Location via proxy:   [ UP ]  
[Report a bug]   [Manage cookies]                
【さよなら高崎のEL&DL②】終着駅・横川駅 懐かしの12系客車とプッシュプルの機関車たち | 湘南軽便鉄道のブログ

湘南軽便鉄道のブログ

「湘南軽便鉄道」です。

本ブログは鉄道・バス・船舶・航空機等について、記録も兼ねて記事掲載。

その他、5インチゲージ自家用乗用鉄道「湘南軽便鉄道」についても掲載。路線は湘南本線(ベランダ線・路程約0.01km)があったが現在廃止。新たな庭園鉄道敷設の構想中。

(前回記事の続き)

(信越本線  横川駅)




さよなら高崎のEL&DL
JR東日本ぐんま車両センター(群馬県高崎市)所属の電気機関車(EF64 1001、EF64 1053 、EF65 501)とディーゼル機関車(DD51 842 、DD51 895)の5両が、老朽化により、2024年(令和6年)11月24日(日)運転の「ELぐんま1fin」(高崎→横川)、「DLぐんま1fin」(横川→高崎)をもって旅客列車から引退。
JR東日本における動態保存車両の拠点でもあった、ぐんま車両センター所属機関車で旅客営業を行うのは、今後は蒸気機関車(D51、C61、C58)のみとなる。

引退までのカウントダウン臨時列車の乗車記録。

 快速「ELぐんま5fin」(信越本線往路 高崎→横川)と、快速「DLぐんま5fin」(信越本線復路 横川→高崎)。編成は、横川寄りから、EF64 1001号機+12系客車5両+DD51 842号機






JR東日本では、2024年(令和6年)秋で引退するぐんま車両センター所属の電気機関車(Electric Locomotive(EL))とディーゼル機関車「Diesel Locomotive(DL)」のフィナーレに当たり、2024年9月15日(日)から11月24日(日)のラストランまで、「EFぐんまfin」、「DLぐんまfin」を運転。
列車名の「fin」は、フィナーレ(finale)の略。「ぐんま10fin」からカウントダウン形式で、ラストラン日の「ぐんま1fin」まで、10往復のフィナーレ列車を運行。




臨時快速「ELぐんま5fin」、午前10時49分横川駅に到着

横川駅で約3時間半の停車後、折返し、横川発高崎行きの臨時快速「DLぐんま5fin」となる。

非電化区間のお召し列車牽引機でもあった、ディーゼル機関車「DD51 842」

1971年(昭和46年)日立製作所製。佐倉機関区(千葉県)配置後、高崎運転所(現在のぐんま車両センター︰群馬県)にやってきた。

オリジナルヘッドマーク

写真撮影に応じる鉄道員

横川方には電気機関車「EF64」、高崎方にはディーゼル機関車「DD51」を連結。両端に機関車を付けプッシュプル運転を行う。



国鉄時代の制服を着用

JR東日本の白い駅長服(礼服)は、現在はイベントなどでしかお目にかかれない。




国鉄色を維持する国鉄形ディーゼル機関車

半世紀前に製造されたこのディーゼル機関車は、間もなくラストラン

今後、臨時列車やイベント列車として走ることはない。



青色の国鉄形12系客車も貴重な存在






ぐんま車両センター機関車区名札は「群」




小さな円形の平らな羽(手前)のようなものが回転しているが、これは、ディーゼルエンジンのラジエータ冷却ファンがきちんと回転しているかを確認するためのもの。

12系客車を5両連結

国鉄12系客車は、当初は1970年(昭和45年)の日本万国博覧会(大阪万博)輸送を目的とし、その後は臨時列車・団体列車等の波動輸送用として、1969年(昭和44年)から1978年(昭和53年)にかけて製造された車両。

青色の12系国鉄形客車は、JR東日本(ぐんま車両センター)とJR西日本(網干総合車両所宮原支所)に残存しているが、JR西日本車は臨時列車「SL北びわこ号」を中心とした営業運転から離脱してしまった。


12系客車自体、改造車を含めても残存車は数少ない。




連結部分


高崎方1号車は「スハフ12 161」。昭和53年富士重工製。


かつての寝台客車(ブルートレイン)や14系特急形客車などと同じ型の折戸


床下のディーゼル発電機が唸る。












2号車は「オハ12 369」


車内デッキ


向かい合わせの座席間のシートピッチは広め。






かつて3番線の反対側には4番線がある島式ホームだったが、碓氷峠区間が廃止になった今は単式ホームになり、4番線側の線路は殆ど撤去された。


かつて横川駅構内には、広大な車両基地(横川機関区)があり、横川・軽井沢間の碓氷峠越え(通称︰横軽)用の専用電気機関車が何両も在籍していた。かつてな広大な車両基地は、今は駐車場に変わった。

