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legalに関するashigaruのブックマーク (4)

  • 独自の見解(1) - おおやにき

    ご近所の壁に貼ってあるポスターが増えたなと思ったら幸福実現党でした(挨拶)。出足速いな三河の地方都市だよ。 さて民主党の小沢前代表の不正献金疑惑問題について「第三者委員会」が見解を公表したようであり、またその内容について新聞各紙から一斉に批判されたのを受けて同委員会の委員でもあった郷原信郎氏が反論を公表していたので読んでみた。まあその、感想を一言で言うと「独自の見解」ということだろうか。 まず法務大臣の検事総長への指揮権が通常の組織内の指揮命令権と変わらないという見解(「この「法務大臣の権限」は、行政庁としての法務省の権限をその意思決定者たる長の権限として規定しているだけで、一般の行政庁において「...大臣は」と法文に書かれていることと何ら変わらない」(日経ビジネスオンライン)、ただしこの文章は規定の仕方が変わらないという趣旨であるかもしれず、その場合はあえてミスリーディングな書き方をした

  • 政治的中立性(2・完) - おおやにき

    第一は、しかし立法論として高級官僚を(何らかの基準により)下級公務員と区別し、政治的行為の制限について両者の基準を変えることは十分考え得るだろうということである。いま白いか黒いかという問いであれば、上記のような通説的見解に立っても、私のように弱者の政治的主張可能性を守るためにこそ「政治的目的」は厳格に解されるべきという立場に立てばなおさら、「白」と言わざるを得ないことになる。しかし、たとえば政治的行為禁止の目的を「中立性の維持」「中立性に対する国民の信頼の維持」と置いてみたとして、そのために課すべき制限が事務次官から用務員のおっさんまで同一かと問われれば、違うかもしれんとは思うわけである。 ただしこの場合の問題点は、どうやって「高級官僚」を定義するかという点に、一応ある。というのは戦前のように高等官・判任官(あるいはさらに雇員・傭人などその外部にいる存在)が身分的に截然と区分され、見習いで

    ashigaru
    ashigaru 2009/06/24
    『イギリスのようにcivil serviceの構成員はCrown に雇われているので統治される側ではなく統治する側であり、従って当然統治される国民のための権利とか保障されるわけないんだぞ』
  • on claimability - おおやにき

    すいません、テキトーなこと書きました(挨拶)。いやよく考えたらNHK事件に関する判断の根拠は放送法3条に定められた編集の自由であり、同3条の2にある公正中立義務などを守るために被取材者の期待に応えられない可能性があることを被取材者も当然に知っている[はず|べき]であるというのが論拠の一つであるところ、同法はもちろん映画には適用されないので『靖国』事例においては被取材者の期待をより強く保護すべきという主張はあり得るのでした。もちろん根的なのは放送にせよ映画にせよ表現の自由との対立であって、被取材者には取材に応じるかどうかの選択の自由がある以上その期待を過剰に保護すべきでないという考え方のスジは共通であり、私自身は映画についても最高裁判決の論旨でいいのかなあと思うところではあるが、保護可能性の主張を全面的に排斥した点は誤りであったかと思う。でもApeman氏がツッコむのはそこじゃないのね。

  • サンスティーン教授来日 - おおやにき

    「神戸レクチャー」というのがあり、1987年に法哲学・社会哲学国際学会連合(IVR)の世界大会が神戸で開催されたことを記念して(そのときに頂いた浄財を活用して)海外からえらい学者を日に呼んできて講演をしてもらうという行事である。日法哲学会とIVR支部の共催でやってきたのだが、今回は京都大学の獲得した学術創成研究「ポスト構造改革における市場と社会の新たな秩序形成:自由と共同性の法システム」に主催に加わっていただけたおかげで大物を呼ぶことに成功したらしい。つまりシカゴ大学のキャス・サンスティーン教授である。ネット界隈では『インターネットは民主主義の敵か』(Republic.com)で有名だと思うが、今回は憲法学者としての立場である司法最小主義(Judicial Minimalism)や政治思想的なリバタリアニズムの話がテーマなので、そのあたりの情報社会論的な話はあまり扱われなかった、と

    ashigaru
    ashigaru 2008/06/14
    面白そうだなぁ、podcastとかで配信されないかなぁ
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