン忠臣蔵』にしたとテレビで暴露していた。

ベルリン忠臣蔵
ハレとケ

HARE TO KE
1988ドイツ

レギーナ・ウルバー監督

『三里塚』シリーズで高い評価を得た小川紳介の活動(傑作『1000年刻みの日時計 牧野村物語』の撮影)を追ったドキュメンタリー。ドキュメンタリ−映画監督をドキュンタリーで描くとは!


ザ・チャレンジ最後のサムライ 

The Challenge
1982

ジョン・フランケンハイマ−監督
スコット・グレン
三船敏郎
中村敦夫
高美以子

極め付け変態日本ロケの忍者映画。生きたドジョウを酒に入れて飲み干す。「奇人変人」に出て白いギターをもらえ!(←古い)後に国会議員になった中村敦夫がスコット・グレンにホチキスで顔を刺され、しかもその後脳天から刀で斬られまっ二つに割れてしまう!中村敦夫の自叙伝『俳優人生 -振り返る日々』(朝日新聞社刊)には、撮影時の驚くべき実態が描かれている。まずフランケンハイマー監督はものすごいワンマンで気難しく、またアル中で突然泣き出したりしてまわりを困らせたことなど。日本人には三船と中村以外には挨拶もしなかったという。ラスト、アメリカ人のボクサーが突然忍者に扮して、マシンガンで武装する日本のヤクザ組織と戦うシーン。弓矢を持ってタクシーで駆け付ける三船。あまりのひどさに三船も中村も監督とプロデューサーに猛抗議したそうだが全く受け容れられなかった。ある日とうとう頭に来た三船は帰ってしまうという事件が起こる。しかたなく中村が三船を説得した。この映画は「まともじゃないジョークだコメディなのだ」と。三船は「そうかコメディだったのか…」と何とか自分に言い聞かせて撮影に戻った。この映画は当然ながら日本では未公開。もちろん本国でも大コケしている。だがフランケンハイマーはこの映画の後も『RONIN』など映画を撮り続けた。が、2002年7月に亡くなった。

 Jerry Goldsmith - The Challenge - Forced Entry
↑国立京都国際会館でのロケ。今考えるとこんな映画によく貸してくれたもんだ。 

最後のサムライ ザ・チャレンジ

東京ファイル212
Tokyo File 212
1951

スチュワート・マッゴーワン/ダレル・マッゴーワン監督
フローレンス・マリー
ロバート・ペイトン
灰田勝彦
斉藤達雄
田崎潤
大谷伶子

戦後間もない混乱期の東京が舞台。カミカゼの生き残り太郎は裏の組織に巻き込まれ姿を消した。太郎の友人ジム記者がアメリカから呼ばれ、太郎を探すように司令部から命令を受ける。怪しげな記者連中や太郎の父親や恋人ナミコの動きに翻弄されながら、ジムは太郎の居所をつきとめるが…。このシノプシスを読むと『第三の男』とそっくりである。(ウィーンを東京に置き換えただけ?)
戦後初めてハリウッドからロケ隊がやって来て撮影が行なわれた作品。主人公の灰田勝彦はハワイ生まれ、戦前からハワイアン歌手として一世を風靡した。原作はジョージ・ブレークストンという製作者・監督が絡んでおり、後に彼は日本で『双頭の殺人鬼』なる奇怪なB級ホラーや『運命』を作った。彼は日本に住み、ユナイトに勤務していたという。フローレンス・マリーは『海の牙『東京ジョー』に出演したチェコの女優。


A Majority of One
1961

マ−ビン・リロイ監督
ロザリンド・ラッセル
アレック・ギネス
ジョージ・タケイ

第二次世界大戦後の日本を舞台に、日本人の男やもめのビジネスマンとブルックリンの未亡人の恋を描くロマンティック・コメディ。あのアレック・ギネスが「アサノ」という主人公の日本人に扮する。彼の息子役がジョージ・タケイ。

相互リンクしていただいている海の家に詳細あり!爆笑!ジョージ・タケイの自伝に詳しくあるそうです。(ユニオシは自伝があることも知らなかった)さすがはピンキィ君!参りました。


ゲイシャ・ガール
Geisha Girl
1951(日本劇場未公開)
レイ・スタール監督
アーチャー・マクドナルド
スティーブ・フォレスト
ナカムラ・テツ
マーサ・ヘイヤー
大川平八郎(ヘンリー大川)
 

あるマッド・サイエンティストが日本で核兵器以上に強力な錠剤状の爆弾を開発した。彼の一味はこの爆弾を使って世界征服を狙うが、二人の米軍GIがそれを奪いとる。一方日本の秘密警察は、ある「びっくりするほど意外な人物」を送り込み、激しい争奪戦が始まった…。
新宿セントラルのストリッパーだったパール浜田が出演。半裸の芸者役を演じて日系人のひんしゅくを買った。

トコリの橋
The Bridge at TOKO-RI
1955
マーク・ロブスン監督
ウイリアム・ホールデン
グレース・ケリー
ミッキー・ルーニー
淡路恵子

朝鮮戦争を背景に空軍中尉ハリー(ホールデン)とその妻(ケリー)、空母艦長(マーチ)の愛情と友情を描く社会派ドラマ。ハリーは家族と共に横須賀での休暇を楽しんでいた。が一週間後、彼はこの戦争の意味について疑問を抱いたまま前線に向かい、トコリ橋で戦死する。とても哀しい結末で後味は良くないが、戦闘シーンや人間関係の面白さで結構楽しめる。見ものはホールデンとケリーが二人の娘と温泉の大浴場で入浴するシーン。そこに日本人の家族が入って来てしまい、ホールデンが「プライベート(貸切)だ、出てくれ」と抗議するが、日本人は英語が分からず浴槽に入ってしまう。が、子供同志が挨拶して仲良くなってしまい、とうとう和気あいあいとなってしまう。その他、戦後間もない東京の風俗が面白い(下を車が通る大きな鳥居が登場するがどこだろう?芝大門か?)が、室内シーンはおそらくハリウッドのセットだろう。ミッキー・ルーニーが日本のキミコ(淡路)に惚れる海兵役で共演している。波止場で日本の着物姿の娘たちが歓迎の踊りをするシーンがあるがフジヤマ・ゲイシャ的イメージ。

