200人余りの死傷者が発生したロシア・モスクワの大型公演会場テロ現場から生き残った人々の生々しい証言が次々と伝えられている。彼らは「生き残るために死ぬふりまでしなければならなかった」とし残酷な瞬間を伝えた。 【写真】モスクワ「クロッカス・シティーホール」で銃撃を加えているテロ犯たち 22日(現地時間)、モスクワ郊外周辺の公演会場でロシアのロックバンド「ピクニック」のコンサートが開催された。7000人に達する人々が集まったこの場所をテロ犯が襲った。テロ犯は無差別的に銃を乱射し、銃声と同時に観客は倒れた。 テロはコンサート開始数分前に起きた。現場にいた人々は「最初は銃声がショーの一部だと考えた」と証言した。 妻と一緒に公演会場に訪れたアンドレイさん(58)はテロ当時、2階カフェにいた。銃器乱射が始まるとアンドレイさん夫婦は2階の柱の後ろに隠れた。アンドレイさんは英国日刊タイムズとのインタビュー
(CNN) 過激派組織イラク・シリア・イスラム国(ISIS)は4日、イラン南東部の都市ケルマンで前日に発生した連続爆発の犯行声明を出した。 爆発はイラン革命防衛隊の精鋭「コッズ部隊」のソレイマニ司令官が埋葬されている墓地周辺で2回発生した。国営イラン通信IRNAによると、少なくとも84人が死亡、284人が負傷。1979年のイラン革命以来、最も犠牲者の多い事件となった。当日は4年前に米軍に殺害されたソレイマニ氏の命日で、多くの人が追悼で墓地を訪れていた。 ISISは爆発から24時間以上たってから出した声明で、実行者2人が爆薬を詰め込んだベストを起爆させて自爆したと主張した。 実行者2人の氏名も挙げ、ソレイマニ氏の墓の近くにいた「多神教者」の集会を標的にしたとも述べた。ISISはイランで多数派を占めるイスラム教シーア派を異教とみなし、以前からその寺院や聖地を標的にしている。 ISISはこれ以上
ロイター通信は、アフガニスタンの首都カブールの保健当局者とタリバンの関係者の話として、カブール国際空港付近で26日起きた大規模な爆発で、これまでに72人のアフガニスタン人が死亡したと伝えました。この中には、タリバンの戦闘員28人が含まれるとしています。 また、アメリカ国防総省は13人のアメリカ兵が死亡したと明らかにしていて、ロイター通信は、死者の数は合わせて85人になったと伝えています。 爆発のあった現場は アメリカ中央軍のマッケンジー司令官によりますと、大規模な爆発があった空港の入り口近くでは国外退避のために使われる航空機に爆弾などを持ち込ませないため、アメリカ軍の兵士が空港内に入る人たちの保安検査を行っていたということです。 また別の爆発が起きた現場近くのホテルについて、アメリカのメディアは、アフガニスタン人が国外退避の手続きを行う拠点になっていたほかアメリカ人の一時的な待機場所にもな
【AFP=時事】イスラム過激派組織「イスラム国(IS)」の最高指導者アブバクル・バグダディ(Abu Bakr al-Baghdadi)容疑者を自爆に至らせた米軍の急襲作戦は、ISの拘束下で死亡した援助活動家の米国人女性の名を冠した作戦名だったことをホワイトハウス(White House)が明かした。 【関連写真】ISに拘束される中、ミューラーさんが家族に宛てて書いた手紙 ホワイトハウスは今回の作戦名が、2015年に死亡が確認されたカイラ・ジーン・ミューラー(Kayla Jean Mueller)さん(当時26)に敬意を表したものだったと述べた。 国際人道支援団体「デンマーク難民評議会(DRC)」で働いていたミューラーさんは、2013年にシリア北部アレッポ(Aleppo)で病院を訪問中に拉致され、翌14年に身柄をバグダディ容疑者に引き渡された。その後ミューラーさんは、バグダディ容疑者から繰り
シリアで拘束された初の日本人イスラム国戦闘員 身柄拘束されたモハメド・サイフラ・オザキ容疑者(右)【写真:立命館アジア太平洋大学HPより】 この記事の画像(7枚) 5月20日、モハメド・サイフラ・オザキという日本国籍を持つバングラデシュ出身のイスラム国戦闘員がシリアからイラク北部の都市スレイマニーヤにある刑務所に移送された、とメディアが報じた。バングラデシュ当局によると、オザキはシリアにおけるイスラム国最後の拠点バーグーズで拘束されたバングラデシュ人戦闘員9人のうちの1人であり、彼自身は3月15日に投降したとのこと。 日本国籍保持者ということは、オザキは日本人である。ゆえに彼は、「シリアで拘束された初の日本人イスラム国戦闘員」だと言える。 当局筋によると、オザキは2015年に日本人の妻と子供達とともに日本からブルガリア経由でシリア入りしてイスラム国に合流、子供のうち2人は空爆で死亡、7歳、
