人生の道筋の下には
こんにちは。
「人生をかえた転機」といえるもの。
いくつかあります。
一番強烈な転機は、新卒で就職した仕事を辞め、貯金を全てはたいてでも実現させた、イギリスでの1年間。
初めての経験尽くしで、その後の私の人生の道筋はこの1年間がともかく一番下にあると思ってます。
そして、その1年間の中にも重要なイベントがいくつかあるのですが、ひときわ転機度が高いイベントが、クリスマスホリデーにひとりで参加した、スコットランドを巡るバックパッカーツアーです。
エジンバラのユースホステルで集合して4泊5日くらいのツアーでした。冬だったので、ハードなトレッキングなどはなく、マイクロバスで古城をいくつも巡り、ネス湖にも行きました。
宿は全てユースホステルで、ツアー仲間と同室、ガイドとして美人の黒髪ショートカットの強烈なスコティッシュアクセント英語を話すお姉さんが同行してくれました。
今も似たツアーがあるみたいです、こういうのです。
語学学校で自信喪失していた私
大学では曲がりなりにも英語を専攻していた私。
でも、渡英直後は典型的な大人しい目の日本人女子で、発言するにも文法が正しいかを頭の中で確認してから話していたし、ぺアワークでは、私とペアになった人は、きっともっと元気で若くてかわいいスイス人女子やイタリア人女子とペアが良かったなって思ってるんだろうなー、なんてなんでしょうこれ、ものすごく被害妄想的な考えですね、でもほんとにいちいちこんな風に思ってました。
(面倒くさい人ですよね)
とにかく英語力に自信がなくて。
文法だけはよくできて、先生にも、ほら、さすが日本人ね!とほめてもらえましたが、会話になると、ダメで。
そして、今思うとあほかと思うのですが、自分が歳を取り過ぎていて(と思っていた。当時26歳。。。)、それなのに年下の外国人より全然話せなくて、話題も全然持ち合わせてないことがとても恥ずかしかった。
外国人の友達がたくさんできて楽しい毎日でしたが、この自信のなさは常に付きまとっていました。
ホストマザーの独断
ホームステイをしていましたが、ホストマザーは私よりも1つ年下のシングルマザーでした。
彼女には感謝しきれないほど感謝をしていて、また彼女のことは別の機会に書きたいなと思っています
クリスマスホリデーにどこ行くの~、と聞かれ、スコットランドを旅してみたい、と。
誰と~?グループで行くの~? と聞かれました。
留学生活が始まってまだ3か月弱で、一緒にホリデーに旅をするほどの親密な友達はまだいなかったので、1人旅を計画していることを伝えたのですが、それは彼女には、あり得ないことだったようで、What!!!?? と。
そこからは早かったですね、1人で行くならホステルのツアーに参加しなさい、宿はホステルだからリーズナブルだし、車で移動するから自分1人だとなかなか行けないところも効率良く行けるし、何より寂しくないし安全だから。OK?
