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ブックマーク / kmiura.hateblo.jp (82)

  • フランクフルトの税関 - kom’s log

    このところフランクフルトの税関で立て続けに演奏家のバイオリンが課税対象になってその場で払えない高額であるため没収された、という件が話題になっている。 http://matome.naver.jp/odai/2134941753199027401 http://nofrills.seesaa.net/article/296070497.html あららー、と思っていたら10日前私が日からドイツに戻ってきたとき、見事にフランクフルト空港ターミナル1の税関で引っかかった。私は近年税関で捕まることは滅多にないのだが、今回はいかにも移民風な安い布製のでかいスーツケースにボロい小さなボストンバックだったんで、怪しい、と思われたんだろうな、と捕まった瞬間に思った。以前はかなりヨレヨレの格好していたからよく捕まっていたものである。 とはいえ今回なにが問題になったかというと、スーツケースに一杯入っていた両

    フランクフルトの税関 - kom’s log
    Nean
    Nean 2012/10/10
    そないなことになっとるんか。
  • 2012年9月28日夜 霞が関 - kom’s log

    でワークショップの講師をするため5日ほど出張した。時間をみつけて金曜の官邸前のデモに参加するつもりだった…のだが、山の中にカンヅメになっていた出張先からの移動に遅れて20時には間に合わず、それでも官邸前まで足を伸ばしたのだが、交差点の向かって左側の門で主催者らしき人々が撤収しているのをみかけただけだった。なんともさびしいなあ、などと思いながら、警察の護送車の車列をながめながらぶらぶら歩いていたら、財務省の前で映写会らしき集会を行なっている一群がいるのを見つけた。近づいてみると、「ふくしま集団疎開裁判」のグループだった。 ちょうど歩道の扇状になった部分を集会の空間にしている。より中心に近い部分の人々は座り込み、扇の中心部分はすこし高くなっていて、そこに立っている人からチェルノブイリの汚染状況と健康への影響の短い解説があったあと、NHKの特集の映写が行われた。電気はどこからきているのだろう

    2012年9月28日夜 霞が関 - kom’s log
    Nean
    Nean 2012/10/03
  • ケンカのイロハ - kom’s log

    東京都の副知事である猪瀬直樹が一ヶ月前に次のような発言をしている。 泳いで来るのだから、こちら側から蹴りを入れれば一発だよ。水に顔を突っ込み、参ったかとやりグロッキーにして上陸させず来た船に帰してやればよかっただけのことだよ。こんなもん、ケンカのイロハだ。 2012年8月19日 - 10:57 そうこうしているうちに中国では抗日デモが21世紀最大の規模で盛り上がり、満州事変勃発の日である日9月18日には1000隻の中国の漁船が尖閣諸島に到着する、とのことである。10隻に満たぬ日の海上保安庁は「お手上げ」とすでに申し出ている。中国のこうした激発は「想定外の事態」であったらしい。原発事故や外交問題は事務手続きではない故、書式システムには想定しがたいのは確かだろう。野田政権は海上自衛隊の艦船をさきほど尖閣諸島に移動させ始めたとのことである。 英語の記事を眺めたところ、この事変の評価はおおよそ

    ケンカのイロハ - kom’s log
    Nean
    Nean 2012/09/18
  • 表象と代議制 - kom’s log

    無珍先生は10までは数えられる。なおかつ58だけはゴジュウハチと知っている。いつも駐車する場所が58番だからである。で、隣に59という数字が壁にかかれていたので無珍先生に「あれいくつ?」と聞いたら、ちゃんとゴジュウキュウ、と答えた。「無珍先生は天才だ!」と誉めたら「無珍は天才じゃないよ、無珍は無珍だよ」不満そうな顔で反論した。なにかそれに類する話。 2012年6月29日金曜日夕方に日の首相官邸前で数万人規模の大飯原発再稼働反対デモが行われた*1。再稼働阻止という目標は達成されなかった。 前回述べたようにデモに参加することの第一の意味は個人的なものであるからして、かくなる人数の人間がおそらく人生初となる社会体験を行ったというのは、まあ、なんかそれだけで凄いことだ。加えて、表象と代表制という点において重大な意味がある。表象と代議制というと飛躍しているように思われるかも知れないが、英単語で考え

