東京・大阪方面から新幹線で岡山へ向かうと、旭川を渡り終えた直後、車窓の右手にこんもりとした森を見ることができます。国の史跡に指定されている神宮寺山古墳です。全長は約150 メートル、後円部の直径約70メートルの規模を持つ中規模の前方後円墳で、最近の研究では、古墳時代前期に築かれたと考えられています。その築造時期が、全国第4位の規模を持つ造山古墳を盟主とする総社市(吉備地方)の古墳群よりも早いため、吉備地方に先行する形で、当時、旭川下流域に大きな権力を持った支配者が存在したことがうかがえます。現在、後円部のいただきには天計神社八幡宮が鎮座しており、社殿の脇には、竪穴式石室の天井石が露出しています。天井石を露出させた古墳は珍しいので、神宮寺山古墳を訪れた際には、ぜひ、ご覧ください。
鉄道アイドルの木村裕子さん(33)が29日、平成筑豊鉄道直方駅(福岡県)から赤駅(同)まで乗車、国内の旅客鉄道全線を乗り切る「完乗(かんじょう)」を果たした。 足かけ8年、全行程は2万8千キロに及んだ。自身のシンボルカラーの「赤」にちなんで赤駅をゴールに選び、自作した車掌の制服で駅に降り立った。 赤駅では、千葉県や石川県などから駆けつけたファンら約50人が待ち受け、大記録を祝福。「次は全駅下車」と早くも2巡目への期待の声も上がった。
都市の道路上に敷設されたレールの上を走る路面電車は、鉄道のなかでもひときわ注目を浴びる存在だ。その度合いは蒸気機関車や寝台列車に匹敵する。 かつては都市の交通機関として人々の移動を支えてきた路面電車も、1960年代から1970年代にかけて多くが廃止となってしまった。それでも1980年代以降、路面電車は何度か見直され、低床式の高性能車両の導入、それに一部の都市では路線の延伸が実施されている。 近年になって路面電車をLRT(Light Rail Transit、低床式車両を活用した交通システム)へと転換させようとする動きも見られる。しかし、全体的な傾向としてみれば路面電車は旧態依然のままであり、21世紀の都市にふさわしい姿へと変化を遂げていない。 路面電車は自転車よりも遅い 路面電車が停滞気味となっている理由はいくつか挙げられる。 鉄道・軌道全体やJR旅客会社、大手民鉄はもとより、多くの都市で
中田ヤスタカ(CAPSULE)が、故郷である金沢市より依頼を受け、来春開通の北陸新幹線金沢駅の発車予告音を制作したことが、JR西日本より発表された。 今回制作された発車予告音は15秒尺。『金沢の山から海にかけての起伏ある自然条件や「伝統と創造」が調和するまちのイメージ、そして新車両も有する北陸新幹線の「スピード感と快適性」』をテーマに制作された。なお、同駅の発車予告音は、中田ヤスタカが今回のためにオリジナルで制作し、編曲まで行っている。以下、中田ヤスタカ、金沢市長よりコメントが寄せられている。 ------------- 【中田ヤスタカ(CAPSULE)コメント 】 これまでの人生の約半分ずつを過ごした金沢と東京を繋げる北陸新幹線プロジェクトに携われたことを音楽家として光栄に思います。金沢駅から始まる「旅」の期待感と共に聴いて頂ければ幸いです。 北陸新幹線の開通は来年3月14日。世界で最も
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1140744206 「恵我之荘」は元は「会賀荘」と書いて(えがしょう)と 読んだものです。 平安~鎌倉期に見える河内国丹北郡の内にあった荘園の名です。 更に古くは餌香・恵賀・衛我とも書かれ、餌香川や餌香市として 『日本書紀』にもその地名を見ることができます。 また、 大和王権の仲哀天皇の墓を「恵我長野西陵」、 応神天皇の墓を「恵我藻伏崗陵」、 允恭天皇の墓を「恵我長野北陵」とよんでいます。 これらの伝承陵は、それぞれ藤井寺・古市・土師ノ里駅付近に 所在しています。 こうしたことから、 恵我(会賀)の名は松原市東北部から藤井寺市や 羽曳野市西部・北部までを含む広域地名とみることができます。 このうち、市域恵我地区や羽曳野市恵我之荘地区は、 平安時代には荘園の発達に伴い会賀荘あ
