孫さんに足を向けて眠れないネット界隈の話。
iPhone5Sが発売になっても、僕の愛機はN905iです。ガラケー・ラブです。だってよく考えてください。みんなスマホに移行すればするほど、私の前に広がる快適なデータ空間。やり放題の「あけおめメール」。米政府にデータをのぞかれることもなく、アップルに指紋を採取されることもない、幸せなケータイ生活がおくれるつうわけですよ。
しかし、ガラケーも長い年月使っていると、塗装が「ハゲ」、画面の色が「薄く」、プッシュボタンも心なしか「後退」してくるんですよ。見れば見るほど、孫さんが「買い換えろ!ボケ!」と言っている気がしてなりません。
まあ、そんな話はさておいて今回は、孫正義ソフトバンク社長のお話をしてみたいと思います。昔から一度は文章にしてみたいと思っていたんですが、iPhone5Sの発売も重なり今でしょって感じで書いてみます。
デジタルネイティブな若者たちから見ると、孫さんはお父さん犬のソフトバンク社長であり、球団のオーナーであり、国内外に多くのネット企業を持ち、震災の時はポンと100億円寄付する人情家であり、ツイッターのフォロワー数が日本一っていう感じでしょうか。ところが、ぼくから見るそんなことはどうでもよく、輝く頭の向こうにもっともっといろんなことが見えてきてしまうのです。
ぼくがもし「孫さんってどんな人ですか?」ってCNNにインタビューされることがあったら間違いなくこう答えます。
「日本のネットの神です」(髪じゃありませんw)
というのも、もし孫さんがいなければ、いま僕が代表をやっている会社(一応上場企業)は存在しなかったかもしれないし、もっというとYahoo!ジャパンをはじめ、楽天も、サイバーエージェントもZOZOTOWNも生まれなかったかもしれないと思っているからです。
ここにJPNICが先日まとめた日本のインターネットの歴史年表があります。(興味がある方は後で見てください)日本のインターネットの商用化が始まって約20年。この年表を見ると感慨深いものがあります。ここまで順調に伸びてきたと思われる日本のインターネットですが、当然、歴史の荒波に揉まれて紆余曲折してきました。この話はまず1994年までさかのぼります。
1994年は世界のネットビジネス元年といっても過言ではありません。革新的なブラウザ「ネットスケープナビゲータ」の配布がはじまり、Yaboo!がサービスを開始、あのアマゾンドットコムがスタートした年でもあります。一方、日本では、まだまだパソコン通信時代で、インターネットなんて言葉すら知っている人はほとんどいないような状況でした。一部の大学や大企業の研究部門では利用されていましたが、それはあくまで特殊なもので、Webを活用するとか、ECを立ち上げるとか思いもつかないような時代でした。さらに言うと1994年はバブルの崩壊がさまざまな実体経済に暗い影を落としはじめ、日本が長く続く不況の入り口の立っているような時期です。
そんな中で、孫さんは虎視眈眈とチャンスを狙っていました。パソコン関連出版やソフト販売を手掛けていたソフトバンクは、当時から米国のIT業界の動きに極めて詳しかったはずです。Windows95の登場を待つまでもなくパソコンの普及を確信し、1993年にはいち早く米国でIT企業投資ができる子会社を設立しています。ソフトバンク本体がIPOしたのも奇しくも1994年。まったくのグッドタイミングで調達した資金を活用して、米国の企業への投資を開始できたのです。半導体のキングストーンや出版のジフデービス、ネット検索のヤフーといった大型投資を次々と進めます。孫さんにとっては、日本経済が暗かったこと、ネットビジネス革命が米国で起こりつつあったことなど、その時、すべてがプラスの要因だったといえます。そしてもう一つラッキーだったのは、マイクロソフトやIBMとか、当時の巨大米IT企業がインターネットを過小評価していたことだと思います。ビルゲイツはインターネットなんかそっちのけで独自のネットワークを目指していたし、その他にもインターネットはセキュリティの問題も踏まえビジネスでは使えないと考えていた人が大勢いました。そういう状況だったからこそ、極東の小国から来た孫さんが、有力ネットベンチャーに投資できる環境がおのずと出来上がっていったのです。