駐車場スペースの下には碓氷峠を越える国道18号線(中山道)が通り、自動車がひっきりなしに走る。




ぐんま車両センター所属略号の「髙クン」








3号車は「オハ12 367」







横川駅は山間の小さな集落にある小さな駅であるが、かつては横川駅で碓氷峠越えで補助機関車を連結・解放するため、特急、急行列車などの優等列車も含め全列車が停車していた。






かつて横軽峠越え用の電気機関車「EF63」の車両基地だったスペースは駐車場に変わった。




4号車は「オハ12 366」










5号車(横川方)は「スハフ12 162」



横川方先頭には、電気機関車「EF64 1001」を連結

EF64乗務員室の窓が開けられ、写真撮影サービスに対応



国鉄形直流電気機関車「EF64 1001号機」
1980年(昭和55年)7月3日 東洋電機製造(株)・川崎重工業(株)により製造。
1980年(昭和55年)7月5日 新潟鉄道管理局 長岡運転所新製配置。
1982年(昭和57年)8月22日 高崎鉄道管理局 高崎第二機関区配置替。
1987年(昭和62年)4月1日 東日本旅客鉄道 高崎運転所配置替。
以後、高崎車両センター、高崎車両センター高崎支所、ぐんま車両センターに改称。
1987年(昭和62年) ぶどう色2号+白帯塗色に変更。
2017年(平成29年)10月25日 全検出場時、青15号+クリーム1号の直流電気機関車標準塗色に再変更。
2024年(令和6年)11月 営業運転終了。

牽引列車(一部抜粋)
寝台特急「出羽」「鳥海」「北陸」「あけぼの」、お座敷列車「くつろぎ」、快速「旧型客車安曇野」・「旧型客室かもしか」「レトロ高崎線130周年」「EL奥利根号」「EL碓氷」「ELぐんまよこかわ」等





碓氷峠を目前に行き止まりとなった現在の信越本線・横川駅


かつては、この先、信越本線の線路は、軽井沢、長野、直江津、長岡、新潟方面まで続いていた。








横川駅といえば駅弁「峠の釜めし」で名高い。かつては碓氷峠越えの列車が到着すると、ホームの駅弁立売にはいつも乗客が殺到した。今は駅舎横の売店などで販売。

EF64電気機関車の正面ジャンパ連結器上部にある、斜め下向きの作業灯も点灯。この作業灯は、上越線水上〜石打間補機運用の際、深夜に重連総括制御用ジャンパ連結器などを着脱する際、照らす必要があったため。



1番線(左側)と3番線(右側)の間には、ホームのない2番線が残る。

向こうから高崎発の普通列車が到着

211系(左)とEF64(右)の並び。

駅舎側(左)から3番線(右)には跨線橋を渡るが、頭端式終着駅となった現在は、1番線と3番線ホームはコの字形になり繋がっており、跨線橋を使用しなくても平面で行き来できるようになった。




横川・軽井沢間が廃止になり、分断された信越本線。

かつての信越本線(高崎〜新潟)は、現在は次のとおり分断された路線になった。
・高崎〜横川  JR信越本線
・横川〜軽井沢  廃止
・軽井沢〜篠ノ井  しなの鉄道しなの鉄道線
・篠ノ井〜長野  JR信越本線
・長野〜妙高高原  しなの鉄道北しなの線
・妙高高原〜直江津  えちごトキめき鉄道妙高はねうまライン
・直江津〜新潟 JR信越本線

引退する、JR東日本ぐんま車両センターEF64の勇姿






1番線ホームにある荻野屋(おぎのや)の駅そば屋。荻野屋の名物駅弁「峠の釜めし」も販売。(※現在は反対側の改札外から注文する。)

荻野屋(おぎのや)は、創業1885年(明治18年)の老舗駅弁業者。

駅前には荻野屋の本店が別にある。
横川駅近くの国道沿いには大きなドライブインがあるほか、軽井沢など各地に店舗を有し、信越本線が廃れた現在も名物駅弁「峠の釜めし」は健在。


現在の横川駅は、ローカル輸送主体の行き止まりの終着駅であるが、イベント列車等が発着するため、長いホームを今も有する。



駅そば屋は、イベント列車発着日や行楽シーズンの週末だけ混み合うが、普段はひっそりとしている。




床下にディーゼル発電機を備えた「スハフ12」。電源車ならではのディーゼル音。


屋根からはディーゼル発電機の排ガスの白煙が上がる。


裏妙義の山々が迫る。





碓氷峠を目前に寸断された信越本線。碓氷峠の向こうは長野県軽井沢町。







1番線ホームには、かつての詰所が残る。

1番線ホーム裏には側線も残る。


高崎方先頭車は「DD51」

復路(横川→高崎)は「DLぐんま5fin」号になる。












横川駅にまだ上野行き在来線優等列車(特急あさま、特急白山、急行信州など)が走っていた頃の琺瑯案内板が残る。






★動画↓




※2024年(令和6年)10月上旬