大阪都構想の特別区設置協定書を読みましたが、東京都と23区の「都区財政調整制度」とほぼ同じです。 私は2003年に東京都大田区の区議会議員になりました。そして、都区財政調整制度のもとの区政で、税金の使い方やしくみについて区議会議員としてチェックしてきました。 そこから心配なことをあげてみました。 大阪市は、東京都と比べて、借金が多い、生活保護が多いと言っていますが、東京都には大企業の本社がたくさんあるんですから。税収だって、仕事だって大阪市より多い。 大阪市を大阪都にしたところで、大企業は本社を大阪市にはおきません。 まずすべきは、大阪市に大企業の本社がくるような政策では無いですか? だいたい、日本は人口減少で、とにかく東京23区だけでも人口集中させよう。そしてバーチャル右肩上がりを東京23区につくりあげようとしています。 これは国策です。 ここがおかしいとなぜ言わないんでしょう。 *【都
落語は、主人公が物知りの「ご隠居」に憲法について質問する形で構成され、笑いを交えながら今の憲法の問題点を述べていきます。主人公が「娘の担任の教師が憲法の前文がすぐれた文章である『名文』だと言っているが、どうなのか」と聞くと、「ご隠居」は「『めいぶん』と言っても、迷う文と書く『迷文』で、きれいごとだけを並べた文章だ」などと答えます。そして、「戦争反対を唱えるだけでなく、強い軍事力で日本を守ることができて初めて平和だと言える。憲法の前文は、これが日本人だということを世界に示すような文章にするべきだ」と語りました。 桂福若さんは「憲法というと難しいイメージを持たれますが、親しみやすい落語を通じて今の憲法の問題を理解してもらい、憲法改正の必要性について考えてもらいたいと思います」と話していました。
5月3日の憲法記念日を前に、自民党がまた凄いものを発表しました。安倍首相が指示して作ったという憲法改正を考える漫画です。 政府筋によると、漫画制作は首相が指示したという。船田元本部長は「憲法はGHQの影響下で作られたという歴史的事実を踏まえるべきだ。勇気を持って改正したい」と述べた。 出典:自民が憲法改正漫画 若者ターゲット(西日本新聞2015年04月28日) 筆者も早速読んでみましたが、衝突する人権同士を調整する原理であるはずの「公共の福祉」をなぜか「公益」と言い換えていたりして、歴史的事実以前に、日本国憲法を踏まえていないんじゃないかと疑問になる内容です。ストーリーは、GHQが短期間で作って日本に押しつけた翻訳調の憲法だし、もう時代遅れだ、というようなものです。以下、気になった点をいくつか検討します。 なお、漫画の現物はこちらで入手可能です。 憲法はインターネットに対応してない?漫画の
元小結の舞の海秀平氏が3日、東京・平河町の砂防会館別館で開かれた公開憲法フォーラム「憲法改正、待ったなし!」で提言を行った。昨今の日本人力士の「甘さ」は憲法前文の影響だと持論を展開し、会場の笑いを誘った。提言の要旨は次の通り。 ◇ 日本の力士はとても正直に相撲をとる。「自分は真っ向勝負で戦うから相手も真っ向勝負で来てくれるだろう」と信じ込んでぶつかっていく。 ところが相手は色々な戦略をしたたかに考えている。立ち会いからいきなり顔を張ってきたり、肘で相手の顎をめがけてノックダウンを奪いに来たり…。あまりにも今の日本の力士は相手を、人がいいのか信じすぎている。 「これは何かに似ている」と思って考えてみたら憲法の前文、「諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」に行きついた。逆に「諸国民の信義」を疑わなければ勝てないのではないか。 私たちは反省をさせられすぎて、いつ
神奈川県の箱根山では、先月下旬から山の浅い場所での地震回数が増え、温泉の蒸気が勢いを増すなどの変化が観測されています。 気象庁は、今後、大涌谷付近では規模の小さな噴気などが突発的に噴出する可能性があるとして、自治体などの指示に従って、危険な地域には立ち入らないよう注意を呼びかけています。 また、地震の増加に伴って、山の膨張を示すと考えられる僅かな変化が観測されているほか、大涌谷の温泉施設では蒸気が勢いよく噴き出しているのが確認されたということです。 箱根山では、過去にも群発地震や噴気が多くなるなどの状態が数年に1度繰り返し起きています。 気象庁は、地下の浅い場所で熱水が不安定な状態になっていて今後、大涌谷付近では規模の小さな噴気などが突発的に噴出する可能性があるとして、自治体などの指示に従って、危険な地域には立ち入らないよう注意を呼びかけています。 神奈川県温泉地学研究所の竹中潤研究課長は
1959(昭和34)年12月14日、北朝鮮に向けた帰国船が新潟港から出航した。当時、北朝鮮と国交が成立していなかったから、朝鮮赤十字会などが実施した事業であった。 1984(同59)年までに実に9万3340人が帰国したが、そのうち6839人は日本人やその子といった日本国籍を持つ人たちだったと伝えられている。こうした数字もさることながら、帰還船を見送る人たちで新潟港が埋め尽くされたことを、私たちの年代ならはっきりと覚えている。 在日朝鮮人は朝鮮半島南部の人が多かったと言われていたから、その人たちにとっては異郷への帰還であったことになる。帰国船の費用は北朝鮮が負担したが、その後は、初代万景峰号が使われたのであった。 この船は朝鮮総連の人や日本への工作員の送り込みにも利用されたとみられている。当時、北朝鮮は韓国より優位に立っていた。朝鮮動乱後、日本には「進歩的学者先生」と揶揄(やゆ)された人たち
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く