園長先生の見識と読み聞かせ(追記あり)
なぜだか思い出せないのだけれど(まただ^^;;)、「水からの伝言 読み聞かせ」で検索をはじめてしまった。薄々予想はしていたけれど、当然のごとく暗~い気持ちになってしまった。水伝を読み聞かせでやるボランティアの人々が大勢全国にいるんだなあ、と。
読み聞かせ自体はいいことだと思うのだけれども(する人の技術的な問題はおいといて)、絵本業界で水伝に対する注意喚起みたいなものができないのかなあ、とか思ったり。
# 読み聞かせにまつわる話としては、亀@渋研Xさんの最近のエントリ が考えさせます。
はじめ検索してるうちは、いくつかの「水伝読み聞かせした」と報告しているサイトを挙げて、悩ましいですねえと書こうと思っていたのだけれど、そのうち一つのサイトに行きついて、方針を変えた。問題の方に興味ある方は、「"水からの伝言" "読み聞かせ" 」で検索してみてください。というか「水に伝言 ぬかに釘 教育関係 」を見た方が早いか。
その行きついたサイトというのは、「松江暁の星幼稚園 」。この(前)園長先生(神父)のコラムが、なかなか深い。 「第23回 -社会性(かかわりと関係)から学ぶ- 」では、「水伝」を紹介しつつ、科学的でないとか思考停止だなどと指摘されていると述べたうえで、
その一つ前、第22回のコラムでは、百猿現象(「百匹目の猿」現象)について触れられている(「心に描いただけで」というのは、直接的には百猿現象をうけての話)。
もっとも、こちらの方は、明示的に百猿現象を批判していないので、もしかしたら百猿現象を真実と思ってしまう人は出てしまうかもしれないのがちょっと心配ではあるけれど。
他のコラムもなかなか深い。全部読んでしまった。(^^)
(追記)書こうと思っていたことを忘れてアップしてしまった。(^^;;
この方、神父さんである。つまり、ある意味「祈る」ことのプロ、でもあるわけだ。そういう立場の方が、思うだけではダメで対話やかかわりが重要である、と説く意味はとても大きいものがあるのでは、と思う。
読み聞かせ自体はいいことだと思うのだけれども(する人の技術的な問題はおいといて)、絵本業界で水伝に対する注意喚起みたいなものができないのかなあ、とか思ったり。
# 読み聞かせにまつわる話としては、亀@渋研Xさんの最近のエントリ が考えさせます。
はじめ検索してるうちは、いくつかの「水伝読み聞かせした」と報告しているサイトを挙げて、悩ましいですねえと書こうと思っていたのだけれど、そのうち一つのサイトに行きついて、方針を変えた。問題の方に興味ある方は、「"水からの伝言" "読み聞かせ" 」で検索してみてください。というか「水に伝言 ぬかに釘 教育関係 」を見た方が早いか。
その行きついたサイトというのは、「松江暁の星幼稚園 」。この(前)園長先生(神父)のコラムが、なかなか深い。 「第23回 -社会性(かかわりと関係)から学ぶ- 」では、「水伝」を紹介しつつ、科学的でないとか思考停止だなどと指摘されていると述べたうえで、
「心に描いただけで、思っただけで、変えることができる」という発想法は、社会性の欠如を生み出してゆきます。とおっしゃられている。この短い文章の中で、水伝問題の核心が端的に述べられていて、ちょっと唸ってしまった。
私たちは、対話やかかわりの中で、ある時は自己を主張しながら、ある時は自分を抑えながら、苦労しながらかかわりの中で学んでいくのです。
その一つ前、第22回のコラムでは、百猿現象(「百匹目の猿」現象)について触れられている(「心に描いただけで」というのは、直接的には百猿現象をうけての話)。
日本の科学者たちは、このサルの発見が、さまざまなサルによって真似られ、徐々に取り入れられていくことを興味深く観察しました。1952年から1958年にかけて、若いサルたちがこの方法を身につけました。しかし、子ども達の真似をしようとしなかった大人のサルは依然として、砂のついたままの汚れたサツマイモを食べ続けていました。ここで書かれていることが、幸島で起きた本当のことである。
大人の間では、自分の子どもから学ぶことができた大人だけがこの素晴らしい方法を習得したのです。
もっとも、こちらの方は、明示的に百猿現象を批判していないので、もしかしたら百猿現象を真実と思ってしまう人は出てしまうかもしれないのがちょっと心配ではあるけれど。
他のコラムもなかなか深い。全部読んでしまった。(^^)
(追記)書こうと思っていたことを忘れてアップしてしまった。(^^;;
この方、神父さんである。つまり、ある意味「祈る」ことのプロ、でもあるわけだ。そういう立場の方が、思うだけではダメで対話やかかわりが重要である、と説く意味はとても大きいものがあるのでは、と思う。