地下鉄サリン事件が起きてメディアがオウム真理教一色になっていた1995年、僕は施設内で暮らすオウムの現役信者たちのドキュメンタリーを企てて、フジテレビで放送することも決定し、およそ半年後にオウム施設内で撮影を始めた。 でもロケが始まって早々に、それまでのラッシュ(撮影素材)を見たフジテレビ上層部と所属していた制作会社幹部は撮影中止を決定した。 ならばENG(ロケクルー)を発注することはもうできない。やむなく僕はHi8(ハイエイト)やデジタルカメラなどハンディーなカメラを手にオウム施設に1人で通い撮影を続け、3回目か4回目のロケで麻原彰晃専用のバスルームを見つけた。 冒頭に引用したのはそのときの記述だ。それまでのロケでは、映像はカメラマンが撮ることが前提だった。でも今は1人だ。麻原専用のシャンプー(この時代にはこれだけでスクープだった)を見つけて撮りながら、カメラワークとは主観そのものである
