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発掘!古代いしのまき 考古学で読み解く牡鹿地方>「蝦夷」って何? | 河北新報オンライン
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発掘!古代いしのまき 考古学で読み解く牡鹿地方>「蝦夷」って何? | 河北新報オンライン
【東北学院大博物館学芸員 佐藤敏幸氏】 第1部 石巻地方を考古する <東北の異民族、指し示す> 「蝦... 【東北学院大博物館学芸員 佐藤敏幸氏】 第1部 石巻地方を考古する <東北の異民族、指し示す> 「蝦夷」というと、多くの人が「エゾ」=昔の北海道のことだと考えます。 もう少し詳しくいうと、北海道では縄文時代の後も狩猟・採集をなりわいとする時代が続きます。「続(ぞく)縄文文化」です。 その後地域ごとに「擦文(さつもん)文化」「オホーツク文化」に発展し、鎌倉時代頃に「アイヌ文化」が成立します。そのアイヌの人々が住む地が蝦夷地(えぞち)と呼ばれたのです。 ■中央政府側の命名 「蝦夷」は古墳時代後期頃から平安時代までは「エミシ」と読み、列島の北方地域でヤマト王権・律令国家の範囲の外側に住む「まつろわぬ人びと」を中央政府側の人が勝手に名付けた呼び方です。 6世紀後半の古墳時代後期には、ヤマト王権は中央の大王(オホキミ)を頂点として地方の有力豪族を「国造(くにのみやつこ)」に任命して統治しました。これ