生地 Bad Wörishofen の映画館 "Filmhaus" に飾られた記念銘板 「映画を作り続けることで、人生は映画そのものと化す。」 1945年5月31日[注 2]、バイエルン自由州のバート・ヴェリスホーフェンで医者の父ヘルムート・ファスビンダー[注 3]と翻訳家の母リーゼロッテ[注 4]の家庭に生まれた。1951年、両親が離婚すると母親の手で一人息子として育てられた。ルドルフ・シュタイナー学校を卒業後[4] [注 5]、16歳で高校を中退した後はケルンの父親の元に身を寄せた[4]。 早くから映画への関心を募らせていたが、映画学校で製作を学ぶという志望は叶わず、南ドイツ新聞の資料室の事務助手[8]やバイエルン国立歌劇場でのエキストラなどのアルバイトなどをしながら、1964年から二年間ミュンヘンの私立の俳優養成学校に通った[5][4]。1996年9月に新設された映画大学「ドイツ映画