そしてついに米国の数々の投資の中から、孫さんは宝くじを引き当てます。それがYahoo!です。その後、この会社は米国でIPOをしソフトバンクに巨万の資産と信用をもたらします。孫さん自身もYahoo!ジャパンを立ち上げて、IPOさせここでも大きな財を築きます。その後の活躍は、みなさんもご存じのように、「タイムマシン経営」を標ぼうし、米国で育ったネットベンチャーを次々に日本国内に持ち込みます。最後は証券市場まで持ち込んで、NASDAQJapanを立ち上げます。結果としてライバルの東証はマザーズを、大証はヘラクレスをという具合に新興市場が立ち上がり、多くのネットベンチャーが育つ土壌ができたわけです。
簡単にまとめますと、不況であえいでいる日本に、米国からネットビジネスを持ち込み、資本市場を整備し、ぼくらのようなネットベンチャーが育つ基盤を築いてくれた人、それが孫さんなんです。と、この90年代後半はまさに孫さんのシナリオ通りに進んだように見えました。ぼくも傍からすごいなあと眺めていたものです。
ところが、実は孫さんの本当の闘いはここからでした。というのもビジネスモデル先行で立ち上がってきたネットビジネスも、真の市場が立ち上がるまでタイムラグがあったからです。実際どんなにネットが「すごいすごい」といわれても、インフラがしっかりしていないと、個人も企業も利用してくれません。そういう意味では当時のネットビジネスはまだ「頭でっかちないびつな」状態でした。
そこに追い打ちをかけるようなITバブルの崩壊が起きます。2000年を境に国内のネットビジネスに暗黒時代が訪れるわけです。ぼくが今の会社を起業したのが1999年末ですから、ぼく自身はこの暗いシーズンを肌身で感じていました。知り合いのベンチャーは資金難で次々に倒産しましたし、資金調達でVCを訪ねると「ネットビジネスって利益でるの?」とよく言われたものですw。
ところが、こんな暗い時代の中でも、やはり孫さんは圧倒的な行動力を見せます。2001年、ADSLによるインターネット接続「Yahoo!BB」のサービス開始です。このサービス開始も今でこそ大したことないように思えるかもしれませんが、当時としては画期的なものです。というのも、90年代は日本でもベンチャーがISP事業を開始し、その後NTTやKDDなどのキャリアが次々に参入する構図だったのですが、ネットビジネスが活性化するに至るまでは「大きな二つの壁」が立ちはだかっていました。それは「従量制料金」と「回線の遅さ」です。まあ、料金が分単位で加算されるようなドキドキした状態で、ネットでショッピングなんてできませんよね。ちょっと商品写真を見ようとしたら画像表示に時間がかかって途中で止まってしまう。「おい、コラ、そこまでかかった接続料返せ!」こんな状態でネットビジネスが普及するわけないのです。
このネットの品質改善を妨げていた最大の理由は、キャリアによる寡占です。家庭やオフィスまでのラストワンマイルの回線を持っているキャリアは自分たち思い通りにビジネスを作り上げたいと思っていたはずです。いずれくる光回線時代を見越して、当時のインターネット環境への投資へ躊躇していたのかもしれません。そうした状況の中で、孫さんは「ADSL」という当時米国で普及しはじめていた既存の電話回線を利用した高速ネット接続サービスの仕組みを持ち込みました。さらに従量制という考え方を取っ払ってしまうわけです。このとき、Yahoo!BBを拡大するために孫さんが取った戦略がしびれます。既に伝説のプロモーションになっていますが「街角でモデムを無料で配る」を実行したわけです。ところが、当時の証券アナリストやインターネット接続事業者からは相当笑いものにされます。さらに向かい風として、革新的なサービスを始めたわけですから、ユーザーサポートもトンデモナイことになります。利用開始に相当な時間がかかり消費者やマスコミから一斉に叩かれるわけです。けれども孫さんは負けなかった。そこから数年で完全にキャリアISPからシェアを奪うわけです。そうなると、キャリアもADSLサービスをはじめないわけにはいきません。ネット接続料金競争が起き、同時に回線スピードも向上していきます。当然、キャリアはソフトバンクへの対抗策で光回線への先行投資をせざるをえなくなるような状況になっていくわけです。