 "THE BRIDGES AT TOKO-RI" - Low Fuel Carrier Landing
↑この映画、アメリカ海軍の全面協力もあって、軍事マニアには貴重な映像がいっぱいらしい。

アナタハン
Saga of ANATAHAN
1953
ジョセフ・フォン・スタンバーグ監督
根岸明美
菅沼正
中山昭二(ウルトラ警備隊長)
撮影:岡崎宏三

太平洋戦争中、日本の漁船が米軍に襲撃され沈没する。生き残った数人の男たちがサイパン近くの孤島アナタハン島に漂着し、アメリカ軍の空襲と残り少ない食料と島にいたたった一人の女を巡り殺し合いが行われた。生き残った彼らが帰国したのは終戦から7年後であった。驚くのはこれが実際にあった話ということ。『嘆きの天使』『モロッコ』のドイツ人監督が来日して撮影した。この時助監督を務めていたのは円谷英二である。


新しき土
Die Touchter des Samurai
1937
アーノルド・ファンク/伊丹万作共同監督
原節子
小杉勇
ルート・エベラー
早川雪洲

日本に許嫁(原)を残してドイツに留学していた青年(小杉)が、すっかりヨ−ロッパ文化に染まり、ドイツ女性の恋人を連れて帰国する。しかし許嫁の父(早川)らの努力によって日本の素晴らしさに気付いた彼は、許嫁と結婚し、満州に渡って新世界の開拓に挑むといった物語。東和とドイツのテラ映画社の合作だがいわゆるナチスと大日本帝国の国策映画。第一次大戦では敵だった両国の関係を改善するために製作された。ファンク監督はあくまでもプロパガンダとして捉えていたのに対し芸術性を重んじた伊丹監督とは対立することとなり、結局二つのバージョンが出来た。ドイツでは『サムライの娘(原題)』として公開され大人気を呼び、ゲッペルスが絶賛した。しかし伊丹版は失敗作とみなされてしまい、彼は生涯この作品について語ろうとしなかったという。当初主演は田中絹代を予定していたが、ファンクが山中貞雄監督の『河内山宗俊』の撮影現場を見学した際に、傍役の中から見つけだした少女が新人原節子で、彼女に急遽変更された。公開後に原はドイツに招かれ、大変な歓迎を受けた。ラスト、着物姿で延々と火山に昇る原が妙におかしい。山岳映画を得意としたファンク監督の好みだったのでしょう。日本で初めてズームレンズを使用した映画としても知られる。阿蘇山ロケとセットは京都JOスタジオを使った。

忘れえぬ慕情
Typhon Sun Nagasaki
1956 日仏
イブ・シアンピ監督
ジャン・マレー
ダニエル・ダリュー
岸恵子
山村聰
野添ひとみ

フランスと松竹の合作。松山善三が脚本。フランスの青年と日本人女性の悲恋を描いたメロドラマ。原爆投下の傷痕も癒えない長崎に赴任してきたフランス人の造船技師マルサック(マレー)は、弟妹の面倒を見ながら呉服店を切り盛りする乃里子(岸)に心を惹かれる。だが、そこに昔の恋人(ダリュ−)が現れて…。
風呂、相撲(TV観戦)、靴を脱いで入る家、着物、寿司(生きている海老を調理する)、地震、ラストは台風と、欧米人が興味津々な「日本」てんこもりである。長崎ロケの後、台風シーンは大船スタジオで撮影された。ダリュ−がゲイシャに扮するシーンあり。岸恵子はフランス語の台詞をこなしている。この後シアンピ監督と結婚した。同名の別映画あり。

小さい逃亡者
MALENKY BEGLETS
1966 日ソ合作
衣笠貞之助/エドワード・ボチャロフ共同監督
稲吉千春
安田道代
宇津井健
藤巻潤
太田博之
ユーリー・ニクーリン
京マチ子
宇野重吉
船越英二
坪内ミキ子
タチャーナ・ニクーリン

初の日本(大映:永田雅一製作)ソ連合作。脚本に黒澤明の右腕小国英雄、撮影に宮川一夫が参画。ソ連にいるという父親を探してボリショイサーカスを使ってソ連に密航しようとする少年の物語。モスクワ映画祭児童映画部門金賞。


あしやからの飛行
Flight from ASHIYA
1964
マイケル・アンダ−ソン監督
ユル・ブリナー
リチャード・ウィドマーク
ジョージ・チャキリス
滝瑛子
杉山光宏

終身犯』『マーティ』のプロデューサー、ハロルド・ヘクトの製作に大映が協力した日米合作。クラーク・ゲーブルを主役に企画されたが、ゲ−ブルの死により頓挫しかけたものをブリナーが出て映画化が実現。台風で遭難した日本の貨物船の漂流者たちを救うため、九州・芦屋基地から米軍の救助隊がヘリで向かう。救助隊員の様々な思惑と極限下の救出のサスペンスを描く。大映が回想シーンの雪崩やヘリのミニチュアワークを担当している。監督は『80日間世界一周』で日本ロケを経験済みである。


恋はハッケヨイ!
Secret Society
1999 英
イモジェン・キンメル監督
シャルロット・ブリタイン
リー・ロス

「体重に恵まれた」女性が、秘密の女性相撲の世界に入り、スモウ精神を学び成長して行くという異色映画。2000年の東京国際映画祭で先行公開された。女相撲というのがもう独特の世界なのだが、顔にゲイシャ風の白粉を塗り、シコではなく体をかたむけるだけの稽古やスモウ部の入り口に書かれた「スタミナ/バランス」の文字、クライマックスシーン、日本から来た男の力士との勝負など、奇異な所は満載なのだが、スモウ部を「謎の宗教集団」と思い込んでしまった主人公の夫の絡み方が秀逸なせいか、何故か爽やかな後味で見れる不思議な作品!なお、日本公開時には日本で受けるように、女たちのシコ名は藤井隆が付けたそうだがいらん世話だ。

