桂園時代(けいえんじだい)は、陸軍・山県閥に属する桂太郎と、伊藤博文の後継者として立憲政友会第2代総裁に就いた西園寺公望が、政権を交互に担当した1901年(明治34年)から1913年(大正2年)の10年あまりをいう。「桂園」とは、両者の名前から「桂」と「園」の字をとったものである。 日露戦争から明治天皇崩御にかけての約10年、内閣総理大臣に桂-西園寺-桂-西園寺-桂が就任してそれぞれ内閣を組織し、桂を擁する藩閥政治と西園寺を党首とする立憲政友会内閣が交代で政権を担当した。この時期が「桂園時代」である。そのため、一種の二大勢力間の内閣輪番制の時代とも捉えられる。この間、松方正義や山本権兵衛、平田東助などを首相に擁する動きはあったものの、両者以上の政権基盤を持たず、あるいはそれぞれの勢力内で桂や西園寺に取って代わる基盤を持たずに、いずれも断念に追い込まれている。 大日本帝国憲法下にあっては、特
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