今晩はPajaです。
この記事が出たという事は、私の命の灯火が消えたという事です。
生前にこの記事を書いて妻にお願いして公開するように言ってあります。
皆様本当にありがとうございました!!
皆様のおかげでここまで生きてこれました。
思えば2023年夏に年内厳しいという主治医の言葉から今日まで生きる力をくれたのは
フォロワー様の応援があったからと言っても過言じゃありません。
もちろん、私の大好きな家族にも沢山支えてもらってここまで来れたんだと思います。
私は、癌に負けたんじゃありません。
たまたま、臓器が壊れてしまったからです。病に破れたんじゃないんです。
主治医の予想を大きく超えてここまで生きてこれたのがなによりの証拠!!
辛い抗がん剤治療、怖い手術や抜歯、緊急入院色々と貴重な経験しました。
お疲れ様、俺! よく、ここまで頑張った!!
でも、なんか不思議だねwこの記事書いている時は、生きているのに命の灯火が消えた事を書くなんて
皆様とお別れするのは、とても辛くて悲しいけど
命に終わりがあるからこそ次の世代にバトンを渡せる。
私は、上手くバトンを渡せたかな。。
妻は、こんな私が旦那で幸せだったのかな。。
長男は、私が父でよかったのかな。
長女は、私が父で誇りに思ってくれてたかな。
次女は、私が父で楽しかったのかな。。
私がいなくなった後、私が愛用していた工具や作業台みんなで上手く活用していって欲しいな。
本当、色々あったよねw
癌が発覚して泣いてばかりの毎日から脱出してブログを始めた
妻がその前にブログ始めていてそれを見つけて私も何かできるかなって思ってブログ始めたんですよねw
私の記事皆様のお役に立てたかな。。
本音っていうのは、最強にして最高のセキュリティに守られているから解らないけど
ほんの少しでもお役に立てたのであれば嬉しいなw
実は、私って意外とネガティブな事も沢山考えるんですよね。
ネガティブオーラ出ちゃうと何にも出来なくなっちゃうんだよね。
だって、人間だもんしょうがないじゃん。
私、現実を受け入れて前に進むって言ってたけど
本当はね、現実なんて受け入れたくなくってさ、もっと、もっと、もっと、
長く生きて孫の顔みたかったんだw
命の灯火が消える事なんて考えたくなかった
現実って辛いね、でも、頑張って生きたよ!!
泣きたい時は、おもいっきり泣こう!!
これまでの人生長いようで短かった。。
昭和、平成、令和この3つの時代を生きたんですよね。
子供達には、本当申し訳ない事してしまった
体がこんなになってしまって
もっと遊園地やスーパー銭湯とかに連れていってあげたかった
我慢ばかりさせてごめんね。
悔しいよ。。。遊ばせて思い出沢山つくってあげたかった
沢山、一緒に泣いて笑って時に怒ったりしたかったよ。
文句ひとつ言わずに私の看病してくれたね。
子供達が腕を貸してくれる時の力を入れて転倒させないようにしてくれた事
本当にうれしかったんだよ。
私は、私は、何も出来なかった。。精一杯がんばったんだ。
命の灯火は消えたけど魂の灯火はきっと子供達の中で燃え続けて欲しい
パパの自慢の子供達
右足の痺れが出初めて動かなくなってしまって
歩行困難になったけど、私は、自分の足で歩きたい
誰の力も借りずに自分の足で歩いてコンビニやスーパーに行きたい
足が自由だった頃、こんな事になるなんて思わなかった。
失って気づく体の自由って本当に大切なんだなって
これまで当たり前のように歩いて、階段登って
小走りしたりしたよね。。それが出来なくなった。。
心の中では悔しかった
でもね上半身が動く
体の残された機能で夢を追いかけてきた
体の状態がどうあれ夢は追いかける事が出来るって事を夢屋トイ太郎さんに教えてもらった
状況がどうあれ夢を追いかける事も出来るって事は、子供達から教わった
子供達には、夢をあきらめずに追い続けて欲しい
どんな事でもいいんだよ。プラモデルじゃなくてもエンジニアじゃなくても
自分の道なんだから自分の好きな事に一生懸命になって欲しい
頑張り切れる子供達になって欲しい
身体中が痛い、本当に痛いんだ
誰に助けを求めてもこの痛みは止まらない
もっと痛いのはね、家族の為に働けない事なんだよ。
私は、もっともっと働きたかったんだ。
経済的な面でも精神的な面でも沢山負担をかけてごめんね。
ここまで支えてくれてありがとう。
私が生きていく中で一番後悔したのは、がん検診をもっと大切に受けていれば良かったという事