恋はハッケヨイ!デラックス版
大津波
The Big Wave
1961
タッド・ダニエルスキー監督
ミッキー・カーチス
早川雪洲
千石規子
伊丹一三
ジュディ・オング
原作パール・バック

日米合作映画。パール・バックは中国で育った女流作家で、ノーベル文学賞受賞者。調査中


 ヒマラヤ杉に降る雪
Snow Falling on Cedars
1999
スコット・ヒックス監督
イーサン・ホーク
ジェームズ・クロムウェル
工藤夕貴
ケリー・ヒロユキ・タガワ

デビッド・グターソンのベストセラー小説『殺人容疑』の映画化。戦争によって引き裂かれたアメリカ人青年と日系人女性ハツエとの恋を描く。ハツエ役に工藤夕貴が抜てきされ、見事に役をこなしている。英語もかなり上手くなっている。この映画、撮影が美しく、撮影監督はオスカー候補になった。
東は東

Japanese War Bride(East is East)
1951

キング・ビダー監督
シャーリー山口(山口淑子)
ドン・テイラー

日本の看護婦(山口淑子)が朝鮮戦争で負傷した米軍中尉(ドン・テイラー)と恋に落ち結ばれる。二人は中尉の故郷カリフォルニアで暮らすが、花嫁は周囲の差別や偏見・迫害に会い苦しむ。いわゆる戦争花嫁の悲劇を描く。


Navywife(Mother sir)
1956英

エドワ−ド・バ−ンズ監督
ジョーン・ベネット
シャーリー山口(山口淑子)
デニス・ウィーバー

アメリカ海軍の日本人妻たちをめぐる物語。不詳。調査中


Tokyo After Dark
1959

ノーマン・ハーマン監督
ミチ・コビ、リチャード・ロング

殺人事件にからんで日本にやって来た軍警察官の物語。不詳。調査中


Romance on Mount Fuji 1954
Xuexianbai
Jianhuren

香港映画で日本でロケされたようだ。不詳。調査中


やさしい狼犬部隊

Three Stripes in The Sun
1955

リチャード・マーフィ監督
アルド・レイ
木村三津子
チャック・コナーズ

日本嫌いの軍曹が日本の孤児院の貧しさを知り、仲間と共に孤児院建設に奔走する。そして通訳の日本人女性と結婚するという実話を元にしたヒューマン・ドラマ。大映が全面協力し日本で撮影した。木村三津子は大映の女優で吉村公三郎や久松静児監督作に出演していた。


東京での対決

Stop over Tokyo
1957

リチャード・L.ブリーン監督
ロバート・ワグナー
ジョーン・コリンズ

未見のため不詳。アメリカの諜報部員マーク(ワグナー)が東京に送り込まれ、共産圏のスパイと対決する。ピーター・ローレ主演の『ミスター・モト』シリーズの原作者ジョン・P.マーカンドによるスパイサスペンス。東京でロケが行われた時、大きな話題となったそうだ。二枚目俳優のワグナーは長く低迷していたが最近では『オースティン・パワーズ』のナンバー2役で若い人にもお馴染み。


 SAYURI さゆり

Memoirs of a geisha
2006

スティーブン・スピルバーグ製作
アーサー・ゴールデン原作
ロブ・マーシャル監督
チャン・ツィイー
ミシェル・ヨ−
コン・リー
渡辺謙
役所広司
桃井かおり
工藤夕貴
マコ
ケリー・タガワ・ヒロユキ
舞の海
伊川東吾

京都・祇園の芸者の生涯を描くもので、日本ロケも予定されていたが、日本側の撮影の制約が多すぎて全てアメリカ国内のセットで撮影されている。
スピルバーグは当初監督を予定していたが、製作のみに変更になり『シカゴ』のロブ・マーシャル監督になった。主演のさゆり役はニューヨーク在住の舞踏家、リカ・オカモトだったが中国人女優のチャン・ツィイー様に、先輩芸者「まめは」役も、当初マギー・チャンからミシェル・ヨ−に変更になった。全員が英語を話すという致命的な違和感を忘れてしまえば、和服の着こなし、三味線や踊り、お茶の煎れ方までかなりいい線いってる。ついにここまで来たか。カメラ、照明、セットなどのスタッフの努力には頭が下がります。ただし、相撲のシーンの直前のシーンに現れる「変な門」、男女みんなでお風呂に入るシーンなど変な所は無いわけではない。音楽もジョン・ウィリアムスという大巨匠が手がけているのだが、やっぱり尺八三味線、和太鼓が使われていかにも「日本風」でソツがないがやっぱり日本人には少し抵抗がある(ラストの曲はいいのになあ)。それでも、ひと昔前の映画に比べれば格段の差がある。日本人が描く以上に日本的な映像が出来てしまったらいったい日本の映画界はどうなってしまうのだろう?まあ、ハリウッドが完璧に日本を描けるようになってしまったら当サイトの意義が無くなってしまうけどね。
ツィイー様は『オペレッタ 狸御殿』の撮影の時、京都で芸者を見学したという。この映画の主役に決まってから、集中キャンプをはって芸者の立ち振るまいを特訓して身につけたという。元ダンサーという彼女は身体能力というかセンスが抜群なのでできた芸なのだ。たぶん彼女はハリウッドで今後相当の地位までいくでしょう。
日本のベテラン女優桃井かおりは新人としてオーディションを受けた。英語の台詞の書かれた2枚の紙(課題の台本)が日本に送られて来て、何の役かわからないままカメラの前で演じたのだが、たばこを吸ったり途中犬が来ちゃったので遊んだりしたのを、NGにせずそのままテープに入れてハリウッドに送ったそうだ。どうもそれがスタッフに受けたらしく、他の役者が2年くらいかかって選考されたのに、彼女は3日で決まったという。彼女らしいエピソードだが、彼女は10代の頃イギリスにバレエ留学しているので素地があったのだろう。それにしてもスピルバーグって日本が好きなんだなー。