    表象と代議制 - kom’s log
    Nean
    Nean 2012/07/10
  • 理解という許容 - kom’s log

    われわれが避けねばならぬのは、「理解するよう努める」ということの罠である。つまり、低線量被曝の確率的な健康被害が決着のつかぬ議論となる主要な理由は、誰もがそれを「理解しよう」と努めることにある。そういった態度の紋切り型の一つに従えば、「何が起きているかを説明しようとすれば、少なくとも広島長崎のLSS調査の統計的な手法とその解釈を理解し、測定誤差や精度の理論、内部被曝の臓器モデルなどあれこれについて知識を得なければならない」ということになるが、放射線の健康に対する影響の「複雑さ」をこのように強制的に喚起させることが結局何に貢献するかといえば、健康被害に注がれる疫学的眼差し、つまりは集団レベルで記述された健康被害に対して観察者(同時に被害者)という個人が保っている距離を維持することに貢献するのである。言い換えるなら、福島原発の事故以後の出来事が証明しているのは、「理解することは許すことだ」とい

    理解という許容 - kom’s log
    Nean
    Nean 2012/06/23
  • 愚弄の追認 - kom’s log

    原発の再稼働に急ぐ電力会社・野田政権・および経団連などの動向を耳にするにつけ、よくもまあ、人々をここまでコケにできるものだ、と私は思う。これは再稼働が妥当かどうか、という判断以前の問題だ。コケにされている圧倒的人数は不満を述べている。しかしそれはまるで蟷螂の斧であって、嬲られているという表現のほうが正しいかもしれない。 先日は「欺瞞」と書いた。欺瞞に対する人の反応も様々だ。感情的に怒ったり、逆にシニカルになったり、いやこの判断は妥当である、と述べてみたり、欺瞞に結託してみたり、経済が、と解釈したりしている。しかしそれもまた無関係。否定にしろ賛成にしろ、いずれにしろ追認にすぎないことはもはやはっきりしている。民主主義国家の亜形態として追認主義国家、という分類を作ったらよいかもしれない。 ひどいものだ、と思っていたら、このところ定期的に眺めていた日テレビドラマに、現在進行形のこの事態に対す

    愚弄の追認 - kom’s log
    Nean
    Nean 2012/06/16
  • 原子の名前 - kom’s log

    の放射線防護部会の議事録を一年ぶりぐらいに眺めた。当時は事故前の議事録しかなかったのだが、事故後の議論がいろいろアップデートされていた。次はその抜粋。 【米原委員】 活性汚泥で東京都などが問題になっていることを含めると、現存被ばく状況はどこまで適用するかというのは、これはちょっと議論しておく必要があると思う。 そのような活性汚泥などが、障害防止法の定義数量を超える濃度になった場合に、どういう措置をするかということに関して放射線規制室から教えていただきたい。 【中矢放射線規制室長】 放射線障害防止法の立場からお答えすると、(広く拡散している)セシウムについては、発生元が原子炉施設の核分裂生成物である。核分裂生成物としてでてきた物については、原子炉等規制法の中の対象である。したがって、放射線障害防止法の対象ではない。 放射線審議会基部会 (第39回)議事録 http://www.mext

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  • 被曝リスクの計算について。 - kom’s log

    在日アメリカ人に向けて放射線のリスクを説明する短いセッションが2011年4月7日に東京で開かれた。米国大使館のウェブサイトにビデオへのリンクが貼られており、Youtubeで4つのセッションを眺めることができる。そのうち、放射線の健康リスクに関するセッションを私も見てみた。米国の国立がんセンターのSteve Simonさんによる、セミナー形式。 http://www.youtube.com/watch?v=ESyWIbcI_qE セッションの内容の概略は以下のようなものだ。 車の運転やスポーツのリスク、タバコのリスク。タバコを一ヶ月に一吸うと身体にわるいか?一日に一だったら?あるいは一日一箱だったら?ものは程度による。放射能のリスクも同じようなことである。 放射線はどんなに微弱なレベルであっても人体に影響を与える。この影響が健康を害する結果(特に癌)にいたるかどうかは確率的に決まる。この

