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ブックマーク / cruel.org (5)

  • CUT 1996.02 Book Review まだ見えない「平坦な戦場」としての日常:または、岡崎京子許すまじ。

    ふられて安定しない。だから読む聞く音楽見る映画喰うべ物飲む酒なんでも、全然起伏がないか、変に過敏に迫ってくるかなので、今はいろんな印象をかなり割り引く必要はあるけど、それにしても岡崎京子は許しがたいと思う。 『リバーズ・エッジ』(宝島社)みたいな代物を描いてしまうやつは許せないと思う。 なんだ、これは。この異様な構成力。さりげない物を介したショットのつなぎ。ゴダールみたいなフレーズの挿入。テーマの深み。なんだ、これは。セイタカアワダチソウの生い茂る、おれの多摩川の河原みたいな川っぷち。そこで棒で殴り殺したネコ。川崎側の対岸下流に見えた、石油化学工場のガス抜き炎と煙。流れ込むどぶ川の淀み。昔住んでた砧の団地。なんだこれは。自分の風景と共鳴するこの感じ。向こうで起こってる話を外から観ている感じじゃない。まるっきしの映画。この、目玉のまわりにページが巻き付く感じ。なんなんだ。 今の精神状態の

  • CUT 1994.04 Book Review ニヒリズムと孤独と「もう一つの道」。

    ニヒリズムと孤独と「もう一つの道」。 (『CUT』1994 年 4 月) 山形浩生 もう一年近くも前のことだ。近所のコインランドリーへ洗濯に出かけたら、少年ジャンプに混じって山岸凉子の『日出処の天子』全 11 巻が積んであった。そういえば、連載最初の十回くらいは欠かさずに読んでいたのに、大学に入ってから(生協がまんがを置いていなかったこともあって)読まなくなってしまったっけ。最後に読んだのは、確か蘇我・物部戦争の最後で物部守屋が殺されるところだった。あれはいったいどうなったのだろう。 洗濯機をまわしながら、むさぼるように読んだ。乾燥機をまわしながら、一ページづつなめるように読んだ。それでも飽き足らず、全巻乾いた洗濯ものといっしょにアパートにかっぱらって帰った。アメリカ行きの荷物の中に放りこみ、さらにモロッコにまで抱えていって繰り返し読んだ。真夏のサハラ砂漠から、砂とともに熱風がヘアドライヤ

  • CUT 1996.10 Book Review さよならレイ・ブラッドベリ――悲しいけれど、ぼくはあなたを卒業していたようです。

    そろそろ夏も終わりかけた週末に、ふと気がつくとぼくはこんなを手にしていた。なぜだかは覚えていない。しばらく前に屋で見かけて、買いなおしたまま会社の机の上に転がしておいたのが、今頃出てきたのだ。 中学生の頃、家の棚にあったこの『たんぽぽのお酒』(晶文社)を読んで、ぼくはそりゃあ幸せだった。レイ・ブラッドベリ。この人の小説は、ある年代以上の SF 読者にとって、甘酸っぱくなつかしいノスタルジーに満ちている。多くの人にとって、ブラッドベリは初めてレトリックの力を教えてくれた作家だ。つまらない、ちょっとした、でも個人的にとても大事なできごとや物やオブセッションを、普遍的な世界に拡張してしまう、あるいはもっと一般的な恐怖に接合してしまう文の力。そして数多いかれの作品のなかでも、この『たんぽぽのお酒』は突出した位置を占めている。 「静かな朝だ。町はまだ闇におおわれて、やすらかにベッドに眠っている

  • CUT 2004/03 Book Review

    営業的な配慮というのはもちろんわかるのだけれど。 (『CUT』2004 年 5 月) 山形浩生 嶽野ばら。この人は、ある意味で賢い立場にいる作家さんだけれど、それがかれの限界にもなっているの。今回の話は要するにそういうこと。 かれはちょっと特殊なジャンル作家だと思われているので、それ故にだれも(というのは、ちゃんとものを読む能力のある人、という意味だ)かれのを真面目に論じようとしない。たとえば舞城王太朗について考えるような形で嶽野ばらを考える人はだれもいない。岩井志麻子や、もっと下がって渡辺淳一のような形ですら読まれることはない。かれの読者のほとんどは、特殊なニッチにいる人々で、かなり一般性のない閉鎖的なコミュニティを形成している。というか、一般性がないことこそ、そのコミュニティの存在理由であり存在根拠なのだもの。 それは嶽にとっては、たぶんありがたいことなんだろう。少なくとも営業

  • CUT 1999/01-バングラデシュの山椒魚たち。

    1998 年 12 月 10 日。ぼくはバングラデシュのダッカのホテルでこれを書いている。ちょうど昼過ぎのイスラームのお祈りの時間。近くのモスクから、クルアーンの朗唱が聞こえてくる。窓から見下ろすと、そこにはリキシャにオートリキシャ、そして車と人の大洪水。車はのべつまくなしにクラクションを鳴らして、整備の悪いエンジンがすさまじい音をたてている。 ちょっと外に出てみよう。そこでは2ストエンジンの排気が視界をさえぎるほどの濃さで、ちょっと空き地があれば、そこには竹編みの壁と板でつくったバラックが建ち並び、排泄物のにおいがたちこめ、牛とヤギとニワトリと、皮膚病の犬と、栄養状態の悪そうな男たちに女たち、そしてそこらじゅう子供、子供、子供だらけ。その子供がさらに赤ん坊をかついでいたりする。線路づたいにうろついてみると、並んだバラックからそういうガキが出てきてたかってくるので、2、3 発けとばして追い

    Crowser
    Crowser 2011/09/29
    『裏表紙の解説では、この小説が「人類の本質的な愚かさを鋭く描」いたことになっているけれど、そうじゃないんだ。だって、ここには愚かな人はぜんぜんいないんだもの。人類が愚かだというなら教えてほしい。いった
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