日にちが決まっている参加申し込みしている行事がある。

昨日の宗立事相講習会(声明講座)もそうだが、体調のことも含めて、少なくても前日から準備をしなければならない行事参加だ。

心構えも含めて、準備しなくてはならない。

 

今月21日(日)は初大師で当山の大師講の年祭。午前中に法事があるので忙しい。

 

2月の6日(火)、7日(水)は東京都教誨師会宿泊研修で栃木刑務所に行く。

電車だと、浅草の方に回るか、府中本町から武蔵野線を使って行くか、調べてないがめんどくさそう。

 

翌8日(木)は2度目になるが、インプラント手術をする。  

 

更に翌日9日(金)は有楽町に中尾ミエの喜寿コンサートに妻と行く。

 

14日(水)は久しぶりになる、府中刑務所での個人教誨がある。

 

絶対に外せない行事の合間に、これまた絶対に外せない檀家さんの法事がある。

今日の予定は何もなかったが、夕方に御朱印の依頼があり、本堂に案内して曼荼羅と各種仏像の説明をした。「どちらからお越しですか?」お聞きしたら、新宿からだそうだ。歳の頃なら4,50代の青壮年。

 

当山本堂の上方に安置している四天王の仏像のお話をした。仏教を守るガードマン。

どうやって仏教を守るかは、それぞれの教えのなかに示されている。

その一つ、持国天は考えの違いを乗り越えて仲良くしなさい、と教えている。

排除の論理ではなく、他の宗教とも役割は違うけれども一緒に歩もうというのが持国天の教え。明治以前は神仏混淆だった。だから、古いお寺の傍には神社が付いている。当山の500メートルも離れていないところに神社がある。神社の名前は天王宮。

当山の寺院名は天王寺(梅花山天王寺・光明院)という。当山住職が代々、天王宮の別当を勤めていたそうだ。今は明治政府の神仏分離令で神社とお寺は分かれてしまったが、明治以前は神仏仲良くやっていた。そんな話をしたら、その方は近くのその神社をお参りすると言って御礼され神社に向かった。

 

仏教の考え方では、我が宗教宗派尊しで、他の宗教宗派を排除したりしないのが本来。ましてや敵対しないのが、大きな流れでは結果として仏教を守ることになる。

原理主義ではない仏教の姿勢。

 

他の多聞天(毘沙門天)、広目天、増長天、もそれぞれの教えがある。それらが揃って仏教は守られてきたし、これからも守られていくのだろう。原理主義としての仏教ではなく、全てを備えた密教としての仏教かも知れない。