つまり、孫さんがネット接続環境に革命的な変化をもたらしたことで(孫さんが動かなくてもいずれはそうなったでしょうが、そのスピードは大きく違っていたはずです)ぼくたちのネット利用の基盤ができたといっても過言ではありません。
このネットインフラの革命が国内のネットビジネスに及ぼした影響も計り知れません。料金の低料金かつ固定化、品質の向上、これらが伴ってようやく、楽天市場でモノが売れ始め、企業がECに参入しはじめ、広告ビジネスが立ち上がっていくわけです。もし、Yahoo!BBのスタートが1年遅れていたら、あるいは始まらなかったら、キャッシュフローが回らず撤退を余儀なくされたネットベンチャーが多数出たんじゃないかと思います。
インターネットの普及でビジネス基盤が安定してきたネットベンチャーを次に嵐が襲うのが、2006年、そうホリエモン事件です。これをきっかけにネットがちょっと胡散臭いような目で見られるようになってしまいます(今でも十分胡散臭いですw胡散臭いことは良いことですw)株式市場でネット企業の株価が暴落していきます。その後、リーマンショックはひどい状況をさらに加速させます。そんな時、孫さんはまた動きます。2006年にJ-Phoneを買収することでケータイキャリアに参入するわけです。
このJ-Phoneの買収も1兆7500億円というトンデモナイ金額で、みんな唖然としました。証券アナリストも辛口のコメントが多かったんじゃないかと思います。ところが孫さんは、白いお父さん犬とiPhoneを武器にあっという間に、ケータイ事業の業績を改善させてしまいます。
消費者はあまり意識していないかもしれないけど、この孫さんのケータイキャリア参入のおかげで、ずいぶんケータイの利用料金が下がりました。「ソフトバンクをつながりずらい!」という文句もずいぶん言われたでしょうけど、ソフトバンクの参入のおかがで他キャリアが逆に環境整備を急いでくれたということもあるでしょう。キャリアってのは装置産業だから、どうしても投資した設備の減価償却が進まないと、次の投資がしずらい。だから保守的になる。だからなかなか環境が変わらない。この構図を孫さんがぶっ壊していったわけです。気持ちいいくらいに。
その結果、何が生まれたか。iPhoneの上で動くゲームをはじめとする巨大なコンテンツビジネスが生まれました。スマホの普及は私たちの生活を一変させました。そしてその周辺の広告ビジネスが育ちました。そしてこれから間違いなくECが育ち、O2Oのビジネスにつながっていくでしょう。
ガンホーのパズドラは孫さんにとってはラッキーなものだったかもしれません。でもぼくは「2005年にIPOし株価が急騰したガンホー」について、孫さんがコメントを求められたときに「この会社の価値はこんなものではありません」とはっきりと言っていたことを覚えています。孫さんはもしかしたらその時から、スマホ上で爆発するパズドラのようなものを想像していたのかもしれません。だとしたら、とんでもない人です。
出る杭は打たれる。孫さんにとってはまさに打たれ続けられた人生かもしれませんが、いつも転んでもただでは起きていません。悪い環境を必ず味方につけてきました。そして今も、ドコモがiPhoneを発売することで、国内でその競争力を失うかもしれない。ウルトラLTEの開始が1年遅れることでユーザーを失うかもしれない。スプリントへの巨額投資を抱え、大きな武器もなく米キャリア戦争に参入してもうまくいかないかもしれない。アリババが中国の金融危機のせいでうまくIPOできないかもしれない。Yahoo!ジャパンが低速になってしまうかもしれない。などなど、ぼくたちから見ると様々な厳しいハードルが並んでいるよう見えます。けれども、孫さんなら全てのピンチもをチャンスに変えることができるじゃないかという不思議な気持ちも湧いてきます。そして孫さんが何かのハードルをクリアするたびに、そこには必ず新しい市場が生まれるわけです。
つーことでぼくらネット界隈の人間は、孫さんがいないと、「もともといないかもしれないとう人間」なので、孫さんに足を向けて寝るようなことはできません。最近、ぼくも鏡の前でちょっと髪の毛が薄くなってきたなあと不安になることがあります。そんなときはいつも孫さんのことを思い出すようにしています。後退する生え際を振り払い、挑戦する気持ちを思い出すのです。
#なお、この記事を書くにあたって孫正義氏および関係者から個人的に金銭の授受を受けたことはございませんw。