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考え方に関するgan5843のブックマーク (5)

  • これは勉強のやり方が分からなくて困っている人のために書いた文章です(増補しました)

    これは勉強のやり方が分からなくて困っている人のために書いた文章です。 勉強にはいろいろなやり方があるけれど、いろんなことをいっぺんに書いてしまうと読むのがたいへんなので、かんたんなものだけを選んで書きました。 ひとつのやり方が分かれば、他のやり方をさがしたり工夫したりできるようになると思います。 時間がない人のためのまとめ 覚えよう 覚えることで注意力を理解することに回せる 覚えなおそう 忘れることに打ち勝つには記憶の定期メンテナンス 声を出して読もう これだけで効率10%アップ 書き写そう 書き写しのスピードは実力のバロメータ 思い出そう 思い出す価値がある情報だと脳に教える 理解することを理解しよう 知ってることの結びつきを図に描く くり返そう 飽きるのは人間の仕様だから、違う刺激を使う 解き直そう 自分がたった今解いたばかりの問題は最高の教材 勉強日誌をつけよう 記録をとり、読み返す

    これは勉強のやり方が分からなくて困っている人のために書いた文章です(増補しました)
  • DQNの教育問題について、またはわたしもDQNであるということ - はてなの鴨澤

    親子間での扶養や援助の問題がいろいろ話題に登るようになった。伝統的な日の価値観ではどうこう、と言われているが、基的に「忠孝」というやつは弱者を保護せず、自由を増やさず、不幸を防止しない。 親子の絆は美しいが、親子をあまり強く関連付けないほうがいい。これは社会システム的にもそうだし、個人の意識としてもそうだ。個人を単位に考えたほうがずっと良い。 不幸の多くは人間関係、特に親子を引き離せないからこそ起きる。一番大きいと思うのが教育の問題だ。 99年に交通事故で3ヶ月近く入院したことがある。整形外科病棟というのは交通事故とヘルニアと老人が三大勢力で、交通事故はバイクが大部分。このため他の病棟に比べ平均年齢が低く、雰囲気も明るめだ。オレはそこで長期入院中の高校生に九九を教えたことをきっかけに、そういう家庭の教育問題を考え始めた。そして信じられないほどたくさんの家庭が、「知」というものとまったく

    DQNの教育問題について、またはわたしもDQNであるということ - はてなの鴨澤
    gan5843
    gan5843 2012/06/03
    「勉強しろ」って言ってても、いざ進学の時学歴よくなりそうだと「学校の勉強なんて(rya」って言い出す親だった。ましてや子供が伸びるのを邪魔する親じゃ…
  • 少数派でいる事とその勇気

    爲末大 Dai Tamesue @daijapan 僕は常々良識というものにいつも疑問があって、それは良識なんてないんだというわけではなくて、良識というのものがなんと脆くてあやふやかと思っているから。僕は広島で生まれたから戦争に関しての教育が多くて、戦中と戦後で常識、良識と言われるものがころっと変わる話をいろんな所で聞いてきた 爲末大 Dai Tamesue @daijapan 厳密には違うのかもしれないけど多くの場合、常識に良く従う事を良識と呼んでいる。100年後の今から見てとても良識があるとは思えない人が、当時の良識派と呼ばれたりしている。そしてその時代の常識から外れた人は皆排除された。戦中は戦争反対が非国民だった。 爲末大 Dai Tamesue @daijapan 倫理や常識や良識というものを疑う為には、世の中と自分がずれる経験が必要だと思う。僕はこう思うのに、どうそれは言ってはい

    少数派でいる事とその勇気
  • いかにして僕は心配するのをやめたか - 関内関外日記

    30で職なしの私は死ぬしかないんでしょうか - 1232445376 - したらば掲示板 世の中に心配や絶望の種は尽きないが、僕はもうすっかり心配するのも絶望するのもやめてしまったので、そのことについて書きたい。僕はといえば、だいたいずっと自分にもこの世にも失望していたし、希望をもった瞬間なんて物心ついてからひとときたりともなかったのだけれども、そんな僕でも心配をやめられたという話だ。 簡潔にいえば、死ぬことにしたのだ。 まあ、今からすぐ死ぬという話ではないのだが、かといって5年、10年というスパンでもないのだろう。ともかく、えなくなったら死ぬということだ。そうだ、これまで僕はなんども刑務所に行くような末路について考え、述べてきたのだけれども、一方で自分で死ぬことについては「そんな度胸はない」と言ってきた。せいぜい不慮の事故で死にたいというくらいしか言い切ってこなかった。自分の希死願望と

    いかにして僕は心配するのをやめたか - 関内関外日記
  • 希望を捨てて覚悟する - レジデント初期研修用資料

    何年たっても、当直業務というものはやっぱり怖い。研修医だった頃、平然と業務をこなす上の人たちを見て、自分もいつかああなれると信じていたのだけれど、怖いものはやっぱり怖くて、年次を重ねて、恐怖はむしろいや増した。 希望を捨てることについて。 尋問には希望が必要 戦争で捕虜になった人を尋問するときだとか、あるいは刑事事件で容疑者を尋問するときもたぶん同じだろうけれど、尋問や拷問のような手法を使うときには、何らかの希望を見せながらでないと、効果がなくなってしまうのだという。 それが尋問であれば、相手をどれだけ執拗に問い詰めたところで、話したところで状況が変わらないのなら、尋問を受ける側には意味がない。尋問を行うときには、まずは「答えてくれればこんなところからさっさと抜け出せますよ」とか、「早く帰って、子供さんと一緒に話がしたいですよね」だとか、そこから抜け出せる可能性をまず提示して、手を伸ばせば

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