イスラム過激派組織「イスラム国(IS)」の最後の拠点、シリア東部バグズを離れ、クルド人主体の民兵組織「シリア民主軍(SDF)」による尋問を待つIS戦闘員とみられる男たち(2019年2月22日撮影)。(c)AFP / Bulent Kilic 【5月9日 AFP】こんな結末が訪れると、誰が予想しただろう。拘束され、砂漠に並んで座らされているイスラム過激派の戦闘員とされる数百人を見ながら、私は思った。すべては8年前、シリア政権に対する単なる抗議デモから始まった。当時は誰もイスラム過激派について話題にすることなどなかった。 そして今、ある一つの国が崩壊した。 死者37万人以上。家を追われた人は、人口の半数以上に当たる1300万人近くに上る。平和的な民衆蜂起をのみ込んだ暴力の渦から生まれたイスラム過激派組織「イスラム国(IS)」は、台頭し、そして衰退した。 彼らはシリアからイラクを広範囲にわたって
ヨーロッパからわざわざISISに加わり戦闘員の妻になった女性たちは、その狂信者ぶりが災いして「被害者」とは認められず、イラクの女性より厳しく罰せられる テロ組織ISIS(自称イスラム国)に属していたとされ、イラクで身柄を拘束されている1000人近くにのぼる女性たちのうち、40人以上に対して死刑判決が下された。 動画を見る ISISは、イラク政府軍によるに数カ月におよぶ掃討作戦で多くの犠牲者を出し、敗北した。2017年12月、イラク第2の都市でISISの主要拠点だったモスルが陥落したのがその象徴だ。 その後、ISISの戦闘員ではないかという疑いをかけられた約2万人が身柄を拘束されたが、その多くは、110カ国から集結した外国人戦闘員だった。シリアとイラクにまたがる地域にあった自称「カリフ制国家」と命運を共にしていた者たちだ。 これらの人々の中には、ISIS戦闘員の夫と行動を共にしていた妻たち数
【AFP=時事】イスラム過激派組織「イスラム国(IS)」が「首都」と位置づけるシリア北部ラッカ(Raqa)の奪還作戦で、米主導の有志連合の支援を受けるクルド人とアラブ人の合同部隊「シリア民主軍(SDF)」は29日、ラッカからの最後の退路を断ち、ISを完全包囲した。これに対しIS戦闘員は複数の自爆攻撃を行うなどして反撃した。 【関連写真】シリア民主軍(SDF)の戦闘員 在英のNGO「シリア人権監視団(Syrian Observatory for Human Rights)」によると、SDFはISがラッカからの撤退する際に中継地点として使用してきたユーフラテス川(Euphrates River)南岸の2村を奪還した。同監視団のラミ・アブドル・ラフマン(Rami Abdel Rahman)代表は「SDFはラッカを完全に包囲することができた」と述べた。 イラク軍もIS支配の象徴となっていた北部
即席の地図を指し示すアブドゥラ・マウテ容疑者(右)を捉えた静止画。イスラム過激派組織「アブサヤフ」のリーダー、イスニロン・ハピロン(左から2人目)の姿も確認できる(2017年6月18日提供)。(c)AFP/PHILIPPINE ARMY 【6月20日 AFP】フィリピン南部ミンダナオ(Mindanao)島のマラウィ(Marawi)では、イスラム過激派武装勢力と同国軍とが衝突し、これまでに300人以上が死亡しているが、この戦闘の背景に「ある兄弟」の存在が見え隠れしている。 武装勢力は先月、キリスト教系のダンサラン・カレッジ(Dansalan College)を襲撃した。犯行に及んだのは、ここで20年前にムスリムとして教育を受けたオマークハヤム・マウテ(Omarkhayam Maute)とアブドゥラ・マウテ(Abdullah Maute)の兄弟だった。2人はイスラム過激派組織「イスラム国(IS
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