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レオ・レオーニと仲間たち | 日々、嬉努愛絡 多幸なり

日々、嬉努愛絡 多幸なり

人生、喜怒哀楽。嬉努愛絡です。

 

展覧会構成
第1章 アムステルダム シャガールのある家
レオーニは1910年にアムステルダム近郊で生まれ、芸術的にとても恵まれた環境で育ちました。レオーニの少年時代を、当時の思い出や写真とともに紹介します。

第 2 章 ジェノヴァからミラノへ 1930 年代の第二次未来派芸術運動と印刷メディア
レオーニは幼少期からオランダ、ベルギー、イタリアと移住を繰り返します。イタリアでは、ブルーノ・ムナーリをはじめとする未来派のアーティストたちと一時活動をともにします。その後、広告・出版文化が華やぐミラノで、ソール・スタインバーグをはじめとするアーティストや文化人と関わりながら、イラストやデザインの分野で活動するようになりました。
ここでは、イタリアにおけるアーティストたちとの交流を、作品や同時代の印刷物などからひも解きます。

第3章 ニューヨーク アートディレクター時代
1939年に渡米したレオーニは、ビジネス雑誌『フォーチュン』やCBS放送、MoMA、オリヴェッティ社などの仕事を手がけ、アメリカ屈指のアートディレクターになっていきます。一方で絵画制作にも注力し、1947年には初の個展を開催しました。そして1959年、レオーニは初の絵本となる『あおちゃんときいろちゃん』を出版します。
本章では、アメリカでのアートディレクターとしての仕事をベン・シャーン、ムナーリ、スタインバーグ、カルダーらとの交流の軌跡とともに紹介します。また、1940 年代後半からの油彩画もあわせて展示します。

第4章 イタリアでの制作
アーティストとしての活動に集中しようと、1961年、イタリアにもどったレオーニは、アメリカ時代から続く「想像肖像」シリーズや「プロフィール」シリーズ、「平行植物」シリーズ、「黒いテーブル」シリーズなど、さまざまなテーマに意欲的に取り組みました。晩年はパーキンソン病のため制作にも困難が伴いましたが、作ることへの熱意が失せることはなく、病のため震えてしまう線をも効果的に用いた「鳥」シリーズが最後の作品となりました。
本章では、イタリアに移住してから制作された作品を紹介します。ブロンズ彫刻《プロジェクト:幻想の庭》や「鳥」シリーズなど、見ごたえのある作品が並びます。

第5章 レオの絵本づくり
1959年に初めての絵本を出版してから、自分自身の物語を絵で表現できる絵本との出会いにより、レオーニは作り手として新たなスタートを切りました。ほぼ1年に1冊のペースで制作を続け、絵と文章をともに手掛けた物語絵本は27冊にのぼります。本章では、30年以上におよぶレオーニの絵本づくりの軌跡を振り返ります。そこにはデザイナーやアーティストとしての活動の積み重ねも映し出されています。また、レオーニの多彩な技法や描き方が見られる、絵本原画の一部もご紹介します。
 

 

 

 

来週終わってしまう。

 

将来は何が起こるか分からないので、行けるときに行かないと観れない可能性があると思い、行きました。

 

 

 

 

 

板橋美術館とすれば、3回目のレオレオーニ展です。

 

 

 

 

 

若いころの作品。

 

見た瞬間に、引き込まれてしまいました。

 

 

 

 

これは何かよく分からなかった。

夢の世界のものなのか?

 

 

 

 

 

エリック・カールの作品。

はらペコあおむしのエリック・カールとも交流があったんですね。

 

 

絵本を描き始めたのは、孫のため。

 

 

 

 

最後の作品は、「びっくりたまご」。

 

 

 

 

 

 

 

 

板橋美術館の近くの小屋には、ヤギがいます。