写真の数でごまかしたりなんて、し、しし、ししししししし、してないってば。
何となくお家に帰りたくなくて、近所のベンチに座っていた、ある日暮れどき。
見上げたら、龍がいた。
「ここまで『龍感』出します?」
と思わず苦笑い。
立ち上がって、フェンスの柵に頬杖ついて龍が飛んでいくのを見ていたら、犬の散歩をしていた近所のおじさんと、さっきまでちょっと離れたベンチで本を読んでた若いサラリーマンの子が、つられたかのように私の隣りにやってきて、おんなじように頬杖ついて空を見上げた。
おじさんと男の子も、龍をずっと見ていた。
日が沈んだと同時に、各々アイコンタクトを交わして、それぞれ家路に着いた。
ほっこり気分でお家に帰れて良かった。
傷ついたとき、自分は普段、決して人を傷つけない人間だと断言できるか、考える。
イライラしたとき、自分は普段、決して人をイライラさせない人間だと断言できるか、考える。
自分を責めたり、落ち込んだり、駄目人間の烙印を自分に押すのはとりあえずやめとこ。
ただ、知るだけ。
あー。
自分にも、こういうとこあるかも。
これくらいでいい。
これくらいで留めておくことが 重要。
これが、人を許すコツです。
その後、
自分を責めたら、あー私を傷つけたあの人は、今頃自分を責めているかもしれない、と。
落ち込んだら、あー私をイライラさせたあの人は、今頃落ち込んでいるかもしれない、と。
自分に「駄目」の烙印を押してしまったら、あーあの人が、駄目人間の烙印をあの人自身に押してしまわぬように、私があの人の良いところをたくさん見つけよう、と。
そんな風に考えられたら、きっといい。
嬉しいじゃん。
自分の不本意なミスで相手にダメージを与えてしまったとき、誰かがそんな風に自分を許してくれていたら。
自分の優しさを、誰かが見つけてくれていたらさ。
我のふり知り、人のふり許す。
人のふり見て、我を嫌わず。
いいよ、無償じゃなくて。
ん?
おっと。
あの人は、そんな繊細じゃないって?
そうかな。
人は必ず繊細ですよ。
私もね、ブログでは繊細感丸出しだけど(笑)、人当たりは結構雑。
だから、ブログを読んでいない人には特に「酒井はアホだから何言っても大丈夫」とタカをくくられることが多いのよ。
まぁまず入り口は真面目だとは思われないですね。
実際会っていなくても、役のイメージで見られることは日常茶飯事。
例えば、読者の皆さんからいただく初メッセージの大半が、
「酒井さん、イメージと違くてビックリした」
といった内容だ、という具合にね。
心当たりのあるかた、ずいぶんたくさんいらっしゃるはずよ(笑)
ま、私の場合、誤解してもらえればもらえるほど「役を演じられた」という成功の証になるというおかしな仕事に就いているわけだから、むしろ良いことなのだけれど。
プロだからね。
傷つきもしなければ、私自身を理解してもらいたいなどとも微塵も思わないから大丈夫なんだが、皆さんは、そこをマヒさせる必要はないですからね。
ね。
人の心や本質なんて、そう分からないんです。
ただ、人には必ず、心がある。
それは、忘れないようにしたいものですね。
人なんて、大抵優しい。
上手く表に出せないだけ。
何度書いたかこの言葉。
だから、許してさしあげてください。
人も、自分も。
明日の朝は、きっと、少し器が大きくなった自分が迎えにきてくれるわ。
だいじょうぶだよ。
桜が咲くまで、もう半年もないのね。
早いね。
季節の変わり目、風邪などひかれませんよう、お身体ご自愛ください。
明日も良き1日を
ごきげんよう