まず間違いなく片山が犯人だけど、それでも捜査方法には問題があると思って警察批判をしてたんだが、みんな違うの? http://anond.hatelabo.jp/20140520071052
まず間違いなく片山が犯人だけど、それでも捜査方法には問題があると思って警察批判をしてたんだが、みんな違うの? http://anond.hatelabo.jp/20140520071052
中学の頃洋楽にハマって「J-POP?(笑)」とか「まだそんなの聞いてるの?(笑)」みたいに邦楽をバカにしていた。今思うとガキだった。毛も生え始めたばっかだったし。俺と仲が良かったスギヤマはJ-POPが好きみたいでAKBだの、ももクロだの、よく大衆向けアイドルグループの曲を聴いていた。俺は内心でバカにしてるだけじゃなく、堂々とスギヤマを罵倒したりもした。スギヤマはIQが低い。俺に批判されても「難しいことわかんねえよ!」って笑って済ませようとする。俺なら売られた喧嘩はディベートして完膚なきまでに論破してやるのに。だけど、最近大人になってちょっと考えが変わってきた。さっきも言ったように、今までの俺はガキだったんだ。思ったことすぐ言うロケンローラー的な要素があったが、ロケンローラーは責任を取らない(笑)それじゃダメなんだ!話を戻すと、邦楽の良さは歌詞の抽象性にある。メタファーが効いていて、一言一言
ここ最近、キリスト教に関連のある文学に触れている。『失楽園』や『レ・ミゼラブル』など。これらの作品に触れて感じるのは、信仰を持つ者の圧倒的な情熱と、他者と関わり合おうとする想いの誠実さだ。そして、日本の世俗のなかにいて確たる信仰を持たないまま生きてきた自分には無いものである。私には居場所が無い。交友関係ならなんとなく時々会う友人はいるし、親族との交流もあるし、学生なので研究室の中でゼミ生と交流がある。(恋人はいないが)。しかしなぜか、真に安心して心を許せる場所にならない。常に自分の本心を打ち明けられないことに苦しむ。本心とは、私はあなたがたに関心を持たない。あなたがたも本当のところは私に関心を持っていないだろう。単に生きていくための利害でこうして過ごしているだけなのだということ、それで生きられるなら誰とも合わずに放っておいてほしいということだ。当然だれしもひとりでは生きることはできない。私
虚構新聞が炎上しています。でも、「虚構新聞は悪くない。」と擁護する人の方が、体感では多い気がします。 そこで、虚構新聞を擁護する人の主張がいかに空虚で、浅はかか論じてみます。 まず、論争を整理するために、まず虚構新聞を批判する人達の論点をみてみましょう。 虚構新聞批判派の主張を10秒で要約虚構新聞を批判する人の主張 ソーシャルネットで引用されて虚構新聞のタイトルだけが拡散虚構新聞のローカルルールがわからない人にも情報が伝わり、騙される。彼らはソースを見ない。タイトルに「虚構新聞」をつけてわかるようにしろ虚構新聞を批判する人の主張は、ほとんど全てが上記で要約できます。 TwitterやFacebookの発達で、「サイトを頻繁に見る、ルールがわかっている読者」以外にも情報が拡散され、誤解を招く。だから、ソーシャルネットで拡散される前提で記事タイトルに「虚構新聞」をつけよう。虚構新聞とつけても、
あの頃の私はなんで有名になりたかったんだろう。 過度な期待を背負い、プレッシャーとも常に戦い続けなければならない。 才能なんてない。才能があると言っているのは周りの人間だけだ。 自分でそう感じたことなんて一度もない。 それでももてはやされて、だから期待に答えなければ見捨てられる。 努力して、努力して、でも努力していることは表にだせなくて、 「才能がある」と振舞わなきゃいけない。 結果がでなかったら地獄だ。 どんなに努力しても結果がでないこともある。 みんなそうだと思うけど、有名人であるがゆえ叩かれる。 「あいつはもうだめだ」 「あいつの時代はおわった」 と。 ついさっきまで私に笑顔で話していた人も 私がいなくなると他の人と私の文句で会話に花を咲かせている。 優しそうな目で近づいてきて 当たり障りのない会話をして、仲良くしてきて、 こちらが少し心を開いて、悩みなんて打ち明けてしまったら、 次
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