そしてそのまま、黄色い電話帳をめくってエジンバラの中心地のユースホステルに電話、「ねえ、ホステルに泊まるバックパッカーツアーの申し込みってどこでできる?Excellent! じゃあこのまま申し込むわ、参加するのは私の大切なJapanese friend の、、、」って。
あっという間に、バックパッカーツアーに申し込まれてしまいました
ネイティブスピーカーグループにぽつん
さて、ツアー開始。
オーストラリア人女性30歳前後、ニュージーランド20歳前後男性、南アフリカ共和国人親子3名(息子さんが22歳くらい)、ブラジル人女子20歳、そして私。プラススコティッシュガイド。
もう正直、最初の2日間、地獄でした。
ネイティブ6名と、ロンドンのカレッジに通い彼氏がイギリス人だというブラジル人女子。つまり、私一人だけあからさまに話が通じない「違う感じの人」。
南アフリカの親子は現地語を話さず、英語が母語だと言っていましたが、これまで聞いたこともないくらいの早口親子で
何を言っているのかさっぱり。。。
かろうじてスコティッシュガイドのとても面白いお話は必死で聞いていれば何とか理解ができ、ブラジル人女子と2人で話すのはOK。でも、食事の場とかマイクロバスの中でのゲームとか、愛想笑いもできなくなるほどついていけなくて
固まった顔で、「なんで来ちゃったんだろう、なんで完全一人旅がしたい、って言えなかったんだろう」って、なんでなんでのループ💦
オーストラリア人女性がリーダー格で気を遣って、「ちょっと皆、もうちょっとゆっくり話さないと」って注意をしてくれるのですが、それが更に追い打ちをかけてどんどん固まった顔になっていきました。
初めてだったホステル宿泊
そして実はユースホステルで相部屋、というのも初めてでした。
スコットランドの冬は激寒で、2日目の夜、多分38度以上の高熱を出しました。昼間ずっと固まった顔で脳にも体にも酸素が行きゆかず、ストレスもピークで体調崩したのだと思います。
でも、もうこれ以上皆のお荷物になりたくなくて、熱が出たとか言えず、食欲もないのにパブでスコットランドのハッギスという郷土料理を試し、2口以上は食べれず、修行かのようにただその場に座り。
やっとホステルのベッドに横になったら、横になれた安堵と、疲れと高熱と情けなさで、さめざめと涙が溢れてきて、ブランケットをかぶってひっそりと泣きました
翌日は鼻の下にしっかりと大きなヘルペス誕生してました。
今思い出してもしんどい
少しの勇気がきっかけに
3日目の移動中はまだ体調は本調子ではありませんでしたが、前の晩のさめざめ泣きで吹っ切れたのか、スコットランドの丘やものすごい僻地にある古城など、昨日までの風景となんだか違ってみえました。
そして、勇気を出して、一番苦手だった南アフリカ共和国の息子に話しかけてみたら、相変わらず早口でしたが、2人の会話だったので普通に理解ができました。
あれ?何を言ってるかわかる!という一瞬。
私の返答にまた早口で、でも明瞭な返答。
会話になった
そこから、パブでの食事にもスコティッシュダンスでもなんとか皆の輪に入っていけるようになっていきました。
極めつけは、スコティッシュガイドさん。
最後の夜のパブで、「あなた、最初の頃と今日とでは、別人に見えるわ、最初はしんどかったよね、でもよかった」と声をかけてくれました。
それだけでもうものすごく力が湧いて、鳥肌が立つような感覚でした。
この力が湧く感覚が、ホリデーが終わってから語学学校が再開してからもまだ残っていました。
ホリデー明けは、どの授業でも、ホリデーで何をしたか、という話題から入りますが、そこで私がスコットランドバックパッカーツアー参加の話をするたびに、先生が、すごく大袈裟にびっくりしてくれて、口をそろえて Well done! と言ってくれるのです。
そのWell done がどんどん自信をつけてくれました。
今さらながら、褒められるって重要なんですね
そこからは本当に色んなことが目に見えて変わったのが自分でもよくわかります。
性格の根本は変わっていなくても、一歩踏み出せばできる、という自信で全方位から支えられる感覚。
単なる5日間の旅の経験。
だけど何十年たった今もこんなに鮮明に覚えている。
ツアーに参加してブランケットにくるまってさめざめと泣いて、でも最後には、楽しかった(は少し無理があるけれど💦)、行って良かったと思えて完了できたという自信。
この体験がなくてもきっとイギリスの1年間は楽しく過ごしたはずで、その後の人生の筋道の土台になったというのも変わらないはず。
でも、土台の堅さや形、方向なんかは違ったものになっていたんだと思うのです。
長い話になりました。。。🙇
読んでくださってありがとうございました
海外生活約17年の会社員。
現在家族5人で東南アジア在住。
体調の悩みも増えてきた
団塊ジュニア世代です。