マスタースレーブをひっくり返せ!
id:kaerusanuのところでkaeruとn-usaの人殻が復活した。
以前打ち切りになったときは「あの面白いいきものが死んだ!」ぐらいの勢いで悲しかったから、復活はとても嬉しいです。
で、ふと思ったんだけど、老成した人格者になるよりも、多重人殻をそのまま内包していった方が人生面白いんじゃないだろうか?
その説明を試みる。
事前の説明:人間って、人格という基礎の上に『人殻』があるよね
人殻とは、人格プロセスの上で起動されるスレッドのこと。
もう少しいうと、人殻とは個人と外界との接面に(あたかもShellのように)現れるもの。外界の状況が変われば人殻が変わる。状況に応じて最適な人殻が本能的に選択されている。
具体的には、あなたが、
- 親しい友達A君と話してるとき
- 苦手な友達B君と話してるとき
- 初対面のCさんと話してるとき
上記3つの状況では、一般的にはそれぞれ別の人殻が立ち上がっている。彼らから同じ質問を投げかけられても、答えが変わることがあるのがその証拠になる…といいねぇ。その他にも、
- 自分がいる場所はどこで、どんな場所か?
- 自分は何をしたいか?
- 自分は何をしなければならないか?
といった環境の要素によっても人殻は切り替わる。仕事がテンパってくると、人が変わったようにぶっきらぼうになる人がいるのがその証拠。また、一人で考え事をする場合でも、周辺の環境が変われば出てくる結論が変わるのがその証拠となる。
若いうちは
人殻の差が明確。特に、
- 親しい友達A君と話してるとき
- 苦手な友達B君と話してるとき
では雲泥の差が出る。しかし…
老成してくると
個々の人殻の差が不明瞭になってくる。
そうなる理由はいくつか考え付く。人殻が一定というのは社会を生きる上で有利なので自然とそうなる、とか、経験を積むと人殻と人格がやり取りする情報が増えるため個々の人殻の差が減ってくる、とか、歳を取ると人殻を切り替えるコストが馬鹿にならなくなる(疲れる)ので、それを最小限にするように人殻の差をなくしていく、などなど。
とにかく、歳を取ると人殻と人格は融合されていくようだ。
するとどうなるかというと、「こちらの意見も正しいけど、あちらの意見も間違ってないねぇ…」という、なんともグレーを愛する人間になっていく。人はそれを成長と呼ぶ。
思ったこと
- 複数の人殻をひとつの人格にとりこんで訳知り顔をした人
よりも
- 相反する複数の人殻をそのままに、脳内バトルを続けてる人
後者の方が、幅広い情報にビビッドに反応できる可能性があるんじゃないだろうか?
もちろん、社会的には「変人」とか「危ない人」とか「いつまでも子供」とか、有難くない評価を受けることになりそうではあるが、人殻がコロコロ変わる様子を外部に出しさえしなければ無問題である。相反する人殻をそのまま運用するのはエネルギーが必要そうだけど、慣れの問題なんじゃないか?という気もする。なんたって「脳は疲れない」からな。
試してみる価値はある。自分もやってみたい。