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2016年5月9日のブックマーク (2件)

  • ブラッターに最も近い日本人。元電通専務・高橋治之が語るFIFA会長の真実

    ブラッターに最も近い日人。元電通専務・高橋治之が語るFIFA会長の真実 7月6日発売の『フットボール批評issue06』(カンゼン)では、FIFA会長・ブラッターに最も近い日人と言われる“サッカービジネスの巨人”元電通専務・高橋治之氏にインタビューを行っている。一部を抜粋して紹介する。 共用会議室でのブラッターとの出会い 高橋治之が初めてゼップ・ブラッターと言葉を交わしたのは、77年の年末、岸記念体育館の会議室だったと記憶している。 渋谷区神南にある岸記念体育館は64年、東京オリンピックに合わせて建設された。日オリンピック委員会や日体育協会のほか、各種競技団体が部を置く地上5階、地下1階のビルである。サッカー協会もこの鉄筋ビルの一室を事務局としていた。 この日、サッカー協会は共用の会議室を借りて、約2年後に行われる「FIFA・ワールドユース」の会議を開いていた。狭い部屋には、サッ

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  • ソ連からアメリカへ亡命し異文化に触れたベレンコ中尉の仰天っぷりが話題に「ブッ飛んでる」「これが当時の常識か」

    リンク Wikipedia ベレンコ中尉亡命事件 ベレンコ中尉亡命事件(ベレンコちゅういぼうめいじけん)は、冷戦時代の1976年9月6日、ソビエト連邦軍現役将校ヴィクトル・ベレンコが、MiG-25(ミグ25)迎撃戦闘機で日の函館市に着陸し、亡命を求めた事件である。ミグ25事件とも呼ばれる。 1976年9月6日、ソ連防空軍所属のMiG-25戦闘機数機が、ソ連極東沿海地方のウラジオストクから約300km北東にあるチュグエフカ基地から訓練目的で離陸。そのうちのヴィクトル・ベレンコ防空軍中尉が操縦する1機が演習空域に向かう途中で突如コースを外れ急激に飛行高度を

    ソ連からアメリカへ亡命し異文化に触れたベレンコ中尉の仰天っぷりが話題に「ブッ飛んでる」「これが当時の常識か」
    H58
    H58 2016/05/09
    エリートでも、洗脳をされていたら、発想も行動も不思議ちゃんになるんだね。圧倒的な現実や事実の積み重ねが、洗脳を解くカギなのですしょうかね〜