くま様より以下の情報いただきました。(2004年の投稿です。)

昨日、友人が参加したロサンゼルスのSONYスタジオで行われた、『さゆり』の撮影に行って来たというので書きます。(契約上口外出来ない)役所広司、渡辺謙、等がおり、でっかいサウンドステージに、国技館の様なセットを立て、数百人のアジア系エキストラに明治時代の衣装を着せて撮影しました。もう豪華絢爛、酒池肉林。『ラスト・サムライ』よりもエグイです。日本公開時での爆笑は必至!桃井かおりの英語は無茶苦茶だそうで、スタッフも日本語だと思ってたそうです。恐らく最強の勘違い映画になるのでは?私も編集の現場を見て来ます!

この時点での危惧は杞憂に終わったようです。ネタとしてはちょっと寂しい(複雑な気持ちですねえ)。

prisoner様からは以下

『さゆり』の主演にいったん決まったリカ・オカモトは、木村佳乃が舞台『ミー&マイガール』のためニューヨークにタップダンスや演技の修行に行くのを取材したテレビ番組で見かけました。映画『さゆり』が中断したのを「天国から地獄に落ちたみたいだった」と語っていて、女の子を育てながら舞台に立っていました(なぜか父親は登場せず)。

何故彼女が降ろされたのか謎ですね。

 Memoirs of a Geisha - Trailer



二人の可愛い逃亡者 Escapade in Japan
1957
アーサー・ルービン監督
ロジャー・ナカガワ(中川達郎)
キャメロン・ミッチェル
テレサ・ライト
ジョン・プロヴォスト
藤田進
三宅邦子
ヘンリー・大川
クリント・イーストウッド

東京の米国大使館に赴任したソーンダース夫妻(キャメロン・ミッチェル、テレサ・ライト)のもとへ行こうと息子トニー少年(ジョン・プロヴォスト)がマニラから空路東京へ向った。しかしトニーの乗った飛行機は墜落、ただひとり生き残ったトニーは海上をゴム・ボートで漂流していた。トニーは田中計(藤田進)町子(三宅邦子)の漁師夫婦と8歳の息子朝彦(中川達郎)が乗る日本の漁船に救われる。元気を回復したトニーは言葉は通じないが、同年代の朝彦は忽ち仲良しになった。船が港に着くと田中夫婦はトニーの救助を警察へ報せに行った。ところが少年たちはトニーが警察に捕まり両親に会えなくなると勘違いし、朝彦は両親のいる東京に案内してやろうと決心、2人は家出する。警察からの連絡でソーンダース夫妻は漁港へ駈けつけたがすでに少年たちは家出した後。少年2人は野宿をしたりして東京への道を歩んでいたが京都に到着。そのころ日本の警察も全力を挙げて2少年を捜索していたが、2人は修学旅行の一団に紛れこんだりして京都見物を楽しんだりしていた。しかし奈良に行く列車でアメリカ兵に見つかり通報され、2少年は警察に追われ奈良の寺の五重の塔へ逃れたが、追い詰められて屋根へ出た。そしてついに2人はやっと救助された。駈けつけたソーンダースと田中の両夫妻は息子たちの無事に国境を越えた人間愛を感じ合う。

日米の少年を主人公に人間の善意と愛情を描いた国際映画。アーサー・ルービンは戦前アボット&コステロの凸凹シリーズでならした監督。主役ジョン・プロヴォストは後にテレビ『ラッシー』シリーズでスターになった。日本側から中川達郎(子役)、黒澤映画の常連・藤田進、小津映画の常連・三宅邦子、ハワイアンの歌手としても有名な灰田勝彦、江川宇礼雄、斎藤達雄、越川秀子など。無名時代のクリント・イーストウッドがクレジットされてないがDumbo Pilotという役(?)で出演している。

ハラキリ Harakiri
1919独 フリッツ・ラング監督

』や『メトロポリス』で知られるラングが1919年に映画監督となってすぐに撮った初期作品。オペラ『蝶々夫人』を翻案したもので、長崎が舞台になっているが、ハンブルグ民族博物館から衣装や小道具を借り、ベルリン郊外で撮影した。日本人は一切出演していない。
物語は日本の僧侶が美しい大名の娘(おたけさん)を手に入れるため画策する。しかし大名はそれを拒んだため僧侶は天皇に進言して大名を切腹させてしまう。父を失ったおたけさんは尼僧になるが、ある日ドイツ人将校と恋に落ち、寺を脱出して結婚する。しかし将校は任務のため帰国してしまう。日本に残ったおたけさんは彼の子供を生み、再び将校が帰ってくるのを待ち望むが、将校はすでに本国で結婚してしまっている。それを知ったおたけさんは自害してしまうというもの。
フリッツ・ラングは若い頃美術家を志して1907年にウィーン美術学校に入学。その後1910年から14年まで日本、ヨーロッパ、東南アジア、アフリカを旅して回った経験があり、彼のエキゾチズムや欧米以外の美術・文化の造詣がうかがえると同時に、当時ヨーロッパで大衆レベルでも流行していた東洋趣味を見ることができる。とはいうものの1919年当時のこと。トンデモ日本が満載であります。2005年映画祭「ドイツ時代のラングとムルナウ」で上映された。
フリッツ・ラング―または伯林=聖林
サン・ソレイユ Sans Soleil
1982 仏
監督・撮影・編集クリス・マルケル

