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2007年1月30日のブックマーク (11件)

  • 「俺は差別主義者じゃない。でも......」という差別レトリック - 女教師ブログ

    メディア, 読書, 言語van Dijk, T. A. (2006). 「談話に見られる人種差別の否認」(山下仁・野呂香代子訳) 植田晃次・山下仁編著『「共生」の内実―批判的社会言語学からの問いかけ』(p.p. 187-232.)(Keyword: クリティカル談話分析、社会言語学、人種差別) 【要旨】人種差別的な言説は、あからさまな形をもって出現するわけではない。むしろ《人種差別主義者というレッテルを貼られるということは損だ》という常識が共有されている現代においては、人種差別的な言説はより巧妙に潜行した形をとって言い表される。そのうちのひとつに「否認」―「私は黒人に対して何の偏見もない。しかし......」というように自身の差別的態度をあらかじめ否定しておくストラテジーがある。 van Dijk は様々な民族問題や人種差別に関する談話(ディスコース)―新聞記事や政治家の発言など―を紹介し

  • 404 Blog Not Found:リテラシーに「期待」してはいけない

    2007年01月30日19:00 カテゴリMedia リテラシーに「期待」してはいけない うんうんとうなずいてしまいそうな意見だが、実は末転倒なのではないか。 池田信夫 blog テレビに「期待」してはいけない 先日の「あるある」も今回のNHK事件もそうだが、視聴者や取材相手にリテラシーがなく、テレビを信用しすぎていることが間違いのもとだ。理由その一。TVというのは、同じ内容の事柄を「理解」--または「誤解」--するのに要するリテラシーが最も低いメディアであること。TVの利点というのはそれに尽きるといってもいいぐらいだ。字を読むためには、文字通り literate でなければならない。耳で聞いてもその言語がわからなければ文字通り話にならない。写真を見ても時系列まではわからない。しかし視覚と聴覚という二つの感覚器に訴えるTVなら、illiterate(文盲)の人でも理解できる。目の見えぬ

    404 Blog Not Found:リテラシーに「期待」してはいけない
  • 河野談話は見直しが必要だ - 池田信夫 blog

    安倍首相は、「侵略戦争」を認めた1995年の村山首相談話や「慰安婦」について謝罪した93年の河野官房長官談話を認めるなど軌道修正が目立ち、「自虐史観」を批判する支持者から批判を浴びている。他方、下村官房副長官が河野談話について「事実関係を研究し、客観的に科学的な知識を収集して考えるべきではないか」とのべたことが野党の反発を呼んでいる。しかし、これは靖国参拝のような「心の問題」でなはく、検証可能な歴史的事実の問題であり、政治的配慮で封印するのはおかしい。 私は、かつて慰安婦騒ぎがつくられた現場に立ち会ったことがある。1991年にNHKの終戦関連企画で、私は強制連行をテーマに、同僚は慰安婦をテーマに取材した。韓国で数十人の強制連行経験者に取材したが、軍が連行したという証言は得られなかった。強制連行とよばれるものの実態は、朝鮮半島でい詰めた人々が高給にだまされて日の炭鉱や軍需工場に出稼ぎに

  • テレビに「期待」してはいけない - 池田信夫 blog

    ところで問題の「女性国際戦犯法廷」だが、東京高裁も期待権を認める判決を出した。メディアでは、原告の要求を是認するような論調が多いが、この事件は最初からの経緯を知らないと質を見誤る。 最大の間違いは、そもそもこの企画が通ったことである。NHKには「チャイナスクール」と呼ばれる中国べったりの一派があり、その代表である池田恵理子氏(私とは関係ない)が問題の番組の企画者だった。彼女はVAWW-NET JAPANの発起人で、「戦犯法廷」の運営委員だった(この事情は、形式的には彼女の部下が番組のプロデューサーになったことで隠蔽されている)。つまり主催者が実質的なプロデューサーなのだから、もともと中立な報道などできるはずがなかったのだ。 しかし教育テレビの提案会議は、ほとんど現場にまかせきりで、編成などがチェックするのはタイトルぐらいだから、この最初のボタンの掛け違えが気づかれなかった。教育テレビ