    被曝リスクの計算について。 - kom’s log
  • 近況 - kom’s log

    ー 無珍先生はかなり言葉をしゃべるようになってきた。ドイツ語と日語のごたまぜ。単語をふたつならべてしゃべる感じである。それでも結構なコミュニケーションがとれるので、なかなか楽しい。ただ、朝まだこちらが寝ているときにダイビングで飛び乗ってきて「パパ起きた、パパ起きた」と騒ぐのは心臓がでんぐりがえるので勘弁してほしい思う。散歩の帰り道には家の近くにあるジェラート屋の前をとおるかなりて手前から「アイス、アイス、アイス」と催促する。一番少量のセットである三つほどの玉のアイスクリームのうちひとつを自分で選び3ユーロで買って、手をべたべたにしながら自分でもって家に戻り、ご満悦でアイスクリームをべる。アイスクリームはあまり好きではなかったが、付き合ってべているうちになんとなく好きになってきた。 ー 6時半頃家にかえってからのあそびの催促はたいへんなもので、寝てしまう9時過ぎまで私はなにもできない。

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  • ホメオパシー、アロパシーなどなど - kom’s log

    ツイッター、アカウント自体はずいぶんまえから持っていたのだが、このところはじめてみた。でもどーも短い。 生後6ヶ月の子供が病気で死ぬまで「好転反応」とかいいながら親が座視している。日のホメオパシー協会の問題はオウムや在特会によくにている。あるいは死ぬまで「総括」な連合赤軍。毒を抜く、すなわち総括、すなわち排除だ。人間には宗教が必要なのかもしれない。無根拠に帰依する、あるいは「ネタにベタに没入する」ことがどうしても必要な衝動と弁証法的過程が人間にはあるのだろう。ニーチェ以来宗教は死んだが、恋愛が代替物になった、といったのは島田雅彦だったかな。 ホメオパシーはドイツが発祥の地だと、今回の一連の日での報道などを眺めていてはじめて知ったのだが、ホメオパシーという言葉は、ドイツで日常的に聞く。「あそこの医者はホメオパシー寄りなので、抗生物質をなかなか出さない良心的な医者だ」といったような感じで使

    ホメオパシー、アロパシーなどなど - kom’s log
    Nean
    Nean 2010/08/14
    《オーストリアの場合は、普通の医者の免許がなければ、ホメオパシーの処方をしてはいけないそうだ》
  • 社会が先か、法が先か - 2010-01-27 - kom’s log

    未明3時ごろマイナス8度だった。 社会が先か、法が先か。24日新宿で在特会の喧嘩を買って逮捕された中国系の少年の話を目にして、非暴力・不服従のキング牧師の言葉を思い出した。下に貼り付ける。拙訳もつけてみた。もちろん、この言葉が少年の件にそのまま適用されるわけではないが、法はそもそも社会がなければ存在しないのであるということを思い出させる。社会に良心があるならば、社会は弱いものとして排除されいじめられている人間を常に助けるべきである。1月24日にかぎらず、いつでもそうだ。喧嘩以前にぎざぎざになった少年を助けることができず、結果としてやくざの鉄砲玉のような団体の挑発に喧嘩を買わせ、少年を逮捕させてしまったのは社会である、という自覚は社会を構成する一人一人の人間が思い至らなくてはならぬ点である。 An individual who breaks a law that conscience tel

    社会が先か、法が先か - 2010-01-27 - kom’s log
    Nean
    Nean 2010/03/02
  • 秋葉原 20080608・20090927 - kom’s log

    英語を喋りながら車に近づき、運転席に入ろうとすると自動的に体は車の左側に向かってしまう。扉をあけようとするとハンドルがないので、反対側に苦笑しながらぐるっとまわって右側のドアを開ける。日語を喋りながらだったらこんなことはまずない。妙なものである。何回かやってしまってからは意識して間違えないようになったけれど。 わすれないうちに彼女のことをいろいろ書きとめておこう、とおもっているうちに死んだ日から半年もたってしまった。書こうと思うとはた、と止まってしまう。まったく書けない。書きたくないのではなく、彼女のことを書こうとするとその存在のリアルさに圧倒されて書けない。死が生のリアルさを際立たせてしまうのかもしれない。文字にできない。ならない。でもなぜか英語だったらできる。日語だととても難しい。でも日語で書きたい。彼女と日語を喋っていたからかもしれない。そうこうするうちに忘れてしまうか

    秋葉原 20080608・20090927 - kom’s log
    Nean
    Nean 2009/09/30
    表象で考えるということ。
  • 続・ノルウェー - kom’s log