『ラ・ジュテ』の監督が日本やアフリカ諸国の(とはいえ日本が圧倒的に多い)さまざまな景色や風俗を撮影、時間と空間を超越しながら強烈な文明批評を静かなタッチで描くドキュメンタリー。この映画の優れた所は単なる「日本紹介」ではないところだろう。伝統とテクノロジーが混在した国として興味を引いたのだろうが、1981年ごろに渋谷・新宿・銀座・浅草・沖縄などでロケがなされおり、おもちゃ箱をひっくり返したかのようだ。
語られるのは、順不同で、阿波踊り、秋葉原、通勤電車、TVゲーム、差別問題、選挙とダルマ、お好み焼、地震、豪徳寺の招き猫、秘宝館、地鎮祭、ヨドバシカメラ、竹の子族(ああ恥ずかしい)、ハチ公、右翼「赤尾敏」、左翼運動(「死刑判決が出た金大中を救え」なんてやっている)、成田闘争、晴れ着の仕事始め、など。他にTVの中の「風景」として相撲、アニメ『銀河鉄道999』など、時代劇、映画『妖怪百物語』や入江たか子の化け猫シリーズ『怪猫有馬御殿』(と思うが)、テレビ番組『11PM』(懐かしい!)などなど実に多岐多彩で、非常に美しく、しかも日本の文化、本質を的確に捉えていて驚かされる。フランス映画社の故川喜多和子さんが撮影助手で(黒澤映画の助監督の経験がある人なのだ)、冨田勲が一部音楽を担当している。

 Sans Soleil (1983) Welcome To Tokyo

ラ・ジュテ / サン・ソレイユ
 WASABI
2001仏

製作総指揮・脚本リュック・ベッソン
ジェラール・クラヴジック監督
音楽・エリック・セラ
ジャン・レノ
広末涼子
ヨシ笈田

パリの刑事ユベール(レノ)の元に東京の元恋人ミコが死んだという連絡が入る。2億ドルもの大金を娘のユミ(広末)に残したと聞いたユベールは犯罪の匂いを感じ、相棒の刑事とともに東京に飛ぶ。そこでユベールはミコがマフィアに殺され、ユミは自分の娘であることを知らされ、マフィアに狙われているユミを守るために戦いを決意する。
広末がジャン・レノの娘だそうだ。う〜ん。それと記者会見で泣いたそうだが、なんかもうどうでもいいや。広末はでもちゃんとフランス語しゃべっている。

ラジニーシ様の情報

今TVで久しぶりに『WASABI』観てます。阪急デパートで買い物袋が高島屋でした。 今現在ゲーセンのシーンですが、射撃ゲームの名前が「ガソの達人」になっ てます。

ありがとうございました。「誤植」は基本ですね!

 Wasabi - Funny Scene

 ロスト・イン・トランスレーション

Lost in Translation 2003

ソフィア・コッポラ監督
ビル・マーレイ
スカーレット・ヨハンセン
アンナ・ファリス
ジョヴァンニ・リビシ

ヴァージン・スーサイズ』のソフィア・コッポラ監督の出世作。ビル・マーレイとスカーレット・ヨハンセン(『ゴーストワールド』)が主演。舞台は東京。

日本の東北新社が撮影に全面協力、国内配給も手がけた。CMの撮影(サントリー)で来日した中年のハリウッド・スター(ビル・マーレイ)が、東京に滞在中の若い女性シャーロット(スカーレット・ヨハンソン)に出逢って・・・異国の地で次第に惹き合う男女の物語。よくある日本の風俗はドキュメンタリータッチでほとんど総登場。ジャーナリストの林文浩、CMディレクター役でダイアモンド・ユカイ、藤井隆のマシューも登場。
わずか400万ドルの予算と27日間で撮影されたこの作品は米国で4400万ドルの興収を記録し、成功をおさめた。
ソフィア・コッポラ監督はアカデミーオリジナル脚本賞を受賞した。それほどすぐれた脚本とは思えないが(台詞もストーリーも普通)。ソフィアは若い頃日本に滞在したことがあり、他の国にはない独特の風景が強い印象に残っていたといい、その時の体験を脚本化した。この作品では父のフランシス・フォード・コッポラが製作にあたった。

 Lost in Translation
↑通訳は難しい。サントリー。

日本を最初に描いた外国映画!

1895年12月、パリで映画を世界初公開したリュミエール兄弟は、映画の「題材」と上映場所を求めて世界各国に技師を送った。当時はまだ見せ物でしかなく、面白い景色や風俗を撮影して、上映するということが行なわれていたのだ。コンスタン・ジレルは1897年1月(初公開からわずか1年ちょっと!)にもう来日し、京都や横浜で風景や芝居、踊子や剣術の稽古風景、北海道のアイヌなどの撮影を行なっている。
1898年には2人目のガブリエル・ヴェ−ルが来日し、さらに東京や農家の風俗などを撮って、日本でも上映を行なっている。これらは『明治の日本』として1897年12月にリヨンで上映され、その後もリュミエール社のライブラリーとして長く残っていた。一方エジソン社も1898年4月にカメラマンのジェームズ・ホワイト、フレッド・ブレシンデンが来日、横浜で列車や船など9本を撮影している。このようにかなり早い時期に他の国より多くが撮影されており、これは当時の欧米諸国(とりわけフランス)で流行した「ジャポネスク」の影響がある。ともあれ、彼らの来日によって日本での映画産業は急ピッチで進んだ。


映画史研究には欠かせない貴重な資料。
ガイジン2

2002ブラジル

山崎チズカ監督
タムリン・トミタ
ジョルジ・ペルゴリア
ノブ・マッカーシー

『ガイジンII』は日系人。日系人が日本へ出稼ぎにいき、ブラジル人としての誇りを回復していく過程を映画化する。


The Last Reunion

(別タイトル:Revenge of The Bushido BladeまたはNinja Nightmare)

