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2024年7月17日のブックマーク (3件)

  • 産業ロックについて語るときに渋谷陽一の語ること - YAMDAS現更新履歴

    rockinon.com この記事タイトルには苦笑してしまった。ジャーニーを「「産業ロック」呼ばわり」って、それやったの、お前のとこの社長(現在は会長)だろが! というわけで、渋谷陽一の著書などからの引用を今月もやらせてもらう。今回は、彼が「週刊FM」1982年12号に寄稿した「産業ロックへの挑戦状」を紹介する(『ロック微分法』収録)。 FM ラジオ専門の週刊誌があったなんて、若い世代の人にしてみれば信じられないかもしれないが、それはともかく、この文章の「産業ロック」というお題は、編集部サイドから与えられたものらしい。 この"産業ロック"、僕が勝手につけた名称で、アメリカで売れまくるフォリナー、ジャーニー、スティックス、REO・スピードワゴンといった一連のグループを指す言葉である。アメリカではこういうグループを"ダイナソー・ロック(恐竜ロック)"と呼ぶらしい。つまり巨大で古めかしいというわ

    産業ロックについて語るときに渋谷陽一の語ること - YAMDAS現更新履歴
    atoz
    atoz 2024/07/17
    学生時代、サークルの先輩にこういうロキノンやミュージックマガジン読者でマウントとってくる人がいて、本当に嫌かつ鬱陶しかった。渋谷陽一史観って罪深いとさえ思う。
  • 高橋和巳「憂鬱なる党派 上」(新潮文庫) 六全協で挫折した活動家たち。大島渚「日本の夜と霧」と同じ主題。 - odd_hatchの読書ノート

    28から30歳くらいの元教師・西村がいる。彼は結婚し子供もいるが、この5年間熱中していたのは、父母らが入居していた長屋の住人36人の伝記を書くこと。出生も仕事も年齢も共通していない36人であるが、共通しているのは1945年8月6日8時15分に広島で死亡したこと。すでに1960年代には被爆者の手記が盛んに書かれていたが(占領が終わってGHQの検閲がなくなったことと、ビキニ環礁で日漁船が被ばくした。原水爆禁止運動が起こり、その影響があった)、西村はそのままでは消えてしまう記憶を言葉に残すことがとてつもなく重大な仕事であると思えた。しかしあまりの熱中を子は理解せず、元からの他人嫌いや無関心のせいもあって、三行半を突き付けられる。原稿を完成した西村は離婚し、教師を辞め、出版先を探すべく大阪市内とうろつきまわる。直ぐに金はつき、貧民街の安い宿屋に長期宿泊し、時に日雇いに出なければならない。 初出

    高橋和巳「憂鬱なる党派 上」(新潮文庫) 六全協で挫折した活動家たち。大島渚「日本の夜と霧」と同じ主題。 - odd_hatchの読書ノート
    atoz
    atoz 2024/07/17
    “賃労働をすることは資本主義の網に取り込まれることになるからだ。なので、金のない西村が宿に選んだ貧民街に行くことを嫌う。臭いや路上のごみや酒びたりの人々に接触することを嫌う”
  • MMA黎明期のレジェンド・平直行の意外な文章描写の鋭さは、どういう意味を持つのか?

    ずいぶんと遅れて平直行さんの『U.W.F外伝』を読んでいる。文筆業者として一番気になったのは「なぜ平さんはこんなに精微な文章の描写ができるんだろう」ということだった。その時々の情景描写は読者に見逃されがちだけど、簡単にはできないものでもある。その点において基は喋りっぱなしみたいな書きぶりが多い、格闘家の自伝のなかでも異質な印象がある。 それは平さんが2016年に新宿FACEに出場しようとした冒頭に表れている。 地下駐車場から地上に肩を並べて上がると、ビルとビルの間から青い空が見えた。歌舞伎町は大小さまざまなビルだらけで、ビルの隙間の狭い空間に少しだけ空が見える。冬の空気は乾燥しているから、空が遠くまでよく見える。ビルの間から見える空はホンの一部だけ、でも遠くまで〝空の奥〟が澄んで見えた。ふと、北原君と過ごした 30数年前の自分に戻ったような気がした。 冬には、普段富士山が見えない離れた場

    MMA黎明期のレジェンド・平直行の意外な文章描写の鋭さは、どういう意味を持つのか?
    atoz
    atoz 2024/07/17
    "他人に「あの時のお前の性格ならどうあがいてもダメだった」と言われるのはいつだってきついので、40代や50代になってもお前が言うなと反発するみたいに『1984年のUWF』には反論が寄せられていたなと思う"