    ノルウェーの滞在先のホストマザーの家には、死んだ私の彼女も訪れている。94年のことで、留学中の妹に会いにノルウェーを訪れた。お礼状をかねた彼女の95年の年賀状がキッチンの壁に飾られていた。幾種類かの模様の和紙で縁取った手作りのA4サイズのカードで、真ん中には年賀の文句、和紙の日人形が添えられている。下のほうには小さなアルファベットの几帳面な字面で、英語の礼が教科書的に丁寧に述べられている。その判読しやすさに重点が置かれた字面に、彼女が肩をすくめてマウスを細かく動かしながら図面をひいている様子などを思い出して、その礼状の一文字一文字を彼女が丁寧に書いている様子が目にうかんだ。心がちくちくした。94年のころの彼女を私は知らない。09年の今、彼女はこの世にいない。知らなかった存在と、失った存在。その礼状は目の前にあるのに、どうにもありえない存在のような気がしてしまう。 - ノルウェーにいる間に

    続・ノルウェー - kom’s log
    Nean
    Nean 2009/09/13
    移民が「移民」として認識されるようになったのはいつからなんだろう? ウェストファリア以降?
  • ノルウェー - kom’s log

    息子のデイケアが二週間ほど改築のため休みになる、とのことで二週間ぶっつづけで家にいるのもな、と思ってオスロの知人のところに行った。知人といっても実ははじめて会う人で、義理の妹が高校時代、一年ホームステイしていた先のホストマザーである。ホストマザー、ではあるのだが、生涯独身の弁護士。独身って、ホストマザーになれないんじゃなかったけ、とおもったりしたが、当時やり手でブイブイいわせていた彼女は、ラジオでホストマザーの募集を聞き、その足でベンツをAFSの建物に乗り付けてホストマザーになったのだそうである。その話をきいて、なるほどー、このなんとなく「ヤッピー」という言葉が似合いそうな雰囲気はそこからきているのか、と合点した。私が結果として彼女が死んでいく過程を書いていくことになった英語のニューズレターの200ぐらいのメールあて先のひとつで、何度も親身なメールを送ってくれたので、私は知り合いになった。

    ノルウェー - kom’s log
    Nean
    Nean 2009/09/13
  • 法的脳死判定後の長期脳死の事例 - kom’s log

    再び森岡さん経由。これはヒドい。 下記、富岡議員は外科医師から長崎県会議員、のちに衆議院議員になった人間である。その富岡議員の7月7日午後の発言。 富岡勉衆議院議員 委員の御指摘のとおりだと思います。すなわち、小児について、脳死状態であっても、髪や爪が伸び、また、歯が生え変わる、そして成長を続けていくという、いわゆる長期脳死の事例が報告されていることは、わたし自身も承知しております。 しかしながら、これらの事例はいわゆる臨床的脳死と診断されているに過ぎず、臓器移植法において求められる厳格な法的脳死判定に係る検査、すなわち、無呼吸テストや、時間をおいての二回の検査が実施されているわけではございません。 こういうった意味におきまして、このような状態にあるものは、法的に死とされているわけではございません。小児の脳死判定に慎重さが必要であることはもちろんのことでありますが、単なる臨床的脳死と法的脳

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    Nean
    Nean 2009/07/10
  • 沈黙と拒否 - kom’s log

    神経内科の友達の強力な勧めで大学病院のカウンセラーのところに時々いっている。あの有名なフロイトの長いすがあるわけではないのだが、川を見渡すことのできる気持ちのいい部屋で、すわり心地のいい椅子に座って一時間ほどおしゃべりをする。別れ、離別についての話をしていて、死別と失恋についてどう思うのか、と聴かれた。しばらく考えてから"Silence is better than rejection"。そう応えて、いってみてから自分のいったことがとても的にはまっているようでいろいろ頭がぐるぐると回り始めて黙り込んでしまった。拒否されるよりも沈黙のほうがいい。失恋のつらさは経験したものだったらわかるだろうけれども、そのつらさの極大は話しかけようとしてもそれが拒否されることである。否定されるという経験。でも死別は私が否定されたわけではない。体の一部がなくなったような気にはなるけれど、それは私の存在が否定され