1980

ジェイ・ウェルツ監督
レオ・フォン(フォング)
バツ・アキノ
キャメロン・ミッチェル
スタック・ピアース
フィリップ・ベイカー・ホール

残念ながら日本では未公開。ビデオ未発売なので見ることができない。以下はIMDbのウイリアムさんの報告や手許の資料による。
1945年、太平洋戦争末期のフィリッピンで、米軍の一隊が日本の要塞を急襲した。日本兵を皆殺しにし、将軍を殺し、その妻を犯して殺した。(二人ともひどい日本語を話しているそうだ)。しかし二人の幼い息子は隠れて生き延びる。そして苦難を乗り越えて、1976年にはビジネスマンとして成功していた(レオ・フォン)。彼は両親を殺した兵士を一人ずつ殺す復讐を決意する。(フィリップ・ベイカー・ホールのすごい首きりシーンあり)スタック・ピアース、キャメロン・ミッチェルが他の兵士たちを演じている。主演のレオ・フォンは1928年広東生まれ。ブルース・リーの弟子だったそうだ。ということは当時50歳を過ぎている。そのカンフー技で、30年前の兵士達(おそらくもっとじいさんになっている)に復讐するのだろうか。資料を読んでいるだけで頭がクラクラしてきた。宣伝文句は「『将軍』を超えたアクション!」だそうで…。


東京の妖婦
A Tokyo Siren

1920

ノーマン・ドーン監督
青木鶴子
ジャック・リヴィングストーン
木野五郎
藤田東洋
ペギー・ピアース

アメリカ人医師ニブロック博士が日本を旅行中に、名門の娘アスチ(Asuti Hishuri。出た!変な名前)が、親の都合による結婚を強いられて家出をして困っているところを救った。彼は娘を助けるためにアメリカへ連れて行こうと考え、アスチと擬装結婚した。アメリカに着くと博士は昔の恋人とよりをもどす。一方アスチはアメリカ生れの日本の青年と相思の仲となる。しかし、博士とアスチはまだ戸籍上は夫婦。さてこの4人の恋の行方は?
早川雪洲の妻、青木鶴子主演のサイレント映画。これは現在ほとんど見ることが困難な作品。もちろん当時の映画はすべてスタジオ内で撮影したのだろう。博士がどんな日本を旅行していたのか気になる所だが、残念。とにかく以上の資料によれば軽妙なロマンスコメディのようだ。


刺青IREZUMI

BLUE TIGER

1994

ノーベルト・バーバ監督
一瀬隆重原案
仲村トオル
ヴァージニア・マドセン
石橋凌
ユウジ・オクモト
ヘンリー・モーテンセン
ハリー・ディーン・スタントン
マイケル・マドセン

東映と東北新社製作の「Vシネマ(Vアメリカ)」シリーズ。製作・原案などは日本だが、製作スタッフはすべてアメリカ。日本では劇場公開されたが、アメリカでは『Blue Tiger』のタイトルでビデオ発売されている。
舞台はロサンゼルス。愛する息子のためにハロウインの仮面を買いに出たジーナ(マドセン)。日本人のヒットマンが敵対するギャングを撃ち殺す場面で、息子が巻き添えをくって死んでしまう。偶然現場に居合わせたジーナは、息子を殺した男の胸に赤い虎の刺青があったのを目撃する。その時から彼女は、息子を殺した犯人に復讐するため鬼になる。復讐を遂げるために日本の伝説に従い、自分の胸に青い虎を彫る。そしてヤクザ組織に深く入って行く。そこで共通の敵である巨大な悪徳企業に挑む若いヤクザ、セイジ(仲村)と知り合う。次第にセイジに惹かれていくジーナ。しかし彼女が見たのはセイジの胸に彫られた赤い虎だった…。僕はビデオが出た時に一回見ただけなのだが、銃撃戦など良くできていて割と楽しめた。うろ覚えだが、マドセンが刺青をするシーンはけっこうエッチだったような…。資料は乏しいが、赤と青の虎は主人公が反対に書いているのもあって不正確です。すみません。息子役は『ロード・オブ・ザ・リング』のアラゴラン役ヴィゴー・モーテンセンの息子。ヴァージニア・マドセンの兄マイケル・マドセン(『レザボア・ドッグス『キル・ビル』)が銃の売人役でカメオ出演している。


罠(セックス)にはまる女

Play Back

1995
オリー・サッソン監督
企画黒沢満
タウニー・キティン
ジョージ・ハミルトン
大竹一重
シャノン・ウィリー
ハリー・ディーン・スタントン
チャールズ・グラント

残念ながら見ていない。が、東映のVシネマで、アメリカで撮られた作品。出演者の大竹一重は1994年のミス日本で、今ではいわゆるセクシー女優として活躍している。この映画でもたぶんヌードになっているのだろうが、役どころが今一つ不明。主演のジョージ・ハミルトンは俳優としては『ドラキュラ都へ行く』と『ゴッドファーザー PART III』くらいしか代表作がないが、ハリウッドきってのプレイボーイとして知られ、イメルダ夫人と以前噂があった。スタントンは『グリーンマイル』『エイリアン』などに出演する中堅の傍役。


映画『ミスター・モトシリーズ総論

ジョン・P・マーカンド原作で、1937年から製作されたシリーズで、日本人の(一見さえない)探偵が難事件や凶悪な事件を解決していくというストーリー。モトは「天皇直属の密偵」であり、「アイム・ソーリー」を連発する。丁寧で礼儀正しいが、白人たちにも堂々とやりあう度胸と持っている。そして鋭い観察眼と洞察力で犯人やトリックを見破る。また、小柄だが柔術の達人で、大男を投げ飛ばす技を持っているというキャラ。初代ミスター・モトを演じたのはピーター・ローレ。ローレはメガネをかけた、ユニオシタイプの日本人役を演じ、人気を博した。だが、日米関係が悪化するにつれ、モトはだんだん嫌な奴、悪い奴へと変化していった。シリーズの常であるが、舞台(オリエンタル趣味)やシチュエーションが突飛なものに変わり、レベルも低下していった。戦後1965年(前の年にローレが亡くなっている)になって、西部劇などの悪役俳優ヘンリー・シルバが2代目ミスター・モトとして出演した。残念ながらすべて日本未公開のようだ。同じ東洋人探偵として有名なチャーリー・チャン(中国人)とともに、戦前からアメリカでかなり流行したキャラクターなのだろう。

