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Kazu'Sが感じたことを遠慮無しに書き込む為のBlog。気分が悪くなっても知りません(笑) 自己責任で。 基本アニメレビュー。「シムーン」「RED GARDEN」。最近はひたぎ蕩れでミナ蕩れです。 子猫を殺してはなぜいけないのか? 倫理・宗教・法律を持ち出さず、かつ情に訴える以外の方法で、「なぜ子猫を殺してはいけないか」を説明してください。 説明できない・いけない理由はない・ケースバイケース、という類の回答はご遠慮ください。 みんな苦労しているようです。それは当たり前で、この質問は回答不能でしょう。どのような名目を持ってこようとも、行き着くところ「私がそう考えるから」にしかなりません。それは倫理や宗教と何が違うのか? と突っ込まれれば何も違わないでしょう。 この質問の意図がどこにあるのか判りませんが、その事を認知してもらうためだとするなら、なかなかタイムリーで適切なネタ振りなんじゃないか
「猫を殺しちゃいけません。」 「えーなんで?」 「駄目なものは駄目」 http://d.hatena.ne.jp/kagami/20060824#p2 http://anotherorphan.com/2006/08/post_369.html(リンク切れ) かれらの一連の言説を見ていて私にはどちらの方にも違和感を感じてしまいました。 子猫を殺すのをやめろと声を上げる奴らは愚衆です。確かに愚衆なのです。 だって愚衆でない条件というものは自分の感情が誰かにコントロールされていないかいちいち考えることであり、自然な感情に単純にしたがってはいけないからです。さらに言えばそんなことをいちいち考える人たちは、そんなにはっきりと「猫殺しは駄目だ。」と言い切ることは避けるでしょう。 愚衆とはなんでしょうか。 政治は一部の血族に独占され、行政は天下りと自分の金のことしか考えていないため企業と癒着し、マスコ
人間が子猫を殺してはいけない究極的な理由というのは存在しない。 これは残念ながら、どうしようもないことだ。 たとえば「死に舞」さんは坂東の文章について、「ペットという人間と動物の関係において道徳は無力であり、その不可能性を書いたもの」という解釈の上で、「たしかにそれは一つにはあり得る話で、そういった立場もあっても良いかもしれない」と(恐らく渋々ながら)認めている。 また、「未映子の純粋悲性批判」でも「殺してはいけないという絶対的な理由なんかはこの世界のどこにもなく」「あらゆる倫理に強制力はない」と、そのものズバリ結論を明かしてしまっている。要するに、「子猫殺し」を道徳的・倫理的な観点から突き詰めて批判するのは難しいんですな。 これらを前提にした上で、それでも「子猫殺し」を批判するならば、「理由は正直ないんだけど、まあ見ていて気分のいいもんじゃないし、法律的にもマズそうだし、避妊させた方が猫
たまたま倫理や道徳のことを勉強をしていることもあってなんだが、話題になってることに口を挟みたい。特に自分が規範的意識が強いとかではないのだが、友人ともいえる人が自分の考えからあまりにも遠いところにいるのは道徳を訴える動機として駆り立てられるし、何よりもこんな中学生の作文みたいので何か言った気になってのが本当にアホだと思うので突っ込みたくなる。 問題となってるのは8月18日付の「日経新聞」に掲載された「子猫殺し」と題された坂東眞砂子という作家の文章である。一時的なソースがないため、直接引用はしないが特に問題はないだろう。 この話は以下の2点で批判することが可能である。1は彼女自身に対する批判、2は1の批判が妥当なことである理由と、彼女への道徳的批判を妥当ではないと主張する人への批判だ。 現代の功利主義的道徳から言えば、猫の嬰児殺しは猫の避妊手術よりも悪である。 自らの非道徳性を認めることの道
なんかエキサイトのブログニュースから久しぶりに大量に人が来ててびっくりしました。あそこに貼られていることをすっかり忘れてましたよ。私は。なんちゅーかまーしょーもない話といえばしょーもない話ですよね。ただ、よく猫とか知らない人が誤解して、「避妊と子猫殺しは同じ。むしろ、子猫を殺すほうが人として責任持っててエライ!」みたいな猫知識ゼロの無知がまかりとおるのはイカンだろうと思いました。それは単なる間違いです。感情論とかはいろいろ人によってあるでしょうから一概にもコレという答えは出ませんね。ただ、猫を「飼う」というのは、猫を大切にするというのが第一の目的でしょう。そこから逸脱している行為であるので、矛盾してますよね。だったら飼わなきゃいいのにね、という単純なお話。なんか、Yahoo!ニュースで見ましたが、タヒチの法律にもひっかかるそうですね。ダメじゃん。前のコメント欄にも書きましたが、楳図かずおを
以下は、第一次世界大戦の際にカロッサが綴った従軍日記『ルーマニア日記』(岩波文庫)からの引用*1です。坂東眞砂子の小文「子猫殺し」より、こっちの方がよっぽど深い洞察があると思いませんか? ケーズディ・アルマーシュ 一九一六年十一月二十五日 (中略) きょうのお昼、私は一つの場面を目撃した。それは、それだけのことと見れば、おそらくなんでもないことだが、しかもそれは私にも多くの他の人にもかかわりのあることのように思われた。数週間前この家でネコがたくさん生まれたが、今ではそれが厄介物になっていた。特に子ネコにやる乳がなかったので、この家に雇われている十五歳位の小僧が多すぎるネコをかたづけるように言われたらしい。部屋の中で書き物をしながら、私は、彼がネコを中庭の向こうに運んで行くのを見た。どうするつもりか考えつかずにいるうちに、彼はネコを一つ一つ恐ろしい速さで納屋の壁にたたきつけた。ネコはその前に
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