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紺色のひと

思考整理とか表現とか環境について、自分のために考える。サイドバー「このブログについて」をご参照ください

栗の花の匂いがする

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僕の家の庭には昔、栗の木が立っていた。毎年6月になるとあの独特の匂いをまき散らし、夏になると毛虫みたいな花を落とし、10月になるとさして大きくもない実をたくさん落とす、そんなどこにでもありそうな栗の木だった。

僕は幼稚園の頃から毎年のようにその実を落としてきたので、どんどん栗の実を採るのが上手になっていった。栗の実を落とすには、棒なんかを使うよりもサッカーボールが一番いいのだ。それも、少し空気の抜けたやつが。両手で持ったボールを股の下に振り下げて勢いをつけ、真上に放り上げる。この方法だと非力だった僕にも高いところの実が取れた。ボールは幹か実に当たり、その衝撃で実が落ちてくる。熟しているのだったら中身だけが落ちてくるし、まだ少し青いものならいがごと落ちてくる。そういうものは片足で踏みつけ、もう片足で反対側を踏んで剥いてから中の硬い実だけを取り出す。火ばさみや軍手なんか使ったことがなかった。ただ毎年、栗の実だけを拾い続けてきた。一度だけ頭にいがが落ちたことがあったけれど、学校指定の帽子をかぶっていたので大したことはなかった。小学生だった僕はその日、初めて制服に感謝した。

栗の木にはもうひとつの、橋としての役割があった。隣の家との仕切りである石塀を越えて隣の広い広い庭に入るには、栗の木をよじ登って塀の上に上がるしか方法がなかったからだ。今でもリアルに思い出せる。左足で踏み切り、右足を幹の途中にかけてそのままジャンプ。右手で切り落とされた太い枝の根元をつかんで体を一瞬だけぶら下げ、つかんだ右手を支点にしたまま体を一度だけ振り子のように振る。左手を塀にかけて、後は両手で支えた体を木の上まで持ち上げるだけ。2メートル以上はあっただろうその塀を、僕はほとんど力を使わないで越えることができた。体が大きくなかった小学生の頃、僕は一日に何度もこの過程を繰り返した。

中学生になった僕や友人たちがどこからか仕入れてきた「アレは栗の花の匂いがする」という事実も、耳年増な僕はとうに知っていた。都会で生まれ育った僕らの中には栗の花の匂いがどんなものかを知らない奴もいた。そいつはイカの匂いを想像するしかない、なんて言っていたけれど、僕はそんなものなのか、と思うことしかできなかった。なぜなら、初めて手の中に出した精液に僕が抱いた第一印象は「栗の花の匂いがする」というものだったから。僕にとって、その事実はあまりに自然すぎた。

僕が高校に上がろうという年に家は建て替えられ、それに合わせて栗の木は倒された。泣き虫の僕にとってその事実は間違いなく大きな喪失に当たるものだったけれど、僕は泣かなかった。ただ、家を建てる前にさら地で行われた地鎮祭の様子を端から眺めていた。
6月になると、どこからともなくあの匂いが漂ってくるような気がした。ただ、周りの友人たちは下衆な下ネタを使わなかったから、僕もそのことについて口を開くことはしなかった。秋になって恒例行事を失った僕は、通う高校の敷地内にある栗の木で栗拾いをした。あまり目立たない場所に立っていたとは言え、クラスメイトや先輩が栗の木に何の関心もないことが不思議で、僕はいつもひとりで木の下に立った。空気の抜けたサッカーボールだけを持って。家に立っていた栗の木よりも随分大きな木なのに、いがから出た実があまり大きくないことに少しがっかりしながら。ただ、思いのほかボールが高く上がることに、自分の成長を見た気がした。こんなところで、とつぶやいて、僕はシャツの裾をエプロン代わりにして地面の茶色を集め始めた。拾った実を購買に持っていって職員のおばさんに渡すと、おばさんはとても喜んで僕にジュースを一本くれた。


栗の木が切られた夏からもうすぐ7年が経つ。僕はそれと時を同じくして22歳になる。21歳の僕はというと、トイレットペーパーの中に出した精液の匂いを何気なく嗅いで、いろいろなことを思い出している。


(20050515執筆、旧テキストサイトより転載)