楽園の暗い過去 南太平洋の海からテアフポオの海岸に向かって、美しく力強いうねりとともに、波が打ち寄せる。50年前の7月もそうだった。だがそのとき、この小さな集落には、空気中の、目に見えない別の波も押し寄せていた。それはフランスが、本土から遠く離れた共和国の一部である仏領ポリネシアでおこなった核実験で生じた放射能の波だった。 ロニウ・トゥパナ・ポアレウはテアフポオで生まれた。家族が代々住む家はヤシの木とハイビスカスの茂みに囲まれている。現在、テアフポオの村長を務めている彼女は、渦を巻き泡を散らしながらサーフボードに推進力を生み出す理想的な青い波のおかげで、同地が地球の反対側のパリで開催される今年の夏季オリンピックのサーフィン競技の会場に選ばれたことを誇らしげに語る。 だが、観光パンフレットに載っている明るい海の風景の裏には、秘密が隠されていた。機密指定から解除されたフランス軍の資料によると、
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