「前書き図書館」メニューページはこちら 関西独自の鉄道文化が育んだ技術遺産 関西地方では、明治以来、官と民が競いながら独自の鉄道文化を築いてきた。そのため、東京では見られないひと味違った鉄道構造物が多数存在する。本書では、関西の鉄道遺産を訪ねながら、その歴史や技術的なみどころを専門的な視点で解説。 鉄道技術史研究の第一人者が執筆した、本格的解説書、待望の関西編。 はじめに 文豪の谷崎潤一郎は、東京市日本橋区で育った生粋の江戸っ子だったが、関東大震災をきっかけとして関西に移住し、のちに関西を舞台とした『細雪』などを執筆した。谷崎の著作を読むと、東京人であった谷崎が、関東と異なる関西の習俗に驚き、馴染んでいく様子が描かれていて興味深い。 大谷崎には到底及ばないが、筆者もかつて東京から大阪へ転勤し、東京とは大いに異なる関西に興味を持った一人であった。ただし、筆者が興味を持ったのは関西の習俗ではな
北海道新幹線の新青森と新函館北斗間のレール締結式後、レールの上を走行するモータカー(1日午後、北海道木古内町で)=原中直樹撮影 2016年3月開業予定の北海道新幹線(新青森―新函館北斗)の全レールがつながったことを祝う「レール締結式」が1日、停車駅の一つ、木古内駅(北海道木古内町)で行われた。 レールの敷設工事は2012年3月に始まり、今年8月に完了した。この日の式典には、沿線の首長などの関係者約100人が参加。来賓らが、金メッキを施したボルトを、紅白にラッピングしたレンチで締め付けた。 これにより、東京―新函館北斗間約824キロがつながり、新幹線網は、九州新幹線・鹿児島中央駅までの計約2150キロが整備されたことになる。
三好署などは14日、「秘境駅」として鉄道ファンに人気のJR土讃線・坪尻駅(三好市池田町)に向かう山道などに、竹づえ20本を設置した。国道32号と駅をつなぐ約600メートルの険しい山道を、事故なく行き来してもらうのが狙い。 竹づえは長さ約1・2メートルで「転落事故防止」「車上ねらいに注意」と書かれたシールが貼られている。箸蔵駐在所地域の安全を守る会会員の床西昇さん(67)=同町西山、民生委員=が提供した。 守る会と三好署の若手警察官でつくる「やまびこ会」メンバーら9人が、国道から駅へ向かう山道の下り口と、駅の線路脇にある登り口近くに10本ずつ置いた。 三好署などによると下り口周辺は駐車場がなく、国道脇に停車して山道を下りる鉄道ファンらが多い。山道は急傾斜で、これまでに事故は起きていないが、転落の恐れがある場所もある。 発案者で箸蔵駐在所長の中田康之警部補(54)は「『せっかく来たから
玉野市電とは正式名称『玉野市電気鉄道』という、市営の鉄道会社です。 現在の宇野駅の辺りから、玉野市奥玉地区までをつなぐ総延長4.7kmの路線でした。 当初は市営ではなく、1953年に『備南電気鉄道』という民営の会社が路線を立ち上げました。 戦時中に整備されていた宇野駅の辺りから、玉野市玉に拠点を構える三井造船玉野事業所への専用線(工場などでの荷物の入荷や出荷の為に用意された専用の鉄道)を利用した路線です。 しかし経営難の為に1956年に玉野市に譲渡され、市営として再スタートを切る事になります。 路線の延長などのてこ入れが行われましたが、経営状態は改善せず、開業から廃線まで一度も黒字になる事はありませんでした。 途中からコスト削減のため、電車から気動車へ変更されています。 通学や三井造船等への通勤などの需要に支えられていましたが、モータリゼーションの波に押される形で1972年に、その短い歴史
関西の私鉄や地下鉄で使える磁気カード乗車券「スルッとKA(カ)N(ン)SA(サ)I(イ)」が、発行枚数の減少などで2、3年後をめどに廃止される見通しになった。 磁気カードを発行している私鉄各社などが大筋で合意した。後継には、プリペイド(料金先払い)式のIC※カード型乗車券の発行を検討している。 関係者によると、磁気カード乗車券の発行枚数は2005年度の約4600万枚をピークに減少し、11年度は約2300万枚に半減した。03~04年にJR西日本がIC乗車券「ICOCA(イコカ)」、私鉄系が「PiTaPa(ピタパ)」を導入したことなどが影響したとみられる。 私鉄各社は「イコカやピタパとも異なる利便性の高いICカードを作りたい」(私鉄首脳)として、乗車回数に応じた買い物ポイントの付与や、回数券の機能などを盛り込む考えだ。 磁気カードの廃止で「ICカードへの移行は少なくとも数百万人単位」(私鉄幹部
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