Peter Lorre - Card Shark (Think Fast, Mr. Moto - 1937)


 http://www.youtube.com/watch?v=9SMJ0BnoGzM

古いプロレス・ファンにはグレート東郷やハロルド坂田と同時代に活躍したミスター・モトという名前の日系人ヒールでおなじみ。また、ベンチャーズも『ミスター・モト』という曲を作っており、今なお演奏している。たぶんモト冬樹はこの曲の名前に因んだのだろう。(本名は武東さんらしいが)みなこのキャラクターが好きなのだ。

Think Fast,Mr.Moto

1937

ノーマン・フォスター監督
ピーター・ローレ
トーマス・ベック
バージニア・フィールド

モトシリーズ記念すべき第一作。サンフランシスコから上海に向かう船で、不可解な事件に遭ったモト。サンフランシスコでの殺人犯を捕らえるが、その男はある秘密の文書を盗もうとしていた。その文書を巡って謎の男女がからむ。

Thank you,Mr.Moto

1937

ノーマン・フォスター監督
ピーター・ローレ
トーマス・ベック
ポーリーン・フレデリック
ジョン・キャラダイン

ジンギスカンの宝が隠された墓の位置を示す地図を巡る冒険活劇。地図は七枚に分けられ、全てが揃わないと場所が判明しない。すでに1枚手に入れたモトと、神聖な場所を守ろうとする王子たちと、強盗団との地図争奪戦がメイン。

Mr.Moto's bamble

1938

ジェームズ・ティンリング監督
ピーター・ローレ
ケイ・ルーク
ディック・ボールドウィン

この映画は『チャーリー・チャン』シリーズの映画として製作されたものだが、主演のワーナー・オーランドが死んだため急遽、『モト』シリーズに無理矢理改変したもの。無茶苦茶でござりますがな。東洋人ならどうでもいいのか?ボクシングの試合中に死んだボクサー。探偵モトが呼ばれ、調べるとそのボクサーは毒殺されたことが分かる。モトは名探偵チャーリー・チャンの息子、リー・チャン(ひえ〜凄い設定!)の助けを借りて、賭博場に巣食うギャングに挑む。

Mr.Moto Takes a chance

1938

ノーマン・フォスター監督
ピーター・ローレ
マリー・マクガイア

今回は東南アジアが舞台。モトは、美しい女性パイロット、ビクトリアと組んで、ある村に赴く。その村では殺人が横行し、統治している王様を倒そうとしている邪悪な大司祭(教祖?)がいた。二人はその大司祭の陰謀を暴き、阻止しようと活躍する。

Mysterious Mr.Moto

1938

ノーマン・フォスター監督
ピーター・ローレ
フィリップ・マクドナルド

モトはデビル島に行き、わざと囚人として捕らえられる。同房の男が脱走するのを助け、その行き先にある、国際的な殺人組織の物資を見つけようと画策する。

Mr.Moto’S LAST WARNING

1939

ノーマン・フォスター監督
ピーター・ローレ
バージニア・フィールド
ジョン・キャラダイン
ジョージ・サンダース

エジプトのスエズ運河の河口にある港町ポートサイドに降り立った国際警察のミスター・モト。しかし何者かに誘拐され殺害されてしまう。実はこれはモトを名乗る別の日本人だった。本物のモトはすでにポートサイドにいて、英仏政府に対する陰謀を調査し始めていた。死んだ男はモトの同僚で、陰謀者をあぶり出すためにモトに扮していた。モトは陰謀者たちの1人が英国の秘密諜報部員であることを知り、二人は共同してギャング団の恐るべき計画を発見した。フランス艦隊が到着するのに合わせて、湾には機雷が仕掛けられている。奴らはそれを英国のせいにして第二次世界大戦を起こさせようとしているのだ。ジョン・キャラダインが『Thank You〜』に続き出演。シリーズ最高作といわれている。

Mr.Moto in Danger Island
(aka Danger Island aka  Mr. Moto on Danger Island)

1939

ハーバード・I・リーズ監督
ピーター・ローレ
ウォーレン・ハイマー
アマンダ・ダフ

モトはダイヤモンドの密輸を調査するために、アメリカ政府に依頼されて、プエルトリコに飛ぶ。すでに前任の探偵は殺されてしまっている。危険な仕事だった…。

Mr.Moto Takes a vacation

1939

ノーマン・フォスター監督
ピーター・ローレ
ジョセフ・シルドクロー
ライオネル・アットウィル

ロンドン塔から国王の財宝を盗んだ泥棒を追うモト。モトはエジプトでクレオパトラの王冠を探している考古学者の援助を得るが…。ピーター・ローレ主演のモトシリーズ、最終作。

The Return of Mr.Moto

1939

アーネスト・モリス監督
ヘンリー・シルバ
マーチン・ウィルデック
テレンス・ロンドン

ピーター・ローレ亡き後、イギリスで製作された探偵『ミスター・モト』。007の人気にあやかって作られた。モトは中東で石油の採掘や生産をコントロールしようとする悪の組織に挑む。シルバはひげをはやした新しいモトを作っている。しかし残念ながら内容は乏しかったらしく、シリーズ化しなかった。


