青年会議所にいた頃、外部の人の指示で作業をすることがありました。
しかし、その人の指示が、曖昧すぎる。
だから動けないでいると、「やるきあんのか?」とか
「だから最近のやつはダメなんだ」とか言われます。
かといって、曖昧な指示を自分なりに解釈してやると、
「余計なコトすんな!」「そうじゃないだろ!」と怒られます。
幸いにして、僕は、そういう親の元で仕事をしていましたから、
そういうのに耐性があります。
しかし、幸いにして、他の青年会議所のメンバーは、そういう耐性がない人がいて、
「やってられっか!そんなに言うなら、お前が自分でやれ!」と怒って帰ってしまいました。
それによって、その人も少しだけ反省したのか、
それ以前よりは指示がすこし明確になりました。
でも、そうやって、キレられないと、自分がおかしいことをしている、ということに、
気がつけない指導者はけっこういます。
そして、最近の人達はやさしいので、なかなかキレません。
キレないで、自分の中にストレスをためていきます。
それはそれで、かわいそう。
だから、僕はかなり気を付けています。
誰かに作業を手伝ってもらうとき、
「なんで、自分の思ったとおりにやってくんないのかな?」
「もっと、やることあるのに、なんであそこで突っ立てるのかな?」
と感じるのは、自分に問題がある可能性があるからです。
自分の指示が曖昧だったり、不明瞭だったりしていないかな?
曖昧に指示したことに対して、事細かに文句つけていないかな?
できる限り、具体的に指示をだす。
具体的に出せないときは、任せる。
やってくれたことには、どんな結果であれ、まずは、感謝する。
その上で、足りない部分があるなら「ここをこうしたらもっとよくなるんじゃない?」といって、一緒に改善する。
うまくいったら、一緒に喜ぶ。
僕は、そうできるように努力をしています。(うまく出来てる自信が無いから、改善し続けるしかない。)
人のやる気や情熱を奪うのは、指示をする人の問題である場合が多いです。
だのに、そういう人に限って、
「最近の人はやる気がない」「情熱が足りない」などと言います。
ということは、
「最近の人はやる気がない」「情熱が足りない」と思ったときは、
自分に問題がある可能性が高い、と考えてみるのも良いのではないでしょうか。
愚痴を言って、他人を見下しているヒマがあったら、
自分の行動を工夫して、人との関わり方を改善してみた方が建設的です。
ちなみに、
自分の指示が曖昧で、そのくせ、頼んだことに事細かに文句をつけてる人は、
まわりの人から距離を置かれます。
だんだん、頼まれなくなります。頼られなくなります。声をかけられなくなります。
それは、ものすごい危険信号です。
「自分は最近、人にあてにされてるかなあ・・・」
「自分は最近、人に頼まれごとされてるかなあ・・・」
「自分は最近、誰かに話しかけられているかなあ・・・」
のいずれかが、「ないな」と思ったら、
それは、「頼られなくて、ラッキー!」ではなく、
「このまま、人生縮小モードだ」です。
どうか、勇気を持って、自分のやりかたを変えてみる努力をしてみて欲しいです。