    沈黙と拒否 - kom’s log
    Nean
    Nean 2009/05/05
  • 葬式について - kom’s log

    一人の人間が死んだことを確認するためには儀式的な社会行為が必要であると知ったのはたぶんとても若い山仲間の友人が死んだときである。雪崩の中で窒息死した後輩の葬式。それまでは、葬式、あー、キッチュ、だった。確かに。くだらねえ、葬式。おれはあいつのために川にに飛び込む、葬式なんてしゃらくせえ。葬式がキッチュ、というのは実にあたりまえ、というか理の当然である。でもやらなきゃいけない。それが私が後輩の死から学んだことだった。Condolence。何度もいわれた。彼女のことを知らない人にも。でもそれでいいんだと思う。それは社会的合意なのである。一人の人間が死ぬ、というのは個人が死ぬのではなく社会のなかに穴がぽこっと開くことである。死はその当事者には確認できない。したがって死はどうしても社会的にならざるを得ない。 極端なことをいえば葬式によって擬似的に我々はその人を社会的に殺すのである。そのために葬式が

    葬式について - kom’s log
    Nean
    Nean 2009/04/13
    改めて合掌。
  • 彼女が死んだ。 - kom’s log

    一ヶ月の間一緒に住んだ。二ヶ月の間、病院で過ごした。短い結婚生活が終わった。 脳幹の梗塞、ということで一度医師団に見放された後に奇跡的に復活したという話はここに書いた。その後の脳の機能回復は私からみるかぎりかなり目覚しく、瞬きを使ってどの曲を聴きたいか、などのコミュニケーションを交わすことができるようになるまで回復した。一方で脳ではなく体の予後が思わしくなかった。初期の激烈な血圧上昇剤投与を停止したことによる副作用と思われる虚血による後発性肝内胆道炎を起こし、おそらくそのことが原因となった肝膿瘍が発症からちょうど2ヵ月後に発見された。細菌の感染も軽微ではあるが、抗生物質で完全に排除することができなかった。脳、肝臓、感染の三つ巴のなかで、治療方針は難航を極め、集中治療室を出ることができずに時間ばかりが過ぎた。この間に私はリハビリについて調べ、特にリハビリの専門家であるバーバラ・ウィルソンの著

    彼女が死んだ。 - kom’s log
    Nean
    Nean 2009/04/08
    奥さまのご冥福、心よりお祈り申し上げます。
  • The Formula of the End In Itself - kom’s log

    めずらしく雪の積もった街を急ぎ足で歩く。 彼女と7年間一緒に暮らし、寝ていたネコが死んだときいたのは、どうしょうもなく忙殺されていたそのさなかだった。私も好きな黒くて、足の先が下を履いたように白い小さなネコだった。すこしだけ忙しくなくなった今、いつネコが死んだのかが気になってあらためて電話をかけてみた。2月5日だった。彼女が脳死で死ぬはずだった日だ。愕然とした。そんなこともあるのだな、と思った。ちょうど彼女が脳神経外科のICUに担ぎ込まれた1月下旬、350キロ遠方に暮らすネコは、彼女が昨年12月半ばの引越しの際に忘れていったにおしっこをしたそうである。通常そんな行儀の悪いことをするネコではないのだが、その直後にネコは倒れ昏睡状態になった。2月5日に息を引き取った。 彼女はほぼ植物状態に近い状態になる。二日前におこなわれた10日ぶりのCTスキャンで驚くべきことが明らかになった。CT,MR

    The Formula of the End In Itself - kom’s log
    Nean
    Nean 2009/02/19
    見ないことの不可能性。といっていいのかなぁ。
  • 近況 - kom’s log

    彼女の説得工作に見事に負けて私は11月下旬に結婚し、12月中旬にその彼女は私の家にやってきた。一緒に暮らすのも楽しいなあ、と思い始めた1月下旬に子供が産まれ、その5日後にくも膜下出血で産院から神経外科に緊急入院した。2週間後の今、5日前に確実に脳死しますと宣告された彼女は(ドイツの医師はこのあたり容赦ない断言をする)酷なる状況を見事にギリギリでサバイブした。脳幹の大規模な梗塞で意識を取り戻す見込みはない、という程度の所見にまでに回復した。 うれしい。彼女が存在していること。 負け戦をボロボロになって闘ったのは彼女である。でも私は彼女を救ったような気さえしている。幾度にも渡る過酷な決断に直面して飯を忘れたせいか、指がやせ細って手を洗っただけで彼女が私に押し付けた結婚指輪がずり落ちるようになってしまった。そもそもこんな拘束具みないなものしたくないなあ、と思っていた。別にしなくていいのだろうけれ

    近況 - kom’s log
    Nean
    Nean 2009/02/13