「(AはBと)部分的に同類であることによって(Bの)喩例である、とこういうことになるであろう」と言うとしても、そうではない。どうしてかというと、この世間では山と髪の毛でさえも、存在性、単一性、有形性(など)の点で部分的に同類であるから(すべてのものは他のすべてのものの喩例となってしまうから)である。 ナーガールジュナ作(とされる)『ヴァイダルヤ論』、梶山雄一・瓜生津隆真『大乗仏典14 龍樹論集』中公文庫、2004年、p.213 はじめに さて、前回の最後のあたりで、浄土真宗本願寺派僧侶の島地黙雷という人物が登場しました。今回は、この人がどういう人物で、どういうことを主張したのかという問題にかなりの字数を割くことになるかと思います。まずは、一見すると回り道になるようですが、こんな話から始めてみましょう。 周知のように、岩倉具視や木戸孝允や伊藤博文や大久保利通などの新政府の中心人物たちは、明治