ゴ−スト・イン・京都
THE HOUSE WHERE EVIL DWELLS
1982

ケビン・コナ−監督
エドワード・アルバート
スーザン・ジョージ
服部まこ(現・真湖)
佐々木としゆき
丸山俊也

日本を舞台にしたホラー映画。スーザン・ジョージが『燃えよニンジャ』に続き日本ものに主演している(ヌードシーンあり)。監督はあのホラーの怪作『地獄のモーテル』の人。全体の印象ではそんなにトンデモナイ日本は出て来ないかな。まあ、日本がどうのこうのという以前に変な話である。まずはそのストーリー。天保11年(19世紀半ば)の京都。侍シュウゴロウの妻オタミ(服部まこ)がシュウゴロウの弟子のマサノリと不倫関係になる。その情事の真っ最中にシュウゴロウが偶然帰宅し、怒り狂って二人を斬り殺す。まあこれは当時としては当たり前。だが何故かシュウゴロウまで切腹して果ててしまうのだ。さて、時は移って現代。アメリカ人のカメラマン、テッド(エドワード・アルバート)が妻(ジョージ)と娘を連れて京都の山奥の一軒家に移り住む。その家こそ、かつてのシュウゴロウの家である。そう、その家にシュウゴロウら3人の幽霊が現れて、このアメリカ人夫婦に取り憑くのである。不倫の果てに殺し殺された幽霊が3人、とても仲良く協力して取り憑くというのが、まず変だ。突然夫婦に乗り移って変なことを口走ったり、行動させる。だんだん奇妙な出来事が周りで起こる。スーザン・ジョージは夫の親友を誘惑してしまったり。
さてその幽霊だが、今では珍しい単純なオーバーラップなのがほほえましい。特撮とか特殊メイクとかもほとんど学生映画並みのローテクなのがいい。あげくの果てに突然カニ(もちろんあの食べる蟹である)が夫婦を襲うシーンがあるのだが、そのカニはいかにも作り物で、操っている裏方さんの苦労が見えるようでカワイイ。ラストはびっくり仰天で、普通この手の話では誰かが霊を撃退してめでたしとなるのだが(以下略)。

さて、「変な日本」は先に言ったようにこの手の映画にしてはほとんどないというのが珍しいが、それでも変なところはある。夫の所に突然現れて「この家は幽霊に取り憑かれているから気をつけるように」と警告に来る坊さん(しかもこの坊さんは何の役にも立たない。エクソシストみたいな役回りかと期待してたのだが)が英語ペラペラ、能面を作っている若者が英語ペラペラ、などこんな場面に出て来る人たちが普通英語しゃべらんだろうと思われるところ。そのくせ英語が話せるタレントとして活躍していた服部まこがまったくしゃべらん。(スタッフとの意思疏通は楽だったろうが)。よくあるシナリオ上のご都合主義ではあるが。東映が製作に協力している。そのせいかヒーロー戦隊ものが一瞬テレビ画面に登場する。


 ラスト・サムライ
THE LAST SAMURAI 2003

エドワード・ズウィック監督
トム・クルーズ
渡辺謙
真田広之
小雪
中村七之助
菅田俊
福本清三
原田眞人

映画監督原田眞人が俳優初挑戦でいきなりハリウッド映画に出演。クルーズとやり合う敵役だ。原田監督は英語が堪能なのでそこも買われたのだろう。話は明治初期の日本が舞台。原田は明治天皇(中村七之助)の側近、クルーズは日本に雇われた大尉を演じる。クルーズが演じる銃の達人が、西洋化を阻む「最後の侍(西郷隆盛がモデルとのことだが…)」と戦うというストーリー。監督は『レジェンド・オブ・フォール』の人。脚本は『グラディエーター』のジョン・ローガン。
やっぱり渡辺謙の名演が目立ち(アカデミー助演男優賞ノミネート)特に最期のシーンは素晴らしいが、真田、そして時代劇の斬られ役のベテラン福本清三の存在感も忘れてはいけない。小雪も清楚な雰囲気がぴったり映像にはまっていて惚れてしまうぞ。で、内容だが英語をしゃべる殿様が気にならなければ後はOK。景色も何だか日本にない「だだっ広い草原」風なのもまあOK(ロケはニュージーランド)。ストーリーの甘さなど批判すべきところは山ほどあるが、とにかくスケールの大きいスペクタクルで、今の日本映画ではこんな時代劇の戦闘シーンは絶対できないだろう。悲しいが。『レッド・サン』みたいで、何度も言うようだが銃や大砲に刀や槍で立ち向かうのは絶対無理だぞ。
2002年10月に京都・姫路で撮影が行われ、2003年2〜4月にはニュージーランドで日本人エキストラ600人に及ぶ本格的な撮影を敢行した。エキストラは週給約5万円だそうだ。三谷幸喜の新聞連載エッセイで彼の『オケピ!』再演に真田が出られないのはこの映画の撮影が長引きそうだからとあった。監督のエドワード・ズウィックは七人の侍』を25回以上見ているそうだ。僕ですら10回くらいしか見ていないのに凄い…。

新潟県では新潟日報という地元の新聞があり、そこに掲載されていた渡辺謙のエッセーより(彼は新潟出身なので連載してるのだ)。ニュージーランドロケは順調だそうです。草原に昔の日本の農家を再現した村のセットを建て、そこで撮影をしているとのこと。ニュージー訛りはEをエでなくイと発音するので、ワタナベキンさんと呼ばれているそうです。公式ページはこちら。

ゴールデングローブ賞助演男優賞、アカデミー賞助演男優賞にワタナベキンがノミネート!

 The Last Samurai - Ujio Beheading deleted scene
↑カットされた残酷シーン。


原田眞人監督作品
外国映画に描かれた日本とは?日本が主役編パート1はこちら
外国映画に描かれた日本とは?日本が主役編パート3はこちら
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外国映画に描かれた日本とは?日本が傍役編はこちら

参考書一覧

参考書パート2

特集:
外国人が見る日本と日本人(前編)

特集:
外国人が見る日本と日本人(後編)

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