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2009年9月25日のブックマーク (2件)

  • あまったれてんじゃねぇ

    現在、私は来年卒業を控える理系の大学生である。 むろん大学だ、周りにはいろいろな人間がいる。 単位が足りなくて留年するもの、留学する者、大学院に進むもの。 そんな中でも、就職できない人、大学院に合格できない人もいる。 そういう人たちに限って、社会を甘く見ている。あまったれてるんじゃないよ。 内々定を貰えない人、大学院に受からない人の両者に少なからず問題があるんじゃないかと思う。 その両者に言いたい。何か努力したのか?資格でも取ろうとしたのか? もう子供じゃないんだよ、すべて自己責任。 前者に関して言えば、大学入学時点で同じスタートラインに立って、結局これだけの差が開いた。(ちなみに私は第一志望の大手企業から就職の内々定を貰っている。それなりの学業成績だし、資格も取った。) この先、何十年と勤めようとする会社だ。第10志望だった。で、いいわけあるか。 これも自分になんらかの要素が足りなかった

    あまったれてんじゃねぇ
    hanapeko
    hanapeko 2009/09/25
    性別のことに関して言うと、努力ではどうにもならないことが沢山あり、それに対して抗議することさえままならないということに、就職するまで気づかずにいられるのはいいことなのかどうか、最近わからなくなってきた
  • 「『かわいそう』と魚を食べられない子供が増加…『それは動物愛護とは違う』と諭す教育も大切」…愛媛新聞 : 痛いニュース(ノ∀`)

    「『かわいそう』と魚をべられない子供が増加…『それは動物愛護とは違う』と諭す教育も大切」…愛媛新聞 1 名前:☆ばぐた☆ ◆JSGFLSFOXQ @☆ばぐ太☆φ ★ :2009/09/24(木) 10:53:25 ID:???0 卓に上がったお魚の目がかわいそうで、べられない子どもが増えているという。「これは恐ろしいことです」と、青木淳一横浜国立大学名誉教授は嘆く。 習慣を大まかに形成するのは幼少期からの経験だ。経験の歪曲と欠如は、への偏見、無知を生む。その結果が人の命さえ奪うことだってある。青木氏は 講演で、ある青年の例を引いた。 まじめで従順な幼少時代。内向的な性格だが、学校では成績優秀。中産階級の家庭で不自由なく育った。その青年がある日、命について考えた。動物には命がある。自分はこれまで、動物の命をべ、奪ってきた。なんて醜い人間なんだ。彼は、魚と野菜中心の生活を始めた。

    「『かわいそう』と魚を食べられない子供が増加…『それは動物愛護とは違う』と諭す教育も大切」…愛媛新聞 : 痛いニュース(ノ∀`)
    hanapeko
    hanapeko 2009/09/25
    何かの拍子に肉や魚を口に出来なくなる子供(だいたい一時的)、というのは割といつでもいる気がするが、問題は「食事そのものが全くできなくなる」段階まで精神的なケアをしないで放置することのほうでは