  • http://www.nikkansports.com/general/p-gn-tp0-20070130-149039.html

  • レビログ::VISTA服のメイドさんが、Windows VISTA発売イベントで並んでいる寒そうな人たちにあたたかい、アップルティーを配っていた。

    日はWindows Vistaの発売日!! ということで、秋葉原では深夜販売。大勢の人がWindows Vistaを買うために、寒い中並んでいました。 とある、やさしいひとが、Vista風のメイド服を着たメイドさんをつれて、暖かい飲み物(どうやらアップルティー)を配っておりました。 そーっとのぞく、ご主人様とメイドの図 ここを右に曲がるとTSUKUMOなわけですが、向こうはすでに人だかり さっ、寒そうです。早くこのアップルティー)を配って温めてあげなければ みんなWindows Vistaを待っていますが、発売までにはまだ30分以上あります!! 配布ちぅ どうぞ、この暖かい、アップルティーを飲んで、寒さをしのいでください。 さぁ、どうぞ。あなたもどうぞ・・・さぁさぁ、ご遠慮なさらずにー ごっ、ご主人様・・・報道陣が・・・報道陣がぁぁぁ ごっ、ご主人様、カメラが・・・カメラ

    Listlessness
    Listlessness 2007/01/30
    ああ、Appleを飲み干せと。
  • http://www.mainichi-msn.co.jp/eye/shasetsu/news/20070130k0000m070108000c.html

  • 女性ハ神聖ニシテ侵スベカラズ(2) - Backlash to 1984

    先のエントリのコメント欄で、kmizusawaさんから以下のような指摘を受けた。 柳沢発言の解釈がなんか違うように思うんですが。「産む側の女性の数は決まってるから、あとは一人頭何人生むかにかかっている」って意味だと思ったんだが なるほど、そうかもしれない。ただそうなると、話はもっと簡単であって、いよいよ何の問題もないのではなかろうか。個人主義(ことに個人還元主義)の観点に立てば、政府の大臣が政策上のことにからめてこのようなことを言うのは「大きなお世話だ」となろう。しかし少子化対策を講じることは政府の責務とされており、また、男女共同参画社会理念は個人還元主義を斥けて、「個人が産む産まないを決める意思決定も、社会制度の影響を強く受けて左右されるのだから、社会制度を柔軟にすべき」とする社会学的なジェンダー論を下地にしている。ならば、柳沢大臣の先月と今月の発言は、少しも不整合などないであろう。 1

    女性ハ神聖ニシテ侵スベカラズ(2) - Backlash to 1984
    Listlessness
    Listlessness 2007/01/30
    "それは、「女が子を産むのだ」という観念そのものへの非難なのだ。"男性の消去。妊娠は一人でするもんじゃない。"それについては別稿としたい。"別稿待ち。
  • http://d.hatena.ne.jp/daichan330/20070129

  • YouTube - 小学校の異常な性教育授業風景

    ニュース映像より NTV20040116

    YouTube - 小学校の異常な性教育授業風景
  • 人間はどこまで機械か - 玄倉川の岸辺

    政治家の失言を批判するのも結構だが、これを機会に「人間はどこまで機械なのか」について考えてみるのもいい。 asahi.com:「女性は子どもを産む機械」発言が波紋 野党が辞任要求 野党各党は28日、子どもを産む機械や装置に女性を例えた柳沢厚生労働相の発言を、一斉に批判した。厚労相の辞任を求める声も出ており、29日から格化する国会論戦で追及を強めるのは確実だ。一方、柳沢氏は28日、「話をわかりやすくしようとした。適切でなかった」と釈明した。 問題になっているのは松江市で27日あった自民党県議の後援会の集会での発言。柳沢氏は、少子化問題にふれた際、「機械と言ってごめんなさいね」などの言葉を入れつつ、「15~50歳の女性の数は決まっている。産む機械、装置の数は決まっているから、あとは一人頭でがんばってもらうしかない」などと発言したという。 柳沢氏は28日、朝日新聞の取材に対し、「人口推計の話を

    人間はどこまで機械か - 玄倉川の岸辺
    Listlessness
    Listlessness 2007/01/30
    サイボーグフェミニズムとかあるしね。それはそれでいい。でも柳沢厚労相への批判がそれほど過剰だとも思わない。これはこれ。政治の文脈。